我々は憲法を、本気で擁護するつもりがあるのか 1

 君が代を拒否する我々は、校歌斉唱の練習を生徒には強制して恥じない。前者は内心の自由・表現の自由の範疇で、後者は愛校心の範疇と言いなおれる神経こそが疑われねばならない。 

 下町の工業高校にいた1980年、僕は生徒会の担当を一人にすることを条件に生徒会「指導」を引き受けた。生徒部は誰もやりたがらない、やりたがらない者が集まると、会議ばかりが増える。
 フランスのリセでは、学年初めに徹底的に全体で、場合によっては数日かけて議論。その方針に基づいて、担当教師が一人で執行する。独断もあるが決定は早い。目に余る逸脱があれば、リコールされる。そう言って、一人にしてもらった。生徒会の執行部に提案して、教師と生徒の対話集会を開くことにした。そのことを三年生のあるクラスで聞いてみた。

 「話したって、無駄ですよ、先生」
 「話すことがないよ、むつかしいな」
 「誰が聞いてくれるんですか」
 「まず君達の身近かな問題から取りあげる。日頃から感じていること、考えていること、不満に思っていること、いつも君達が喋っていることから始めよう」
 「話し合ってもいいけど、どうせ無駄なんだ」
 「絶対、話し合っても何も変わらないよ」
 「どうせ、全部職員会議で決めるんだろ」
 「授業にしようよ」
 「なぜ無駄か聞かせろ」
 「いい例が制服だよ。一方的にだまし討ちで、突然職員会議で決めたじゃないか。生徒の意見も開かずに」
 「服装が自由だから皆この学校に入ったんだ。それなのに俺達の意見は無視されて、きたねえよ」・・・教室騒然となる。
 「いや、我々は君達が全体で話し合ったものは無視出来ない。集団的に練り上げられた要求はきっと尊重される」
 「うそつき」 「だめだめ」 と騒がしい。 
 「そうだ、修学旅行もいつの間にか知らない所で決まっているし、あんな所行きたくはないぜ」
 「いつも俺達とは関係ない所で決まるんですよ」       拙著『普通の学級でいいじゃないか』地歴社

  教員と学校への不信は募っている。このやり取りの前、憲法について授業した時、生徒たちの意見は、「いい憲法だけど、絵に描いた餅」というものだった。既に青少年の憲法離れは進んでいた。企業では、QCサークルが組織され、高校で疎外された若者たちが、すすんで企業に取り込まれ、労働強化にはまり込んでいた。
  若者や高校生にとって教師は、「言うだけ番長」に過ぎなかった。口では憲法を言うが、生徒の生活を守る人権規定として、教師自らをも律するものとしてとらえる覚悟はないと見做されている。教師を一括して「日教組」と見做す風潮の中で、憲法は教師の特権を守るものでしかないとの認識は広がりつつあった。学校の見てくれのために、制服導入を強行し服装検査に励む姿を見れば、高校生や中学生がそう思うのは自然の成り行きであった。


 幸い教師と生徒の対話集会は、生徒会執行部の口コミで、大きめの視聴覚教室一杯になった。生徒会の司会で、日頃から不満を内向させている生徒たちも果敢に教員に反論、夜遅くまで続いた。授業への不満が具体的であり、改善の方向も生徒たちの発言の中に有った。職員会議でも反省や自己批判も語られ学校のあちこちで、酒場で小さな研究会がもたれ、授業の相互公開も行われた。その経過と中身は、『普通の学級でいいじゃないか』に書いた。
  その中でわかったことの一つは、「静かな授業」があまり褒められたものではなく、ざわついたり時には喧騒を極める授業に見習うべきものがあるということだった。ベテランの先生たちは、僕の授業がうるさいのに、生徒たちが聞いていることを不審に思い、授業に忍び込んでいて気が付いた。うるさいのは、授業の中身を互いにやり取りしてしていたのである。僕は感付いてはいたが、少し驚いた。騒めきの大部分が授業を巡ってであることに。ビゴツキーの「最近接領域」はこうして現れるかもしれない。

 ともあれ、憲法を守れという時、我々は政権に対して声をあげるとともに、「公僕」の一員としての自分に向き合わねばならない。
 かつて制服導入や生徒管理規定制定に励んだ自称「民主的」教師たちは、秩序が回復したら直ちに制服は廃止する、管理主義は自然になくなると言っていた。あの頃に比べれは、生徒たちの大人しさはいやになるほどだ。一体何時どこで制服をやめたか、管理を反省したか。逆に大人しさに乗じて拡大強化してさえしている。「秩序が回復したら直ちに制服は廃止する」と断言した教師たちはとっくに退職し他界している。

  部活から抜けたがっている生徒を、集団の論理から守ろう。憲法は奴隷的苦役を禁じている。第十八条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

 我々が訴えることの正当性は、我々自身が判断するのではない。
 中野重治が『五勺の酒』で

「中身を詰めこむべき、ぎゅうぎゅう詰めてタガをはじけさせて行くべき憲法、そこへからだごと詰めこんで行こうとて泣きたい気になったものは国じゅうにもたくさんなかつたと僕は断じる」
と、校長に言わせていることの意味を感じたい。

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