「楽園で農地を無償譲渡」と言った政府・それを信じた棄民の悪夢

 「ブラジル人男性とは違い、彼らは一様に暗い目をしていた。カウンターでピンガを呷るその背中は、ひどくうらぶれ、荒みきって見えた。アマゾン奥地での開墾に失敗し、妻や子供を失った挙句、一文なしでこのベレンの地に流れ着いた男たちだ。 
   戦前からの日系人は、彼らのことを(アマゾン牢人)と呼んでいた。やがて、衛藤はそんな彼らの身の上話を聞いた。 例えば、ある男はモンテ・アレグレという入植地から逃げ出してきていた。1953年から55年にかけて計128家族が開拓農として入植したこの土地への、男は第一次の入植者だった。 だが、ここでも外務省の謳っていた入植条件は大いに違っていた。脱耕者が相次ぎ、一年後の56年にはすでに80家族にまで減っていた。この男が風土病で家族を亡くし入植地を逃げ出した61年には、33家族にまで激減していたという。 
 またある者は、ベレン郊外60キロの場所にあるグァマ入植地から命からがら逃げ出してきていた。入植地は湿地帯だった。たび重なる増水に遭い、何度耕作をしても農作物は水に流された。毎年脱耕者が相次ぎ、業を煮やしたブラジルのINCRA(内国植民農地改革院)は、ついに1963年、残る日本人入植者すべてからパスポートを没収し始めるという暴挙に出た。 移動の自由を奪い、死ぬまでその土地に縛りつける。まるで奴隷の扱いだ。 それを事前に察知した男は、身一つでグァマを逃れ出たのだという。 
 「領事館は?」 以前あれほどの屈辱を味わわされながら、それでも衛藤は聞かずにはいられなかった。 
 「それを領事館の連中は、黙って見過ごしたのか」 
 「あの、馬鹿どもか」男は自嘲気味に笑った。 
 「やつらが進んでやることといえば、逃げ出したおれたちを犯罪者として突き出すぐらいが、関の山だ」 衛藤はあきれた。開いた口が塞がらなかった。 
 気の遠くなるような場所から流れてきた人間もいた。南米大陸中央にある内陸国・ボリビアからアブニャ河を下って国境を越え、マディラ河、アマゾン河を伝って約5000キロを旅し、このベレンに流れ着いたという。 「あの国も地獄だった」男はぽつりとつぶやいた。それで、移民者たちの不幸がなにもこのブラジルに限ったことではないのを知った。 
 衛藤はすでに知っていた。ブラジル移民のみでも、1953年から61年までの9年間だけで、約4万2500人の日本人が海を渡ってきている。 ろくに現地調査も行わないまま現地政府といい加減な取り決めを交わし、蜜の誘い文句で移民者たちを未開の地に放り込んだあとは、知らぬ存ぜぬを決め込む。 いったい中南米全体で、どれほどの人間が路頭に迷い虚しく土くれと帰していったのかと思うと、目眩を通り越して吐き気さえ覚えた。 許せなかった。 
 日本政府も外務省もそしてブラジル政府もクソ喰らえだと思った。と同時に、国家などという得体の知れぬものを妄信していた自分が甘かったのだと思い至った。 
 国家など、所詮は巨大な利害が絡み合った有機体にすぎない。そしてその利害はいつの時代にも無知な大衆向けの甘ったるいオブラートに包まれ、そのときの情勢に応じて変化してゆく。押しっぶされてゆく少数の人間のことなど見向きもしない。 そんな甘言にまんまと乗った自分のおめでたさを呪った。その代償はあまりにも大きすぎた」                                  垣根涼介『ワイルド ソウル』幻冬舎 
 日本はまともな人口政策を立てたことがない。常に場当たり的に、貧しい厄介者を棄てる事を画策していた。
 敗戦後、日本には引き揚げ者や失業者が600万人も溢れかえった。政府はこの厄介者の排除を目論んで、「移民政策」を積極的に推進、その一つがドミニカ。
 国が示した条件は「300タレア(東京ドーム4つ分)の土地を無償譲渡、さらにその土地は肥沃」な筈だった。ドミニカへの移民は1956年から始まり、約1300人が応募。
 他の移住地に比べ格別の好条件に移住者達は、「カリブの楽園」と胸を躍らせた。しかし、彼らを待ち受けていたのは地獄のような日々、無償譲渡されたのは日本政府が約束した土地の1/3似すぎず。しかも、岩や石ころだらけの不毛の荒地、塩の一面の砂漠など、そのほとんどが農業に適さない耕作不適地で、さらに深刻な水不足も追い打ちをかけた。土地の所有権も認められなかった。
 「カリブの楽園で広大な農地を無償譲渡」。この日本政府の言葉を信じ、海を渡った約1300人の日本人の夢と希望は一瞬にして打ち砕かれた。入植時のドミニカはトルヒーヨ独裁政権下で、強制収用した土地も多く、日本人移民を見る現地の目は冷たかった。自殺した人々も少なくない。トルヒーヨは国境の荒れ地帯有人化のために、移民を利用したのである。
 
 2000年7月、移住者177人は半世紀に及ぶドミニカ移民の窮状に何ら有効な対策をとらなかったとして、国を相手に総額31億円の損害賠償を求める訴訟を起こした。
 177人の移民たちは国の示した募集要領は全くのデタラメで、約束の土地や条件が与えられなかったと謝罪を要求。
これに対し、国はドミニカ移民は“国策”で行なったのではなく、ただ「斡旋」しただけだと言い逃れた。
 裁判が進むにつれ、移民計画を立案した外務省のずさんで、信じ難い移民交渉の始終が浮き掘りとなる。土地の所有
権を事実上認めないドミニカ共和国の植民政策について、ろくな調査もせず、政策を推進。石ころだらけや塩の荒地の条件の悪さも知っていたのである。重い腰を上げ視察に来た外務省職員に『石も3年経てば、肥料になる』と言われた移住者もある。
 「私達はカリブ海の島に棄てられたんですよ。棄民なんです」と言ったのは原告団事務局長である。
 未だ解決の糸口さえ見つからないドミニカ移民問題。
 2004年3月参院予算委で、小泉首相は国に不手際があったことを、「移住者の方々にはしっかりとした対応をしたい」
と言明。しかし、外務省は「首相発言は法的なものでなく、和解の意思はない」と言ってのけている。 
  2006年6月の判決は「国は農業に適した土地を備えた移住先確保に配慮を尽くしておらず、国家賠償法上、違法の評価を免れない」と国の責任を明確に認めたものの、二十年間の除斥期間が経過して賠償請求権が消えたと訴えを退けたのである。
  
  『ワイルド ソウル』は映画化が一度決まったが、結局中止されている。「日本スゴイ」的風潮の中で、『ワイルド ソウル』は日本政府の移民政策の無限の闇を暴露するからだ。
   対して「エルネスト」は、ゲバラ人気とキューバ政府の誠実なイメージに乗じて移民の闇をやり過ごし、恰も移民は結果的には賞賛に値する結果を生んだ、やはり日本人は素晴らしい、と言わんばかりである。巧妙な政策洗浄(ロンダリング)だ。キューバが合作に合意したことを残念に思う。
 貧しい同胞を厄介者として不毛の地に「棄民」して措いて、風向きが変われば同じ彼らの例外を良き「日本人」として強調するこの国の意識構造を、僕は好きになれない。

 『ワイルド・ソウル』に主人公が、あるドキュメント番組を見る場面がある。
 「強制移住させられ、飢えと闘いながら老いさらばえていった移民たちのその後の四十年だった。 最後に、外務省領事移住部のある役人のコメントが紹介された。 
 「どんな世界にも、成功した人と失敗した人間がいるでしょう。失敗した人の側面ばかりを取り上げて、それで国の責任云々と言われるのも、どうかと思いますがねぇ」 
 久々に腸が煮えくり返った。 その腑抜けたコメント、怒りに全身が震えた。 こいつらは何も考えていない。相手の立場に立って物事を考えたことなど一度もない。そして四十年経った今でも、まったくそのことに気づいていない、恐るべき想像力のなさ、無責任さ、無能さだった。そして、こういう人売りたちが今も日本を動かしているのかと思うと、絶望に近い気持ちを味わった。 そして深い悲しみに襲われた」

 メキシコ革命に於ける野中金吾、スペイン市民戦争に於けるジャック白井、『エルネスト』におけるフレディ前村ウルタード、いずれも移民あるいはその子孫である。
  彼らは物語の中で、日本人・「さむらい」と評価される。釈然としないのである。何故なら、侍とは主体性も正義も滅却して主家に奉公する存在であり、革命的主体とは対極にあるからである。しかもそれが亡国のイージス』の監督によってつくられている。

   1956年日本とボリビアは移住協力協定を締結し、サンファンには翌年第1 次移住者が到着。しかし、移住募集条件にあった道路はなく、農業調査・移住地適地調査は不備、雨季の長雨や深い密林など自然条件を周知しない など、日本政府の責任は逃れられない。
 第1次移住者が到着した1957年は異常な長雨と寒波に襲われ、開拓は進まず、現地からは後続移住者の送り出し中止要請がなされた。政府はこれを無視、第6 次まで移住が続けられた。その結果、サンファン移住地は混乱、外務省や海協連への抗議は激しく、住民同士の不和も深刻化。アルゼンチンやブラジルに転住する者や失意のうちに帰国する者も。
 「犬も通わぬサンファン」と慣用句が、当時の移民社会にあった。道路も含めた環境条件の悪さを表現して。移住地中で格段に劣悪であった事を表す言葉である。

  『ワイルド ソウル』の登場人物は、日本の裁判に期待しない。移住から40数年後、3年をかけて周到かつ綿密な計画を立て、たった4人で日本政府に対する、爽快で死者を伴わない報復を仕掛けるのである。
                                                  続く


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