エジプトを征服したカエサルは、古代最大にして最高のアレキサンドリア図書館所蔵の70万巻を焼いた。その後、イスラムの第二代正統派カリフ、オマールはアレキサンドリア制圧とともに同図書館に残された文献すべてを焼却した。
オマールはこう言い放ったという。
こうして文献は六ケ月の長きにわたり風呂で焚かれ続けた。妙な説得力がある。しかも力強い。「図書館にある書物はコーランと一致する内容のものであるか、さもなくば一致しないものかのどちらかである。前者ならコーラン一冊あれば事足りる。又後者なら偽りを記した有害な書である。従ってどちらの場合も燃やしてしまうのが適当である」
高校生が教師に向ってこう言ったそうだ。
「先生の授業、さっぱりわからない、改善して下さい」
「いいだろう、しかし君達がさぼってわからないのではない事を証明して欲しい。努力すれば点が取れるという事を」そう教師はこたえ、高校生達は授業ではなく教科書をあてに勉強し、見事点数を上げ、再び教師にせまった。教師は悠然とこうこたえた。
「やれば出来るじゃないか、これで私の授業に欠点があるのではなく、君達の側に努力不足があった事がわかったわけだ」オマールと大して違わない。
ある女子高で生徒達は服装のささやかな自由化を要求した。担当教師はこう言った。「よくわかった。だがこれは規則だ、変えねばならない。変えるには、変えた規則を君達が守ることを約束してほしい。口ではなく態度でね。今の服装規定を全員一週間守ってみよう」教師のことばに励まされて生徒は頑張った。期待しながら女子高生は教師の言葉を待った。
「よくやった、立派だ。今の規則がこれだけ守れるという事は、今更それを変える必要はないという事だ。この話はこれで終り」担当教師は己の説得力に自ら相槌をうち、生徒は言葉の虚しさに唇をかんだに違いない。
誰だってやる気失うだろう。「教師には生徒に最善のものを与える義務がある」と言いながら、行事などでアンケートをとっておいて、無視することも珍しくない。どんな意向が表明されようと、結論は既に出ているのだ。
処分退学には追い込めず、しかし管理上不都合な生徒に自主退学を迫る時には「まわりの迷惑もさる事ながら、本人の為にもならない」から退学させるべきだ、だが本人の不利にならないよう自主退学にと言う。処分退学には、面倒な書類を提出しなければならないし外聞も良くない。いずれにせよ、追放するとの結論は揺らがない。何が最善か、為になる事か、それを決めるのは本人ではないのか、たとえ失敗したとしても。それが自由であり、成長の原資である。
「生徒はまだまだ未熟だ、決定するには、知識も判断力もない」、これも耳にタコが住み着いたかと思う程よく聞く。そんな生徒もいるだろう、ならば彼は自らの判断でアドバイスを求めることが出来る。それを迫るのが毅然たる指導というものだ。当の教師本人が高校生の頃いくら幼稚だったからと言って、今だに乳臭いからといって、目の前の生徒を十把ひとからげに未熟にしては無礼である。「生徒の中に俺より優れた者は幾人もいるはずだ」と少しぐらいは不安と畏れを抱くべきではないか。実際そうなのだから。
「先生、今日お話していいですか」土曜の午後、生徒がやって来た。彼女は自立と自由を重んじる私立中学から入学した変わり種。中学では教師抜きの修学旅行を計画した事もある。旅行社との交渉も。
「もう疲れちゃった。何やっても、何言っても、全然変わらない。授業も、行事も、生徒会も」
詰まらない授業や下らない試験をする教師に面と向かって、一人で堂々と職員室で批判を展開する彼女の話を同僚から聞いて、僕は女闘士をイメージした。だが二年になって授業に出ると、小さくて可愛らしい、勉強ずきな好奇心あふれる生徒だ。
「もう、だめね」、そう言って彼女は、進路について希望をこめて語った。そうだ望みを捨てるにしてもこの学校と教員に限定してくれよな。彼女がわざわざ自由な私立をやめて都立高校に来たのは、普通の生活の中で自由と不自由を確認したいからであった。
「僕は君がたった一人いるおかげで君のクラスは変わったと思ってるよ。皆自由に発言するだろう、いいなァあの雰囲気、あれは君がつくったんだ。ありがとう」
「そうかしら、私が役に立っているのかなァ、そんな風に考えた事なかった」 あきらめさせないぞ。
追記 彼女は、新潟大学で行動科学を専攻して大学院に進み、スイスに留学したがその後を知らない。話してみたいとおもう。福沢諭吉は「人の自由は不自由の間にあり」と言った。彼女はこの言葉を知っていたのではないかと思う。
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