こころの乱れと共謀罪

 「服装の乱れは心の乱れ」という標語が、学校の思考を凍結したことがある。凍結して痺れた頭で、心と外見を等号で結んで、生徒を取り締まり、殴ったのである。
 命題「服装の乱れは心の乱れ」が真ならば、その待遇である「心が乱れなければ、服装は乱れない」も常に正しくなければならない。心に乱れがなかったから、ナチは絶滅収容所を造り日本軍は731部隊を作ったことになる。何故ならナチ親衛隊や皇軍将校は服装だけは立派だったからである。カストロやゲバラの服装はよれよれ、ホーチミンや八路軍兵士の服装も粗末である。だから彼らの心は乱れていたことになる。しかし、よれよれで粗末な服装が、かえって彼らの志の高さを示していて、僕はかっこいいと心底思う。心と服装は、互いに独立している。服装はそれ自体として、心はそれ自体として考察しなければならない。そして我々教員がなすべきは、授業を通して尊厳ある市民を育成すること。その結果、自らの外見やこころを自立して判断する良識が育つことを期待するのであって、直接介入することではない。
 金田法相は、「衆院法務委員会で、「心の中」にある目的が捜査対象になることや、警察が目を付けた人物の知人が捜査対象になることを認めた」(東京新聞 2017.5.24 朝刊)
 我々は、こころへの介入に無神経である。他人のこころなら尚更であることは、「服装の乱れは心の乱れ」という標語の乱用が既に示している。かつて学校は、生徒の心を外見で推し量り殴った。共謀罪の恐ろしさは、権力がこころを捜査することを通して主権者の心と行動を操作することにある。警察の捜査は、ぶん殴る以上の効果をもたらすのである。今、国会の頭脳は「テロ」「北朝鮮」という言葉で痺れている。その頭脳を選ぶ我々の感覚は、株価と北朝鮮で痺れている。

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