2002年秋、ようやく二学期。行事だらけで気が重い。外部から見られて、管理はきつくなる。日記に授業のなかみが書いてある。一学期は、学年が同じでもクラスごとにテーマを変えていた。同じテーマでも内容は同一ではなかった。三年四組では、クラスの中が同調しない三つのグループに分かれていたので、複式学級風に、三つの授業を同時に展開した。二学期になってどのクラスもテーマだけは揃えられるようになった。しかし展開はそれぞれに違わないわけにはゆかない。
9月16日
一年生が二人つまらなそうにベランダに寝そべっている。
『授業中に話してたら「殺すぞ」って、ショックで』
『もし、その先生が君たちの要求を取り入れたら授業を聞くかい』
『もちろん』起き上がってそう言う。
『聞くのは要求の一部分かもしれないよ』
『それでもいい』
たぶん本当だ。二人とも僕の授業の時は、周りに『静かに』と促しているのだから。
9月17日(火)
社会科教室で文化祭の片づけの三年生に
「文化祭は満足したかい」と聞いた。
「全然・・・三年間づーっとつまんなかった・・・だってさ、この学校じゃ何でも先生が勝手に決めちゃうんだもん、今回の日程も最悪」夏休み直後では、自然な盛り上がりは形成されない。
「勝手なこと押しつけといて、そんなやつの授業聞けるわけないじゃん」
「言葉遣いが悪いっていう先生がいるけど、なんで尊敬できないやつに敬語使わなきゃいけないの」
「都合悪くなると逃げちゃうんだもん、信用できない」
「この学校は、先生と生徒の仲が良いと言う先生や生徒がいるけど、生徒の教員に対する感想は二極化してるのかな」
「そんな事無いって、みんなお終いにしたいって、思っているよ」
9月17日(木)
Mさんが、異動で勉強しなくなった自分自身に戸惑っている。「楽な学校」に行って、新たに勉強しないでも済んでしまう。奇妙だがこれも依存だ。学ぶ動機は、完全独立変数でなければならない。
富士高でTさんが、精神的に失調していると風の噂に聞いた。生徒たちが、何でもほぼ「自主的」にやってしまうかららしい。教師に依存しない。授業に、研究に集中できるではないか。そうか彼は、依存してくる生徒に依存していたのだ。自立できない者同士の相互依存、それは「麗し」くも自己破綻に至らざるを得ない。
9月22日(日)
「どんな人間であっても、その存在意義をつくらずにはおれない。たとえ警備員であっても」とはT大学で憲法を受け持つ高校同窓生Mの持論。
「よい授業」をするという教員としての存在意義を失った教員は、些細な事柄に重大な意義を見いだす。そして、それに対する逸脱を取り締まる事に、辛うじて彼の存在意義を発明する。藁をも掴む心情から絞り出した意義だ。しかし藁である事を知らねばならない。
9月25日(水)
四時間目、5組の生徒四人が廊下にいる。
「先生の授業には、間に合うように来たの」
「何処にいたんだ,駅前かい」
「秘密、でも四時間目は先生の授業だからそろってきたの」
「日記に書いておこう」
「先生でもこんなことがうれしいの?」 にゃっと笑っておいた。
パレスチナとイスラエルを授業で考えた。最初にテロリストだったのは誰なのか、自爆する青年たちの村と生活はどうなっているのか、我々はそれを知ろうとしたのか、9.11には世界が涙を流すのに、パレスチナ人の虐殺には反応しない我々に罪はないのか。
知らないこと,知ろうとしないこと、が罪なのだ。ジェニンの現場で泣き崩れてしまったアメリカ女性は、「祖国の実態を知って」泣いたのではない。知ろうとしなかった自分自身の罪深さに泣いたのである。
9月28日(金)
フォスターの『民主主義に万歳二唱』から授業を始める。多様性と批判可能性故に彼は民主主義を擁護した。三唱目は止めておいて。なぜか、もし多数が戦争を望んだとしよう。多数決に従うのは誰なのか、多様性と批判可能性をどう保証するのか。
10月7日(月)
「昨日ヨーロッパで、アメリカの戦争に反対するデモがあったでしょう。見ちゃった」
唇に二つのピアスをつけていた4組のkさん。休み時間、後ろから僕をたたいて言う。
「髪の毛、黒いでしょ」
「うーん、慶応の女子大生かと思ったよ」ほんとにそう見えた。茶髪を辞めさせたければ、茶髪を忘れることだ。本人だって似合わないとは思っている。しかし教員の理不尽な言動に従順になるのは、自尊心が許さないし、仲間内では最大の恥なのだ。だから「指導」が激しくなればなるほど、反発も極まる。反発は怒りを伴い、学習意欲を阻害する。
「この前の、ビデオ惹き付けられちゃった。見るぞって、そんな気になっちゃった」
6組で最も進級の見込みのないといわれている生徒。南京大虐殺に関わった元兵士の証言を聞いた。日本軍による二千万人殺害・米軍の原爆投下・アフガニスタンの爆撃・強制連行そして拉致連行事件に底通するのは何か。「戦争は誰だってイヤ」と言う発言は真実なのか。・・・
10月11日(金)
五時間目、心地いい風が隣接する森から教室を吹き抜けているのに、授業観察で校長がいる。
「少し昼寝しよう。寝過ぎると疲れるが、短時間の昼寝は脳にとてもいいと生理学者たちは言うよ。試してみよう」
「昼寝より先生の授業の方がいいな」
でも少し寝てみた。
10月16日(水)
武谷三男の三段階論で、ルペンの発言・援助と自立をテーマに講義。
10月21日
放課後、三年生のIさんが、今までで最も印象に残ったことと言って
「数学が全く苦手だった私と、英語が苦手な友達とで、試験前の一週間、毎日互いに教えあって、二人とも信じられない点を取ったこと」をあげた。
教えあう関係・分かち合う関係が構築されなければならない。これは権利である。それを組織化するのは、学校の義務である。学習の成果が私有化され偏差値に依存し、進学校と底辺校に分解・隔離されてしまうのである。
追記 Iさんとその友達と同じような結びつきが、KH高にも他の学校にもたくさんあった。下町の工業高校の元番長たちの学習意欲を高めたのは、小中学校ではいじめ尽くされ、すっかり自信を失っていた生徒と仲間になってからである。MH高では、物理が解らなくて泣いた女子が火種になって、テスト前一週間の勉強会がつくられ、星の出る時間まで学び合っていた。15人から20人が集まって卒業まで続いた。彼らの学び方の特徴は、理解することであって、点数を稼ぐことではなかったのが印象的である。点数は理解の目安として捉えられていたのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿