「成績」による選抜は、倫理に反する

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学習に適した季節は勉強に精進したい
 BBCが報じた 世代間交流プロジェクト「80歳、4歳児と友だちになる!?」を視ながら、考えていたことがある。違った年齢の人間の交流に大いなる成果を見ることが出来るし、又戦災孤児と知的障害者という、違った困難を抱えた者同士の接触も、大いなる効果を生んだ。
 人間は異質の者同士の交流で、互いの能力を高める。そのように出来ているのではないだろうか。もし効果が一切無いとしても、我々は選抜を排して、倫理的である事を選ぶ必要がある。

 同じ年齢、同じ適性、同じ偏差値、同じ階層、同じ障碍、・・・同じ者だけが選ばれて作られる集団の抱える問題。それは如何なる意味で効率的なのだろうか、何処に倫理性を発見できるか。
 川崎のカリタス学園殺傷事件、相模原「津久井やまゆり園」大量殺傷事件、大阪教育大付属池田小殺傷事件、川崎老人ホーム連続殺人事件・・・これらはすべて、成績で揃えれば指導が効率的になるという思考の怠惰が産んだ無差別殺戮である。
 頭のいい子だけを集めれば、いい教育が出来ると本気で考えているのか。障碍を持った人間は人里離れた場所に隔離する、それで効率に富んだ対策が可能になると考えているのか。対策とは問題を起こさないことか。問題や逸脱の中に、成長や発展の契機は潜んでいる。


 もし地位や所得別に教会や寺院が組織されるなら、御利益も神のご加護も階層別だと白状しているのだ。つまりいくら祈っても、効き目は無いから金を出せという脅迫だ。

 公教育に携わる学校が公的支援に頼りながら、能力ある者だけを選抜して得意になる情況を僕は正視出来ない。それは教育内容を誇っているのではなく、宣伝集客戦略を得意がっているに過ぎない。健康保険制度下の病院が、所得や身分で患者を選別するのと変わりなく、非人道的である。
 もし成績の良くない子だけをドッサリ集めて、自慢の良き教育を施し名門大学合格者や数学や物理オリンピックメダル獲得者を排出したというのなら、得意になるのも少しは肯ける。少しと言うのは、もし良き教育が真実効果的であれば、生徒たちは偏差値やメダルに拘ることは無くなるからだ。
 大会出場実績のある若者だけを金に物言わせ集めて、大会出場を告げる垂れ幕で校舎壁面を見苦しく覆ってどうしたいのか。場末の遊女の厚化粧に似て悪趣味だ。
 
 僕がかつて教えていた都立高校と、全く同じ偏差値の私立高校が近所に複数あった。大学入学実績は常に都立校がかなり上回っていたが、面妖なことに両校の偏差値は同一に維持された。僕は私立校と塾と偏差値会社の馴れ合いがあると信じている。
 マスコミはその種のまやかしや絡繰りについて、綿密な調査報道をする義務と責任がある。


 僕が多摩のマンモス都立高校にいたとき、私立中学からの入学生があった。何か問題を起こして追放されたのではない。「自由とは何か、それを自由の中で掴むのはむつかしい。むしろ自由が制限された学校生活の中でこそ知ることが出来るのではないか」と彼女は考えたのだ。一年間の英国留学も終えていた。彼女についてはここに書いた。←クリック  
  僕は彼女の社会科を2年から受け持った。一年生の時から勇ましい話が伝わってきた。つまらない授業を容赦せず、廊下や職員室で抗議する、しかも理路整然と。彼女を受け持つ教師で批判に曝されない者はなかった。だから彼女のいるクラスでは、間の抜けた授業をすることは出来なかった。僕は逞しい女闘士を想像した。しかし2年になって授業に出ると、毅然とはしているが小柄で笑顔の素敵な少女であった。時々準備室にやってきて話し込むこともあった。礼儀正しいのも特徴で、他の生徒たちがノックもせずいきなり「いるー」と覗き込むのとは雲泥の差であった。なるほどこれなら、抗議される教師も乱暴な対応は出来ないだろうなと思わせた。
 圧倒的なのは、彼女のノートであった。僕はノートを適時集めて、質問に答えたりコメントを入れたり間違いを訂正したりしていた。その学校は、他の学校に比べ自由で豊かなノートを作る生徒が多かったが、彼女のものは群を抜いていた。まさしく作品であって、字や図柄の配置までがある種の芸術性を帯びていた。文化祭でも多様なアイディアとリーダーシップを発揮、抜きん出ていた。
 同学級の生徒たちは、いつの間にか授業中の姿勢や質問までが影響され、幼稚さが消えていた。「~は何ですか」や「どうやるんですか」ではなく「~はどこで、何で調べられますか」に変わっていた。
 

 三年生になったある土曜の午後、彼女の私立校での同級生が5、6人やってきて「授業を見せてください」という。
 「今日は土曜だよ」と言うと「あっ忘れてた」と言う。彼女たちは大学生なのだ。一年留学していた件の生徒より早く大学に入っていた。

 即席の授業をした。知的好奇心も凄まじかったが、静寂と賑やかさのけじめが美しく、食い入るような眼差しは僕の目に向けられていると言うより、その奥の大脳を射貫くように鋭かった。次から次へとアイディアや事実が甦り、授業が展開するのに驚きもした。僕はこんな事も蓄えていたのか、それは聴く側の生徒の眼差しや発問が耕し引き出す。                                                           
 僕は、彼女のいた私立校教師の幸福を思った。

 東大生を教育実習で受け入れたことがある。好奇心に溢れ行動的な学生だった。実習に先立って文献を指定すれば、かなり読み込んだ。
  いつもの年は勤務高卒業生だけの実習。指定した文献すら読まない気力のない学生が、この東大生に引き摺られるように読み討論し質問しに来るようになった。更に授業案を互いに批判助言し、研究授業の模擬授業や、研究授業後反省討論まで熱心にやった。時には暗くなるまで、教科以外のことも語り合った。
 教育実習生に、国立大学生や名門私立大生が加わる偶然は
その後なく、研究授業さえ一時間の大半を残して立ち往生する例年に戻ってしまった。
 では東大からの実習生は何を得ただろうか。それは、他大学の実習生や生徒たちにも説明できるよう言葉を選ぶようになったことだ。ある概念を説明するのに、異なる言葉を使い理解を広げることは、自らの中にあった概念を再検討し修正することでもある。同じ学力の学生同士では、その機会はない。説明なしで、あるいは不十分な説明で「分かってしまう」からだ。
 このことが彼らの将来にどのような影響を及ぼすか言うまでもあるまい。
 選別しないことは、双方に大きな効果をもたらす。そのことはすでに明らかになっている。にも関わらず選別を続けるのは、選別事態に重みを持たせるために他ならない。優れた才能が輩出し、国民の学力の底上げが実現するより大事なこと、それは何か。受験産業の繁栄である。まともな国では見られない、受験産業は国民総生産を挙げるどころか、蝕んで腐らせている。なくてもすむものは、廃止すればよい。

 事前の選抜と定員を一切廃止して、やや厳格な進級卒業制度に切り替える。選抜がなくなれば、我々は三学期いっぱい落ち着いて授業に精進できる。秋も春も素晴らしい勉学の光景を生むだろう。今、高校生と大学生は選抜のためにどんなに学ぶ時間を失っていることか。

異質の他者どうしが交流して生まれる幸福感、尊厳、能力の回復・・・

NHKからこうした地道で良質な番組が消えている
 地球ドラマチック「80歳、4歳児と友だちになる!?」
  NHKのホームページは、BBC制作のドキュメント番組をこう紹介している。

「番組は「高齢者の社会的孤立や孤独は、健康に影響を及ぼす深刻な社会の課題の一つ。」という認識からスタート。その上で、「薬ではなく、社会関係や人間関係を改善するだけで、孤独な高齢者をどこまで元気にできるのか?」を科学の視点で検証します。6週間に渡って、高齢者たち、子どもたち、そして専門家が挑戦する、まさに前代未聞の画期的なプロジェクトです。

  ブリストル郊外の高齢者施設に4歳児10人がやってきた!世代間交流プロジェクトを通して、高齢者の幸福感、運動機能、認知機能は、はどう変化するのか?科学的な検証を行う。参加者の一人、77歳のジーナは、夫が認知症になって以来、気分が落ち込み笑顔もほとんどみられない。しかし、プログラムを通して、子どもと手をつなぐなど自然と触れ合う時間が過ぎる中で、ジーナも笑顔をみせるようになる…(イギリス2017年)」
   BBCの番組ではこの取り組みが、僅か6週間で大きな成果を上げたことを伝えている。
 僕が何より関心を持ったのは、英国の老人ホームの「豪華」さである。領主や貴族の館が敷地ごと居心地の良いNursing homeに作り替えている。ベッドや椅子など家具も館の雰囲気を壊さない上質なものであった。日本ならこんな老人ホームに入るには、億を超す一時金と月々数十万円の費用が掛かる。
 英国の[bristol nursing home]を画像検索すればいくらでも出てくる。任意の英国の町名でやっても出てくる。

   英国人労働者は退職後の貯蓄に余り関心を示さないと言われる。45歳以上で預金額が9000ポンド(約140万円)未満の割合は2014年度末で全体の40%。BBCの例、これは特殊な階層向けの施設ではないか、そう思う人もありそうだ。だがそれは詮索が過ぎる。
 英国では誰であろうと国民が老人ホームに入居する場合、住宅、貯蓄、年金などの資産併せて500万円以下なら全てその費用を国が負担する制度になっている。ビバリッジ報告の精神「揺り籠から墓場まで」←クリックは、今尚守られている。長いナチスドイツとの闘いを経た戦後の苦しい生活の中で英国人が獲得した制度だ。ちっとやそっとでは揺るぐはずもない。労働者や福祉嫌いのサッチャーが腕まくりして戦争で国民を騙しても、これは残っている。
 だから英国の労働者は、140万円の貯蓄で悠々と生活できる。出世競争で過労死することはない。中学生や高校生は、日本のように将来に備えた受験競争で鬱になることも、推薦入学を狙って部活で体罰や虐めに耐える必要も無い。
  英国の少年は、政治や環境もに関心を持ち自由に行動できる。演劇や音楽にも夢中になれる。祖父や祖母たちの生活が保証され安定していることが、少年たちを若者らしい正義に導く。だからhate言説にも引っ掛からない。

 英国のNursing homeに比べれば、日本の老人ホームはどう見てもやはりウサギ小屋止まり。大名の館や豪商の屋敷が庭ごと老人ホームになることは想像すら出来ない。ウサギ小屋程度でも順番待ちで、待っている間にあえなく死んでしまう。それが嫌なら月数十万円を負担する必要がある。
 僕は考えた、日本の老人ホームに4歳児が大勢やって来て何処で走り回れると言うのだ。大勢の老人が保育園に出向くのか、どうやって。特別の施設を作らねばならない、何処にどうやって。東宮御所や各地の御用邸をお使い下さいとでも、皇族は言うだろうか。米軍基地や自衛隊基地を無くしてそれに当てようと言う議員は何人だ。

 「80歳が4歳児と友だちになれ」は゛、高齢者の幸福感、運動機能、認知機能が驚くほど改善すると言うことは、取り立てて驚くほどのことはない。異質の厄介な困難を抱えた者同士が、政府の無策無関心から同一箇所に押し込まれ、驚くべき変化が生じたことがある。大戦直後、米本土も多くの難儀に見舞われた。その一つが戦争が産んだ親の無い子たちである。戦災孤児が町に溢れ切羽詰まった政府は、こともあろうに知的障害者の施設に放り込んで厄介払いをした。しかもかなり長期間。
 戦災孤児たちが成長するにつれて、他の青少年に比べ知能が優れていることが次第に分かって本格的調査が始まったことがある。知的障害者の美的特質は偏見が無いこと、飽きないこと、丁寧なことだ。親の無い乳児や幼児の片言の言葉や行動に笑顔で付き合い続けたのである。親に出来ないことを彼らは立派にやってのけた。この意図せざる接触が知的障碍者の自律や成長を促したことも大いに考えられる。
  だが儲からないことや見放された者に、世界の警官を目指す国は無関心であった。

  老人と子どもは相性よく作られている。団塊の世代の僕が鹿児島にいた頃、大人たちか漁や農作業や鉄道や役場なとに出て学校も始まれば、老人と子どもだけが地域に残って賑やかだった。泣いたり、喚いたり、怪我したり・・・。町には幼稚園も保育園もなかった、母親たちはどこも家事で忙しかった、すべてが手作業だった、着物もおやつもおしめも出産も葬式も結婚式も祭りも何もかもが手製であった。
 路地や寺社の境内が、年中無休の即席保育所になり、近所の老婆たちは路地に面した家の縁側で子どもたちを見守りながら手作業し、世間話に余念がなかった。子どもは自由で安全だった。婆さんたちは子どもたちの歓声を聞きながら、「こん衆(し)ゃ、もう戦争に捕られんとじゃな」と何度も語り合った。どこに行っても、老人たちは機嫌が良かった。平和が老人と子どもにとって、最大の福祉であったと思う。子どもたちにとっても老人たちにとっても、黄金時代であった。彼女たちは敗戦間際、浜にかり出されて竹槍で鬼畜米英に立ち向かう訓練をさせられ、夫や息子たちを戦場で失っていた。
 だがその中から、ビバリッジ報告に類する社会福祉的発想は生まれなかった。直ちに戦争で儲けることに躍起になってしまった。そのことについての思想史的考察をしなければならない。貧しかったことが言い訳にならないのは、英国やキューバが歴史の中で証明している。 続く

分からないことが増える楽しみ / 闇を切り裂く勇気

闇を暗いと言う者が血祭りにあげられる
 分かったことと分からないことの二つから世界は構成されていると我々は考えてしまう。そうではない、それ以外に分かるか分からないかすら知り得ない広大な部分がある。
  何があるか想像すら出来ない事柄や世界への好奇心が強ければ、イブン・バットゥータのような冒険家やとなる。

 好奇心を維持して知り得たことを万難を排して伝えようとすれば、ベトナム特派員時代の大森実←クリック や特高に虐殺された小林多喜二のようになるかもしれない。
 想像すら出来ない事柄や世界に怯える人々は、人知をを超えた「崇高な原理」にすがる。
 
 僕は黒板に大きくない丸を描いた。
 「仮にこの黒板を宇宙全体としょう。我々が知っていることをこの丸が示しているとすれば、分からないことはどこだろうか」生徒や学生の多くは円の外側と声をそろえた。
 「そこは、分かるか分からないかすら分からない部分だ。 「分からないこと」とは、「分からないことが分かつている」こと。円を表す細い線の部分だけが「分からないことが分かつている」部分なんだ」
 「ここに描けない部分もある。僕は今これを二次元で書いた。三次元以上で書く方が相応しいが出来ない。世界は分からないことだらけだ。少し分かった途端、その何倍も分からないことが増える。

 アポロ11号の月着陸が疑われることの根拠の中にこれがある。月着陸で分からないことが増えていないからだ。事実なら、月着陸がもたらした新発見によって新しい疑問が山のように湧き出す筈だからだ」
  「もし僕の授業で、分かることがどんなに増えたとしても褒めるに値しない。分からないことが増えなければ、ペテンなのだ」

  津田左右吉もこう言っている。

 「・・・少しずつ、そうして次第次第に、いろいろのことがわかってまいりました。けれども、今日でもまだまだわからぬことが多いのであります。あるいはむしろますます多くなって来たのであります。わかったことが多くなりますれば、それに従って、わからないことが少なくなるように思われるかもわかりませんが―実はそうではなく、わかったことが多くなるにつれて、わからないこともまた多くなるのが、人の知識の性質であり、学問の基づくところでもあります。つまり疑問が深くなり、細かくなり、あるいは大きくなり、いままで気のつかなかった疑問がだんだん出てくるのであります」
 津田左右吉が『古事記、日本書紀の寝研究』で不敬罪に問われた裁判(1940年)に於ける「上申書」の部分である。

 疑うことが弾圧されるのは、疑われた事柄(例えば万世一系の天皇や建国神話、原発の経済性や安全性、沖縄の核兵器・・・)が事実ではないがゆえに体制の根幹を危うくすることを、権力者自身が承知しているからである。教育勅語や皇国史観は、民族や国体の名において疑い得ない前提となるが故に危険なのである。命を捧げることさえ疑わなくなる。自らの命を捧げることを疑わない者は、他民族を殺すことも厭わなくなる。


 分からないことも私的生活の秘密も秩序正しく排除された世界をオーウェルは『1984』に描いた。そこでは戦争が日常化していた。

  分からないことが増えてくるのを楽しみ、敢えて分からない領域に踏み込むことに価値を置くのが教室である。そうでなければ、権力の闇は決して暴かれない。闇を暗いと言う者が、血祭りに上げられる。官邸の記者会見は、すでにそうなっている。

 教科「現代社会」が高校に導入されたとき、当初は教科書無しという画期的方向性もあった。にもかかわらず「現場の強い要求」で教科書が作られたという苦い経験がある。

 教科書通りに「分かっていると権力が認定したことだけ」を教え、板書どおりに憶えて作られる究極の「明るい」格差社会世界をハクスリー『素晴らしい新世界』は書いた。
 分からないことやルールの定まらない未知の事態にワクワク出来なければ、新しい疑問が生じることも、発見も革命も正義も無い。

勝利やメダルにはしゃぐ暇に、冷静に考えるべきこと  「おもてなし」は技能実習生に

彼らは自力で米国を退散させた国民。泣き寝入りはしない
 ラグビーWカップ開幕戦で日本teamが大量得点でして勝った。東京新聞は一面で「異なるルーツ学び合い」「つながった「ワンチーム」」「・・・全員が互いを知り、補い合い、ワンチームに。その姿は、外国人労働者受け入れを進める日本社会が目指す姿でもある」といささか酩酊気味の記事をのせた。申し訳程度に、日本社会の課題を匂わせている。課題とは何か。
 

  技能実習生は28万5667人、そのうちベトナム人は13万4139人です(今年6月時点) 実習生は多額の借金をして、出稼ぎ目的で来日・・・借金を返すまで帰国できません。しかし、労働環境は深刻・・・
 Bさん(24歳男性)は富山県のコンクリート圧送会社で働いていましたが、毎日のように従業員から首を絞められたり殴られるなど暴力を振るわれました。「会社を移りたい」と申し出たら帰国を強要され、それを拒否したら宿舎から追い出されました。・・・
 Dさん(20歳女性)は福島県の食品加工会社で働いていましたが、日本人の従業員から性的虐待をうけ、妊娠・堕胎を強いられました。・・・彼女は被害を訴え出ることなく帰国しました。


 技能実習制度では、低賃金・長時間労働、賃金不払い、パワハラ、セクハラ、労働災害、強制帰国など人権侵害の例は枚挙に暇がありません。みんな本音では母国に帰りたいに決まっています。しかし、借金を返さなければ帰りたくても帰れない。
 だから、日本で働き続けるために実習先から逃げ出して失踪する子が後を絶たないのです。実習生の失踪者は年間7000人ですが、そのうち半分の3500人はベトナム人です。実習生は留学生と違ってアルバイトができないため、失踪後に路頭に迷ったり犯罪に走ってしまうケースが少なくありません。
                  『月刊日本』12月号特集「奴隷扱いされる外国人労働者」

 外国人留学生や技能実習生が増えれば、劣悪な労働や過酷な生活で追い詰められ、命を落とす若者もいる。・・・

 東京都港区の寺院「日新窟」。棚の上に、ベトナム語で書かれた真新しい位牌がぎっしりと並ぶ。2012年から今年7月末分までのもので81柱。この寺の尼僧ティック・タム・チーさんによると、その多くが、20、30代の技能実習生や留学生のものだ。今年7月には4人の若者が死亡。3人が実習生、1人は留学生で、突然死や自殺などだった。

 7月15日に自殺した25歳の技能実習生の男性は、会社や日本に住む弟、ベトナムの家族に遺書を残していた。塗装関係の仕事をしていたが、「暴力やいじめがあってつらい」とつづられていた。「寂しい。1人でビールを飲んでいる」と弟に電話があった翌日、川辺で首をつっているのが見つかった。
 6月になくなった31歳の男性の死亡診断書には、死因は「急性心機能不全症」と書かれていた。別の20代の技能実習生の男性は朝、仲間が部屋に起こしに行ったら、死んでいた。・・・

 実情に詳しい山村淳平医師(63)は、「元々健康だった20、30代の人が突然に亡くなるのは異常なこと」と話す。「十分な睡眠もとらず、過剰な労働によるストレスやプレッシャーが体をむしばんでいく」
 山村さんは3月にベトナムを訪問し、昨年末に宮城県でなくなった20代の男性の父親に会った。男性は現地のブローカーを通じ、約120万円を払って来日。結婚資金などを稼ぐためだった。送り出し団体から「心臓の病気で亡くなった」と連絡があり、遺骨が届けられたという。
 山村さんは「いびつな日本の政策の犠牲者」と感じている。「労働者としてきちんとした条件で雇うべきなのに、実習生や留学生として働かせ、結果、心と体への負担がかかっている。国は実態を把握し、予防策をとるべきだ」と話す。・・・
 外国人留学生や技能実習生の自殺や突然死の総数は明らかではないが、実習生の受け入れの支援をする民間公益法人「国際研修協力機構(JITCO)」の報告書によると、16年度に事故や病気などで亡くなった技能実習生や研修生は28人。脳・心疾患が8人で全体の約3割を占めた。
                   朝日新聞デジタル2018年10月14日「いびつな政策の犠牲者」ベトナム人実習生らの相次ぐ死←クリック

 朝日新聞デジタルの記事にある「国際研修協力機構(JITCO)」は1991年に設立された法務・外務・通産・厚労・建設の5省による共同所管団体。国を挙げて技能実習生を支援するための仕組みに見えるが、国を挙げて技能実習生を食い物にする天下り機構に過ぎない。だから技能実習生の過労死者数さえ把握していないのだ。
 法務省からの天下り役員だけで11人、検事総長を務めた男が理事長になっている。計15人の役員のうち9人が省庁OB。
  現行の外国人技能実習生の受け入れ企業は、実習生を受け入れるたびに、75000円程度をJITCOに年会費(年会費は企業等の資本金等の規模に応じて1口あたりの金額が算出される。複数の同業企業で作る管理団体からは1口10万円、団体参加の複数企業から1口5万~15万円を徴収し、それとは別に個別の企業からも1口10万~30万円)として支払う。移民拡大政策で、JITCOの“実入り”は膨張する。 JITCOの予算書を見ると、会費が17億3300万円、これが全収益の約8割を占めるから、天下り機構運営は会費に依存する。つまり弱みにつけ込む越後屋を通して延命を図る現代の悪代官の一つがJITCOである。

  外国人実習生は現在、約26万人。管理団体の数は全国に約2300。現在、農業や漁業、建設関係など6業種の受け入れ対象業種は、介護や外食、自動車整備などが加わり、14業種にまで拡充され、19年度からの5年間で約35万人を受け入れる見込みだ。JITCOの監理団体や会員企業も対象業種の拡充に比例して増え、会費収入も膨れ上がる。この仕組みが、技能実習制度を続けさせ、悲劇を放置・拡大させる。

 技能実習生たちが過酷な状況に追い込まれる根源には、政権の利権がどす黒く渦巻いている。ベトナムは自由のために自力で米国をうち破った唯一の国だ。“奴隷労働拡大”政策で官僚貴族が私腹を肥やす状況を看過することはないだろう。

 ベトナムの僧侶は自由のために焼身自殺を遂げて世界に衝撃を与えた。ベトナム人民の抵抗を日本はよく支援し報道した。またその時が、来ている。球技の馬鹿騒ぎがそれを覆い隠している。人間は興奮すれば、冷静な判断が出来ない。
 技能実習生たちは、命そのものを「日本」に奪われている。実習企業から追い出されたベトナムの若者は、年間3500人と見積もられている。その多くは実習企業にパスポートを取り上げられている。
  「暴力やいじめがあってつらい」「寂しい。1人でビールを飲んでいる」と電話した翌日首を吊る若者も「異なるルーツ学び合」う仲間の一人である。ラグビー記事の何倍もの調査報道を、連日繰り広げるべきなのだ。一体どれだけの予算をこの馬鹿騒ぎに、政府や自治体が割いているか報道したのは大分だけだ。

 「全員が互いを知り補い合うことは、外国人労働者受け入れを進める日本社会が目指す姿でもある」と記事で言っているではないか。 彼らはすでに尊厳を奪われ、何人も死んでいるのだ、いや殺されている。
 政権に操られて球技にはしゃぐその何分の一かを「寂しい。1人でビールを飲んでいる」と訴える若い外国人労働者に割いてこそ、「サムライ」「うつくしい」「クール」と枕詞をつけるに相応しいのではないか。「おもてなし」は実習生に対してこそすべきなのだ。
 おい高校生!!文化際にお化け屋敷なんか止めて、技能実習生を招待してシンポジウムぐらいしてみたらどうだ。先生も研究会に有名な学者を呼んで、話を承るのはもう止めよう。学生も実習生を訪ね歩き、医療援助や法律相談をするプロジェクトを立ち上げたらどうだ。日本の学生は暗い時代にも「セツルメント」を続けた伝統がある。

 ただのgameの勝利に酔いながら、周辺諸国へのヘイト言説に我を忘れる姿は醜悪。何が「ワンチーム」だ。

地位にも衣食にも縁が無いから、ただむつかしければ面白い

素読の初級者と、会読をする車座の二組が描かれている

 山崎闇斎の弟子たちは、彼が講釈する言葉の一言たりとも漏らさず筆記した。なぜなら闇斎は生きた聖人と見做されていたからだ。これを批判したのが、朱子学を「憶測にもとづく虚妄の説にすぎない」とした荻生徂徠である。
 「徂徠は、「予(われ)講を悪(にく)む。毎(つね)に学者を戒めて、講説を聴かざらしむ」(『訳文笠蹄初編』)と自ら述べているように、講釈嫌いである。彼は講釈の害を十項目にわたって論じているが、なかでも重要なことは、聴講者が自分で「思」うこと、考えることをしなくなってしまう点にあった。徂徠によれば、講釈する側も、「字詁・句意」「章旨・篇法」「正義・傍義」「註家の同異」「故事・佳話」「文字の来歴」など、およそ本文に関係することであれば何でも、お店を開くように並べていって、一つでも足りないところがあると、それを恥だと思うようになる。そのうえ、聴講者が飽きてしまうのではないかと心配して、美声によって喜ばせたり、時には笑い話を交えながら、居眠りなどさせまいとするのであるから、聴く者が自ら何も考えなくなってしまうのも当然である。懇切丁寧、用意周到、理解の助けによかれと老婆心ですることが、学習者にとっては逆効果となってしまう」     前田勉『江戸の読書会』平凡社
   闇斎の講釈には、今の教委が喜びそうな「良い」授業の要素が詰め込まれている。今も校長はこれらの観点に沿って、教師の授業を観察・評価する。生徒の書き入れる授業評価アンケートもそれが元になっている。
 だから高校でも大学でも、表面的な「分かりやすさ」や「やさしさ」が評価される。

 難しさを克服した時の喜びがあるからこそ、事柄の実体や本質に迫る気になる。それを避けるのは、親切面して愚民化を計ることである。

 では講釈嫌いの荻生徂徠はどのような学びを、奨励したのだろうか。徂徠(蘐園)学派では、学問は師や仲間(講習討論の友)とともにするものであった。その中心に数人で車座になって行う会読があった。素読などの基本を終えた者たちが、決められた経典(四書五経など)の章句を巡り、互いに問題を出し合い意見を戦わせるのである。

 その場で重んじられたのは、「真理を探究し明らかにするために、互いに「虚心」の状態で(父と師と君のいずれからも自由に)討論をする」ことであった。適塾でこの会読に打ち込んだ福沢諭吉は、自伝で次のように回想している。
   「・・・幾年勉強して何ほどエライ学者になっても、頓と実際の仕事に縁がない。すなわち衣食に縁がない。縁がないから縁を求めるということに思いも寄らぬ・・・名を求める気もない。名を求めるどころか、蘭学書生といえば世間に悪く言われるばかり・・・。ただ昼夜苦しんで六かしい原書を読んで面白がっている・・・自分たちの仲間に限って斯様なことが出来る。貧乏をしていても、粗衣粗食、一見看る影もない貧書生でありながら、智力思想の活発高尚なることは王侯貴人も眼下に見下すという気位で、ただ六かしければ面白い、・・・という境遇であった」『福翁自伝』
 服部之総は明治3年以降の福沢を、革新的でなくなったと言っている。ここに描かれている青年諭吉は、これを書いている福翁とは、まるで違うことは知っていた方がいい。ともあれ、こうした激しい学びの中からspeechを演説、debateを討論と訳出するに至るのである。

 この学習形態は、封建的身分制に頭を押さえつけられていた若者たちを身分を越えて惹き付けた。初め各地の私塾にそして藩校、遂には昌平黌にまで広がった。千葉卓三郎らの五日市学術討論会もその流れの中にある。
 しかし自由に平等に討論学習し、真理を探究し明らかにするため互いに己を「虚心」にする雰囲気は、皮肉な事に福沢の説いた立身出世を学校令が煽り、ぶち壊してしまった。昌平黌の後進東京大学は、伊藤博文の権力的介入により特権の独占機関と化し、爵位と勲章中毒の世界を形成し、再び閉塞の時代を自ら形成してしまうのである。原爆の遙か前に、精神的文化的大破綻があったと言うべきである。

 今、学校でdebateが盛んだが、あまり討論とは言わない。舶来の先進的な学習手法と思い込んでいるからだ。

 debateの授業では教室を「勝ち負けの場にせずにはいられず、弁舌を争うばかりで、ものごとを深く考え真理の発見にいたらない」よう教師が指導してしまう。これは「会読」では強く戒められたことである。真理の発見のために力を合わせるのでなければ、高校生が青年らしい行動的な賢さを獲得することは出来ない。日本に生まれた「会読」という集団学習に気付いた方がいい。

 高校に入った4月、父は『三太郎の日記』を読めと言った。その父は
中学入学祝いには万年筆と『ロウソクの科学』を買ってくれた。ペーシ゛を捲る毎に僕は実験を繰り返し、机は焦げ跡だらけになった。
 『空想から科学へ』を『ロウソクの科学』の類だろうと思って手にすると、何やら難解だが薄いから買った。しかし難しい、通学の電車で読み昼休みに広げて格闘していると、上級生が「面白いかい」と話しかける。「難しくて困ってる」と正直に言うと、「俺たちの読書会に顔を出さないか」と誘われた。
 天井の穴から空が見える解体寸前の古い校舎の一角で、『フランス革命時代の階級対立』を六人程度が「会読」していた。会読も珍しかったが、理科実験少年にとって、社会科学にも自然科学と同じく真理や法則がある事を知るのは、魂を引きずり込まれるような経験だった。大学生や専門家たちが入れ替わり立ち替わりやって来て、僕らの討議を助けてくれた。アフリカや南米の海外勤務から帰国したばかりの卒業生たちは、新聞にも雑誌にも無い最新の情報でぼくらを魅了した。終わる頃には星が出ていた。『フランス革命時代の階級対立』を終えると『ルイボナパルトのブリューメル18日』を会読した。これは格段に難解だった。
 深く学ぶことと、広く学ぶことは別では無かった。同時に疑うにも方法が必要なことを知った。
 僕は「分かり易い」授業には今も馴染めない。

支配者の愚策を持ち上げて、それにぶら下がる卑屈

僕が聴くよという決意は将軍や大元帥には無い
 「生類憐れみの令」は24年も続き、処罰された者は新井白石によれば数十万人。徳富蘇峰は「科人毎日五十人、三十人づゝあり、打首になるもあり、血まぶれなる首を俵に入れ、三十荷ばかりも持出す」と書いている。罰金や説諭では済まない。蚊を叩き潰して死罪や遠島、見ていて止めなかった者は閉門。犬の虐殺で死罪、鳥を撃ち殺し売り払って10人切腹1人が死罪(彼らの子どもも遠島)、病馬を棄てた咎で農民10人流刑・・・
 
 綱吉はその愚策のために、大奥の奢侈を止めさせたわけでは無い。綱吉自身が犬猫を江戸城で可愛がったわけでも無い。数カ所の犬小屋用地は数
所29万7652坪もあり、百姓数百名が土地を失った。江戸町奉行は犬小屋維持費用を江戸市中に転嫁。「御犬上ヶ金」といい、小間1間につき金3分。中野犬小屋の普請や修復のためには「犬扶持」が徴収された。周辺農村は高100石当たり1石の割合で賦課されたのである。

 処罰の記述は誇大でありその多くは事実では無いとか、本当の狙いは捨て子保護など福祉であったとか綱吉を評価する言説がある。支配者の愚策を、持ち上げ賞賛する傾向が繰り返される。
 米軍は文化財保護のため京都や奈良を爆撃しなかったと感謝の記念碑を建てたり、占領軍将兵のために政府が率先して特殊慰安施設を開設し、GHQ司令官に国会が感謝決議をするなど「サムライ」らしい卑屈さは常に吹き出す。持ち上げておいて、それにぶら下がろうとする。この恥ずかしいまでの卑屈さを隠すつもりが、弱者や周辺諸国への傲慢である。
 
 天皇の前に出ると、どんな人間も有り難さに震え上がると言われた。しかし森繁久彌は、秋の園遊会に招かれたときのことをこう語っている。

 「・・・ご下問です。《いつも見てるよ》《ハッ》、《テレビはいろいろ大変だろうね》《ハッ、大変です》《アッ、そう》。もう少し酒落たことを言うつもりなのに、これでは隣りのチョビ髭の代議士とおなじです。汗が出ます。ハンカチ、ハンカチ。女房を小突くのですが、女房は皇后のお顔を口を開けて見ているだけで役に立ちません。《映画も大変だろうね》《ハッ、大変です》《アッ、そう》。陛下のご下問は矢継ぎ早です。《舞台も大変だろうね》《ハッ、大変です》《アッ、そう》。入江さんが、目で陛下に先を促しているようです。私は、意を決しました。《ところで陛下、この御殿は昔大奥だったそうですが、お手打ちになった女の幽霊が出るなんてことは - 》《アッ、そう》 -陛下のお姿は、私の前から消えていました」  『大遺言書』新潮文庫

 天皇には人の話を聴く耳が無いことを森繁久彌は、うまく語っている。人の話を聴けない者が、元帥や将軍になれば人は末代まで迎合する。その結果、歴史を客観的に見ることが出来なくなる。彼らの耳に入った「子どもまで遠島」や「南京大虐殺」は大脳に達すること無く、脊髄反射ように《アッ、そう》的反応に終わるのだ。
   ユーモア精神溢れる根っからの自由人が、文化人と呼ばれるに相応しい。文化人はその見聞をあちらこちらの多様な人に運んで結ぶのである。それが有効な批判として機能する。聴く耳を失った同じ意見の人間だけがいくら固く結束しても、共感は広がらない。

傲慢がかっこいいか

虚心はかっこいい
 築地の路上でおかしな表情の男を見た。外車で煽り運転を繰り返した男ソックリ、本物は拘留中の筈。鼻の下に髭を薄く生やし、大きく口を開けながら上下の唇で歯を覆う異様な顔貌。広い交差点の向こう側から、一度も口を閉じること無く肩を怒らせながら歩いてきた。あの男はあおり運転男の傲慢な振る舞いを真似て見せびらかせば「かっこいい」、男らしい、と褒めそやされると感じていたのだろうか。
 男子中学生が女子中学生の首を絞め飛び蹴りする暴行現場の動画が、投稿され再生回数を稼いだ。学校や飲食店での悪戯を誇る動画も後を絶たない。動画を撮った者も取らせた者にも、これらの悪事は再生回数を稼げる「かっこいい」ことになっている。
 週刊誌やTVで時には議場で、嫌韓hate発言が過激化、発言者は胸を反らした得意顔で同類の醜い発言を繰り返す。彼らも周辺諸国を睥睨する自分の姿を「かっこいい」と思っているのではなかろうか。
 歴史的な大量虐殺や強制連行を「無かった」とする男の発言を、マスメディアが追い競う。男はその混乱を得意がりその切っ掛けを作った自分に「格好良さ」を感じている。視聴率を上げる功労者として持ち上げられるからだ。
 

 これら数値で即座に確認出来る「格好良さ」は、動画再生回数や視聴率ばかりでは無い。発行部数、出演回数、得票数・・・。数字は倫理的判断の置き場はない。収入それ自体が人間や組織の「格好良さ」になり、収入の根源の善悪を忘れさせてしまうように。
 人間や組織の品格は、数値の前にひとたまりも無い。格好良さを他人の物差しで、それも分かりやすい数値で計る癖がついてしまった。経済は株価で、学校は標準偏差値で、スポーツは獲得メダル数で、政治は議席数で・・・

 日本軍は1940年ナチスドイツのフランス・オランダ電撃占領にかこつけ、文字通り他人の褌で相撲を取るようにして、東南アジア「領土」拡張を目論んだ。小学校に大東亜共栄圏の地図が張られ、占領の度に日の丸が張られた時、その実体に目は向かず数的膨張にのみ酔った。

 酔えば倫理は捨てられる、いや倫理を捨てるために酔う。倫理を捨てた頭に残ったのは、世界に冠たる生き神の国という幼稚な紙芝居と乱発される勲章。そんなものに酔った。その苦い経験を忘れている。
 
 スポーツ界や学校に体罰が絶えず、企業や役所にパワハラが消えないのは、無理を力で支配することが「かっこいい」との眼差しが蔓延しているからだ。「口でガタガタ言うより一発殴って」「厄介な奴は制裁するしかない」と生徒自身や親までが言う。

 殴られ強くなり勝利数を稼げば、個人も学校も内申は上がる、それを「善」と短絡する惰性がある。正義や品格で推薦入学は出来ないと言うわけだ。教師の中にも、暴力で秩序を保ち勝ち進む教師を賞賛する雰囲気がある、教師は疲れ切った。他人の褌であっても偏差値が上がれば少しは楽になると、藁をも掴む気持ちになっている。
 だがこれを競争とは言えない。なぜなら偏差値の高い者や運動能力の高いものだけを入れることは、スタートの平等を否定することだからだ。

 竹内好は1963年「満州国研究の意義」という一文において
 「「満州国」をでっちあげた日本国家は、「満州国」の葬式を出していない。口をぬぐって知らん顔をしている。これは歴史および理性に対する背信行為だ。・・・国家が知らん顔をしたら、国民がその尻ぬぐいをしなければならぬ。シャッポを脱げば植民地時代が消えてなくなると思ったら、大まちがいだ」と記し、さらに語を継いで
 「ただ残念なことに、国家が意識的に忘却政策を採用し、学者がそれに便乗して研究をさばっているために「満州国」に関する知識の結集がさまたげられている」と批判していた。文中の「満州国」は「大東亜共栄圏」に置き換えてもそのまま読める。

 日本軍は南京入場では派手な式典をやった、大虐殺の軍刀をガチャガチャならしながら。百人斬りを誇って新聞一面を飾った二人の男は、軍刀による大量殺戮をサムライらしく「格好いい」と感じていたに違いない。

 占領軍GHQは、次々と日本「民主化」に関する指示を日本政府に迫った。財閥解体、婦人解放、農地解放、労働組合の育成、秘密警察解体・・・が矢継ぎ早に指令された。だがおかしなことに、日本に定住する朝鮮人や台湾人、強制連行された中国人の処遇については日本政府に任せている。政府は講和条約発効と共に朝鮮人は日本国籍を喪失したとみなすに至った。当事者の意思は無視して。それが今日にまで問題を引き摺っている。これは慎重に仕組まれた核地雷のように、時に応じて東アジアの政治的安定を脅かしている。


 内務省警保局「内地在住朝鮮人運動」によれば「(1938年の在日朝鮮人,79万9,865人のうち)世帯を有する総人員は65万9708名にして総人員の82%を占む。・・・この男女の比の接近及世帯人員数の比の多きは,在住朝鮮人が漸次定住性を帯びつつあることを示すものなり」と分析している。戦中は否が応でも同朋扱いで日本国籍を付与され、兵役にも就いた。その挙げ句、戦犯として死刑にもなった朝鮮人や台湾人を、どう処遇するかが大きな課題で無い筈はない。
 戦争犯罪とは何か、誰がその責任を負うのかについて、国民自らが審判する機会を奪われていたことがその根源にある。 敗戦1ヵ月後の東久邇内閣・幣原内閣では、日本人自身による戦犯裁判が模索された記録が残っている(松尾文夫・元共同通信ワシントン支局長談 https://diamond.jp/articles/-/76469?page=3)。しかしGHQの反対で実現しなかったという。
 日本は自らの目と手足で未曾有の過ちを検証していない。

  大元帥=天皇は訴追を逃れ、平和主義者天皇は戦争では形式的な役割しか果たさなかったという新たな「神話」作りが展開され、これを占領軍は強い検閲で統制保護した。

 東京裁判の判事にアジアから選ばれたのは僅か3名。その中に朝鮮の代表はなかった。

 杜撰な調査と証拠隠滅を放置したま、賠償はすべて解決済みと口走る姿に「格好良さ」を感じるのは、無知による傲慢以外の何ものでも無い。無知振りが幼稚な原理主義に火を注いだ例を、我々は光田健輔と小笠原登の論争に見ることが出来る。
 来年の五輪で旭日旗を群舞させる者たちは、傲慢な己の姿に打ち震えるのだろうか。無知に動じない姿を人はカリスマ性と見誤る。

王様に貰ったミカン

 深酒して 終電車に乗り遅れ、交番で補導された事がある。身分証明を見せると、巡査は慌てて「失礼しました」と敬礼した。修学旅行引率では、宿の仲居さんから面と向かって「先生はどこ」と聞かれた。「僕です」と答えると、仲居さんは 一瞬呆然の後 生徒と一緒に大笑いした。引率されたのが二十を...