人類は互いに「自己天敵」、「進化」はおしまいか

自由と有り余る暇が進化をもたらしている
 フウチョウは極楽鳥とも呼ばれる。その鮮やかな色彩の羽や飾りを持った華麗な風貌と生態で人々を魅了し学者たちを惹き付けてきた。中でもカタカケフウチョウは光線のほぼすべてを吸収する究極の漆黒の羽とメタリックに輝く飾り羽を持っている。羽を広げ細い足を優雅に動す姿は、まるでバレリーナが舞うようである。舞台となる地面もゴミを完璧にかたづける。つがいを作る行為が芸術にまで昇華しているのだ。 
 とはいえ、鮮やかな色彩も器用な踊りは、天敵を招き危険に身をさらす。 その点ニューギニアの熱帯雨林は極楽鳥にとって文字通り極楽である。捕食者の不在と餌と水に恵まれていること、美しい進化の条件であった。
 その熱帯林1億ヘクタールが、1980年から2000年の間に人間の消費活動によって奪われ、現在1年に40,000種以上が絶滅している。(地質時代、種の絶滅速度は1000年に1種程度であった。対して、現在の生産活動による種の絶滅は、過去とは比較にならぬ速度で、1600年~1900年には1年で0.25種、1975年以降は、1年に40,000種と急激に上昇し続けている)つまり、人類は世界最大の捕食者となった。
 
  この最悪の捕食者=ヒトは、人類そのものの生存も危うくする。一発で広島型100発分の威力(一発で核の冬=地球規模の飢餓をもたらす)の原爆がまだ1万5000発も存在している。搾取を極限まで推し進めた大量消費の爆発は、生態系を破壊し人間の文化を窒息死させている。まさに人間は人間の天敵になったのである。原爆がわれわれの生存を脅かしているばかりではない、同じ人間同士が苛烈な競争に駆り立てられ死者を積み上げている。
 天敵の存在する環境では、生物は優雅な進化を享受できない。人類はもはや、知的芸術的天才を生み出せないかも知れない。第二次大戦後、気付いてみると偉大な芸術家・科学者・哲学者は出ていない。アインシュタインもサルトルもピカソも、すべて大戦前からの生を引き継いできた人々である。ノーベル賞も芥川賞も小粒になった。周恩来やホーチミンそしてゲバラやネルーも大戦前に青年期を過ごしている。政治家に至っては小粒どころか、ヘドロである。原爆と大量消費は、人類を人類の捕食者にしてしまった。同じ種同士は天敵とはなり得ない筈だが、ヒトは人類に対する「自己天敵」と化したのではないか。

 (免疫系は自分自身を攻撃しないとする「自己中毒忌避説=Horror autotoxicus」が20世紀初頭には主流であった。しかし、その後の研究により自分の体の構成成分を抗原とする自己抗体が発見されるにつれ、自己免疫疾患=Autoimmune diseaseの存在が明らかになった)
 
 青少年の日常は、捕食者同士の競争に明け暮れ、優雅な進化や成長を準備できないでいる。受験から部活から青少年を解放しなければならない。暇が有り余るからこそ、極楽鳥は様々に進化したのである。強制収容所には文化があり得ない。

   安部政権目玉で塾産業肝煎りの教育再生会議ですら、「子供は遊ばないと伸びない」(小宮山東大総長)という発言が出ているのだ。

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