学級が「home」roomと呼ばれるのは何故か Ⅱ

homeは保守的である
 学級の呼び方には不思議なものがある。最右翼はlong time だろう。毎日の放課前の短い学級活動をshort timeと呼ぶのに対して、週一度の一時間を使ったものをlong timeと呼ぶようになったらしい。何やら風俗産業じみた言葉である。long home roomも落ち着かない。まるで縦が100mの教室を連想させる。
 世界各国の学校でhoom roomは使われているが、中身は大いに異なっている。
 日本の高等学校指導要領には、その意義が「自己の所属する様々な集団に所属感や連帯感をもち,集団生活や社会生活の向上のために進んで力を尽くそうとする態度を養う」と記され、団体行動や協調性が全面に出ている。

 米合州国の高等学校でhoom roomらしいものは、学期に数度の連絡伝達があるだけ。従って多くの生徒が自分のhoom roomメンバーをろくに知らない。授業前後に集まり、学園祭などの行事に取り組んだり、掃除や係の仕事を行う事もない。世界的にはこちらが標準。

 この日本のhoom roomの特異性を生んだ意識が、家庭や企業に於ける個人の位置や関係を著しく異様なものにしている。個人と集団の関係が逆転している。個人を学校や企業などの組織=おおやけに隷属すると考えてしまう。自立した個人が集まり、協議しながら「公=おおやけ」は作られるとは考えられないらしい。


 明治の鹿児島で小学校に通った祖母たちは、子どもは家に属すると考えていた。それ故行事は毎月、どんなに手間をかけても家の行事としておこなった。
 子どもに何かあれば祖母や大叔母たちは、家を代表して直接かつ対等に学校と対していた。決してPTAを通しはしなかった。小学生の僕から何か問題を掴んだ時は、数軒の同級生を回って問題を確かめ、直接学校や町役場と掛け合っていた。予算が必要であれば、町議会にも足を運んだ。


 号令と行進ばかりの「合同体育」が面白くないと不平を僕が言ったときには、「そんた兵隊の訓練じゃ、勉強じゃなか。そげなもんは出んでんよか、日本はもう戦争はせんとじゃ」と怒りを込めて僕を諭し、学校に走った。

 決して主張を曲げない婆さんたちだった。子どもは学校のものではなく、まして新憲法後は国家のものもはなかった。合同体育はいつのまにかなくなった。僕だけが下校していたのかもしれない。整列や行進を止めただけだったかもしれない。組合に勢いがあった時代でもあったから、職員会議で議論になった可能性は高い。志布志には機関区があり国労も自治労と共に意気軒昂だった。
 「あょー、うんだもしたん」と声をあげながら下駄をつっかけて、学校へ走る大叔母を思い出す。 

 「home」は盗んでも咎められず、貢献を強制されない領域である。存在自体が最大の貢献であって、そこから戦場や競争に向けて出撃する基地ではない。たかがタバコや数度の遅刻で目くじらを立てる場などではない。
 学級=home roomは再定義する必要がある。言葉を知ることは意味を発見することであり、思索の始まりである。高校生は言葉から、社会の実態や本質に向かう。

 担任は、クラスや学校への貢献を生徒に求めてはならない。貢献の度合いに応じて特権を付与することを恥じねばならぬ。存在自体を貴しとすべきことに気付かねばならない。担任は自分の学級の処分件数を恥じる必要は無い。 
 

 「国家が各個人にしいている支配服従の縦の人間関係倫理にたいして、家はすくなくとも国家よりは各個人の人間性を大切にするという意味で横の人間関係の倫理の芽ばえをもっていたわけだが、これは普遍的な倫理の形にまで一般化されることがなかった。サークルは、家の中でなりたっている相互扶助をひろげて行く過程で、よこの倫理を自覚的につかむことができるようにする」鶴見俊輔

 国家が、教委が、学校が「個人に強いている支配服従の縦の人間関係」であれば、homeとしての学級と少年/少女の関係は如何にあるべきで、何をなし得るのか。学級担任としての職責は何か。
 出世や受験などの成功を夫や子どもに懇願する家庭の風潮とは一線を画する必要がある。
 進歩的な親や教師すら、部活は少年/少女の権利だと思い込んでいる。入試や就職に有利になるのであれば、それは権利ではなく特権。教育から真っ先に排除すべきは特権である。そこから初めて権利が始まる。
 順位が決まらないと落ち着かず、噛み付くことが習性になったとすれば、ただの愚かな野獣だ。

  冒頭の日本画は、鏑木清方が樋口一葉を描いたものである。僕の記憶の中の祖母は、ランプを除けば髪型・針山付きの裁縫箱・着物や前掛けまで、この絵と何一つ変わらない。最も変わらなかったのは、彼女たちの生き方だった。

 祖母も大叔母も、戦中は将校の妻として国防婦人会で竹槍訓練の先頭に立った。その愚かな苦い経験が「馬鹿の考え、休むに似たり」との口癖となった。

「平凡な自由」は青い鳥ではない

自由は平凡の中にしかない
 引退したはずのイブモンタンらしい男が、フランスの田舎でペタンクをしていた。的の杭目がけて、鉄の球を投げる大人の遊びである。たまたま日本のマスコミ人が現場に居合わせて、『イブモンタンさんですか』と声をかけた。男は不快そうな顔付きになり、怒ったように背中を見せて立ち去った。
 いかにも日本のマスコミらしい無神経さである。誰もがマイクを向けられれば喜ぶと思い込んでいる。肉親を事故で失った悲しみの底にある遺族にも、『お気持ちを、ご感想を』と傍若無人である。

 マスコミの男がペタンクの雰囲気に引き込まれたのならば、「去りがたい光景の中の、日本人旅行者」としての自分を書けば良い。一日中眺めて、ペタンクをやらせて貰えば上出来ではないか。
 

  イブモンタンは歌手としても俳優としても栄華を極めた。毎日がフラッシュとマイクを向けられる日々であった。希代の英雄や苦み走った二枚目を演じても、それは監督や制作者の造った虚像であり、イブモンタン自身ではない。世界の女を痺れされるような歌を歌っても、それは制作者の意図に合わせているだけで、彼自信を表現したものでは無い。彼は、引退して初めて、平凡な日常の中にしか自由はないことを知ったに違いない。
 
 嵐寛寿郎は押しも押されもしない役者で、生涯に300本の映画を撮った。何度も恋愛し結婚離婚を繰り返したが、そのたびに全財産を別れる相手に贈った。銀幕や舞台の嵐寛寿郎は、彼自身ではない。
引退後の彼は、掃除が趣味で他人任せにせず楽しんでいた。とくに拭き掃除は念入りであった。
 前の天皇の末娘が地方公務員と結婚して、下町のマンションに住んだ。商店街での買い物が好きで、買い忘れがあれば何度でも往復した。商店街の女将が「言っていただければ、お届けしますのに」と言うと「とんでもありません、こんなに楽しいこと、何度でも自分でいたします」と、おっとりした口調で答えたと言う。
 
 『平凡な自由』(大月書店)を書いたとき、タイトルが過激だ、皮肉がきついなどと揶揄された。

 我々の自由は、オリンピックを誘致したり、カジノや博覧会建設に浮かれることにはない。毎日の通勤や登校途中に、道ばたの草花にみとれる楽しみの中にある。時折出会う幼児やお年寄りの姿に安堵して挨拶を交わすことにある。勲章やメダルを首にかけたり、天皇の即位パレードに「感激して涙を流す」ことにではなく、長い病みが癒えて木々の香りと暖かい空気包まれる中にある。

 だが中村哲医師が、命を賭けたのは、砂漠化した土地に生きる人々の『平凡な自由』を実現するためであった。それ故彼は殺された。すべてが商品化された社会では、自由も平凡も敵と見なされる。

 中村哲医師がノーベル賞に挙げられなかったのは、所詮ノーベル財団が商品化社会の申し子だからである。 

特権と成功

 或者、子を法師になして、「学問して因果の理をも知り、説経などして世渡るたづきともせよ」と言ひければ、教のまゝに、説経師にならんために、先づ、馬に乗り習ひけり。輿・車は持たぬ身の、導師に請ぜられん時、馬など迎へにおこせたらんに、桃尻にて落ちなんは、心憂かるべしと思ひけり。次に、仏事の後、酒など勧むる事あらんに、法師の無下に能なきは、檀那すさまじく思ふべしとて、早歌といふことを習ひけり。二つのわざ、やうやう境に入りければ、いよいよよくしたく覚えて嗜みけるほどに、説経習うべき隙なくて、年寄りにけり。『徒然草 第百八十八段』

   親の勧めで僧侶になろうとしてある男、「学問して因果の理をも知り、説経などして世渡るたづきともせよ」との言い付けを守った。話を頼まれたとき馬で迎えに来るから、馬から落ちて恥をかぬよう乗馬を習った。また法要が終わった後には酒宴になるからと歌と踊りを習い夢中になる、肝心の経文には身が入らない。そうこうしているうちに歳をとってしまった。


 間の抜けた話だが、よくある。『絞りかすみたいな、いい先生』には、そんな教師を書いた。←クリック

 あの若い国語教師が、なぜ
常軌を逸した生活指導に走ったのか。解せないのは手痛い失敗を経験した後も、更にそれを強化徹底しようとしたことだ。

  吉田兼好も、先に引用した部分の後でこう言っている。

 京に住む人、急ぎて東山に用ありて、既に行き着きたりとも、西山に行きてその益勝るべき事を思ひ得たらば、門より帰りて西山へ行くべきなり。「此所まで来着きぬれば、この事をば先づ言ひてん。日を指さぬ事なれば、西山の事は帰りてまたこそ思ひ立ため」と思ふ故に、一時の懈怠、即ち一生の懈怠となる。これを恐るべし。
 
 馬から落ちて笑われたり、無芸振りを謗られたところで何なのだ。僧侶なら説教に磨きをかければ良い。
 思えば発狂した彼は、長い間採用試験に失敗しつづけた。晴れて合格後、新任教師としてH高校に赴任したとき、生徒にも親にも同僚にも「信頼される教師になりたい」と思った。彼の場合、人一倍その思いが強かった。なまじ生活指導の手立ては、長い非常勤講師時代に見知っていたから「私がやればもっとうまくいく」という実践抜きの自信だけは膨れ上がる。

 実践抜きの自信の悲しさは、失敗できないことだ。 我々は失敗から学ぶことが出来るが、そのためには失敗の事実に向き合わねばならない。失敗が小さなうちに事実を認めねばならない。発狂した教師は、採用試験に失敗している最中は、力の抜けた勉強好きの教師で人気があった。
 待ちに待った嬉しい成功=採用試験合格が、彼を破滅させたのだ。合格しなければ彼は、型にはまらぬ希に見る良い教師になっていた、それは間違いない。非常勤講師だった彼がギター片手に教室に向かう姿を僕は羨ましく思った。教材と関係する歌を教壇で歌ってから授業に入るのだ。僕は根っからの無芸である、真似が出来ない。

 アロンアルフアという画期的瞬間接着剤は、剥がしやすい接着剤開発の失敗の中から出現している。

 しかし成功の願望には、他人の失敗がつきまとうことが多い。知らず知らずのうちに、他人の失敗を喜ばないまでも放置してしまう。

 それは、成功を特権の範疇に入れてしまうからである。成功を「特権」ではなく「権利」の範疇に入れて考える必要がある。発狂した教師を例にとれば、「自分が信頼される教師になる」ことと「みんなが信頼される教師」になることが一致しなれればならない。組合や教研や民間教育団体はそれを目指す組織であった筈だ。それが何時の間にか、自分だけの、抜け駆けの出世と自慢の場になっている。組合や教研や民間教育団体をリードする教師には、自他共に許す「実績」があるように見える。僅かな差に過ぎないが、それを不当拡大する機能が組織にはある。ここに「成功」が特権の範疇に包み込まれる危険性が潜んでいる。これは学校に限ったことでは無い。

 発狂した教師に同僚が声をかけることさえ出来なかったと聞く。悔やまずにはおれない。知らなかったことは言い訳にはならない。彼のいた高校まで駅三つの距離だった。

一攫千金は一人だが、膨大な数の貧困層を前提にしている

何かになるとは別の可能性を潰すこと
前者は困難だが、後者は容易く確実である
 アメリカ映画には、銀行強盗や詐欺を描く「悪巧み」ものがある。例えば『スティング』、『明日に向って撃て!』、『ゲッタウェイ』。観客は、無邪気に 「痛快」 「カッコいい」 「男前」などという感想をもらす。「非常に爽やか」「観終わった後も清々しい」と言う者まである。  ポール・ニューマンやロバート・レッドフォードやスチーブ・マックイーンなど人気俳優を主役にして、いかにも憎々しげで間抜けな「悪役」を相手に、派手な演技で犯罪を魅せる。 
 しかし殺人を伴う犯罪さえも、「痛快」で「清々しい」と思わせて、莫大な入場収入を稼がせてしまうには、何か理由がある。北米合州国建国の歴史自体が、先住民インディオ相手のイカサマと虐殺と略奪の「一攫千金」の欲望に満ちているからだ。イカサマと虐殺と略奪を、痛快で明るいこととして語らなければ、彼らの心は一刻も安まらない。

 真実を知れば、カリフォルニアとニューメキシコをメキシコ合州国に返還し、インディオに不平等交換と詐欺の条約で奪った土地を返還して、大西洋を彷徨う白人になりたくなるだろう。心の奥底にそうした疚しさがあるからこそ、暴力や侵略や詐欺を正義の明るい事業として描かずにはおれないのだ。原爆を落とされ、世界一不利な条件で基地を置かれている日本人が、これらの映画を「痛快」と見なすとは。なんたる奴隷意識。

 しかし日本だって「悪巧み」を美しく描くことにかけては負けてはいない。肉親殺しと陰謀に塗れた皇室を「万世一系」と偽り,軽率な藩主の愚行がもたらした逆恨みのテロを『忠臣蔵』に仕立て上げ、アジア侵略を『八紘一宇』と言い募った神経は、体制の威を借り民百姓を虐げ、インド以下的低賃金と不衛生に目を背けた姿勢と裏腹なのだ。サムライやサクラと武士道は、「悪巧み」による一攫千金を美しく飾り立てる虚構なのだ。それは、美しい桜並木を道路や企業看板のためにいくらでも切り倒す政治に現れている。

 『キューポラのある街』の主人公ジュンの飲んだくれの父親は、工場を指名解雇になったにも拘わらず、妾を囲い贅沢三昧の乱脈経営を続ける経営者に諂い、飲んだくれをのために闘う若者たちに背を向けてこう言うのだ。「妾の一人や二人は男の甲斐性だ。社長とは工場が出来て以来の古い付き合いだ、悪いようにはしないと言ってるんだ。」
  見積もり抜きの言い値で、役立ちもせぬ米国兵器を爆買い、国民の不幸にはいくらでも耐える神経を持つ現政権と瓜二つだ。世界中を爆撃する米国を「それぐらいは大国の甲斐性」と言うに等しい。甲斐性とは一攫千金のことである。
 「一攫千金」は五輪金メダル狂騒で狂い咲きして、日本の政治と経済を覆い尽くしつつある。
   学力テストや身体計測は、無作為抽出で十分であって自治体から一校を、一校から数学級を選べば済む。それを自治体全校全教室で実施するのは、身体計測器関係企業とテスト業者に定期的に「一攫千金」の機会を献上するために他ならない。

 競技playerたちは企業専属契約を結び、自らの身体を広告掲示板化して収入にする。競技団体は競技場まで広告掲示板化、広告の隙間を縫うように、体中に企業名を浮き立たせたplayerが動き回る。それに同化して揃いのユニフォームに身を包みplayerやチームや「サムライjapan」と一体化するのだ。one teamと絶叫する明るく軽快なfasismが、競技団体に放映権料と広告料を莫大な収入となってなだれ込ませる。しかしこのone teamは決して連帯を生まない。常に敵を作ることで形成される「team」に自立性は要らないからだ。連帯に自立は欠かせない。
 中学生や小学生までが一攫千金を夢見て、プロの賞金稼ぎを目指しそれをマスコミは持て囃してしまう。自治体や政府までが、国際的催しやカジノの誘致による一攫千金の幻想に囚われている。災害までが一攫千金亡者に狙われている。復興予算に効果が現れないのはそのためだ。


 一人のイチローを作るために、千万単位の少年がイチローを目指し破綻する。破綻が多いだけ一攫千金の機会は大きくなる。全員が一攫千金を手にするのは不可能だが、全員が破綻することほど容易なことはない。我々はそれれを「生き神の国」日本が二発の原爆で壊滅したことで、痛切に学んだのではないか。
 普通に育てば、バイオリン好きの画家にも数学の得意な卓越した農民にもなる可能性のあった少年が体を壊し、精神を病む。
 普通教育の普通とは、何にでもなれる多様性をさしている。全面的発達とはそういうことである。『普通の学級でいいじゃないか』(地歴社刊)に僕が込めた意味はここにある。 
 イチローのように聡明な男がたった一人の一攫千金男のために、千万単位の少年の健康な可能性を殺していることに気付かない。たった一人のイチローだけでは、一攫千金は成り立たない、幾千万の失敗があって初めて輝くことを知る必要がある。凡庸な「普通」の少年/少女に子どもを育てる勇気を親は持つ必要がある。一攫千金が幻に過ぎないことを、すべての親と子ども覚った時、自由と平等は実現する。

 僕には嫌な予感がある。「大学入学共通テスト」への英語と記述式参入は、一攫千金を目論んでいた業界の受験生を舐め切った姿勢が暴露され失敗した。政治家や官僚に手と金を回していた業界の悔しさは大きいに違いない。彼らは更に大きな「一攫千金」を狙っているはずだ。それは全国の公立学校の定期試験の作成と採点を、ベネッセなどが受注することだ。その際、問題は指導要領に合わせて全国で統一する。学校現場を締め付けて得票を稼ごうとする自治体首長や文科省関係者は驚喜する。教委は世界的に批判を浴びている教師の負担を減らすと言う口実にもなる。しかし公教育は完璧に破壊されるだろう。
 ストライキで教師はこれと戦い、高校生は連帯するだろうか。
 
 かつて砂金掘りや金鉱探しが一攫千金の時代、多くの男が採掘権を買い荒野に虚しく死んだ。成功した僅かな男も、酒と博打に有り金を巻き上げられ失意のうちに死んだ。ゴールドラッシュで一攫千金を目論んだ砂金掘りは成功しなかった。成功したのは彼らにジーパンを売り、酒を飲ませ、疲れが取れると麻薬を売った連中である。
  「一攫千金」幻想で成功するのは、メダルを目指しプロ化するplayer自身ではない。放映権と入場料収入を握る競技団体及び関連商品業界である。利用され尽く疲れ果てたplayerが、メダル騒ぎ現象の実態=スポーツplayerの商品化に過ぎないことを知り、怒り行動するときから健全なスポーツは漸く始まる。

感想がつくる「よい子」は、批判や対話を生まない

権利としての子どものデモが批判精神を育てる
 殺害された中村哲医師の非武装アフガン緑化の授業が繰り広げられ、生徒たちの「いい」感想が集まっている。
 曰く「なぜこのような人が殺されるのかと、理解に苦しむ」「中村さんに、国際社会はなぜノーベル平和賞をと叫ばないのか」「日本のマスコミはこんな尊い行為を取り上げない。なぜ芸能人の馬鹿騒ぎばかりをとりあげるのか」
 これらの「なぜ」が気になる。なぜか、それは僕がひねくれているからか。
 そうではない。ヨーロッパや中南米の高校生たちなら、町に繰り出して怒りの声をあげて政府や社会に迫るに違いない。
 作文に現れる「なぜ」は、探求や行動に向かう「なぜ」ではないからだ。疑問を打ち切る「なぜ」だからだ。昔からそうだったわけではない。60年代の高校生は、ベトナムの現実を知れば、大学生の隊列に続いてデモに参加し、真実を求め集会を組織して教師を苛立たせた。50年代は世の中の不条理と小学生も闘った。「なぜ」を求められた感想の形で書き表すのではなく、社会の秩序に抗して体を使って表現した。歩き、声をあげながら、時には機動隊と揉み合いながら。

  授業で感想を書かせることに実存的意義はない。評価権を持つ者に正直な「感想」が届くわけはない。ここに生まれるのは諂いと迎合であり、対話や批判ではない。

 21世紀になって間もなくのことだった。

  Oさんは、進路指導部の面接指導を受けた。指定校推薦を受ける者は、日時を指定されて「指導」を受ける。担当教師は、予想される大学側の質問を作り答えさせて、彼女の回答の中身に介入した。それではいけないと、意見や見解の修正変更を迫るのだ。それが親切な指導であると担当者は得意だったに違いない。だがOさんは、お辞儀の角度まで指摘されて、これでは私らしい部分が何処にも残らないと喧嘩して飛び出してしまった。
 話を聞いた僕は、この模擬面接の次第をそのまま小論文にまとめて大学に送ることを勧めた。入試面接当日、三人の教員が相手だった。うち二人は、終始声をあげて笑いながらOさんと遣り取りしたが、一人は不機嫌であったという。勿論合格した。賛否半ばしてメリハリある反応を引き出す若者が、混迷停滞する学校を切り開くのである。迎合する者ばかりを集めたのでは、創造的な緊張感は決して生まれない。 先生、私たちのこと好きでしょう』2 

   面接や「小論文」は何のために入試に組み入れられたのだったか。○×や単語穴埋めの筆記テストでは引き出せない生徒たちの知性と本音を読み取る狙いがあったからではないか。
 しかし忽ち、受験産業は小論文や面接までを、対策可能な科目にしてしまった。嘘を平然と言ったり書いたりする訓練を施したのである。
 だから入試に教育的意義はない。どんな工夫も、必ず営利業者の餌食になる。

 「こう書けば、こう喋れば点数がよくなる」といいながら、生徒の表現の自由に介入することの恐ろしさを教師は知らねばならない。
 
 奢る政権や不正企業のtopの常套句『真摯に結果を受け止める』や『丁寧に説明する』が、決して対話に繋がらないように、これらの「なぜ」も、感想として書かれた途端忘れられるのである。行動を伴わないからである。
 2011年春9.11事件の半年前、アメリカHavardの学生たちの 21日間にわたる大学本部占拠闘争は、この国にも生まれるだろうか。彼らは、学内の非正規労働者の待遇改善を求めて立ち上がり、学内を組織し世間に訴え勝利しただけでなく、戦いそのものが全米の大学に広がったのである。
 彼らは大学理事会との対話をもとめて、「違法な占拠」から始めた。行儀のいい紙の上の「なぜ」では事態は変わらない。

 追記 他の国の青年や少年たちのように、自らを組織することにこの国の若者は臆病なのか。それは追って考察する。

学生自治や労働組合を弾圧した結果が現在の「政府による無政府状態」

この時期の大学にもは的緊張があった
/学生の姿勢にそれは現れている
 「大学入学共通テストへの英語民間検定試験導入の延期を巡り、本紙が首都圏の国公立大29校へアンケートを行ったところ、21校が一般選抜で民間試験を「利用しない」と回答した。・・・
 ある大学の関係者は「最初からセンスの悪い政策だと思っていた」と打ち明けた。「民間試験は、推薦など学力試験を課さないタイプの入試では一定の学力のバロメーターとして有効。しかし、五十万人が一度に受ける一般入試に導入するとは、現場を知らない人の思い付きだ」。それでも、大学として拒否できなかったといい「反対の声を上げた高校生たちには本当に頭が下がる。延期になってよかった」と話した」             東京新聞  2019年12月1日 朝刊

 民間検定試験導入について大学は自分たちでは碌な抵抗もせず、「反対の声を上げた高校生たちには本当に頭が下がる」とはむしがよすぎる。今頃になって何を言っているのか。学生運動を排除しなければ学問を守れないとほざいて、機動隊を導入したのは誰だったか。自らは現場にも現れず、警棒や盾が学生の肉を打ち砕く音も血も見なかったのだ。そんなつもりは無かったというのであれば、相当な暗愚である。「反対の声を上げた高校生たちに頭が下がる」のなら、直ちに辞任して後を彼らに委ねるのがいい。

  我々の社会には、negotiationやtalkという社会習慣が永らく無い。交渉・談判・協議 は忌避されて、善意の「対話」や「丁寧な説明」にすり替えられている。敗戦(これは2回あった)後の一時期、短い例外があった。
 外交から日常生活まで交渉し揉めることを嫌がる。bargainingまでが一律の割引であって各人間の交渉ではない。だから国際関係さえ、従属かさもなくば札束による買収。就職までが一律採用の制度をとってしまう。日本人の行事中毒・行事依存の根源はここにあると僕は思う。封建時代から続いている。
  地球上どこでもそうなるわけではない。セレベス島のある民族は、王が農民の利益に反する時王を処刑する。処刑に至るまでには様々な段階があり、談判が可能で平和は揉めることを通して実現されている。我々の「民主主義」よりは数等優れている。

  学生運動が正常な学園運営に不可欠なように、企業活動には労働組合による抑制が無くてはならない。国家が独立を維持するためには反政府勢力が必要なことは言うまでも無い。それらがすべて欠けた無残な姿が、今の従属・格差・貧困の日本である。すべての歯止めを失った国家は、かつての大日本帝国のように原爆が落ちるまで竹槍を握りしめることになる。

   ヴォルテールの「 私は君の意見に反対だ。 しかし、君がそれをいう権利は生命をかけて守って見せる」は
イエーリングの「法の目的は平和である、だがその手段は闘争である」とともに理解しなければならない。
 

 監獄には囚人組合が無ければならない。さもなくば監獄は看守の恣意が支配する無法地帯となり、囚人の更生を妨げ再犯率を高めるからだ。軍隊にも兵士組合が無ければ、いじめと体罰が跋扈し、いざ戦争の時士気は上がらず負けることになる。
 
 学生運動が活発な時代(学生の活動が活発とはセクトの台頭を意味するものでは無い。セクトはしばしば当局以上に学生の思考を凍結するからである)は、同時に大学が知的に緊張していた時期でもある。大学が学問の府でありたければ、批判的学生の台頭を辛抱強く待たねばならない。もう手遅れかもしれない、だとしても身から出た錆だ。
 僕は入試全廃しか方法は無いとみる。国立や公立学校はすべて入試をせず、進級規定を厳しくするだけでよい。卒業生は今より大幅に減るだろう。学生も教師も、愚かしい入試から開放された時、日本の大学は長い暗黒から覚めることになる。

「桜を見る会」の問題は何か、政治家は一切を透明化しなければならない。

世界一貧しい大統領 ムヒカ、車は18万のポンコツ
   賃金、年金、医療、教育など生活に密着した指標が先進国とは言えないレベルに低下し続ける中、ただ一つ先進国を抜いているものがある。「政治家の特権と優遇」である。何でも「日本が一番」を言いたがる政府や「cool japan」がこれについては語ろうとしない。「政治家の特権と優遇」についてまともな言及をしている政党は、日本には一つしか無い。
 
 国会議員には憲法で保障された特権が3つある。1つ目は「不逮捕特権」。2つ目は「免責特権」、議院外では、議院でのスピーチ、討論、表決に関しての責任を問われない。3つ目は「歳費などを受ける権利」。これらは議員が正義の立場から活動する自由を守るために欠かせないものが含まれている。
 特権の他に、さまざまな点で優遇されている。 議員報酬は衆議院議員約1977万円、参議院議員約2031万円、報酬のほかに公的文書の発送費や交通費などの名目で年間1200万円の文書通信交通滞在費。交通費については、ほぼ全線無料で乗れる「JRパス」と「航空券引換証」も支給。航空券引換証で、議員の地元と東京の往復航空券が月4回まで無料。都心の超一等地に立つ議員宿舎は格安。公設議員秘書3人分の人件費として年間約2500万円。

 杉村太蔵は、2005年衆議院議員選挙で自民党比例代表名簿の下位に名を連ねただけで当選。その軽薄ぶりが忽ちマスコミの餌食になった。何の実績も無い彼の当選が晴天の霹靂だったばかりでは無い。国会議員として手にした特権の数々に大喜びしたからだ。当選直後、テレビ番組で「黒塗りのハイヤーに乗って料亭通いしたい」などと発言たり、JRが乗り放題だと浮かれ、「しかもグリーン車ですよ!」とはしゃぐ始末。BMWがこれで買えるかも、とも言った。自民党の議員たちは彼を叱った。彼らの議員活動が、国民の権利擁護拡大より自らの利権構築にある事を覚られない為であった。

 議員の報酬を比較してみる。


国    報酬額(単位ドル)    国民一人当たりGDP    
1    日本      201,800      38,440    
2    米国   174,000        59,501    
3    韓国       105,000        29,891    
4    ドイツ     102,600        44,550    
5    英国      91.200       39,735

  英国下院の議員報酬は2019年度、年収79,468ポンド(約1,060万円)各種手当が加わる。手当に関しては専用インターネット上で詳しく公開される。スタッフ人件費、住居費などの上限が定められている。国民の誰もがどの国会議員がいくら手当をもらっているのか、カテゴリー別に一目瞭然、変な不正や浪費はできない。国会議員一人につき、平均で年間166,000ポンド(約2,200万円)かかっている。イギリスの下院議員の報酬と手当を合計すると一人あたり約3,260万円と、日本の議員の半分。 上院は伝統的に、無報酬制。

  では英国の地方自治体議員の場合はどうか。地方議員も報酬はない。僅かな手当はあるが、人口15万人のオックスフォード市の場合、基礎手当が年間4600ポンド(約60万円)、特別責任手当は1万1503ポンド(約150万円)、世話手当は1時間7・5ポンド(約1000円)にすぎない。そのため昼間働く地方議員も多く、委員会や地方議会も夕方から夜にかけて行われることが多い。従って議会傍聴には労働者や学生も参加できると言う利点もある。

 議員の行動は公費や支援者たちの政治献金に支えられるだけでなく、様々な特権に繫がり不正の温床にもなる。従って金銭の出入りは、一円に至るまで゛主権者に対して公開する必要がある。書類を裁断したなどと言う隠滅は極めて重い罰則を伴う犯罪と心得ねばならない。

 たった一円の領収書不備で、議員資格を失う制度が民主主義を支える。フランスでは閣僚が知人の不動産業者から、よい別荘地の分譲の便宜を受けたと言う疑いをかけられただけで自殺している。
彼は値切ったりなどしていない)
  ヤクザに対立候補の選挙妨害を依頼した日本の首相は、国際的な基準では既に議員でもあり得ない。その男が官僚と公費を乱用し、経費を誤魔化し、証拠隠滅をして平然としていることが仰天すべきスキャンダルなのである。首相が公選法を嘲笑っている。

 議員宿舎は都営住宅の空き室、不満を言えないはず。黒塗りの公用車は即時全廃、通勤は自転車とバスや地下鉄。料亭会食は一切禁止(習近平は高級料亭での接待を徹底的に禁じた、お陰で優秀な料理人とレストランが朝の大衆的飲茶などに使われ、料理の水準が一気に上がり値段は下がった)。グリーン車やビジネスクラス・ファーストクラスは問題外。そうなれば、議員も常に庶民の声や生活の息吹を感じることに喜びを感じない者に議員の資格は無い。。
 ヨーロッパには、手持ちの資金が無いために生活保護を受けながら、地方議員活動に勤しむ政治家もある。清貧とは何かと子どもに聞かれて、誰もが身近な政治家をあげるので無ければならない。


 ホセ・ムヒカはウルグアイ第40代大統領、ゲリラ闘争で4度の逮捕を経験。1972年に逮捕では13年も収監された。当選後も市場原理主義に反対した。だから専用機や運転手付きの専用車もなかった。国際会議の行き帰りに他国要人の飛行機に便乗したことも。

王様に貰ったミカン

 深酒して 終電車に乗り遅れ、交番で補導された事がある。身分証明を見せると、巡査は慌てて「失礼しました」と敬礼した。修学旅行引率では、宿の仲居さんから面と向かって「先生はどこ」と聞かれた。「僕です」と答えると、仲居さんは 一瞬呆然の後 生徒と一緒に大笑いした。引率されたのが二十を...