弱さという美徳

働く子どもは姿勢が美しく表情が優しい
 人らしい美しい姿勢や生き方を維持するには、力を忘れる必要がある。小さな子どもが立つ姿が無理なく美しいのは、彼らが弱いからである。年老いた老人が、夕陽を前に佇む姿も美しい。筋力も富も地位も無いからである。
 木村伊兵衛が、1950年代の八百屋店先を撮った画像がある。看板の電話番号に城東とあるから東京である。下駄履きの主婦たちが夕餉の買い物をしている。中に子どもを負ぶった主婦二人が写っている。一人は三歳ぐらいの男の子を、もう一人はまだおむつの女の子をそれぞれ背中に乗せている。男の子は上半身をまっすぐ立て頭を周囲に興味深げに巡らしている、母親の上体は起こされ、自由に動いている。女の子はすっかり眠り体重を母親に預けて、お母さんは腰を折って辛そうである。
 力が無い者はバランスを大事にせざるを得ない。だが人間というものは成長と共に力が付くと、勿体を付けることを覚えてしまう。肩で風を切りふて腐れ斜に構えて拗ねてみせる。格好悪いだけではなく、本人も疲れる。弱ければそれをバランスで補う必要がある。正しい姿は美しいだけではなく楽でもある。
 学校では、教員が若い力に満ちて姿勢が傲慢に崩れ易い。生徒の訴えにも無頓着、それが「なめられない」強さだと思っているらしい。力で押し切ることが管理上期待されたりもする。小児科の毛利子来医師によれば、上越市には60歳前後のおじいちゃん先生がいて、子どもたちに大もてだという。(『たぬき先生のげんこ』金曜日)それまでの職歴を生かして、ということらしいが、力が衰えたということも重要だと思う。力が衰えるに従って職歴も生きる。子どもの話にも耳がむく。ついでに欲も無くなって生きる姿勢自体に無理がない。年老いた農夫の、鍬を扱う姿は力が抜けて、美しいのである。それは子どもから見れば、格好いいに違いない。

  柴田錬三郎が小説で講釈師に面白いことを言わせている。聞いているのは凄腕の巾着切り。

 「人、師無く法無くして知なれば、即ち必ず盗を為し、勇なればすなわち必ず賊をなし、能なればすなわち乱を為し、察なればすなわち怪を為す。・・・この文句をかみくだいて言えばだ、人間てえやつは、知恵ばかりすぐれて教育がないと、きっとコソ泥になる。勇気だけあって教育がないと、きまって人殺しをやる。才能のみあって、教育がないとかならず乱を起す。物の道理ばかり知っていて教育がないと、いとあやしげなふるまいをして人を惑すな。・・・これすべて、おめえのことを指して居る。 
・・・おめえは、まさに教育がない。無学野育ち、放埼無頼、おれは、五つ六つの頃おめえの人一倍の利発を見て、こいつをこのまま野ばなしにすれば、末は必ず遠島か礫、かるくても久離御帳外(江戸追放)とにらんで居ったが、果して・・みろ! 十九になるやならずで島送りの、このざまだ」「江戸群盗伝」p69

   強さに驕れば生きる姿勢は歪む、バランスを侮るからである。核発電業界、電通、大マスコミ、軍隊、情報機関、絶対多数与党・・・の幹部。彼らには「知恵」も「才能」もあり、「物の道理」も分かって「人一倍の利発」があったればこそ、これらの地位にある。だが、椅子にふんぞり返る姿勢や立つ姿勢は醜悪であり、言葉は乱暴か慇懃無礼、「あやしげなふるまいをして人を惑す」。「必ず遠島か礫」の実績・責任があるのに恥じるところがない。柴田錬三郎は、これら剥き出しの「力」を薫陶するのが教育だとしている。

 小学校しか卒業していない極めつけの不良少年鶴見俊輔を、美しい生き方に誘ったのはまさしく自由な高等教育であった。だが、希な例外である。大方が学歴を積む毎に、姿勢も言葉も怪しくなる。だとしたら、学校という制度自体が病んでいる。地位や富を排他的に獲得する特権的機構が、文化や教養の名に値するわけは無いからである。
  「人が人を食う社会」にも「人間を食ったことのない子どもたちが、まだいるかもしれない。子どもを救え」と魯迅は『狂人日記』を結んでいる。



追記  アルジェリア独立戦争、ベトナム戦争、キューバ革命。圧倒的な力を持つフランスやアメリカに、解放側が勝つことが出来たのは、武力に於いて自らが絶対的に弱いことを熟知していたからである。弱さを見つめて難産の末に生まれた闘う姿勢の美しさが、人々を結束させ連帯を組織したのである。


 水田で、急降下して爆撃しようとする米軍ジェット戦闘機の真正面に駆け込んで、ライフル銃を構える美しい農民女性の映像がある。片膝を立て肩に銃床をを置き、照準を合わせじっと待つ。戦闘機と弾丸の相対速度が最大になる刹那、小さな弾丸も爆発的破壊力を生む。だから戦闘機が機首をあげ、操縦士の顔が見える瞬間に引き金を引く。彼女は古タイヤ製のサンダルにシュロの編み傘姿である。貧しく気品に満ちた美しい姿勢であった。ベトナム映画『キム・ドン』50年前の記憶である。

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