四谷二中 1 飲み屋街の奥にぴか一の授業

右側に新宿高校、左側が四谷二中
二中正門前の飲み屋街は道路工事のため撤去されている。
理科室は一番奥にあった。
  新宿区立四谷二中について書かれたものを見かけない。あんなに僕を魅了した学校はない。書いておこうと思う。

 1960年代初頭団塊の世代が中学生になる。僕たちこの世代は、小学校高学年で勤評を経験している。嫌な思い出がある。優しく、授業が好きな先生が突然変身してしまったのである。クラスの平均点に神経質になり、クラスごと残されて叱られることもあった。業者テストを頻繁に繰り返し、クラスの座席は成績で分割されてしまう。「あれは嫌だったね」と同級生は皆言う。それが勤評のせいだと気付いたのは、高校のサークルで教育問題を取り上げて以来である。

 二中で記憶に残るのはいろいろあるが、先ず授業を挙げないわけにはいかない。分けても、体育、音楽、美術と理科第一分野(物理)の授業である。特に体育、音楽の授業は興味深かった。だがそれは、受験に無縁だったからではない。なぜなら当時都立高校入試は九科目で行われ、全科目に100点が配点されていたからである。全教科で教科書の他に資料集が使われ、鞄は重かった。偏差値が使われ始め、受験競争は既に加熱、些末な知識を問うていた。
 四谷二中には越境入学生もいて、小田急線や京王線で通っていたが、大抵下校途中には塾に寄っていた。そのせいで、都立高校合格圏すれすれを徘徊する生徒たちの表情は、暗く笑いに力がなかった。遊びにも勉強にも夢中になれないのだ。
 音楽の先生は「ベートーベンの交響曲は、音が優美なメロディとして流れるのではない。重量を伴った音の巨大な固まりとなって押し寄せてくる。それは産業革命の息吹・足音なのです」と美しいテノールで語った。僕はすし詰めの木造校舎で音楽鑑賞し、楽理というものがあることに驚き、学ぶことは覚えるのとは全く違うのだと知った。些かも小学校の延長ではなく、別世界であった。
 体育では、記録を生む選手の走りは何故美しいのか、それは筋肉と骨のどのような動きから生まれるのか、実際の動きを観察しながら授業は進んだ。不器用で体力のない生徒が見事なフォームで逆立ちしてしまう。本人が驚いている。ここでも理論が僕の興味をかき立てた。絵画や栽培や工作にも歴史があり、「学説」というものがあることにも魅了された。
 受験がなければ楽しい授業が出来る、授業が面白くないのは受験のためだというのは、逃げ口上であると思う。二中の卒業アルバムで先生たちの写真を見ると、知的な風貌を見せて生き生きしているのは、美術や音楽、体育の教師である。この先生たちは戦前戦中の最も苦しく困難な時期に学んだ世代である。
 もう少しこの教師たちと学んでいたら、僕は体育学や生理学を専攻していたかも知れない。音楽、美術、実験物理、工作、小説、で喰っていたかも知れない。・・・あらゆることに興味を向けてくれた学校である。

 一つ不安があった、高校には普通科があって、様々に学べる。しかし大学ではいずれかの学部に所属して専門を決める。何かになることは他のことを諦めることなのか、それは奴隷と変わらない。もし欧米の大学のように副専攻の制度があれば、僕はすこしは安堵したことだろう。不安は大きかったが、不満はあまりなかった。
  物理のK先生は、実験に熱中する僕のために、理科室と準備室の合い鍵をつくって実験室を自由に使わせてくれた。理科部は、毎年夏休み前に部員が激減していた。実験は面倒で、危なくて臭いからだった。薬品が飛び火傷が出来、服には穴があいた。白衣や帽子に伊達めがねが必要なわけが分かった頃には、僕ひとりになってしまった。K先生は忙しく、NHK教育テレビで理科の時間を受け持ち、戸山高校定時制の授業もしていた。だから先生は夕方には出かけてしまう。
 当時の定時制課程は、新宿高校がそうであったが、少なくない人数が東大にも合格していた。映画「キューポラのある街」(1962年)で、吉永小百合演じる主人公が貧しい家を支えるために、敢えて定時制課程を選ぶ場面がある。あの場面はこうした事情を知って観るといい、趣が一変する。
 実験に夢中になって遅くなった日は、暗闇に浮かび上がる高校生が学ぶ教室を廊下の窓越しに覗くことが出来た。二中の一画にも、毎日明かりがともっていた。夜間中学が併設されていたのである。
   二中に勤評の影がなかったわけではない。しかし授業がそれを十分補っていた。
                              つづく

0 件のコメント:

コメントを投稿

若者を貧困と無知から解放すべし

    「病気の原因は社会の貧困と無知からくる。」「だがこれまで政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか。人間を貧困と無知のままにしては置いてはならないという法令が出たことがあるか」   黒澤明は『赤ひげ』で新出去定に怒りを込めてこう言わせている。             ...