ある「音の記憶」

   ふと授業に出たくなった。二階の階段教室の窓から銀杏並木の新緑が目に鮮やか。僕は教室の一番奥に座った。タンゴのメロディが風に乗って入ってくる。
 「誰か、あのレコードを止めるように言ってきてくれないか」先生がそう言った。学生が一人駆け出して、息を切らせながら戻ってきた。
 「先生、あれは生です。やめさせますか・・・」
 「そうか、うまいね。暫く聞こうか」先生は窓を向いて腰を下ろした。殺伐とした大学紛争の最中、石造りの校舎に挟まれた小径に、小編成のバンドの演奏が響いている。一区切りついたところで、先生は窓から体を乗り出して拍手した。
 「もう一曲、頼む。古いのがいいな」そう先生は、窓のすぐ下の楽団に声を掛けた。
 「先生、失礼しました。これっきりにします」と返事があって、懐かしいメロディが聞こえてきた。
  自然なルールが形成される瞬間だった。

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