子どもの黄金時代は瞬く間に過ぎ去ってしまった。 |
「いったいわが国の教育者の役割とはどんなことなのか。 壁と家具の番兵、家屋の静けさや把手や床の番兵である。大人の仕事やのんびりとした休息の邪魔をせぬよう追い立てる牧人………である。大人の特権を守る番兵であり、大人の道楽好きの気まぐれなふるまいの怠惰な行商者である。恐怖と警戒の屋台、道徳的ガラクタでつまった行商木箱、店から持ち出しの変性アルコールのように、もう香りもなにもしない、混乱させ、ただ眠らせるだけの知識を販売している。覚醒させ、蘇生させ、喜びを与えるかわりにである。陳腐な道徳の代理人。我々は、子どもたちには尊敬と従順を強制し、大人達には彼らが心から同情したりしばらくの間ここちよく興奮するのに手をかさねばならないというわけだ。ほんのわずかな金で強固な未来をつくりだす、欺き、隠しながら」
これは、ヤヌシュ・コルチャックが世界大恐慌の年書いた「子どもの権利の尊重」の一部である。教員を「教室の暴君」であると批判した彼は、教育制度・学校・教員に対する不信・怒りを繰り返し書いている。65年前のポーランドの事とは少しも思えない。それゆえ、コルチャックの「子どもの権利の尊重」の精神を生かした「子どもの権利条約草案」はポーランドによって提出されたものである。
去年、.二年生の「現代社会」(2単位)で「子どもの権利条約」について授業をした事を思い出しながら、コルチャックに叱られよう。
こんな権利があれば
去年は一学期に″民主主義とは何か″を、二学期は〝子どもの権利条約を、三学期には、自由なテーマと方法で発表や討論をした。
二学期の中頃、高校生としてこんな権利があったらいいと思うものを一つだけ書いてもらった。
1、疲れたときは学校を休みたい、子どもにも有給休暇が必要。
2、私は私、他の子は他の子、同じじゃない。
3、子どもも選挙したい。子どもの党が必要だ。
4、先生達に文句を言う会みたいなものがあったらいいな。
5、すじが通っていれば、先生に口答えができる権利。
6、先生を裁きたい。バカに人格はないと言った先生がいる。
7、先生を生徒の力でやめさせる会議をつくりたい。
8、先生を選びたい。
9、自分たちで時間割や科目をつくりたい。
10、生徒の提案した授業をする。
11、学校行事は生徒が決めて、生徒が運営。
12、偏差値で評価されたくない。
13、中学では、進路は先生が決めた。自由に進路を選びたい。
14、先生は生徒をひっぱたいていいの、まったく先生はジョーダンがきかない。
15、ストライキ権があったらと思う。
16、生徒も職員会議に出たい。
17、式に出ないですませたい。日の丸と君が代を好きになれない。
18、自由に外出する権利。
19、気が向かない時に堂々と授業を怠る権利。
20、いねむりをしても叱られない権利。
21、クラブを自由にやめる権利。
・・・
二学期の前半で、世界の子ども、日本の子ども、学校の諸問題、子どもとは何か、について学んだ。
僕は生徒達がうけた教育、うけている教育を教材化する事はとても大事だと思っている。なぜなら、学びは、経験の言語化を通してしか行われないからである。少年達が社会から隔離されつつあり、社会的経験に類するものは学校を通して、あるいは学校に関連しておこなわれるようになる時、唯一の残された社会的経験は学校経験となりかねない。勿論すべての少年がそうなっているのではないが。
後半では、生徒達が欲している権利には根拠があるのか、実現の可能性はあるのか、「子どもの権利条約」 にそって考えた。
3、「子どもも選挙したい。子どもの党が必要だ」をとりあげて授業をはじめた。
いかなる権利が宣言されたとしても、行使の主体が形成されねばならない。永い間自称「民主」的教師たちの中にも、子どもを権利の客体とは見なしてはいたが、主体として認めることに大きな躇らいがあった。それは 指導 という概念と入り交じっでいた。
僕の出身高校のある同級生は女生徒に大モテで、女日照りの僕らを羨ましがらせた。しかし彼には、深刻な悩みがあった、人を好きになれないのだ。恋愛に飢える僕らを羨ましがる始末だった。傍目にどんなつまらない恋愛であっても、たとえ片思いであっても、それが主体的なものであれば、百人の大金持ちのマリリン・モンローに愛されるだけの客体的なものよりはるかに素晴らしいのである。
たとえば権利条約第28条が、教育への権利となっているのは、教育権の主体が子どもである事をはっきりさせるためである。従来は教育をうける権利としか書かれなかったのだ。しかし条約は子どもを権利の主体として認めてはいても、それを意見表明権という形にくるんでいる。18才以上であれば政治的主権者として参政権を持ち、自己決定権を行使し自らの基本的人権を守ることができるのだが、子どもの判断力を未熟と見て、意見表明権とした。しかしそうであっても、これは子どもの権利である。大人は表明された意見を尊重する義務を背負わされている。意見は年齢・成長に応じて正当に評価されることを12条で約束している。18才以上には自己決定権があるのだから、高校生の意見表明権は限りなく自己決定権に近いものとして尊重される。高校生の制服自由化を職員会議の多数決で生徒に〝許す″ことが妥当かどうか考えてみる必要がある。・・・という具合に。
この意見表明権がどんなことについて及ぶのか、生徒たちの願いは明確にしている。
たとえば、1について。寺山修司なら
「なぜ君は、休めないという現実をうけ入れるのか、君は十日間怠り続けることだって、学校をやめることだってできる。君は本当は自由なんだ」と言うに違いない。しかし問題は、それをしても罰を受けないという事だ、自由に行動する権利とはそういうことである。
あらゆるペナルティをひきうけ(それが責任ということだが)〝僕は自由だ〝誰も僕を止めることはできない″と、ルビコンを渡ることが青年には必要だが、ここではやはり、それが権利として保障されることを考えねばならない。
そもそも、思春期の少年少女が、心と体、個と集団の厄介な諸問題に折合いつける為に、一時的に落ち込み籠ったりするのは、遊ぶこととともに、発達の上で不可欠のことではないのか。そして、こうした事柄は、信頼できる担任にだって親友にだって秘密にしておきたいのだ。雨が降ろうが槍が降ろうが、成績や出世の為、人に後指さされぬ為、あるいは他にする事がない故に登校、出社し続け、過労死する練習をすることはない。条約第三十一条は、子どもの休息、余暇に対する権利を認めている。
2について、こんな事がよくある。自分の担任が信頼できず、調査書を三年生が内緒で見ると、案の定絶望したくなるような事が書いてある。そんな生徒が社会科準備室にやってきて 「先生、僕の調査書を寧いて下さい。このままじゃ、どこにもゆけないよ」そう言ってしょげる。フランスの規定では通知書の類に、本人の不利になることを載せてはならないし、本人には開示を求める権利がある。
親や学校は、青少年の画一化や均一化を企てる力から一人ひとりを守らねばならぬ。にもかかわらず、その〝力″の代理人となりて、〝カ″が欲する以上の画一・均一化を、荒々しく、時にはやさしくやりとげる。ちょうど、ビシー政府がナチスが要求もしていないのに、子どものユダヤ人を逮捕し収容所に送っておきなかがら、「命令だったんだ、それ以外に道はなかったのだ」と言うように。こうした状況では、生徒達も過剰に適応し、集団の価値の中に自己を投入することでしか自由を見出せなくなる。他と異なることが彼ら自身によって排除される。信頼される教員や親が、自ら〝適う″存在として少年・少女の前に立ち現れるのは必要なことだと思う。〝秘密のない何でも言えるクラスづくり〟ではなく、〝秘密が尊重されるクラスづくり″がなされなければならない。そのため行事が全員参加でおこえないなどという事は取るに足りないことなのだ。子ゼもは決して全体の手段ではないのだ。
条約第十八条は、子どものプライバシー、名誉の保護を約束している。プライバシー権は、私的な事を放っといてもらうだけではなく、自己に関する情報をコントロールする権利を含んでいる。推薦書・調査書に不利なことを書かれているのではないかと生徒を怯えさせるのは、制度的にやめさせなければならない。生徒達が要求している権利を条約がどう保障し、日本では外国ではどう生かされているのかを、ゆっくり説明した。特にフランス・イタリアの高校生の一九九〇年のデモとその成果については詳しく。
あるクラスの一団が社会科準備室にやって来てこう言った。
「先生が授業で言っていた事をやりたいので、それをやるためのサークルをつくる事になりました。先生、顧問になって下さいね」
話合いは真剣だったらしく、そのクラスの大部分がそのサークルのメンバーになった。サークルの目的は彼・彼女らの貼り出しポスターのスローガンに集約されていた。〝学校は先生のもの? 生徒のもの? 学校を変えてみませんか″ 彼・彼女らが何をし、僕がどう〝指導″し〝指導″せず、どのように失敗したかについては、機会があったら報告したい。
「子どもの権利条約について」の気持を期末テストの時に書いてもらった。
「今の日本の手どもたちは、ちょっと大きくなると〝弁護士になりたい〟〝医者になりたい″と言って、親を喜ばせる。うちの親は〝好きなことをやりなさい〟と言うくせに、クラブ活動をやめて好きなことをすると〝続けなさい″と言う。よくわからない。 フレネ学校の子どもたちには、つまらない人間になって欲しくない。 私の年齢になると、あきらめることばかり覚えて、コルチャックの子どもの人権宣言を読んで悲しくなった」
教育への権利の〝への〟部分の授業で、サマーヒル校や、フレネ学校の話をした。
フレネ学校の生活に生徒達は大きく溜息をつき、深い関心を示した。しかし、たった17才で自由を知ると同時にそれを諦めようとしている自分に気づく堪らなさ。コルチャックの思想は、子どもの権利条約の思想的基礎の一つと言ってよい。そこには、たとえば〝子どもの数少ないうそやごまかしや盗みを認めよ″ 〝子どもには失敗する権利がある〟など大胆、かつラジカルな提起があり、生徒達の直感に訴えかける。
「子どもの権利条約(批准)が廃案になった。父と話し合ったら〝子どもが選挙権をもつなんてあぶない″と言った。何があぶないのだろうか。大人は、子どもがいいかげんなものだと考ぇているのだろうか。でも、いいかげん・無責任にしているのは大人たちで、子どもたちが自分の意見をもって、大人にはむかうのを恐れているのだろうと思う。大人は子どもの強さを十分知っている。だから、それが大人に不利になると思っている」
彼女は、子どもの権利条約の子どもの定義から、少なくとも18才以上、高三には選挙権が保障されるべきであることを踏まえて、父親と話し合った。
大人は、あぶない未熟だと言い、責任をとらせず、従って自由も奪ってしまう。久野収が言ったよぅに、自由の対概念が束縛だけなら、誰もが自由をとる。しかし、保護も又自由の対概念でありうるし、大人や組織が責任を代行し保護して、その分だけ自由を捨てさせる。
僕は樋口陽一教授の次の問題提起が気に入っている。
「・・・校則を定めて、その仕切り線から外に出ないようにする教育とは逆に何をやっても叱られない、先生も咎めないという教育の仕方があるのではないですか。・・・不良になる自由、落ちこぼれる自由さえ認められて、生徒の側は大きく突き放される怖さの中で踏みとどまるかどうか・・・それが自由とか人権の問題に深く関わってくるのです」
教員が高校生を「子どもたち」と呼ぶのが気にいらない。若い教員までが〝あぶない〟〝まだ子ども〟を連発する。生徒達は〝保護″と、代行される〝責任″体制の中で、青年への大人への成長を拒まれ、いわば精神的纏足状態にある。生徒達は、「こんな現実を僕は受け入れない」とは言ったりはしないが、それを全面的に受け入れたくもない。だから父親と言い争い、あきらめることばかり覚えた自分を悲しんだりしている。
「子どもの権利条約を、大人にもっと読ませるべきだ。そうすれば子どもだけでなく、大人の世界もよくなる」
これを書いたのは、物騒な雰囲気に満ちた男子だった。子どもの権利条約が国連で議論されている時から、生徒達のこの条約への気持で変わらない点がある。すばらしい条約だが、日本政府はそれを批准しない。批准しても守らないだろう、大人はいつもそうだと。
子どもの権利条約を知っていると答えるのは、小学生が最も多く、次いで高校生、そして中学生が最も少ない。彼等の学校の日常を反映している。
コルチャックが批判した状況は変わったのだろうか、変わるのだろうか。長野の高教組は組織をあげて条約の問題として制服の廃止に取り組んで成功しっつある。変わりそうな気もする。変わらなければ困る。
やはり、大人に、教員に読んでもらおう。労働者のサークルで読んで話し合ってもらったのだが、子ども観が変わるだけではない。子どもの権利の擁護者としての親であることの思想的自覚によって、先ず学校との対応が明確になる。次いで子どもの否定面の中に成長への肯定的要素を見出し、突んがっていた目や肩をおだやかにする事ができる。
変わった親を見れば、子どもも変わるきっかけをつかめるのである。本気で子どもの権利条約を日本社会に生かそうとすれば、日本の政治社会構造を根底的に変えねばならない。
追記 子どもの権利条約は世間の記憶から消えたのか。18歳選挙権投票ごっこ騒ぎも、子どもの権利条約を知らんぷり。18歳選挙権では権利条約12条・意見表明権、13条・表現情報の自由、14条・思想良心宗教の自由、15条・結社集会の自由、など避けては通れない。曾て多くの大学で実施されていた学長信任投票制度すら思い出されなかった。
戦中の1942年、内閣情報部「写真週報」は翼賛選挙実習をした小学校を「時局に応じて・・・翼賛級長選挙を行って大きな効果を上げています」と賞賛している。模擬投票ごっこを、軍国主義政府が奨励していたことを吟味する必要がある。
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