「出来」ても0点をとることの主体性 Ⅰ

ない方がいいことに莫大な費用
 大分前の事だが「教育再生会議」でノーベル賞受賞の野依良治座長が
 「塾をやめさせて、放課後子どもプランをやらせないといけない。塾は出来ない子が行くためには必要だが、普通以上の子どもは塾禁止にすべきだと思う・・・塾の商業政策に乗っているのではないか」と発言して注目を浴びた。
 塾寄り行政の文科省の逆鱗に触れたか、「日本の数学のレベルは学校ではなくて、塾によって維持されている、という面もある」とJR東海会長が反論するなど塾業界関係者の怒りが爆発。中には、塾禁止は憲法違反と息巻く者もある。彼らの発言を見ると、言論や表現の自由より営業の自由が優先している事が分かって面白い。まさに新自由主義政権以降、教育の民営化は着々と進んでいる。
 野依良治博士の教育観は、教育新聞web版←クリック で閲覧できる。教育の現状への危機感が滲み出ている。
  ただ同意しかねるのは、「公立小学校で放課後に児童を指導し、「祭り」「演劇」「ダンス学芸会」などを体験させる「放課後子どもプラン」。放課後の少年少女たちまでを「指導」したがることと、「塾は出来ない子が行くためには必要だが」としている点である。後者について、異を唱える。
 
 「出来る子・出来ない子」という分け方は、教育を権利とする視点から逸脱している。教育の原点は「分かる喜び」にある。「出来る・出来ない」は、競争の中に組み込む乱暴さがある。そもそも「出来ない」ことはいけないのか。首相や大臣が公式の場で漢字を読めないのは、大いなる恥ではあるが何度やっても辞任はしない。首相は読めなくても良いが、子どもは読めなければいけないのか。逆ではないか。


 出来るがやらない生徒はどうか。僕が中学生の時、ほぼ全科目「1」の親友がいた。彼らは出来ないのではない、点数に興味・感心がない。休み時間や放課後、僕の机に群がって「教えてくれよ」というときは真剣な目の色をしていた。練習問題を解き問題集もやっつけて「分かったぞ。オレの答案にも○付けてくれよ。母ちゃんに見せるんだ」と言うときは嬉しそうだった。中には札付きの不良少年もいて、体も大きく喧嘩は滅法強かったが、分かったときの喜び方は無邪気なものだった。彼も「たわし、オレにも○付けてくれ」と言った。←クリック        


 だが定期試験では、0点をとる。分からなくなったのかと聞けば「出来るよ、ほら」と解いて見せて笑う。どうしてと聞けば、「どうせ通信簿には「1」しか付かないんだ」と平然としている。(相対評価の時代で、五段階評価の割合を厳守しなければ内申書の信用度が下がり受験の障害となった。受験しない生徒の成績を操作して受験する生徒に回すのは日常化していた。それ故この時代、受験生の多い学校の担任になれば付け届けが山をなした)
 とはいえ彼らは、底抜けに明るかった。彼らは中学を出れば「金のたまご」として就職出来たからだ。暗かったのは、都立進学と私立進学の境界の成績に喘ぐ生徒たちだった。当時、私立高校の大部分は授業料が高い上に、都立高校の滑り止めであった。経済的に苦しく私立には行けない境界の生徒たちは、テストには目の色を変えた。顔色も青ざめて笑い声も浅かった。彼らにとって、出来るのに零点で笑っている連中は、まさに仏であった。←クリック  (分かっているのに点数をとらない連中こそが、自立した学習権の主体であった。学校的競争に振り回されて点数を稼ぐ我々こそがが惨めだった) 彼らは一方的に教えられるだけではなかった。彼らは様々な情報や秘密を僕に耳打ちしたり、不良少年の嫌がらせや強制から守ってくれた。生きた教養は、彼らがくれた。特別権力関係という言葉も、彼らの一人が教えてくれた。

 教師になり、やれば「出来る」のに点数をとらない生徒たちにあちこちで出会った。高校には落第があるから零点はとれないが、ギリギリの成績で進級する。僕は毎年繰り返されるその名人技に感心しながらもハラハラさせられ通しだった。 
 やれば「出来る」のに点数に無関心な生徒が仲間に教えると、なかなかうまく評判がいい。評判が悪いのは博士課程を出た事を自ら吹聴して、分からない生徒を見下げる若い教師であった。(ある日突然彼が教えるクラスで反乱が勃発。生徒たちは「そんなに俺たちに教えるのが嫌なら辞めろ。あんたに教わりたくない」とクラス中が教師に迫った。翌日から寝込んで欠勤、数ヶ月後退職届が出た) 「出来ない」生徒の思考のプロセスに入り込み分析するという、「教科指導」の肝心要の楽しみを面倒くさがったのである。(この点から考察すれば教職課程における「教科教育法」は「教育原理」にもまして重視されなければならない。しかし僅か2単位ではどうしようもない) この作業をサボって置きながら、低学力を嘆くのは犯罪と言って良い。
 教師が教えるより、生徒同士で教え合うほうが、互いの思考のプロセスに容易く入り込める。「出来る」者が「出来ない」者の思考の中に入るのも、その逆も大いに意義がある。その双方向があっての「分かる」でなければならない。教師にも、何故出来ない生徒が出るのかが「分かる」が必要なのだ。
 例えばこうして育った級友が、高級官僚と社会的弱者になった時、互いの心や生活を理解し対話することがどんなに大切か考えねばならない。対話の必要な課題が、難民問題や原発事故や慰安婦問題などとして頻発して、武力や制裁で威圧する愚が繰り返される。

 偏差値が上がるにつれて、教えあう雰囲気は貧弱になる。教えあう雰囲気の欠如が競争を煽り、偏差値を上げると信じる傾向が生徒にも親にもある。そんな雰囲気こそ打ち破るべきなのだ。
 他者の思考や身体に入り込み分析することは、自分の思考と身体を点検することでもある。独断に過ぎないあやふやな理解が、普遍性を増すのだ。だから他者は様々な意味で違いが大きいほどいい。
 野依博士はそこをとばしている。出来る者も出来ない者も同じ学校、同じ教室にいて共に学び合うことが必要なのである。偏差値による選別は「出来る者」のためにもなっていない。選別が進めば進むほど「出来る者」は、ひ弱になりTVのクイズ番組にしか使いようがなくなる。

 仮にこうした効果がなくとも、級友と助けあうことは悪くない。身近な相互扶助の機会を捨てて(偏差値による選抜がそうさせている)、「道徳」を説くのは傍ら痛い。級友への援助を通して、自然な相互扶助精神が育てば、「道徳」も「ボランティア」も要らない。異なった思考や身体の生徒との交流理解が続く事が友情を育み、ひいてはいじめも起きない。
 文科省や教委の「浅知恵」(塾業界依存による公教育の民営化)は、何ら事態を改善しないばかりか新たな問題を生み出し、教師の仕事を増やし過労死へと追い込むのである。追い込む為に、意図して「浅知恵」を乱発しているような気もする。こうした多忙化は、組合の組織率を低下させ、自主的研究活動から遠ざけ、地域や親との連携も不可能になるからだ。
 まるで熱力学第二法則そのままだ。ジタバタする度にエントロピーは増大する。

  分かっているのに0点を取って笑っていた連中は、僕に究極のジェントルマンズC=fairを教えていたのかも知れないと頻りに思う。

追記 「放課後子どもプラン」に吉本興業の名前を散見することが出来る。例えば、厚労省の放課後子ども教室について(https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11900000-Koyoukintoujidoukateikyoku/0000054561.pdf)。此所にただならぬ気配を野依博士も感じたに違いない。

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