藤野先生の「心延え」

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魯迅を文芸へ向かわせたのは「幻灯事件」である
  中国では多くの人が「藤野先生」を読んでいる、読んでいないとしてもその作品を知らぬ者はない。教科書には『藤野先生』があり、大きな都市には魯迅名称の施設や学校と公園がある。魯迅の肖像を使った切手は数知れない。その魯迅が最も敬愛の念を抱いていたのが、藤野先生であった。一体どれほど先生は偉大であったのか。
 だが、藤野先生は、魯迅が医学を棄てる決意を聞いて寂しそうな表情を浮かべ、後日自宅に呼び魯迅に「惜別」と裏書きした写真一葉を贈ったのみである。にも関わらず、魯迅は
 「但不知怎地、我総還時時記起他、在我所認為我師之中我感激、給我鼓励的一個。有時我常常想;他的対于我熱心的希望、不倦的教海、小而言之、是為中国、就是希望中国有新的医学;大而言之、是為芸術、就是倦希望新的医学傳到中国去。他的性格。在我的眼里和心里是偉大的雖然他的姓名并不為許多人所知道
 (しかしどういうわけか私はときどき先生のことを思い出す。私が師と仰いだ人たちの中で藤野先生が一番私を感動させ、励ましてくれた。私はしばしば思うのだが、先生の私に対する強い希望や惜しみない教えは、狭い意味で言えば中国が新しい医学知識を得てほしいということ、広い意味で言えば新しい医学を中国に伝えてほしかったからだったのではないかと。先生の人柄は私の目からも心の中から見ても常に偉大である。先生の名前を知っている人は少ないかもしれないが。)と書いている。
   
  魯迅は、「先生の私に対する強い希望や惜しみない教えは、狭い意味で言えば中国が新しい医学知識を得てほしいということ、広い意味で言えば新しい医学を中国に伝えてほしかったからだったのではないか」と推測するが、藤野先生自身はそんなことは一言も言っていないのである。 
  僕にとっては腑に落ちないことだった。それを氷解させたのは次の一文である。
  「(無宿者)救援を・・・十年以上も淡々と続けている同世代の人をぼくは知っています。彼はマルクス主義者でもキリスト者でも市民運動家でさえなく、ただのサラリーマンで変哲もない家庭人です。彼に目立った特徴がもしあるとしたら、格別の特徴が見あたらないことと、口数が少ないこと、風景にすぐ溶けこんでしまうことぐらいでしょうか。休みのたびに山谷に出てきては無宿者のための炊き出しや、材料の調達、運搬、越冬支援などの活動を文字どおり黙々とやっては、理屈ひとつぶつわけでなく、風のようにさっと帰っていきます。彼は無宿者を扱うに際し、ことさらに慈愛に満ちた表情をこしらえたり説教したり励ましたり、まったくしません。むしろ何だか事務的にすぎるくらいにも見えましたが、かえって嘘も偽善も気張りも気取りも感じさせないのでした。無宿者に対し「あんた臭いよ。鉢洗いなよ」といった、表現法が必ずしも簡単でない提案を、社会運動的でも役人的でも宗教的でもなく、そうかこんな語調でいいのかと拍子抜けするほど、あっさり個人的に言える人でした。何かの思想信条があったのかもしれませんが、それをぼくは一度も聞いたことがありません。でも彼を見ていると、徐々に血流がよくなるような清々しさを覚えると同時に、彼に反照されて自分の背理と偽善が透けてくる気がしたものです。ぼくは病院のベッドで考えました。あれは彼の思想がそうさせていたのか、それとも持ち前の性格とか、古い言葉で言うなら、〝心ばえ〟というものがそうさせていたのか、と。 脳出血で倒れる前には、心ばえが一系列の思想の契機になり、翻って、思想が心ばえの背骨になる、くらいに理屈っぽく思っていたこともありましたが、いまは、人の心ばえって稀に、請け売りの思想とやらが尻尾巻いて逃げるほど深くて強いものがあると、割合単純に考えるようになりました」 辺見庸『自分自身への審判』
  心ばえは「心延え」と書く。心が外部の人や事柄に「延び」て広がる働きを表している。文の終わりの部分で、辺見庸が語っている
 「倒れる前には、心ばえが一系列の思想の契機になり、翻って、思想が心ばえの背骨になる、くらいに理屈っぽく思っていたこともありましたが、いまは、人の心ばえって稀に、請け売りの思想とやらが尻尾巻いて逃げるほど深くて強いものがある」について考えたい。
  藤野厳九郎先生は、教育や医学の理想について熱く語ることはなかった。淡々とノートの間違いを指摘しているだけだ。交番で乞食に間違えられて誰何された程、身なりにも無頓着で教授らしい厳めしさがない。
 藤野先生がなまじ、東洋解放の熱い志に燃えていたなら、八紘一宇的理想を語り魯迅を絶望させたかも知れない。先生の凡庸さが、「心ばえ」が反って「請け売りの思想とやらが尻尾巻いて逃げるほど深くて強いもの」を魯迅に感じさせている。藤野先生は、中国革命の意義を理解していなかったかも知れない。だから中国からの問い合わせにも沈黙を貫き、戦後の北京医科大学からの招聘にも応じなかったと僕は推測している。
 だがそれ故「心ばえ」は、偉大な結果をもたらしたのだ。同じ清国留学生・周恩来も下宿界隈の平凡な日常のささやかな心遣い「心ばえ」を日記に書き留めている。そのことと、日本人戦犯に対する「寛大政策」を結ぶのは牽強付会だろうか。魯迅の本名は周樹人であり、周恩来とは遠いが姻戚関係にある。ともあれ魯迅の『藤野先生』なしに、日中国交回復を考える事は出来ない。

  特徴のない凡庸さ、体や精神の衰弱は、思い込みで世界を強引に解釈する粗暴さから、人を解放する。それが「弱さ」という美徳 ←クリック である。
 人は弱ければ、姿勢の正しさなしには立つことさえままならず、歩くことや踊ることはなおさら出来ない。ベトナム戦争に超大国米国が負けたのも、強さに驕り平衡感覚を失った己の醜態を自覚できなかったためである。コスタリカが紛争多発地域で平和と独立を維持しているのも、弱さを自覚して絶えず正しい姿勢を維持するからである。弱いことを、恥じることはない。恥じねばならぬのは、強さに正体なく酔うことである。

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