体罰は、即時免許取り消しが相当だろう

これは体罰ではない、暴行である、美化するな
 町田でも「体罰」があって事件化した。いつものことだが重大な誤解がある。体罰は、教育的な意図を込めて加えるものを言う。この場合、教育の気配は無い。学校内暴行に過ぎない。「美化」してはいけない。
 新聞によれば、校長は「暴力はだめだと教員に指導してきた。生徒の心情を思うと申し訳ない」とコメントしている。 「だめだ」と言えばなくなるのなら、人種差別は18世紀には無くなっている筈。戦争も搾取も侵略も貧困も既にない筈だ。

 江戸中期の兵学者大道寺友山は、『武道初心集』で、体罰を「臆病武士の仕業」と激しく非難している。←クリック

    「武士は、・・・道理を説明してよく納得するように教え、少々のことならば許し、堪忍するのが良い。・・・まして、腰刀などをひねくり廻し、あるいは握り拳の一つもあてるなどということは、言語道断のことで、臆病武士の仕業である・・・総じて、自分に手向いのできない相手とみて理不尽のやり方に及ぶようなことは、「猛き武士」は決してしないものである。「猛き武士」が嫌ってしない事を好んでする者を臆病者と言うのである」        江森一郎『体罰の社会史』新曜社   

 また、同じく江戸代中期の儒者江村北海は『授業編』で、教育上の体罰は「好まない」という言い方をしている。
   「書を授けるのに、父兄の膝もとへ引きつけて厳格に授け、覚えない時は呵ったり、あるいは打ち叩いたりするのは、悪い教え方と言うわけではないが、私はそういうやり方は好まない。その訳は、小児はつまるところ、いまだ弁えがないので、書を読むことは難儀なことと思っても、読まないと父兄に叱られることが恐ろしいために、しかたなく読むということになって、その本心では書籍を厭うようになり、これが学業不成就の根となる。大いに良くない事である

  「サムライニッポン」や「ナデシコジャパン」を自賛したがる者が、体罰に名を借りた暴行の先頭に立っているのだから始末に負えない。自制心に欠けて暴行に走る者を「サムライ」とは片腹痛い。体罰は、運転で言えば危険行為にあたる。即時免許取り消しが相当である。学校内暴力なら、懲罰だろう。教委は、君が代を拒否する教師の再雇用を認めないが、暴行・暴言を繰り返す教師は擁護して、口で「だめ」と言うだけ。「体罰」の誘因を教育から追放することに臆病なのだ。


 件の町田総合高校には、忠生高校と町田高校の家政科だけを統合した怪しい経過がある。総合とは言うものの、実態は進学高の町田高校から家政科を厄介払いしたに過ぎない。人気の低い学校やコース同士を組み合わせてみたところで、生まれ変わる道理は無い。問題は局部に集積して、一方に理不尽な苦難を、他方に傲慢な安らぎをもたらすのだ。
「問題」は移植され、集積した問題は互いに作用し合い、新たな問題を作り出す。問題」が外科的に切除された側では、教師は受験指導にエネルギを集中できることになる。だが教師は、少年たちの成長を総合的に見る機会を失っている。なぜなら教師たちが目の敵にして止まない「病的状態」は、健全な状態の極限形態である。環境の変化に適応して、危機を切り抜けるために起る有機体の健全な反応であり、この過程を通して青少年は質的な成長を遂げることが出来る。学校にとって都合のいい部分だけを残したつもりが、少年の多様な異質性を捨てている。丁度、豊かな原生林を生産性が無いとばかりに杉の単一林に変えて得意がるのに似ている。原生林の循環する奥深い健康さを捨てているのだ、愚か極まりない。
 これは公立学校のなすべきことではない。「公」は「勝ち組」だけのものではない。偏差値の高い部分だけを可愛がるための統合を知って、高校生が愉快な訳はない。総合と名乗るなら、偏差値を問わない多様性が保証されなければならない。行政から等しく大切に扱われているという実感が全ての高校生に無い限り、「体罰」の誘因は学校から消えない。
  行政が体罰=暴行の誘因に手を付けないのは、彼らが格差社会の勝利者ではあるが、その根拠の無さに気づき怯えているからである。その証拠に行政官僚たちは、その子弟をとうの昔から少年の頃から留学させているのだ。子どもの偏差値的な優秀さに幻惑される親も、受験や部活の成果に酔い痴れる教師も、衰微しつつあるこの社会に拍車をかけているのだ。それこそが体罰の誘因である。
 株価は、経済活動の健全さを表す指標である。しかし日銀と政権は、株価が経済の実態を表すと強弁して国民の同意なしに株を買い株価を上げて胸を張る愚かさである。顔色は健康のバロメーターであるが、青ざめた病人に化粧を施しても決して健康にはならない。

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