「蝶々夫人」は幕末の「史上最大の作戦」

 イギリスの外交官、アーネスト・サトウは、薩摩や長州をけしかけて、徳川との内戦へ導こうとしていた。武器が売れるからである。彼以外にも日本を内戦へと狙う外国人武器商がひしめいていた。
 幕末に、明確な方針として武力倒幕を考えていた者はない。サトウは、平和的な体制移行を進めていた西郷隆盛を軍事クーデターへと引き摺り込んでいる。このことは、関良基著『赤松小三郎ともう一つの明治維新』(作品社)に詳しい。
 サトウの盟友トーマス・グラバーは、アヘン戦争で大儲けしたジャーディン・マセソン商会が日本へ送り込んだ代理人。1861年グラバー商会を設立、武器取引を始める。同時にグラバーのもとに坂本龍馬、後藤象二郎、岩崎弥太郎たちが出入りした。
 1863年にはグラバーの手配で、長州藩が井上馨や伊藤博文らをイギリスへ送り出している。渡航はジャーディン・マセソン商会の船便を使った。
 「蝶々夫人」では館の主は米軍人ピンカートンになっている。今我々は、長崎のグラバー邸を国境を越えた恋愛の舞台としては知ってはいるが、幕末日本に武力衝突を企てた武器商の陰謀画策拠点としては、あまり知らないで済ましている。

  第二次大戦が終わったとき、英国でもフランスでも、勝利の第一貢献は1000万人の犠牲を出して戦ったソビエトにありとする者が8割以上を占めていた。アメリカがナチスに資本を投下して巨利をえて、参戦を躊躇っていることを英仏市民は身につまされてよく知っていた。
 それが、一転アメリカのお陰に変わったのは、『地上最大の作戦』の上映以来である。上映自体が、大作戦であった。この映画のお陰でアメリカは、最初からナチスと戦った国としてimageされるようになった。
  歴史偽造は、通常「ガス室はなかった」に発する「歴史修正主義」と観念されているが、僕はそうではないと思う。もっと遡る必要がある。
                                                                                
 甘美な物語には、隠したくなる醜悪な事実がてんこ盛りで潜んでいる。僕は「蝶々夫人」を悲しい愛の物語だとは少しも思わない。白人による、民族蔑視の独りよがりに満ちている。長崎の坂道でおばさん達が感涙に咽ぶのを、厚化粧の「植民地根性」と苦々しく呼びたい。
 沖縄の苦難と現実を覆い隠して、米軍が撤退すれば沖縄の繁栄はないなどと言う神経は、厚化粧の「植民地根性」の延長上にある。

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