教師が草の根インテリゲンチャでなくなった頃

 
職員室から文献が姿を消し始めた
「大学で特定の分野をほんの少し囓るが、その後勉強はしない。ノートは黄色くなるばかり」という現象は社会科が最も甚だしかったという説がある。それでも80年代までは、どこの学校でも、出入する書店が教員割引制度を設けていた。買うのは社会科教員が多かった。が、制度自体が次第に消滅。職員室や机上から「文献」が激減した。

 本を買わなくなったのは金がなくなったからではない。所得は伸び続けていた。ゴルフ・車・スキーに教員も心を奪われ山野を蹂躙した。
  校内読書会や学校を跨いだ教師の読書会は衰退消滅、東京都の「研究図書費」も削減、次いで消滅。平行するように教員の関心は、「授業と研究」から校務分掌・行事・クラブ・管理職試験へと向かい始める。「学」があることが教師の評価基準でなくなり、草の根インテリゲンチャとしての自覚も消えてゆく。ほどなくして、大学からもインテリゲンチャの影は薄くなる。
 社会全体がロゴスを軽んじ始めたのである。僕が子どもの頃の人気娯楽番組「夢で逢いましょう」や「シャボン玉ホリデー」などは批判精神に満ちていた。クレージーキャッツでさえ権力批判は日常だった。だが萩本欽一や加藤茶は言葉を無効化しオチもなく走り暴れ回るだけ、ビートたけしは言葉の向かう先を権力から弱者に変えてしまった。
 言葉が批判精神と豊かな人間性を失い、短く野卑なモノに堕した。考えないで済む笑いを、権力も学生も労働者も歓迎した。「学校」も「社会」もロゴスに依拠する「辛抱」に欠けた。学ぶことが学校でどれ程重視されなくなったかは、授業時数とそれ以外の時数の変化に端的に表れている。生活指導運動も授業や言葉からの逃走の一現象であると見ることもできる。「感動」と規律は校内多数派の要求でもであった。

 社会科自体が、社会の軽薄化の堤防としての歴史的役割を放棄してしまった。だからノートが黄色くなることに鈍感なのだ。そして行政による教員管理が一層教師の関心から研究と学習を放逐してきたのである。  

 古いメモやノートを整理して気付くのは、脅迫的「進歩」によるコピー、ファクス、パソコンの便利さに幻惑されて、思考がその度に浅くなり古い記憶との有機的関連を失っていること。
 例えばバスの中で雑誌を読んで、注目すべき事柄には印を付け、自宅や職場でノートやカードに書き取り、必要があれば原典ににあたる。引用に名前もない場合はその箇所に行き当たるまでに丸一日どころか数ヶ月を要することもあり、その間様々に無駄に考える、寄り道もする。一度記録したことを思い起こすのもなかなか厄介。今のようにコピペして検索出来るのは大いなる便利ではあるが、考える豊かな永い時間を味わう事が出来ない。量は質の代用にはならない、しかも量は質を埋没させる。

   団塊の世代の大学進学と経済成長で、大学が爆発的に増える。勿論高校も増える。高校で教える者の知的な部分が大学に流れ、空いた教師の席と増え続ける新設校教師の質の確保は、人材確保法にとどまった。この過程は急速だった。 同時に教師を目指す意欲ある自覚的学生を、自治体が採用拒否する傾向が吹き荒れる。人材確保法ば権力に従順であることと、僅かばかりの賃金上昇を引き替えにするものだった。教えることと学ぶことが好きな学生は大学院を目指し、安定を志向するものが教師を目指す傾向が強まっていた。
  朝鮮戦争時のパージでは大学を追われた教師達が高校で教え、生徒達に素晴らしい思い出を残している。

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