「先生、私たちのこと好きでしょう」 2 自立する高校生と特高化する教委

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入試制度改変に反対して街に出た仏の高校生
 この女子生徒は校長にも対話を求めた。校長は逃げて鍵をかけ校長室に篭った。彼女は待ち伏せして、ようやく立ち話をした。
 「校長なのに何故授業しないの」と授業へ誘うのだが、校長は
 「わしは管理職だ、校長にはずっとなりたかった」と応えている。彼女は
 「なんて詰まらない奴なんだ」と心の中で呟き、がっかりしたという。
生徒は校長を教育者として確認し尊敬したいからこそ、「授業しないのか」と問うのである。生徒と対話する絶好のチャンスを自分で捨てている。生徒との神経回路を切断して自らを疎外するのだ。生徒の方が余程教育者ではないか。

 学生に限らず青年に不可欠な資質は、先ずは何を措いてもこの女子生徒が見せた感性・人間的好奇心だろう。
 受験勉強はこうした感性の敵である。大学だけに教養教育を割り振ったのは大いなる失敗愚策である。青年期を貫くべき課題を高校と大学に分断したばかりか、分断した前半部分を廃棄して受験学力教育に特化。しかも進学しない者には教養は要らないという差別を許したのである。みずみずしい感性・荒々しい行動力・利害を超える正義感に溢れる時期を、受験と部活で浪費させて、日本の大学生・高校生から批判精神と社会的行動力奪った。土日も忘れて部活に猛進する教師が受験にしか役立たない授業をするのは、考えてみれば効率の良い青春圧殺法である。

 敗戦で学校制度も混乱を極めた。義務教育は中等教育まで引き上げられる。教員は足りず校舎や便所さえ無く、教科書は間に合わない。中等教育であった教員養成は二段階も引き上げられ大学に移行する。だが混乱は害をもたらすとは限らない。古い制度と新しい制度の併存は、そこに学ぶ若者の思索と自由の巾を質的にも量的にも高めた。何よりの幸福は戦争中の教師達がすっかり自信を無くしていたことだ。不幸は、それが青年全ての権利として成文化出来なかったことである。混沌が秘める豊かさは60年代の末、線香花火の最後のように華々しく光り闇に消えたのである。残ったのは効率と無限競争だけだった。

 もし、この女子生徒や優等生が放課後や昼休みの幾分かを、青春の総括と批判のために自由に使うことが出来たらと思わずはいられない。街に高校生の社会的要求が響いているに違いない。

 事実、優等生I君は、遅すぎたが部活から退くや、爆発したように高校生活の総まとめに向かった。担任団が無害な安全牌として彼を卒業生総代に指名したからである。何故三年生自身による民主的選出ではないのか、優等生は担任団の道具ではない。彼には忽ち学校の景色が色あせ、見えなかった構造が浮かび上がってきた。優等生の意識は自立して脱優等生となる。意識下で長い間鬱積したものが言葉となって溢れ出る。それが卒業生答辞として集約され、日の丸君が代を強制する管理職と教委への批判となった。

 教委が、自立した生徒の答辞を喜ぶ筈はなく、忽ち自分たちの立場を慮って動転した。
 これは誰かが唆したに違いない。高校生が一人でそんなことを考えるはずがないと教委は疑った。全く日本の高校生は見くびられている。
 教委は、教員や彼の家族の思想調査まで試みた。特高と同じ発想がこうも簡単に現れたのだ。
 自立して批判するのは青年の健全な特性であり、喜ぶべき成長であることを、教育に係わるものが認めようとしない。
 無理もない、校長に授業をしたらどうだと言えば、「教委から禁じられている、我々校長はは行政の末端である」と主体性をかなぐり捨てて胸を張るのだから。それを教委が校長に指示したとは。墜ちるにも程がある。しかも脅されたのではない、迎合してそうなったのだ。彼等が生徒の対話要求から逃げるのは、生徒が怖いからである。もし、鍵かけて生徒から逃げた校長が対話に応じて、たった一クラスの自習時間でも自らすすんで授業をすれば、少しは尊敬されただろう。式での拍手は倍にはなっただろう。高校生は優しいのだ。  

 脱優等生I君は卒業後、もっと広く訴える方法手段は無かったのか考えた。彼は中学校でも、総代であった。問題に気付き皆を組織する、そんなことは簡単なことだと高を括っていたのかも知れない。民主主義には思いの外時間も手間も必要なのだ。授業で習ったとおりだ、しかし実践したことは無かった。気付くと、高校生は自由な時間を奪われている。考え、表現し、行動する時間は既に無かった。彼が先ず直感したのは、推薦入学制度がとくに指定校推薦入学制度がスポーツも授業も詰まらなくしていることであった。

 誰が何時どのように、高校生の自由な時間を奪ったのか。奪われているにも拘わらず、それを恩恵だ、青春だと思い違いをさせていた。そのことに気づくのに更に四年を要したのである。なぜなら大学生もサラリーマンも主婦さえも同じように時間を奪われていたからである。いや、老人も子どもも旅人や病人までもが時間を奪われている。奪って肥え太っている時間泥棒を発見できないでいる。彼は同窓生と語り合いながら、時間泥棒が身近に遍くいることに気づき対決を決意した。

 彼女Oさんは、進路指導部の面接指導を受けたことがある。担当教師は、予想される大学側の質問をして、彼女の回答の中身に介入した。それが親切な指導であると担当者は得意だったに違いない。Oさんは、お辞儀の角度まで指摘されて、これでは私らしい部分が何処にも残らないと喧嘩して飛び出してしまった。
 話を聞いた僕は、この模擬面接の次第をそのまま小論文にまとめて大学に送ることを勧めた。入試面接当日、三人の教員が相手だった。うち二人は、終始声をあげて笑いながら遣り取りしたが、一人は不機嫌であったという。勿論合格した。賛否半ばしてメリハリある反応を引き出す若者が、混迷停滞する学校を切り開くのである。迎合する者ばかりを集めたのでは、創造的な緊張感は決して生まれない。

追記 いい教師の条件は、生徒が好き、学ぶことが好き、教えることが好き、この三つだと言うことがある。しかしこれは間違っても自分から宣言するものではない。もし、素面で「私は生徒が好きである、だから私はいい教師である」という者があれば、それは正気を装った狂人である。
  正気のふりをする狂気の現実に対し、もっとも有効な抵抗の方法は、実相を突きつけること。ギリシア神話に登場する半神の英雄ペルセウスが怪物メドゥサに鏡を見せて石化させたように。
   教師に「私たちのこと嫌いでしょう」と言い、校長に「なぜ授業しないのか」と問いかけた言葉は、ペルセウスの鏡でもあった。風呂屋の焚付にもならない書類の点検に励み、穴埋めを一年中繰り返し、日曜日も部活の生徒を怒鳴りつけ震え上がらせる。ギリシア神話と異なるのは、言葉として現れた鏡を「狂人」が認識しなかったことだ。愚人と戦うのは難しい。 

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