先輩と呼ばないで、

  ある高校で、ボート部の顧問を引き受けて徹底したことが一つだけある。「先輩」の廃止である。
「ボートに乗ればみんな仲間だ。上手い下手はあるが、そんなものいつ逆転するかしれない。コックスは指示するが、命令はできない。動作の区切りごとに「ありがとう」を言うのはそのためだ。だから紳士のスポーツと呼ばれる。顧問を当てにしてもいけない、艇が岸を離れれば君たちだけの世界。頼っていいのは仲間だけ」 
 週に二日の練習日には、部員たちは三々五々、戸田の艇庫に駆け付け準備を始めた。遠いから練習時間は短い、夜になっても舳先に懐中電灯を固定してなかなか切り上げない。冬になって大学などのクラブが室内練習に切り替えても、たとえ氷が張っても漕いでいた。勿論、寒いと言って自宅のコタツに籠りっぱなしも多かった。  
 合宿は諏訪湖。県営艇庫の二階に泊まって自炊する。最後に弁当を作って諏訪湖を一周する。
 初日、僕たち教員は用具を車で運んで先回りして、中央線でやってくる生徒たちを遠くから眺めていた。駅を出て歩き始めると下級生が、上級生に
 「先輩、荷物持ちますよ」と言っている。中学校の習慣が抜けないのだ。どうするか、黙って見ていると
 「君たちね、平等という言葉知ってる、高校生なら知っといてね」と二年生が、いかにも諭すという風に
 「平等とは、自分のことは自分でするということなんだよ。それからね、もう先輩はやめてよ、名前で呼んでね」と返していた。

  「冒険ダン吉」という戦前の漫画がある。少年ダン吉は南洋に行って、「土人」を支配して軍隊をつくる。日に焼けて色が黒いからひとり一人見分けがつかないと決めつけて、番号を付ける。自分は白いつもりで、それがダン吉が王になって支配する根拠として描かれている。見分けがつかないのではない、怖いからよく見ない、深く付き合わないのである。互いに個人名で呼ばない関係がどんなものか、この漫画はよく示している。

 一度関東大会に出たことがある。強くて勝ち残ったからではない。東京ではボート部そのものが少ない。戦闘意欲も剥き出しでない。だから種目によっては、ビリでも勝ち進む。参加賞のマグカップだけを貰って帰ってきた。
 ユニフォームもない。ぼろぼろの短パンによれよれのTシャツ、穴の開いた靴がかっこよかった。むろん女子マネージャーなんて無縁。
 もう一ついいことがボートにはある。全国大会であっても観客が少ないことだ。都大会などでも50人いただろうか。練習試合など想像しようもない。恰好付けるにも相手がいない。はにかみ屋に向いている。

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