ペスタロッチは政府から危険人物視された |
「我々校長は、教委から授業を禁じられています」と胸を張った。
別の高校である女子生徒が、校長に対話と授業を求めた。が逃げて校長室に内側から鍵をかけて籠もってしまった。そのときの顛末は、此所←クリックにある。
授業を切望して、教務とやり合った校長を僕は一人しか知らない。彼は一週間に8時間の数学を受け持ったが、それでも少なそうな顔をした。登校時にはいつも火ばさみとゴミ袋を持って歩く姿に、ぺスタロッチを想った。
何故校長が授業から逃げるのかは、比較的簡単に分かる。教員養成制度も教員採用試験も管理職試験も機能していないからである。彼が学ぶことも教えることも好きではなく、教職に最も相応しくない事をそれらが見抜けなかったからである。
分からないのは、「授業を禁じられています」と胸を張る神経であった。恥ずかしげに言うのならまだ分かるが、胸を張るのには驚いた。悪夢を見るような気がした。
宇都宮徳馬が好んだ話に「石山デン隊長」がある。石山とは「塹壕」で、デンとは「出ん(出ない)」である。日露戦争「二百三高地」攻防戦の指揮官である。難攻不落を誇るロシア軍要塞への死の突撃命令を絶叫しながら、自らは塹壕から一歩も出ない連隊長。そのわけを、彼はこう言ったのだ
「自分は天皇陛下から作戦を命じられた大切な体だ」
だから兵士たちは、彼を塹壕から出ない指揮官という皮肉を込めて「石山デン隊長」と呼んだ。
石山デンが目指す真っ当な将校なら、命令がどのように伝わりどのように敵に打撃を与えているか最前線で具に見なければならない。その様子によって作戦は変えねばならぬからだ。彼には勝つ覚悟もない。
件の校長が「教委から授業を禁じられています」と胸を張ったのは、「お前たち平教員と違って、私はお上からの命令を伝える大切な人間だぞ」と言うつもりであったのだと今になって思う。彼は学校における「石山デン」であり、校長室に籠もる。彼にとって大切なのは、身分であり、生徒や授業に対する愛着は何処にもない。学校や教育行政がどうあるべきかを考察する気はさらさらない。
日露戦争は大国ロシアに勝った事だけが語られるが、兵隊は軍医総監のために辛酸を嘗めた。戦死者4万8400余名に対して傷病死者3万7200余名、うち脚気死者は2万 7800余名にのぼった。日本軍の行軍はまるで幽霊の行列のように見えたという。それが白米食による栄養障害であることはロシア軍も知っていた。戦死者数には満足に歩けない脚気患者が相当大量に含まれていたと考えねばならない。公式記録では陸軍の脚気患者は25万人。麦飯にした海軍の脚気患者は105名。
学閥の面目のために白米食を続けた頑迷な軍医とは森林太郎である。鴎外はこの膨大な死者について何も書いていない。鴎外とともに乃木希典の無能振りも目立った。兵が病気を抱えながら突撃して死んでゆくのに、無能な指揮官たちは勲章の数を数えていた。案の定、戦争後将軍たちは爵位の大盤振る舞いを求めた。(この時、陸軍は少将でさえ全員男爵になった。だから戦史は歴史家でなく軍人が書くという杜撰さ)
「我々校長は、教委から授業を禁じられています」と胸を張って授業から逃げるのは、民を侮る明治以来の伝統だと分かる。こんな連中が軍隊を持つのは危険極まりない。自分の役割が消えたとき人は狂信的になるからである。民の死者だけが増える。まさしく悪夢である。
1939年のノモンハン事件は日露戦争後40年経っているが、関東軍1万5000名が壊滅する事態になった時ですら、師団長の小松原中将は
「もう、こうなればどうしょうもないな。しかし日本の兵隊さんは強いそうだからなんとかやってくれるだろう」とテントの中で頭を抱えていたと、司馬遼太郎は『戦争と国土』(文春文庫)に書いている。相も変わらず、石山デンである。
2019年になった。教師が過労死しても為す術なく校長室に籠もって頭を抱える管理職の姿が同時に浮かぶ。これこそ紛れもない日本の伝統であり、学校に校長は要らないのである。
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