山下道輔さんと谺雄二さんは幼なじみ。 |
後日、写真家の黒崎さんが「それで、居眠りは廊下でやりなさい、出て行け」と言いましたかと聞いた。山下さんは湯飲みの酒を実に旨そうに飲みながら「いや、そこの兄さん昨夜はよほど勉強して疲れていると見える。どうせ寝るならこうやって寝なさいと言ったよ。そしたらぱっちり目を開けて最後までこうやっ聞いてたよ」うつらうつらじゃなくて、机に突っ伏して寝たらと言ったのだ。
山下さんは一日に一合だけ飲む。しかし実に旨そうに飲む、つまみもなしに酒だけを。ハンセン病資料館館長の成田医師は、「こんなに旨そうに飲む人を見たことはない」と、わざわざ酒を持ってきたほどだ。
冒頭の若者を、「居眠りはいけない」と言いながら自ら辞表を書くような精神に訓練したのは、学校文化であると僕は断言する。「いけないことはいけない」と、事の軽重を無視して正義を叫ぶ癖が、学校や教員には少なからずある。キセルも一回だけでも、窃盗と同一視して厳罰を要求する。たかが万引きや煙草などと言おうものなら、目を剥いてかかってくる。そのくせして、同僚の体罰には教育愛と言い張って擁護する。権力犯罪には反応すらしない。
こうした教員は山下さんのように旨く酒を味わう事はあるまい。事柄を人間において判断しない、出来ない。三木寮父が話した酔っぱらいのばくち打ちと少年の話を彼らは理解できまい、その賢さに欠けている。教師は頭がよくなくてはならないの半分はこのことである。人間を理解する経験とと知性に乏しいからこそ、規則において人を判断するのである。
「理解するより打つほうがやすい」 ニール
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