天職とは何か

魯迅にとって、医学は天職ではなかった
 1967年フォトジャーナリスト・広河隆一はイスラエルのキブツ支援ボランテイアに参加した。キブツの平等と共同の理想に惹かれたからだ。しかし、間もなく第三次中東戦争を間近に経験して、キブツそのものがパレスチナ人の村を廃墟にして築かれたことを知り、パレスチナ問題に関わるようになった。廃墟となった村や難民たちを撮り続けた。
 「そのような写真と、戦勝国イスラエルのなかで見た光景とを展示する写真展を、エルサレムの大学で行いました。大学としては、日本人が写真展を開くというので、日本の風景写真だと思って許可したそうなのですが、実際に並んだ写真を見て驚いたようです。この写真展のタイトルは 「セキュリティ」、つまり「安全」という名のもとで何を滅ぼしてきたのかを見せました。 もちろん、激しい抗議にもあいました。ナチスの歴史を持ち出してきて、ユダヤ人が自分たちの安全に一生懸命でなかったから、ナチスはユダヤ人を絶滅させたのだと、そう言われたこともあります。 
   しかし逆に、ある一人のユダヤ人の若者が、この日本人の写真家は、イスラエルのなかで自分たちが見ている世界の裏側を見せてくれている。そのこと自体には感謝しなければいけないというコメントを寄せてくれました。 
   その言葉がなかったら僕は写真を続けることはなかったかなと思いますね。実は、その写真展から50年を経て、今年もテルアビブでの写真展を予定しています。 この50年間、パレスチナは僕にとっては被写体であるだけではなく、むしろ自分のありようを教えられる存在であり続けてきました。フォトジャーナリストとは自分で名乗ってなるものではなく、事件や出来事、あるいは被写体のほうが人をフォトジャーナリストにしていくのだと思います。僕にとっては、パレスチナ問題が、僕をフォトジャーナリストにしてくれたということです」                          広河隆一『教師としてのパレスチナ』 現代思想2018.5

  「フォトジャーナリストとは自分で名乗ってなるものではなく、事件や出来事、あるいは被写体のほうが人をフォトジャーナリストにしていく」というくだり、これが天職という概念を良く表している。自分中心ではない。世界が人を捉えて覚醒させるのである。 
 教師も同じでありたい。高校や大学で知り関わった出来事や事件が、学部や進路を選ばせる。あるいは何となく教師になったが、生徒や地域の実態が改めて教師を決意させる。それが書物であったり、映画であったりするかも知れない。

 魯迅は、藤野先生が詳細に添削を加えたノートを三冊の分厚い合本にして大切に保存していたのだが、
 「不幸7年前迁居的时候,中途毁坏了一口书箱,失去半箱书,恰巧这讲义也遗失在内了。责成运送局去找寻,寂无回信。只有他的照相至今还挂在我北京寓居的东墙上,书桌对面。每当夜间疲倦,正想偷懒时,仰面在灯光中瞥见他黑瘦的面貌,似乎正要说出抑扬顿挫的话来,便使我忽又良心发现,而且增加勇气了,于是点上一枝烟,再继续写些为“正人君子”之流所深恶痛疾的文字」
   幸い藤野先生の写真は北京の書斎、机正面の壁上にある。
  毎晩著作に疲れて怠け心が出たとき、スタンドの光に照らされたあの黒くてやせた今にもあのアクセントに特徴のある話し方で語りかけてくるような顔を仰ぎ見ると、私はまたやる気を出しさらに勇気をも奮い起こし、たばこに火をつけると再び「聖人君子」の連中に目の敵にされている文字を書き続けるのであると『藤野先生』を結んでいる。

  医学を志していた魯迅を文学に向け決意させたのは、仙台医学専門学校における「幻灯事件」であった。  細菌学の授業中に見せられた日露戦争のスライドの中の一枚、中国人が露軍のスパイとして処刑される場面に、魯迅にの目は吸い寄せられる。処刑の残酷さもさることながら、その光景を見つめる中国人の無表情さに、彼は衝撃を受けたのである。
 魯迅は『吶喊』で
   「あのことがあって以来、私は、医学など少しも大切ではない、と考えるようになった。・・・我々の最初になすべき任務は、彼らの精神を改造することである。そして、精神の改造に役立つものと言えば、私の考えでは、むろん文芸が第一だった」と振り返っている。
  ただ成りたいから、昔から成りたかったから「行政の末端」としての校長になった男と女子生徒の遣り取りは既に書いた。
                                                           「藤野 厳九郎の心延え」に続く

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