自由な社会と奴隷社会を分つのは、自由な質問

  教師が監視する生徒総会は、自由な自治を学ぶに相応しいか。

 「自由は危険なものである。幼い息子一人で初めて道路を横断させれば、息子の生命を危険にさらすことになる。
しかしそうしなければ、被は一人で道路を横断できないまま成人するだろう。ナチズムの敗北後、ドイツを占領したアメリカが、ドイツ人に自由を与えろ道を選んだのは危険だったかもしれない。反ナチ党だった私の友人たちでさえ、完全なドイツ人だったから、「ネオ・ナチ」に言論・出版・集会の自由を与えることに反対だった。
しかし、ドイツ人をまず困らせたのは、自由のすべての危険性とともに、自由への恐怖だった。アメリカがドイツに自由を「与え」ないと決定すれば、ヒトラーが正しかったということになっただろう。
 自由な社会と奴隷社会を分つものは、自由な演壇上での自由な質問が慣例になっているかどうかだけである。
」
ミルトン・マイヤー『彼らは自由だと思っていた――元ナチ党員10人の思想と行動』未来社 p167             

   学術会議任命拒否問題はそれ自体が、憲法や人権宣言に背馳しているが、この問題も的確に端緒を捉える必要がある。 若者たちが何故この問題に鈍感なのかに絞って、端緒を捉えねばならぬ。そうでなければ結末に対処する事もできないからである。
 人が物心ついて、公的な場で「自由な演壇上での自由な質問が慣例」となっていないことに気付くのは、小学校や中学校においてだろう。職員会議には生徒の参加自体が認められないだけでなく、記事録すら公開されない。まして質問や発言は思いもよらない。そもそも出席は「義務」である。
 生徒会や児童会は「自治」会の体を為していない。議題や議事進行マニュアルまでが事前に職員会議で決定される。(敗戦直後、新制高校発足から暫くは生徒の職員会議参加を認める動きもあった。大学学長選挙に学生が拒否権を持つ例もあった)

 僕自身苦い思い出がある。小6の学級会で担任「提案」の行事に意義を唱えたのだ。級友たちは仰天、僕と担任との激しい議論で1時間は瞬く間に過ぎた。このクラスは併設の幼稚園から数えると、8年間メンバーがほとんど変わっていない。担任はこう言った。「皆でお別れ会をやろう、グループごとに出し物をやるんだ。な!いいだろう」僕は猛然と反対した。その次第はここに書いた。←click

   僕をすっかり学校不信に追い込んだ苦い経験から救ったのは、進学したばかりの四谷二中だった。それもここに書いた。←click           上級生が生徒会中央委員会から顧問教師の退場を要求し、教師はそれを受け入れたのだ。僕の世界観は根底的に変わった。小さな時期から異議を唱えたり文句を言う、それが家族の地域の楽しみや誇りであるような社会、それが自由な社会である。
 気に入らない言論や人物はあらゆる権力的行為を駆使して徹底的に排除、「利権」を見せつけることで「安定的」多数派を形成する。その手口は、すでにfasismである。物が言えないと同時に、ものを言わないで済む「安逸のfasism」が少年たちに蔓延る。

端緒において行動する


 1943年、ベラルーシ920万人のうち220万人が虐殺された。ソビエト映画「炎628」の628は 、ナチス「移動虐殺部隊」によって焼滅した村の数。現場の一つハティニ村には
、628の墓標と博物館がある。


 移動虐殺部隊はハティニの村人たちを、納屋に閉じ込め、ガソリンをかけ、火を放ち、逃げ出す村人たちがあれば待ち構えて悉く銃殺した。 身内も知り合いも焼かれ身も心もボロ布状態になった少年フリョーラは、パルチザンに身を投じる。

 彼が、水溜まりに沈んだヒトラーの肖像画を見つける場面がある。肖像画を見つめるうちにフリョーラの意識は、ヒトラーのナチスが世界を席巻していく歴史的記録映像に重なり合う。虫も殺せず村人に笑われた優しい少年フリョーラは、即座に銃の引き金を引く。その度にナチス台頭とヒトラー躍進の映像が猛烈な勢いで逆転する。歓喜するドイツ国民や親衛隊の行進や集会に手を挙げるヒトラー、フリョーラは躊躇わず引き金を引く。その度にヒトラーが若くなっていく、青年時代のヒトラー、少年時代のヒトラー・・・。そして赤ん坊のヒトラーが母親に抱かれている写真。フリョーラは引き金を引けず、口をわなわなと震わせ涙をおとす。


 何時行動を決意すべきだったのか、惨劇の端緒は何処にあったのかを言葉なしに我々に訴えかける場面である。

 僕は毎年「炎628」を教材にして、高校生とニーメラー牧師の言葉を考えてきた。我々の「今」は、ニーメラー牧師の言葉のどの時期なのか。

 今、学術会議に対する政権の介入への抗議が急激に高まってきた。介入の端緒は何処か考えてみる。

 2004年国立大学行政法人化は如何だったか。2005年NHK番組改変問題への介入・恫喝は・・・。

 僕は教員養成課程に於ける必修科目「法学」から憲法が外された事にまで、更には東大闘争確認書までは遡らねばならぬと考えている。

 それだけではない、それぞれの端緒にもいくつもの端緒を考えることが出来る。それを常に意識し続ける事が肝要だと思う。それが歴史を学ぶ意義である。18歳選挙権と模擬投票の流行は何だったのか、問わずにおれない。

  端緒において行動することを痛切な悔恨と共に呼びかけたニーメラー牧師の言葉

  「ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた」「ミルトン・マイヤー『彼らは自由だと思っていた――元ナチ党員10人の思想と行動』未来社 p167」は余りに有名。


  だが戦後の46年1月、ゲッチンゲンでの説教でニーメラー牧師は次のように告白している。

  「・・・私は1933年になっても、ヒトラーに投票したし、また正式な裁判なしに多くの共産党員が逮捕され投獄された時にも、沈黙を守っていました。そうです。私は強制収容所においても罪を犯しました。なぜなら、多くの人が火葬場にひきずられて行った時、私は抗議の声をあげませんでした」

 日本軍に移動虐殺部隊はなかった。さほど残虐でなかったのか、そうではない。歩兵部隊であれば、どの部隊も略奪・強姦・焼き討ちに迷いはなかった。

 満州を支配した日本軍(関東軍と名付けていた。731部隊の正式名称も関東軍防疫給水部本部)は、「燼滅掃討作戦」を実施している。
 華北の長城に沿った南北500㎞余で村々と人々を、焼き尽くし(焼光)、殺し尽くし(殺光)、奪い尽くし(搶光)た。人呼んで「三光作戦」。

 1937~45年の8年間だけで「318万人が殺され、276万人が連れ去られ、1952万軒の家屋が焼かれ、5745万トンの食料、631万頭の耕作用家畜、4800万頭の豚・羊」などが奪われている。残酷さと規模において、ナチス移動虐殺部隊を凌駕している。

 フリョーラ少年が、ヒトラーの肖像を撃つ場面直前。ナチス移動虐殺部隊がパルチザンに包囲さる。青ざめたナチ将校たちが命乞いする場面がある。憎しみの感情が極限に達した村人たちは、今にも銃弾を浴びせかねない。パルチザン隊長は「殺すだけでいいのか、裁判にかける」「奴らの言い分をよく聞いておくのだ」と止める。

追記 パルチザンの隊長が「奴らの言い分をよく聞いておくのだ」と冷静に止めるが、意を決した一人の婦人が人集りを掻き分け進み出叫びながら軽機関銃を浴びせる。

 僕は三光作戦や731部隊の犠牲になった人々の身内の気持ちを思わずにはおれない。憎しみの感情に高ぶる人々を、言葉で制止するのは容易いことではなかった筈。

  

~であることと、~と見做されること


  横浜市の職員バッチは「ハマ」を図案化したもの。あるヤクザの代紋によく似ている。 「ハマ」市職員が盛り場で一杯やっていた時、いかにも暴力団構成員らしい男数人が、職員バッチを見て最敬礼したという。
 バッチを付けたがる民族は極めて希である。 ヤクザの代紋バッチ、学校生徒の校章、会社の社員バッチ、他者との差異を誇示して意識を隔離する代物。
 

 ある年の正月、旧財閥系企業人事部長が苦り切っていた。

 「「若い社員たちが団交で、社員バッチをつくれ」と言うんだ」。彼は、組合に賃上げの要求が低すぎると交渉の秘訣を伝授する変わり者だった。

 「「通勤で、三井や三井の連中が社員バッチを付けているのが羨ましい」と言うから「それは奴隷根性じゃないか、会社ではなく自分自身に誇りを持て」と言い返したが彼らは、「愛社精神だ、仕事への誇りだ」と食い下がるんだ」

 1964東京オリンピックが終わった頃である、学生達が会社の偏差値が欲しいと言い始めた。次第に就職偏差値は「精緻」を極め、今や結婚偏差値まである。
 通勤地獄に腹を立てる事もなく、満員電車の中で他人からの視線に痺れる愚かさ。自ら進んで格差を要求する。階級意識が育たないわけだ。同様に学生意識も存在しない。あるのは裏に偏差値の高さを露骨に匂わせた愛校精神だけだ。不安定雇用を世代共通の課題として意識出来ない程、分断されてしまっている。共闘を回避して、互いに嘲弄する日々だ。

 『大いなる西部』は、「体面」を賭けて撃ち殺し合う文化の愚かしさを描いた異色の西部劇。水場を巡る二つの牧場に連綿と続いた殺し合い。東部からやってきた主人公は、水場を双方に解放することで円満に解決する事を願っている。
 メンツに拘り命を捨てたがるのは、アメリカも日本もよく似ている。意気地なしと世間から見なされる事を恥じ、他者の評価に翻弄される愚かさ。~であることと~と見做されることには、天地の差がある。

  グレゴリ-・ペック演じる主人公は、女性を巡る鞘当ての挑発にも 

 「争っても何も証明できないぞ。挑発には乗らん。馬でも銃でもこぶしでもだ」と言い捨てる。

 主人公が荒馬で手酷く失敗する様を嘲弄しようとカウボーイたちが待ち構えるが、その手にものらない。しかし荒馬を乗りこなす事に興味はある、カウボーイに殴り勝つ自信もある。見せびらかすのを好まないのだ。
 メキシコ人の牧童に荒馬を引き出させてじっくり観察するが、牧童は乗るのを強く止める。鞍を載せるのにも苦労して、漸く乗るが馬は頑として動かない。動いたかと思えば振り落とす。それでも長い格闘の末に荒馬を乗り熟し牧童を感嘆させるが、誰にも言うなと堅く口止めする。
 そんな主人公に婚約者は愛想を尽かして言う。

 「・・・気にならないの?」
 「どう思うと勝手だ。問題は自分さ」
 「あたしのことは? 世間があなたを…」
 「臆病者と思うだろうがそれは違う。だが勇敢さを証明する気もない」
 「その逆を十分に証明したわ」 

 ある時敬愛する女性が侮辱されたのにたまりかねて、主人公は真夜中無人の野原で「挨拶がわり」の決闘をする。長時間の殴り合いの果て、ついにチャールストン・ヘストン演じる牧童頭が弱音を吐く。
 「お前の挨拶は長いなあ」
 「これで、終わりだ。君さえよければ」
 「俺はいいぜ」
 「これが何の証明になる?」 

主人公はこの殴り合いについても一切口にしない。

 結局意地の張り合いは、双方の牧場主が互いの弾丸で死ぬことで終わる。主人公の意図する水源地の開放の問題は、これでたぶん決着はする。しかしこれは中断又は先送りかもしれない。

 十字軍とイスララム教徒の体面を巡る惨劇は、如何なる政治的国際的調定も受け付けない。千年を経てなお拗れるばかりだ。
  「どう思うと勝手だ。問題は自分さ」という台詞のつぼは、ここにある。社員バッチや高校の垂れ幕に改善の余地は無い、廃止だけが残る。対話の不能性・・・。

 「どう思うと勝手だ。問題は自分さ」を遙かな昔から、何度も聞いた。そうでなければ、合点の行かぬ事が多すぎる。

 

繰り返し聞かされれば、嘘にも「親近感」を抱いてしまうのが「単純接触効果」 。「人柄がよさそう」だけで、新首相支持率7割の仰天を生んだその効果。

天皇は、皇祖皇宗の御心のまにまに我が国を統治し給ふ現御神であらせられる。                   「国体の本義」

 

 「嘘も100回言えば真実になる」は、博士号を持つナチ宣伝相ゲッベルスの言葉と言われるが確証を見つけられない。そもそも嘘は真実にはならない、嘘は何処までも嘘のまま。あり得るのは、何遍も繰り返して聞くうちに、聞き手が嘘であってもその内容に「親近感」を抱くようになることだ。名付けて「単純接触効果」。

   これは、音楽や図形や文字、服装や習慣、味、匂い、CM、広い範囲に見られる。娘が父親に似た男に惹かれてしまうのも、しつこいTVショッピングにウンザリしながらつい手を出すのも、臭い食べ物にも何時しか愛着してしまうのも、単純接触効果の類いである。

 前内閣官房長官が記者会見で、「全く問題ない」、「批判は当たらない」、「指摘は当たらない」と念仏のように繰り返して、良識ある者の強い反感を刺激し続けた。国民主権下の主権は何処にあるかを理解しない。だから木で鼻をくくったような定型句を繰り出して、コミュニケーションを遮断した。それを7年以上も繰り返され、主権者としての堪忍袋の緒が切れる前に単純接触効果が現れる人々が続出したのだ。それが「人柄がよさそう」だけで、支持率7割と言う仰天を生んでいる。

 嘘を100回聞かされても、「単純接触効果」に支配されずに疑うのが、健全な批判精神である。内閣官房長官の記者会見会場の記者たちは、「問題あるか、ないかを判断するのは公僕たるあなたではない、我々国民である。」と先ず釘を刺して質問・追求すべきだった。にも関わらず「「特権的」接触効果」が事前に存在していたわけだ。記者クラブ制度や首相との会食が「「特権的」接触効果」としての奴隷的忖度を生んでいる。

  「ウソをつかない奴は人間じゃねえよ」(橋下徹『まっとう勝負』小学館p181)

と述べたのは、元大阪府知事。

 「私は、交渉の過程で“うそ”も含めた言い訳が必要になる場合もあると考えている。正直に自分の過ちを認めたところで、何のプラスにもならない」・・・「絶対に自分の意見を通したいときに、ありえない比喩を使うことがある」「たとえ話で論理をすり替え相手を錯覚させる!」(『図説 心理戦で絶対負けない交渉術』日本文芸社)「どんなに不当なことでも、矛盾していることでも、自分に不利益になることは知らないふりを決め込むことだ」(『最後に思わずYESと言わせる最強の交渉術』日本文芸社)

  彼の狙いは彼自身の信念を実現することではない。自分が「強者」であることを府民に知らしめる、つまり独裁者になりたいのだ。    

  筋金入りのナチ党員ゲッベルスが言ったのは、信念を実現させる手段としての宣伝である。

 『嘘で塗り固められたプロパガンダというのは、それがニセの大義であることの証である。長期的には必ず失敗するものなのだ』

 『優れたプロパガンダは嘘をつく必要がない。むしろ嘘をついてはいけない。真実を恐れる必要はないのだ。大衆は真実を受け入れることが出来ないというのは誤りだ。彼らにはできる。大事なことは大衆が理解しやすいようにプレゼンテーションしてやることだ』


 天皇が生き神ではないことがバレた時 、「絶対に自分の意見を通したいときに、ありえない比喩を使うことがある」「たとえ話で論理をすり替え相手を錯覚さ」せただけなのだ、と天皇を担ぎ上げた連中は嘯いたことだろう。そうしなければ、戦争指導犯罪者として処罰される。だから「・・交渉の過程で“うそ”も含めた言い訳が必要になる場合もあると考えている。正直に自分の過ちを認めたところで、何のプラスにもならない」と言い逃れことにしたのだ。そうでなければ、天皇メッセージで沖縄を占領軍基地に提供して、帽子を振りつつ全国を行脚することなど出来はしない筈だ。「どんなに不当なことでも、矛盾していることでも、自分に不利益になることは知らないふりを決め込」んだのである。

 二度とこんな嘘を通用させない為にこそ、沖縄独立と日本の独立が欠かせないのだ。

 ゲッペルスさえ嘘を排して自殺を選んだのに対し、日本の支配者達は嘘の上塗り自体を「信念」にして増殖し続けている。



「優秀」印なら物言えぬ賃金奴隷でもいいのか

  身体的に健康で精神的な幸福度が低ければ、奴隷に適している。
先進38カ国の子どもを比べたユニセフ調査(9月3日)によれば、日本の子どもたちは、身体的健康は1位なのに、「精神的健康」は、37位と調査対象国中ワースト2位。1位はオランダ、2位がデンマーク、3位はノルウェーと、北欧の国が上位を占めた。
 「学力」はPISAテストの読解力・数学的分野で、38か国中5位で上位となっている。一方、社会的スキルでは「すぐに友達ができる」と答えた15歳の割合は69.1%で38か国中37位。
  読解力・数学的分野で38か国中5位を単純に喜べない。批判精神が伴わなければ、政権の意図を直ちに「読解」して忖度する霞ヶ関官僚の「忠犬」振りを約束するに過ぎないからだ。
 「すぐに友達ができる」社会的スキルが低ければ、政府や資本の危険な意図を読解し仲間を組織し抵抗する可能性も低いわけだ。
 

   OECD先進7ヵ国の調査でも、日本の子どもの自己肯定感は断トツに低い。昨年内閣府が公表した2019年度の「子ども・若者白書」によると、「自分自身に満足している」という質問に対し、「そう思う」「どちらかといえばそう思う」と回答した日本の若者(13~29歳までの男女)は45.1%しかいなかった。
 
   動物園の動物が、野生動物よりはるかに平均寿命が短い。それは餌や行動などを自ら選択しないからだ。重い責任を伴う幹部たちの平均寿命は、生涯にわたって指示される平よりも長いし健康でもある。休みもせずhardな日々でも長生きなのは、裁量権や選択権があるからだ。

 4ヵ月の乳児に、ひもを引っ張ると音楽が聴こえることを教えたら、とても喜び落ち着いた。ところが、「音楽のひも」を奪い不規則に音楽が聴こえるようにしたら、乳児たちは悲しげな顔をし腹を立てたという実験がある。コロンビア大学のシーナ・アイエンガー教授は自著の『選択の科学』でこう語っている。

「子どもたちは、ただ音楽を聴きたかったわけではなかった。音楽を聴くかどうかを、自ら選ぶ力を渇望したのだ」文藝春秋刊
 中国帰国生たちが正月に、他校の帰国生を連れてきたことがある。彼女は指定校推薦でなかなかの国立大学に入ったのだが
 「先生聞いて頂戴、如何して日本の教師達は私たちの希望を無視して、偏差値の高い学校を押しつけるの」
 「善意のつもりなんだ。彼はこう思っているよ。偏差値社会の日本で暮らすうちに何時か君が彼に感謝すると」
 「私をランクの高い学校に入れて、自分の手柄にしているだけなのよ。」
 「辞めてもいいんだよ」
  「私もそう言ったの。そしたら指定校だから来年の受験生に迷惑がかかるから、辞められないと脅かすのよ」

 自ら選ぶ意志を無視する教師の罪は深い。仮令失敗したとしても、自ら決意しての失敗からは学ぶものは多い。与えられた「成功」体験は、更なる指示を待ち望む「依存」が生じるだけだ。
  部活も日々の授業も受験も、「指導」と言う名の指示に従うだけ。皆が同じ方向を向いているとき、それを疑い変える、それが主権者らしさなのだ。教師は生徒を優秀な奴隷に仕立て上げ、豊かなら「やむを得ない」と自らの成果を誇るのだろうが、もはやどうあがいても豊かさに手は届かなくなっている。「自助・共助・公助」を掲げた政権が、主権者の審判抜きで湧いて出たが、共助・公助の余地は既にない。
 2018年度の「問題行動・不登校調査」(文科省)によれば自殺した少年(小中高校生)は昨年度1年間で332人(小学生5人、中学生100人、高校生227人)。昭和63年度以降、最も多い。気懸かりなのは多さだけでは無い、自殺の要因「不明」が6割を占めているだけでなく、国内の自殺者数は9年連続で減少する中でのことだ。2019年の数は、来月出る。優秀に育ったとしても奴隷にしかなれない。自殺の要因「不明」が多いのは、自分の尊厳さえ知らないからだ。 少年が生きる気力を持てない世の中にした事の責任を、大人特に教師は負わねばならぬ。
  教室に『謀反論』が必要だ。

祖父は敵前逃亡したのか

江戸時代土木設計にどんな数学を用いたのか
 祖父の訃報に僕が熊本から駆けつけたのは、小学校に入ったばかりの時。だから僕にバイオリンの弦を持たせることを楽しみにしていた病床の祖父を知らない。
 それを補ったのは叔父である。彼は町史の編纂で知った情報を「内緒だぞ」と度々耳打ちしてくれた。
 「わっこんげーん爺さんが海軍ば辞めやった時な、だいぶ上層部で揉めたごたる」と教えてくれたのは、僕が中学生になってからだ。母たちは病気で引退と説明していたが、僕は叔父の言葉に惹かれた。僕はそのとき叔父に、慰留されたのか、敵前逃亡を疑われたのかと聞いた。叔父は敵前逃亡の語を否定も肯定もしなかった。
   俄然祖父が、豊かな人格を持って生き生きと立ち上がった。
 思えば、片田舎の古い家や軍人の家にはあるものが何も無かった。天皇や元勲の写真、軍刀、軍帽、勲章・・・何処にも無かった。それらしいものは、大きな双眼鏡だけ。部下の旧軍人が訪ねてくることも、家の中で軍歌が響くことも無かった。誇らしい記憶である。
 
 小学校入学までの勉強を僕に禁じたのは、この明治生まれの祖父であった。海軍兵学校で弾道学や船舶運用を講じたが、水兵からのたたき上げだ。祖父は高等小学校を出た後、17歳を待ち志願して四等水兵となった。


 藩政時代から、代々数学は役目上必須であり得意でもあった。島津一帯に「樋渡」の名を刻んだ石橋がある。石橋や石垣の構造計算や設計から、人足等諸経費の計算と現場監督に明け暮れた。荒くれ者の少なくなかった人足たちの揉め事の仲裁まで引き受けていた。  

 石垣や河川堤防の測量設計に三角関数は欠かせなかった筈。和算にも三角関数はあった。鹿児島のそのまた僻地の下級武士が、その知識・技術をどのように獲得したのか。江戸時代和算は高度に発達を遂げていたが、その三角関数は土木測量や計算に用いられたのだろうか。
 江戸時代和算は、義太夫や俳句など私的趣味の類いであったからだ。祖父も書道や水墨画を始め三味線にバイオリンと趣味は広く、第九交響曲のSPレコードや手回し蓄音機もあった。
 もし祖父が数学好きなら海軍同様学費のいらない師範学校に進む手もあった。何故そうしなかったのか、得意だが教えられるのは厭だったのか。学校の雰囲気が肌に合わなかったのか。
 
 祖父母の養子となった父の実家も、藩政時代には同業だった。数学には堪能で、トラス構造にかかる応力値を求める近似式を若くして開発、特許登録している。この式には三角関数が含まれている。父はこの知識を何処で得たのだろうか。
 更に分からないのは、父がその特許を公開してしまったことだ。高度成長期には多くの橋梁がつくられ、トラス構造計算に父の近似式は盛んに用いられたが、彼の財布には一銭も入らなかった。コンピューターのない時機、日本全国の土木設計事務所では、父の近似式を使った計算のために手回しの機械式計算機がけたたましい音を立てた。

 父にとって数学はもはや趣味ではなく、学問であった。しかし個人的利得手段にするほど私的なものとは考えていなかった節がある。

 祖父は暗算が得意だったから、軍艦の大砲の弾道計算に引っ張り出されたに違いない。陸の大砲と異なり、軍艦は自他共全速で動きながらの発射だから、複雑な関数計算、特に三角関数は欠かせない。しかも迅速に決断しなければならない。
 祖父の引き出しには、三角関数の目盛りのある使い古した計算尺と算盤があった。何処でそれを学んだのか、独学か。 
計算や仲裁の能力は、体制が滅び仕事が消滅してからも受け継がれたのか。
 海軍には砲術学校があったが、将校の教育機関で下士官は入れない。いずれにせよ命じられて下士官のまま、兵学校で教鞭を執った。教え子には高松宮もいて、面白い挿話を祖母や母は聞いている。

 早々と将校に昇進、官舎と当番兵が割り当てられ毎朝運転兵が車で迎えに来た。
 英王室の式典に遠洋航海したこともあって、バイオリンと蓄音機と洋食のマナーを我が家にもたらした。
 1932年には上海事変に海軍陸戦隊を輸送した。このとき祖父は自筆の絵はがきを、母と叔母に何枚も送っている。兵隊や軍艦の絵はなく、苦力や屋台の物売りが筆で描かれ彩色が施され「湯気を立てて屋台の肉まんが旨そうですが、軍医から厳しく禁じられてます」と文が添えられてあった。
 祖父が見たのは苦力や屋台ばかりでは無い。日本人僧侶襲撃事件もあった。日本山妙法寺の僧侶と信徒が数十名の中国人により襲撃され死傷者を出した。しかしこれは、当時の上海公使館附陸軍武官が、板垣征四郎大佐に列国の注意を逸らすため事件を起こすよう依頼され、中国人を買収し襲わせた謀略であった。


 突然祖父は軍隊を辞めるのである。
 都城で晴耕雨読の生活の後、志布志築港の絶景点
に石垣を組んで家を建てている。そんな場所をどうやって手に入れたのか、合点が行かない。
 1935年4月 志布志線が東に延伸。これに合わせて、敷地は造られたと考えて間違いは無いと思う。祖父が設計したと考えられる石垣も屋敷も、上り勾配の線路に接して港側である。  続く
         

知を伴わぬ力は暴走する。知が運動と結べば「危険」思想視される。

 「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角かどが立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。 住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟ったとき、詩が生れて、絵ができる。人の世を作ったのは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三件両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国に行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくいところをどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職ができて、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。 住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧わく。着想を紙に落さぬとも璆鏘の音は胸裏に起こる。丹青は画架に向って塗抹せんでも五彩の絢爛は自から心眼に映る。ただおのが住む世を、かく観かんじ得て、霊台方寸のカメラに澆季溷濁の俗界を清くうららかに収め得れば足る。」『草枕』
                                                             
 
漱石は、博士号は要らぬ、帝大教授も真っ平と、意地を通した。だが意地は個人的、対して芸術は「住みにくいところをどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよく」する。政治も又同じ役割を持っている。
  
   米国で黒人差別が撤廃されて4年目の1957年、依然として偏見は根強かった。人種隔離は、「知のない力」として暴走し続けていた。それを打ち破るのは、思想に裏付けられた直接行動である。
 

胸を張れ、勇気ある危険思想が世界を前進させる
 Elizabeth Eckfordは白人だけの「リトル ロック高校」へ入学した最初の黒人の一人であった。白人たちは黒人高校生に大いに抵抗を示した。大口をあけてElizabeth Eckfordをけなす白人が写るこの写真は20世紀のトップ100の写真の1枚に選ばれた。
 この写真が公開された当初、この白人少女は人種平等の危険思想に反対して「正義」を貫く自身が誇らしかったに違いない。 が、やがてこの写真は彼女を苦しめることになった。Elizabeth Eckfordに謝罪し、仲良く並ぶ写真を撮ったという、1997年になっていた。
 TV画面狭しと 、杜撰なhate言説に「ドヤ」顔して胸を張る芸人たちもやがて自らの姿を恥じるようになる。だが途方も無く長い年月を要するだろう。

王様に貰ったミカン

 深酒して 終電車に乗り遅れ、交番で補導された事がある。身分証明を見せると、巡査は慌てて「失礼しました」と敬礼した。修学旅行引率では、宿の仲居さんから面と向かって「先生はどこ」と聞かれた。「僕です」と答えると、仲居さんは 一瞬呆然の後 生徒と一緒に大笑いした。引率されたのが二十を...