12日の朝nhkラジオ番組で、あるタレントが高校時代サッカーをしていた時の思い出を話していた。自由の森学園だから制服はない。サッカー部のユニフォームすらない。試合では味方がバラバラな色の服装だからパスが通りにくくて、コテンパンに負けるらしい。試合記録を見れば大差で負け続けている。それでも、試合で勝つためにユニフォームで揃えようとはしない。負けても負けても、サッカーをやめようともしない。余程、サッカーゲームそのものが好きだと見える。
「ひたすら」と言う少年・青年の美徳がここにはある。
苦難の連続にも誇りを失わないのが実にかっこいい。国民の生活は忘れて、金メダルの数やノーベル賞受賞者の数だけを自慢したがる我々の現政府は、己の恰好の悪さに気付かない。偏差値を上げるために服装を規制し、大会入賞を目指し、目の前の生徒との対話や授業に関心が向かないのも醜悪である。
いろいろ世話をやく女子マネージャーもいない。件のタレントは「そんなことは、自分でやればいい」と明確だった。かっこいい「先輩」にあこがれて、おしぼりを出したり洗濯をしたりする。まるで志願制の小間使い、キャバレーホステス。女子マネージャーにかっこいいユニフォーム、厳しい上下関係と地獄の特訓・・・それで少し勝てて、やがて優勝して、何なのだと思う。それは、競技が好きなのではなく、女子マネージャーを侍らせ、ユニフォームで注目を浴び、上下関係に酔うのとランキングが好きなのだ。脇見が多すぎて恰好悪い。我々が固執すべきは、まず個人の尊厳であり、クラブの生徒たちがチームや学校の道具になることではない。ユニフォームのないサッカー部にはそれが見える。
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