「やぶ」の極意

  私はやぶ医者の極意とか言っていますが、名医ばっかりのほうがいいのではないか、と考えることも無いわけではありませんでした。しかし、そのように迷いながら生きているうちに、「アルコール中毒」というのを専門にするようになりました。 当時、専門の病棟が日本で初めて久里浜に建ったのですが、アルコール中毒はみんなから嫌われていました。医者からも嫌われていましたので誰も行き手がありませんでした。事情があって私がそこへ行くことになったのですが、私も嫌でしたので、教授に「アル中の勉強はしてこなかったし、今まで診てきた患者も治った試しが無い」と言いました。 教授は「大丈夫だ、アル中は俺にも治せない、治せないのは誰でも知っていることだから安心していい」というのです。それで仕方なしにそこへ行って「教授でも治せない病気なのだから私はもう何もしなくていい、何をやったって駄目なのなら、逃がしてやるのが一番いい」という事になりました。 
   当時精神病院の患者さんたちは、皆鍵をかけて閉じ込めることになっていたのですが、「この病院は逃げられるよ。逃げていいよ。夜だって開いてるよ」と患者さんに教えました。 ところが逃げないので「お金を持たせないから逃げないんだろう」というのでお金まで持たせました。当時の病院で、お金まで持たせたのは私のところが初めてでした。それでも患者は逃げなかったのです。いつまでも居られても困るので、3ヶ月以上は入院させないということにし、3ヶ月過ぎるとみんな出ていってもらうことにしました。すると、不思議なことに3ヶ月きちんと逃げ出さず居る人がほとんどでした。 なかには、他の病院に5個所も入院させられ、5個所とも窓から退院したという人が、「生まれて初めて玄関から退院いたします」と挨拶して帰ったりしました。 
  「なぜ、逃げなかったのか」と聞くと、「こんな良い病院は日本でここしかない。ここを逃げたら、また鍵のかかる病院にぶちこまれる。また入院するなら、ここがいいから逃げなかった。3ヶ月我慢すればいいのですから。」と言いました。 また、東大教授に診てもらっても酒が止まらず私たちのところで治った人もいました。 
  そこで理由を聞いてみると、「東大教授は偉い人なので、この人の言うとおりにすれば治ると思ったのだけれど、治らなかった。ここに来て初めてわかった。自分がしっかりしなくてはならない。先生の顔を見ているうちにそれがわかりました」と言いました。よっぽど私が頼りなく見えたのでしょう。そのとき、「患者が自分にあった医者を選ぶべきなのだ。」と私は思いました。患者によっては、東大教授が良い場合もあり、私が良い場合もあるのです。 教育も同じだと思います。病気でも一人一人診察して、一人一人にあった薬を処方をするように、それぞれの人にあった教育をすべきなのに、同じ教育を全員にして、平均をとり、それにあわない人がいると尻を叩くばかりだったのではないでしょうか。今の教育はずっとそれを推し進めて来て、今でもまだ続いています。・・・
                              なだ いなだ 講演「この頃 考えること」鎌倉私立幼稚園協会、父母の会連合会

  「・・・偉い人なので、この人の言うとおりにすれば治ると思ったのだけれど、治らなかった。ここに来て初めてわかった。自分がしっかりしなくてはならない。先生の顔を見ているうちにそれがわかりました」という患者の指摘は、この上なく適確である。指導は自覚に及ばないのである。
 「自分がしっかりしなくてはならない」ことを自ら発見できるように導くことは、すこぶる付の難行である。意図して頼りなさを演じるのも難しい。敗戦直後の教師と生徒の関係は、これしかやりようがなかった。未曾有の困難の中にも、何かしら得るものはあるのだ。だがそれに気づくのはずっと後になってからなのである。

 教研集会は教師の自主的研究組織としては、世界的にも珍しい。ほかにも官民様々な研究・研修団体が、勢いは衰えてはいるが存在している。ここでは教師が教室で実践したことを、自ら発表して参加者からの批判を仰ぎ討議する。ここに難点がある。どうしても実践と言うものは「私が・・・した」という指導の文脈で語られる。僕も教研に係わって来たが、「私が」と「指導」ばかりが強調される場面に出くわして、何度も不快を感じた。全国教研での発表を「出世」の手がかりにしたい教員は、教育や生徒を手段として「偉く」なりたがっているのが丸見えで、見苦しかった。
 「私がやぶだから、気付いたらこうなっていた」という実践は、希というより皆無であった。そういう面白い教師は、そもそも研究会などに出たがらない。教師が、ホンクラで控え目だからこそ「自分がしっかりしなくてはならない」と生徒も自覚する。 だから、なだいなだは全国教研全体集会で、自らの「やぶ」体験を披露して教師たちに反省を求めたことがある。僕が『普通の学級でいいじゃないか』(地歴社)を書いたのも、実に捻くれた感情からだった。

  「患者が自分にあった医者を選ぶ」ことが出来なければならないように、生徒が自分にあった学校や担任を選べるものでありたい。それがどうしても無理というなら、せめて担任は廃止したい。
 そうでなければ、みてくれの公平のために「同じ教育を全員にして、平均をとり、それにあわない人がいると尻を叩く」ことが指導になる。そのうち、教師自身が「同じ顔をして、多数決や当局の見解に従順な」人間になってしまうのである。
  大切なのは「自分にあった」授業や担任を選ぶことであり、「自分の偏差値にあった」授業や担任ではない。ましてや「収入や身分にあった」ものであってはならない。そのための学校の在り方を根本的に考えねばならない。学校選択制や偏差値は何も選ばせない。そこには少年の自覚がないからである。
 生徒自治会または学生組合が運営に係わる学校だけが、それを可能にする。無数の「四谷二中」をつくることも、選別を進めるより余程いい。新制中高校の荒々しくアナーキーな精神が、生かされねばならないと思う。だがこんなに難しいことはないとも思う。

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