「夕鶴」のつうは、なぜ「覗かないで」と言ったのか

「恩返し」は知られてはならない
 山本安英による「夕鶴」上演は1,037回にも及んでいる。初演は団塊の世代が生まれる1949年、最終公演は85年、バブル経済開始の前年である。その後も様々な形で「夕鶴」は演じられてきた。僕の記憶では「夕鶴」は、商品化社会に警鐘を鳴らすものであった。
 そのために、木下順二が民話に付け加えた部分がある。

 与ひょうは、惣どと運ずから、つうにまた千羽織を織るようにそそのかされ、ついには、自分の中に目覚めた欲望(「お金」や「都」のこと)を抑えることができずつうに迫る。


与ひょう  布を織れ。すぐ織れ。今度は前の二枚分も三枚分もの金で売ってやるちゅうだ。何百両だでよう。 
つ  う  (突然非常な驚愕と狼狽)え? え? 何ていったの? いま。「布を織れ。すぐ織れ」それから何ていったの? 
与ひょう  何百両でよう。前の二枚分も三枚分もの金で売ってやるちゅうでよう。 
つ  う  ・・・?(鳥のように首をかしげていぶかしげに与ひょうを見まもる) 
与ひょう  あのなあ、今度はなあ、前の二枚分も三枚分もの金で・・・ 
つ  う  (叫ぶ)分らない。あんたのいうことが何にも分からない。さっきの人たちとおんなじだわ。口の動くのが見えるだけ。声が聞こえるだけ。だけど何をいってるんだか・・・ああ、あんたは、あんたが、とうとうあんたがあの人たちの言葉を、あたしが分らない世界の言葉を話しだした・・・ああ、どうしよう。どうしよう。どうしよう。

 欲に魅入られた惣どと運ずの二人は、事前につうに探りを入れている。 

 与ひょうの家で、運ずが惣どにつうの織った千羽織で儲けた話をしている場面。
 いつの間にか帰って来たつうが、奥の部屋からすっと出る。
運  ず  わっ。 
惣  ど  あっ。こ、こら、留守の間(ま)に上がりこんで・・・ 
つ  う  ・・・?(鳥のように首をかしげていぶかしげに二人を見まもる) 
運  ず  へい、おらはその、向こうの村の運ずっちゅうもんで、あの布のことでいつもどうも与ひょうどんに、・・・ 
つ  う  ・・・? 
惣  ど  そんで、なあかみさんよ、実はその、布のはなしをこやつから聞いて・・・おらもむこうの村の惣どっちゅうもんだが、ちょっと話があって来たもんだ。・・・全体それは、こういっちゃ何だが、ほんなもんの千羽織かね? 
つ  う  ・・・(ただいぶかしげに見ているが、ふと物音でも聞いたように、身をひるがえして奥に消える)

 与ひょうに助けられた鶴の化身「つう」は、投機を知らない、商品社会を理解しない、知りたくない。「つう」は与ひょうへの愛情を込めて、与ひょうの驚き喜ぶ顔がを見たくて織っている。労働は些かも疎外されてはいない。だが、運ずと惣どは「何百両でよう。前の二枚分も三枚分もの金で売ってやる」と 与ひょうをけしかけ、転売して利鞘を稼ぐことだけに意識が占領されている。千羽織の息を呑むような美しさや繊細な織り方への関心など欠片もない。

 ある年の卒業生が「先生に物を贈ったら、それで関係は切れちゃう」とおろおろしているのに出会ったことがある。恩とは何か、適確に捉えた言葉であった。僕はその感性に暫く圧倒された。
 つうが「織っているところを覗かないで」と言ったのは、なぜなのか。
 「恩返し」は、恩ある人に知られてはならない。知られてしまったら、恩は単なる交換関係になる。恩を返したらそれでお終いになってしまう。助けたお礼に嫁に来ただけに過ぎない、それを悲しむ。つうは、自分の行為が、恩返しである事を知られてしまうのを恐れて、与ひょうに助けられた鶴の化身である事を知られたくなかったから「覗かないで」と言ったのだ。つうと与ひょうの愛情で結ばれたの関係は、交換関係ではない筈だった。しかし与ひょうは、つうの織物を売り物としてしか見なくなってしまう。愛情の表現として見ていないのだ。覗かれてしまうことで、交換関係は白日に曝されたのだ。
  
  つうが飛び去って、与ひょうはかけがえのないものを失ってしまったことに気付く。 千羽織なんか作れなくても、いてくれるだけで嬉しかったことに。

 スポーツ少年クラブの少年が、炎天下熱中症で死亡した。教育を投資になぞらえる思考がある。「やがて大きくなって返ってくる」との宣伝に乗せられた期待がどこかにある、損や破綻が常であるにも関わらず。親と子の関係は、恩に託けた交換関係ではない。

 「夕鶴」に永く親しんだ日本人は、何を学んだのだろうか。僕の教えた生徒の「「先生に物を贈ったら、それで関係は切れちゃう」とおろおろする」以上の反応を僕は知らない。世の中の全てが「運ず」と「惣ど」に成ってしまったかのようだ。「与ひょう」も「つう」もいないわけではないが、恩返しを明示した交換関係に安住している。それが自己責任の契約社会なのだと言わんばかりだ。時々「自分にご褒美」と言う寂しい関係なのだ。

 恩は通常個性ある一対一の関係から生まれる、集団的に出現することはない。もしあるとすれば、そこには演出された特定の意図が含まれる。その意図が不快な者に取っては、恩は押し売りである。
 学校の「謝恩会」と言うスケジュール化した催しや、多かれ少なかれ学校が指名する卒業生総代による答辞が「恩」を内実を伴わない「贈ってお終い」という関係に堕落させているそのためだ、だから出席が強制されるのである。
 もし長続きする師弟関係をよしとするなら、「恩」という言葉を組織としての学校から追放して、個人間の問題に限定することだ。

追記 周恩来が、中国に於ける日本人戦犯を誰一人死刑にしなかったことの意義を考えることがしばしばある。ただ「寛大政策」と読んだことは、その意義の幾分かを損なっている。だが当時の中国人大衆の日本軍国主義に対する深い憎しみを考えるとき、他の名称はなかったとも思う。

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