あだ名とおでんの民主主義

    しんちゃんのあだ名は「コンニャク」。色白で痩せて動作がくにゃくにゃしているからだと、転校したばかりの僕は考えていた。しんちゃんの前が僕の席、すぐに遊ぶようになり、「コンニャク」は四谷警察と慶応大医学部探検に僕を誘った。留置場と霊安室に滅法詳しかった。


 1950年代の四谷界隈には、旧四谷区の重厚な建物が残っていた。その多くは関根要太郎の設計で一つとして同じ構造をしていない。四谷図書館や警察も、左右対称なつまらなさも無い。階段や入口は石作り、四谷第四小学校の場合は、昭和11(1936)年竣工。2.26事件被告17人に死刑判決が宣告された年である。日本の貧困化の歪さが滲み出ている。戦後の区立四谷二中は、ついにその移転閉校まで貧弱な木造のままであった。格差は戦争を生むのだとつくづく思う。
 しんちゃんは、そのモダンな意匠の警察の中で遊ぼうという。今のように入口に警官が立ってはいない。僕たちは姿勢を低くして銀行のような一階を抜けて、地下の留置場に走った。鉄格子の向こうにそれらしい場所がある、しんちゃんは詳しかった。警察の中は迷路のようで人も多く新宿のデパートより面白かった。数回目に捕まった。捕まったが怒られはしなかった。柔道場に連れて行かれ、投げられたり投げたりして遊んだ。おかげで毎週警察の柔道場に通うことになった。その帰り路、小さな商店街で買い食いが習慣になった。

 しんちゃんは、おでんのコンニャク以外を決して喰わない。


 
聞けば、買い食いは「お腹を壊すからダメよってママが言うから」だった、コンニャクだけは腐らないからと。
 だから、彼はコンニャクと呼ばれていたのだ。 ある日コンニャクは、たまには家で勉強しようと、自分の部屋に誘った。信濃町駅と都電四谷三丁目の中間に位置する左門町の屋敷だった。広い数寄屋造りの本屋は迷路のようで庭には築山や池があり、コンニャクの部屋はその一角に鉄筋コンクリート造りの別棟。「ここなら幾ら騒いでも大丈夫だよ、その為にパパが造ってくれたんだ」僕たちは勉強を忘れて色んなオモチャで騒いだ。疲れてコンニャクは、部屋の電話から「ねえや、お腹空いちゃった」と言うと、若いねえやと年老いた女中がバターの香りいっぱいのピラフと果物と飲み物を持ってきた。コンニャクは、お坊ちゃんだったのだ。聞けば彼のお爺さんは、銀行の頭取だった、どおりで本屋には秘書や運転手などが行き交っていた。
 1950年代の四谷第四小学校には四谷二中同様、大金持ちの坊ちゃんからスラムの洟垂れ小僧までが詰め込まれ、ヤクザや芸者の子から映画の子役・TV歌手もいた。黒塗り・運転手付きの自家用車から、穴の空いたボロ靴までが共存していた。雑多な中に、戦争に負けて実現した平和と民主主義が息づく、おでんのような学校であった。
  何でも突っ込んで煮てこそ旨いのである。

 四谷二中が、「名門」越境中学であったことと「おでん」は無関係ではない。


 コンニャクは、今外科医。気の毒にまだ引退できない。

詰まらない授業には騒いでこそ「けじめ」

 授業改革の主体は誰か。 

 1980年代までは、「校内教研」(教研は日教組や高教組の組合員で構成する研究協議会。各職場の教研委員を中心に校内教研、地区ごとに週一回程度の教研、学期ごとに都道府県ごとの教研、毎年の全国教研が組織されていた。「教え子を再び戦争に送るな」は第一次全国教研集会のスローガン)や「生徒と教師の集い」など、教師・生徒双方の自主活動が活発だった。前者は組合分会が、後者は生徒会執行部が主催した。

 僕が青年教師だった頃、下町のある工高の「生徒と教師の集い」で教師の授業への批判注文が続出した。会場は普通教室の倍ほど、教師も生徒も一言言ってやろうと詰めかけていた。年配の教師がこう反論した。
 「授業は落語や漫才では無い。面白さで笑わせるのが目的では無い、生きる上で欠かせない知識の習得が第一、辛いことに耐えてこそ成果が上がる。君たちには静かに耳を傾け、知識に向き合う事が求められる。」  小さな生徒が勢い込んで「ハイハイハイ」と手を挙げ

 「面白くて、役に立つ授業はあるよ。樋渡先生の授業を見習ったらいい」と言うと生徒の間から拍手が湧いた。
 この日の「集い」は白熱して、下校時間を大きく超えて対話は続いた。

 翌週の職員会議は、急遽「校内教研」に切り替えられたが、「樋渡にはめられた」との呟きが満ちていた。普段から「あいつの授業は生徒が騒いでいるだけだ。生徒に迎合して煽っている」との不満もあった。しかしそこで「ともあれ、彼の授業を見てみよう」と、互いに見せ合い相互批評しようではないかということになった。
  僕を胡散臭く思ってた教師達も教室に来た。教師達は先ず呆れた。教師がうしろに詰めかけても、生徒たちが一向に静かにならないからだ。最初は苦虫を噛み潰した表情がやがて神妙になった。


 職員室に顔を出すと、手招きする。
 「いやー驚いたよ。噂通り君の授業は煩い。煩いが、よく観察すると喋っている内容が違うんだ。授業の中身について喋っているんだね。後ろから教室に入って生徒の間に座っていると発見があるね。」
 「でも、ただ無秩序に煩いことも屡々。そんな時は諦めて教室を出て運動場や、付近を散歩しています。息抜きにもなりますし、生徒たちの会話の中から授業のヒントを拾うこともあります」

 高校生の頃だ、みんなが授業に乗り気でないとき「先生腕相撲しよう」と、どう見ても弱そうな僕が勝負を挑んだ。そんなとき、教師もなんとなく授業に乗り気でないことが多い。何人目かには教師はわざと負けるた。負ければ授業は休講になる。英語のG先生の腕っ節は生徒の誰より強かった。そんなG先生が教室に入るなり「おい!腕相撲しよう」と意気込むことがあった。大抵はアッサリ負けるのだが、時には強い生徒の何人かをねじ伏せることがあった。その日の英語は気合いが違っていた。
 
 詰まらない授業には騒ぐ、サボるという「けじめ」が今はない。教師と生徒の間から健全な緊張感が消え、墓場の秩序だけが漂っている。

   教師・生徒双方の自主的「教育改善」の努力=闘いが消えて、行政の介入が恰もやむを得ない正義であるかのように登場している事を知るべきである。行政法人化で自治権を奪われた教授会や議決権を奪われた職員会議は、もはや「授業」改革に関心は無い。


 詰まらない授業や堕落した学校運営に何ら反乱しない若者は、腐りきった政府に怒りもしないだろう。それが、権力の「教育」に期待する秩序である。生徒たちが詰まらない授業に文句を言いサボって実力行使をしていた頃、この工高の校内教研からは、数々の教材や授業方法が生まれている。 

自由な社会と奴隷社会を分つのは、自由な質問

  教師が監視する生徒総会は、自由な自治を学ぶに相応しいか。

 「自由は危険なものである。幼い息子一人で初めて道路を横断させれば、息子の生命を危険にさらすことになる。
しかしそうしなければ、被は一人で道路を横断できないまま成人するだろう。ナチズムの敗北後、ドイツを占領したアメリカが、ドイツ人に自由を与えろ道を選んだのは危険だったかもしれない。反ナチ党だった私の友人たちでさえ、完全なドイツ人だったから、「ネオ・ナチ」に言論・出版・集会の自由を与えることに反対だった。
しかし、ドイツ人をまず困らせたのは、自由のすべての危険性とともに、自由への恐怖だった。アメリカがドイツに自由を「与え」ないと決定すれば、ヒトラーが正しかったということになっただろう。
 自由な社会と奴隷社会を分つものは、自由な演壇上での自由な質問が慣例になっているかどうかだけである。
」
ミルトン・マイヤー『彼らは自由だと思っていた――元ナチ党員10人の思想と行動』未来社 p167             

   学術会議任命拒否問題はそれ自体が、憲法や人権宣言に背馳しているが、この問題も的確に端緒を捉える必要がある。 若者たちが何故この問題に鈍感なのかに絞って、端緒を捉えねばならぬ。そうでなければ結末に対処する事もできないからである。
 人が物心ついて、公的な場で「自由な演壇上での自由な質問が慣例」となっていないことに気付くのは、小学校や中学校においてだろう。職員会議には生徒の参加自体が認められないだけでなく、記事録すら公開されない。まして質問や発言は思いもよらない。そもそも出席は「義務」である。
 生徒会や児童会は「自治」会の体を為していない。議題や議事進行マニュアルまでが事前に職員会議で決定される。(敗戦直後、新制高校発足から暫くは生徒の職員会議参加を認める動きもあった。大学学長選挙に学生が拒否権を持つ例もあった)

 僕自身苦い思い出がある。小6の学級会で担任「提案」の行事に意義を唱えたのだ。級友たちは仰天、僕と担任との激しい議論で1時間は瞬く間に過ぎた。このクラスは併設の幼稚園から数えると、8年間メンバーがほとんど変わっていない。担任はこう言った。「皆でお別れ会をやろう、グループごとに出し物をやるんだ。な!いいだろう」僕は猛然と反対した。その次第はここに書いた。←click

   僕をすっかり学校不信に追い込んだ苦い経験から救ったのは、進学したばかりの四谷二中だった。それもここに書いた。←click           上級生が生徒会中央委員会から顧問教師の退場を要求し、教師はそれを受け入れたのだ。僕の世界観は根底的に変わった。小さな時期から異議を唱えたり文句を言う、それが家族の地域の楽しみや誇りであるような社会、それが自由な社会である。
 気に入らない言論や人物はあらゆる権力的行為を駆使して徹底的に排除、「利権」を見せつけることで「安定的」多数派を形成する。その手口は、すでにfasismである。物が言えないと同時に、ものを言わないで済む「安逸のfasism」が少年たちに蔓延る。

端緒において行動する


 1943年、ベラルーシ920万人のうち220万人が虐殺された。ソビエト映画「炎628」の628は 、ナチス「移動虐殺部隊」によって焼滅した村の数。現場の一つハティニ村には
、628の墓標と博物館がある。


 移動虐殺部隊はハティニの村人たちを、納屋に閉じ込め、ガソリンをかけ、火を放ち、逃げ出す村人たちがあれば待ち構えて悉く銃殺した。 身内も知り合いも焼かれ身も心もボロ布状態になった少年フリョーラは、パルチザンに身を投じる。

 彼が、水溜まりに沈んだヒトラーの肖像画を見つける場面がある。肖像画を見つめるうちにフリョーラの意識は、ヒトラーのナチスが世界を席巻していく歴史的記録映像に重なり合う。虫も殺せず村人に笑われた優しい少年フリョーラは、即座に銃の引き金を引く。その度にナチス台頭とヒトラー躍進の映像が猛烈な勢いで逆転する。歓喜するドイツ国民や親衛隊の行進や集会に手を挙げるヒトラー、フリョーラは躊躇わず引き金を引く。その度にヒトラーが若くなっていく、青年時代のヒトラー、少年時代のヒトラー・・・。そして赤ん坊のヒトラーが母親に抱かれている写真。フリョーラは引き金を引けず、口をわなわなと震わせ涙をおとす。


 何時行動を決意すべきだったのか、惨劇の端緒は何処にあったのかを言葉なしに我々に訴えかける場面である。

 僕は毎年「炎628」を教材にして、高校生とニーメラー牧師の言葉を考えてきた。我々の「今」は、ニーメラー牧師の言葉のどの時期なのか。

 今、学術会議に対する政権の介入への抗議が急激に高まってきた。介入の端緒は何処か考えてみる。

 2004年国立大学行政法人化は如何だったか。2005年NHK番組改変問題への介入・恫喝は・・・。

 僕は教員養成課程に於ける必修科目「法学」から憲法が外された事にまで、更には東大闘争確認書までは遡らねばならぬと考えている。

 それだけではない、それぞれの端緒にもいくつもの端緒を考えることが出来る。それを常に意識し続ける事が肝要だと思う。それが歴史を学ぶ意義である。18歳選挙権と模擬投票の流行は何だったのか、問わずにおれない。

  端緒において行動することを痛切な悔恨と共に呼びかけたニーメラー牧師の言葉

  「ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた」「ミルトン・マイヤー『彼らは自由だと思っていた――元ナチ党員10人の思想と行動』未来社 p167」は余りに有名。


  だが戦後の46年1月、ゲッチンゲンでの説教でニーメラー牧師は次のように告白している。

  「・・・私は1933年になっても、ヒトラーに投票したし、また正式な裁判なしに多くの共産党員が逮捕され投獄された時にも、沈黙を守っていました。そうです。私は強制収容所においても罪を犯しました。なぜなら、多くの人が火葬場にひきずられて行った時、私は抗議の声をあげませんでした」

 日本軍に移動虐殺部隊はなかった。さほど残虐でなかったのか、そうではない。歩兵部隊であれば、どの部隊も略奪・強姦・焼き討ちに迷いはなかった。

 満州を支配した日本軍(関東軍と名付けていた。731部隊の正式名称も関東軍防疫給水部本部)は、「燼滅掃討作戦」を実施している。
 華北の長城に沿った南北500㎞余で村々と人々を、焼き尽くし(焼光)、殺し尽くし(殺光)、奪い尽くし(搶光)た。人呼んで「三光作戦」。

 1937~45年の8年間だけで「318万人が殺され、276万人が連れ去られ、1952万軒の家屋が焼かれ、5745万トンの食料、631万頭の耕作用家畜、4800万頭の豚・羊」などが奪われている。残酷さと規模において、ナチス移動虐殺部隊を凌駕している。

 フリョーラ少年が、ヒトラーの肖像を撃つ場面直前。ナチス移動虐殺部隊がパルチザンに包囲さる。青ざめたナチ将校たちが命乞いする場面がある。憎しみの感情が極限に達した村人たちは、今にも銃弾を浴びせかねない。パルチザン隊長は「殺すだけでいいのか、裁判にかける」「奴らの言い分をよく聞いておくのだ」と止める。

追記 パルチザンの隊長が「奴らの言い分をよく聞いておくのだ」と冷静に止めるが、意を決した一人の婦人が人集りを掻き分け進み出叫びながら軽機関銃を浴びせる。

 僕は三光作戦や731部隊の犠牲になった人々の身内の気持ちを思わずにはおれない。憎しみの感情に高ぶる人々を、言葉で制止するのは容易いことではなかった筈。

  

~であることと、~と見做されること


  横浜市の職員バッチは「ハマ」を図案化したもの。あるヤクザの代紋によく似ている。 「ハマ」市職員が盛り場で一杯やっていた時、いかにも暴力団構成員らしい男数人が、職員バッチを見て最敬礼したという。
 バッチを付けたがる民族は極めて希である。 ヤクザの代紋バッチ、学校生徒の校章、会社の社員バッチ、他者との差異を誇示して意識を隔離する代物。
 

 ある年の正月、旧財閥系企業人事部長が苦り切っていた。

 「「若い社員たちが団交で、社員バッチをつくれ」と言うんだ」。彼は、組合に賃上げの要求が低すぎると交渉の秘訣を伝授する変わり者だった。

 「「通勤で、三井や三井の連中が社員バッチを付けているのが羨ましい」と言うから「それは奴隷根性じゃないか、会社ではなく自分自身に誇りを持て」と言い返したが彼らは、「愛社精神だ、仕事への誇りだ」と食い下がるんだ」

 1964東京オリンピックが終わった頃である、学生達が会社の偏差値が欲しいと言い始めた。次第に就職偏差値は「精緻」を極め、今や結婚偏差値まである。
 通勤地獄に腹を立てる事もなく、満員電車の中で他人からの視線に痺れる愚かさ。自ら進んで格差を要求する。階級意識が育たないわけだ。同様に学生意識も存在しない。あるのは裏に偏差値の高さを露骨に匂わせた愛校精神だけだ。不安定雇用を世代共通の課題として意識出来ない程、分断されてしまっている。共闘を回避して、互いに嘲弄する日々だ。

 『大いなる西部』は、「体面」を賭けて撃ち殺し合う文化の愚かしさを描いた異色の西部劇。水場を巡る二つの牧場に連綿と続いた殺し合い。東部からやってきた主人公は、水場を双方に解放することで円満に解決する事を願っている。
 メンツに拘り命を捨てたがるのは、アメリカも日本もよく似ている。意気地なしと世間から見なされる事を恥じ、他者の評価に翻弄される愚かさ。~であることと~と見做されることには、天地の差がある。

  グレゴリ-・ペック演じる主人公は、女性を巡る鞘当ての挑発にも 

 「争っても何も証明できないぞ。挑発には乗らん。馬でも銃でもこぶしでもだ」と言い捨てる。

 主人公が荒馬で手酷く失敗する様を嘲弄しようとカウボーイたちが待ち構えるが、その手にものらない。しかし荒馬を乗りこなす事に興味はある、カウボーイに殴り勝つ自信もある。見せびらかすのを好まないのだ。
 メキシコ人の牧童に荒馬を引き出させてじっくり観察するが、牧童は乗るのを強く止める。鞍を載せるのにも苦労して、漸く乗るが馬は頑として動かない。動いたかと思えば振り落とす。それでも長い格闘の末に荒馬を乗り熟し牧童を感嘆させるが、誰にも言うなと堅く口止めする。
 そんな主人公に婚約者は愛想を尽かして言う。

 「・・・気にならないの?」
 「どう思うと勝手だ。問題は自分さ」
 「あたしのことは? 世間があなたを…」
 「臆病者と思うだろうがそれは違う。だが勇敢さを証明する気もない」
 「その逆を十分に証明したわ」 

 ある時敬愛する女性が侮辱されたのにたまりかねて、主人公は真夜中無人の野原で「挨拶がわり」の決闘をする。長時間の殴り合いの果て、ついにチャールストン・ヘストン演じる牧童頭が弱音を吐く。
 「お前の挨拶は長いなあ」
 「これで、終わりだ。君さえよければ」
 「俺はいいぜ」
 「これが何の証明になる?」 

主人公はこの殴り合いについても一切口にしない。

 結局意地の張り合いは、双方の牧場主が互いの弾丸で死ぬことで終わる。主人公の意図する水源地の開放の問題は、これでたぶん決着はする。しかしこれは中断又は先送りかもしれない。

 十字軍とイスララム教徒の体面を巡る惨劇は、如何なる政治的国際的調定も受け付けない。千年を経てなお拗れるばかりだ。
  「どう思うと勝手だ。問題は自分さ」という台詞のつぼは、ここにある。社員バッチや高校の垂れ幕に改善の余地は無い、廃止だけが残る。対話の不能性・・・。

 「どう思うと勝手だ。問題は自分さ」を遙かな昔から、何度も聞いた。そうでなければ、合点の行かぬ事が多すぎる。

 

繰り返し聞かされれば、嘘にも「親近感」を抱いてしまうのが「単純接触効果」 。「人柄がよさそう」だけで、新首相支持率7割の仰天を生んだその効果。

天皇は、皇祖皇宗の御心のまにまに我が国を統治し給ふ現御神であらせられる。                   「国体の本義」

 

 「嘘も100回言えば真実になる」は、博士号を持つナチ宣伝相ゲッベルスの言葉と言われるが確証を見つけられない。そもそも嘘は真実にはならない、嘘は何処までも嘘のまま。あり得るのは、何遍も繰り返して聞くうちに、聞き手が嘘であってもその内容に「親近感」を抱くようになることだ。名付けて「単純接触効果」。

   これは、音楽や図形や文字、服装や習慣、味、匂い、CM、広い範囲に見られる。娘が父親に似た男に惹かれてしまうのも、しつこいTVショッピングにウンザリしながらつい手を出すのも、臭い食べ物にも何時しか愛着してしまうのも、単純接触効果の類いである。

 前内閣官房長官が記者会見で、「全く問題ない」、「批判は当たらない」、「指摘は当たらない」と念仏のように繰り返して、良識ある者の強い反感を刺激し続けた。国民主権下の主権は何処にあるかを理解しない。だから木で鼻をくくったような定型句を繰り出して、コミュニケーションを遮断した。それを7年以上も繰り返され、主権者としての堪忍袋の緒が切れる前に単純接触効果が現れる人々が続出したのだ。それが「人柄がよさそう」だけで、支持率7割と言う仰天を生んでいる。

 嘘を100回聞かされても、「単純接触効果」に支配されずに疑うのが、健全な批判精神である。内閣官房長官の記者会見会場の記者たちは、「問題あるか、ないかを判断するのは公僕たるあなたではない、我々国民である。」と先ず釘を刺して質問・追求すべきだった。にも関わらず「「特権的」接触効果」が事前に存在していたわけだ。記者クラブ制度や首相との会食が「「特権的」接触効果」としての奴隷的忖度を生んでいる。

  「ウソをつかない奴は人間じゃねえよ」(橋下徹『まっとう勝負』小学館p181)

と述べたのは、元大阪府知事。

 「私は、交渉の過程で“うそ”も含めた言い訳が必要になる場合もあると考えている。正直に自分の過ちを認めたところで、何のプラスにもならない」・・・「絶対に自分の意見を通したいときに、ありえない比喩を使うことがある」「たとえ話で論理をすり替え相手を錯覚させる!」(『図説 心理戦で絶対負けない交渉術』日本文芸社)「どんなに不当なことでも、矛盾していることでも、自分に不利益になることは知らないふりを決め込むことだ」(『最後に思わずYESと言わせる最強の交渉術』日本文芸社)

  彼の狙いは彼自身の信念を実現することではない。自分が「強者」であることを府民に知らしめる、つまり独裁者になりたいのだ。    

  筋金入りのナチ党員ゲッベルスが言ったのは、信念を実現させる手段としての宣伝である。

 『嘘で塗り固められたプロパガンダというのは、それがニセの大義であることの証である。長期的には必ず失敗するものなのだ』

 『優れたプロパガンダは嘘をつく必要がない。むしろ嘘をついてはいけない。真実を恐れる必要はないのだ。大衆は真実を受け入れることが出来ないというのは誤りだ。彼らにはできる。大事なことは大衆が理解しやすいようにプレゼンテーションしてやることだ』


 天皇が生き神ではないことがバレた時 、「絶対に自分の意見を通したいときに、ありえない比喩を使うことがある」「たとえ話で論理をすり替え相手を錯覚さ」せただけなのだ、と天皇を担ぎ上げた連中は嘯いたことだろう。そうしなければ、戦争指導犯罪者として処罰される。だから「・・交渉の過程で“うそ”も含めた言い訳が必要になる場合もあると考えている。正直に自分の過ちを認めたところで、何のプラスにもならない」と言い逃れことにしたのだ。そうでなければ、天皇メッセージで沖縄を占領軍基地に提供して、帽子を振りつつ全国を行脚することなど出来はしない筈だ。「どんなに不当なことでも、矛盾していることでも、自分に不利益になることは知らないふりを決め込」んだのである。

 二度とこんな嘘を通用させない為にこそ、沖縄独立と日本の独立が欠かせないのだ。

 ゲッペルスさえ嘘を排して自殺を選んだのに対し、日本の支配者達は嘘の上塗り自体を「信念」にして増殖し続けている。



「優秀」印なら物言えぬ賃金奴隷でもいいのか

  身体的に健康で精神的な幸福度が低ければ、奴隷に適している。
先進38カ国の子どもを比べたユニセフ調査(9月3日)によれば、日本の子どもたちは、身体的健康は1位なのに、「精神的健康」は、37位と調査対象国中ワースト2位。1位はオランダ、2位がデンマーク、3位はノルウェーと、北欧の国が上位を占めた。
 「学力」はPISAテストの読解力・数学的分野で、38か国中5位で上位となっている。一方、社会的スキルでは「すぐに友達ができる」と答えた15歳の割合は69.1%で38か国中37位。
  読解力・数学的分野で38か国中5位を単純に喜べない。批判精神が伴わなければ、政権の意図を直ちに「読解」して忖度する霞ヶ関官僚の「忠犬」振りを約束するに過ぎないからだ。
 「すぐに友達ができる」社会的スキルが低ければ、政府や資本の危険な意図を読解し仲間を組織し抵抗する可能性も低いわけだ。
 

   OECD先進7ヵ国の調査でも、日本の子どもの自己肯定感は断トツに低い。昨年内閣府が公表した2019年度の「子ども・若者白書」によると、「自分自身に満足している」という質問に対し、「そう思う」「どちらかといえばそう思う」と回答した日本の若者(13~29歳までの男女)は45.1%しかいなかった。
 
   動物園の動物が、野生動物よりはるかに平均寿命が短い。それは餌や行動などを自ら選択しないからだ。重い責任を伴う幹部たちの平均寿命は、生涯にわたって指示される平よりも長いし健康でもある。休みもせずhardな日々でも長生きなのは、裁量権や選択権があるからだ。

 4ヵ月の乳児に、ひもを引っ張ると音楽が聴こえることを教えたら、とても喜び落ち着いた。ところが、「音楽のひも」を奪い不規則に音楽が聴こえるようにしたら、乳児たちは悲しげな顔をし腹を立てたという実験がある。コロンビア大学のシーナ・アイエンガー教授は自著の『選択の科学』でこう語っている。

「子どもたちは、ただ音楽を聴きたかったわけではなかった。音楽を聴くかどうかを、自ら選ぶ力を渇望したのだ」文藝春秋刊
 中国帰国生たちが正月に、他校の帰国生を連れてきたことがある。彼女は指定校推薦でなかなかの国立大学に入ったのだが
 「先生聞いて頂戴、如何して日本の教師達は私たちの希望を無視して、偏差値の高い学校を押しつけるの」
 「善意のつもりなんだ。彼はこう思っているよ。偏差値社会の日本で暮らすうちに何時か君が彼に感謝すると」
 「私をランクの高い学校に入れて、自分の手柄にしているだけなのよ。」
 「辞めてもいいんだよ」
  「私もそう言ったの。そしたら指定校だから来年の受験生に迷惑がかかるから、辞められないと脅かすのよ」

 自ら選ぶ意志を無視する教師の罪は深い。仮令失敗したとしても、自ら決意しての失敗からは学ぶものは多い。与えられた「成功」体験は、更なる指示を待ち望む「依存」が生じるだけだ。
  部活も日々の授業も受験も、「指導」と言う名の指示に従うだけ。皆が同じ方向を向いているとき、それを疑い変える、それが主権者らしさなのだ。教師は生徒を優秀な奴隷に仕立て上げ、豊かなら「やむを得ない」と自らの成果を誇るのだろうが、もはやどうあがいても豊かさに手は届かなくなっている。「自助・共助・公助」を掲げた政権が、主権者の審判抜きで湧いて出たが、共助・公助の余地は既にない。
 2018年度の「問題行動・不登校調査」(文科省)によれば自殺した少年(小中高校生)は昨年度1年間で332人(小学生5人、中学生100人、高校生227人)。昭和63年度以降、最も多い。気懸かりなのは多さだけでは無い、自殺の要因「不明」が6割を占めているだけでなく、国内の自殺者数は9年連続で減少する中でのことだ。2019年の数は、来月出る。優秀に育ったとしても奴隷にしかなれない。自殺の要因「不明」が多いのは、自分の尊厳さえ知らないからだ。 少年が生きる気力を持てない世の中にした事の責任を、大人特に教師は負わねばならぬ。
  教室に『謀反論』が必要だ。

王様に貰ったミカン

 深酒して 終電車に乗り遅れ、交番で補導された事がある。身分証明を見せると、巡査は慌てて「失礼しました」と敬礼した。修学旅行引率では、宿の仲居さんから面と向かって「先生はどこ」と聞かれた。「僕です」と答えると、仲居さんは 一瞬呆然の後 生徒と一緒に大笑いした。引率されたのが二十を...