虐げられる者たちの連帯・「いじめ」の社会経済的根源

毎日三度薄いおかゆの慈善学校
 人々がとりわけ若者が、差別や民族的拝外主義に走る。特に社会制度的辺境にある若者が。
 その責任の大きな部分を、選別主義学校階位制度を黙認推進してしまった我々は負わねばなるまい。
 それは戦争責任にも相当する。
  「ノアは慈善学校のご厄介になってはいたが、救貧院育ちの親なし子ではなかった。・・・母親は洗濯女をしていたし、父親は呑んだくれのもと兵士で、木の義足と一日当たり二ペンス半プラス・アルファーの恩給を頂いて退役となったのだ。近所の店の小僧どもは、ずっと以前から往来でノアを見かけると、「半ズボン」とか「慈善学校」とかいったような、屈辱的なあだ名を進呈していたものだった。そしてノアは一言もやり返さずに、じっと忍んで来たのだった。ところが、いまや運命が彼の前に、父親もわからぬ孤児を恵んでくれたのである。これに対してならどんな下っ端の人間でも、侮蔑のうしろ指を差すことができるのだから、ノアは利息をつけてお返しをしてやった」              
  チャールズ・ディケンズ『オリヴァー・トゥイスト』(1838年)
  「慈善学校」というと、表むきはひどく美しく立派に聞えるけれども、その実体は子どもを徹底的に卑屈下劣にするだけの効果しか生み出さないことを、ディケンズは鋭く見抜き、それを小説の中で大胆率直に指摘した。
 「(慈善学校)委員会の方々はたいそう賢明かつ学識深い諸公であられたので、・・・次のような規則を確立した。すなわち、すべての貧乏人どもは救貧院に入ることによって、徐々に餓死させられるか、救貧院に入らないですぐに餓死させられるか、どちらかを自由に選択すべきである・・・という規則だ。 
 以上の見地から、毎日三度薄いおかゆ、週に二度たまねぎ、日曜日にはロールパン半分という食事を支給した
            『オリヴァー・トゥイスト』

 王工での会話が、耳にこびり付いている。
 「先生聞いてよ、今朝バスの中でA工生が席を譲らないんだよ、腹が立ってさ」
 「何、言ってるんだ」
 「だってA工生だよ、A工・・・」80年代初めことだ。彼によれば偏差値がA工は王工より一つ低い。だから席を譲るべきだというのだ。互いの制服で学校はわかる。
 「じゃ、目の前に慶応や早稲田が来たら君は立って席を譲るのか」
 「俺のうちのそばにはそんなのいないよ。もしいたら俺は寝たふりする」 もし乗り合わせても早稲田にも慶応にも制服はないから気づかない。
 底辺校の制服はいわば慈善学校の半ズボンである。底辺の迫害を受けた子どもたちほど「お返し」の対象を待ちこがれている。自分より「下」の階層にそれを見出すのだ。

 「臆病者の弱い者いじめ」という言い回しが浮かんだ。虐げられる者たちの連帯は、ラクダが針の穴を通るより難しいのだろうか。
 大きな問題がある。選別の教育体制を黙認加担しておきながら、その結果だけに驚き憤ってみせる我々の存在だ。

 都心のお嬢さん学校に勤務する友人が、東京と世界の貧困状況を概説し、お嬢さん学校はその貧困の上に成り立っていると授業した。彼は、授業が終わるとともに、品のいいお嬢さんたちに取り囲まれて「先生、あんまりです・・・」と泣かれてしまったという。お嬢さん学校保護者たちの経歴を見ればそれは一目瞭然であり、それに工高のそれを重ねればさらに明瞭になる。
 僕は、お嬢さんたちと工高の生徒たちとが学び合う機会を作りたいと思案して、まず学区内高校の合同文化祭を試みた。生徒会役員や教研関係者は面白がったが、普通の生徒たちの日常は少しも変わらなかった。第一、お嬢さん学校や名門校は、合同文化祭に見向きもしなかった。生徒たちは手分けして、案内のビラを学区内すべての生徒会に送ったが、張り切った分寂しかったはずだ。
 体育系「部活」にはこうした寂しさ空しさがない。一見一見、スポーツの世界は公平に見えてしまうのだ。それも問題である。

追記 全国知事会(7月26・27日北海道)で、思いがけないことが起こった。前会一致で、日米地位協定の抜本的改定を求める提言が採択されたのである。提言は次の通り。
(1)米軍の低空飛行訓練ルートや訓練を行う時期の速やかな事前情報提供(2)日米地位を抜本的に見直し、航空法や環境法令などの国内法を原則として適用させること(3)事件・事故時の自治体職員による迅速で円滑な基地立ち入りの保障(4)騒音規制措置の実効性ある運用(5)米軍基地の整理・縮小・返還の促進―を求める。
 対米従属政権下の快挙である。安倍政権は一貫して弱い立場にある自治体をいじめてきた。憲法92条は、自治体と国が対等である旨を「地方自治の本旨」と宣言している。
 しかし全国紙もTVも相変わらず、知事会の提言を無視し「臆病者の弱い者いじめ」を続けている。
 

自分で「スゴイ」「クール」と言わねばならぬ国の惨め 2

アタチュルクは識字教育の教頭を自認した
 例えば、インパウンドだ。なぜ「入国旅行者」で済ませないのだ。意味が掴めないで当惑している人は多い。サステナビリティや トランスペアレントと言う必要があるのか。衣料品や施設の名前はまるで、日本語禁止令が出たかのようだ。行政文書にも、インフォームドコンセント、アジェンダ、コンプライアンス、エビデンス、ポートフォリオ、シャイニング・マンデー・・・きりがない。まるで従属の実態を見せようと努力しているかのようである。米国の理解や覚えさえよければ、国民はどうでもいいらしい。 学校の職員会議でさえ、司会はペンディングと言いたがり、発言者はウィン・ウィンやアクチブラーニングを連発する始末。教育現象を生徒や社会から解明するのではなく、行政文書に見出すからである。

 写真は、近代トルコ建国の父アタチュルク大統領の識字教育光景である。
 これにはケマル・パシャの秘書を務めた、ソヤック氏の証言がある。
 「村役場の前の広場に、病気など特別な事情のある者以外の村人と子供たちが集まっていた。アタチュルクは黒板に新しいアルファベットを書き、その発音を何度も村民にくり返させると、今度は新しい文字を組み合わせて、村民たちになじみ深い言葉、すなわち、『小麦』や『大麦』、『刈り入れ』などを書いて、読み方を教えたのだった。字が読めるということは、村人たちにとって実に大きな驚きであった! 最初は、か細い声で読んでいた男も女も、字が読めるという喜びから、次第に声が大きくなり、しまいには怒鳴るように発音するようになったのである。 
 やがて、ひと通りの授業が終ると、アタチュルクは村人の中から一人の農民を呼びだした。その男は五十歳やらいで、おずおずと黒板の前にやってきて、いったい大統領閣下が自分に何を命じるのだろうかと、まったく不安げな様子だった。『君は何という名前だね?』とアタチュルクが尋ねると、その農民はびくびくしながら、『へえ、カラ・イスマイルという名前で…‥』と小声で答えた。 すると、アタチュルクは黒板にその名前を書き、その下に同じ文字を書くようにうながした。男は不器用な手つきながらも、何とかカラ・イスマイルと読み取れる文字を書いたのである。アタチュルクは黒板消しを使って、同じ作業を何度かくり返してから、今度は手本なしにカラ・イスマイルと書いてみるように命じたのだった。すると、その農民は考え考え、ぎこちない書体ながらも、ちゃんと自分の名前を書いたのである! アタチュルクは彼を抱きしめて祝福した。 カラ・イスマイルは、しばし茫然としていたが、やがて、「わしは字が書ける!」と両手を上げて叫びながら、仲間たちの大拍手に迎えられて戻っていった」 島直政『ケマル・パシャ伝』新潮選書
 中央アジアの遊牧民由来のトルコ民族は、イスラム教を信じアラビア文字を使ったがアラブ民族ではない。トルコ語にはには8つの母音があるのに、アラビア文字には3つしか母音がない。従って、トルコ語をアラビア文字で表記することには無理があり、文盲率は高かった。そこでタチュルク大統領は、トルコ言語協会設置、変形ローマ字による表記の審議を命じたが、結論が出ない。大統領自身が、変形ローマ字を考案して、その普及の先頭に立ったのである。それが冒頭の写真と秘書の証言である。彼の方針は囚人にまで及び、読み書きを覚えた者の刑期は短縮され、刑期を終えても読み書きができるまでは出獄させなかった。おかげで文盲率は急激に低下、おかげで我々もトルコ旅行中、街の看板やバスの行き先表記で困ることが少ない。

 次いでアタチュルクは、トルコ語の中からアラブ系やペルシャ系の言葉を追放するために、本来のトルコ語に戻す作業を言語協会に命じている。オスマン帝国では、アラビア語やペルシャ語が上品と見なされ、当時の単語の8割近くが支配階級のオスマン語に取り込まれ、民衆のトルコ語はいやしいとみなされていた。民衆のトルコ語にさえ、アラブ系ペルシャ系の外来語は入り込んでいたのである。作業は困難を極めたが、短期間に数千語が本来のトルコ語に戻され、適当な言葉が無ければ新しく考案され「純粋トルコ語」がつくられた。義務教育は、ローマ字表記の「純粋トルコ語」で行われたのである。言葉の自立無くして、国民国家は成立しないことをアタチュルクは身にしみてしみて感じていた。

 日本のカタカナ語流行は、「格好良さ」、「上品さ」を求め、「民衆」の言葉との意識的「差異化」に走っているという点で、オスマン語的危うさを呈している。言葉の機能は、正確な伝達である。上から目線で大衆を見下し、幻惑支配することではない。大衆に通じなくとも、自分たちが高尚に見えればいいとでも思っているのか。国会の質問も答弁も、横文字だらけである。格好良さやエリート振りを見せつけているつもりが、かえって軽薄さを際立たせている。
 政権は、追い込まれるたびに「丁寧に」説明と言い逃れてきた。丁寧とは、誰もが知っている言葉で語ることである。少なくとも政府、国会、NHKは横文字なしの言葉を使うべきだと思う。新聞も週に一度はカタカナ語なしの紙面にする努力をすべきである。意味不明なカタカナ語だらけにして、どこが美しい日本だ。まるで言葉のゴミ溜めだ。文化が腐臭を発している。

追記 日本「スゴイ」を言い立てる番組の名称すら「クール・ジャパン」である。日本に嫌気がさしているのは、実は彼ら自身ではないか。「手前味噌・日本」でいい。

自分で「スゴイ」「クール」と言い続けねばならぬ惨め 1

馴れない洋装で乱痴気騒ぎが鹿鳴館の文明開化
 自分の取るに足りない行為や素質を「俺ってスゴクネ?」と自賛し同調を迫る口調が、最近甚だしい。 他方LGBT、障害者、老人や病人を、非生産的と罵る国会議員や閣僚がのさばっている。では、天皇家や皇族・華族はどうなんだ。何を生産していたというのか。新平民を作り差別と貧困を固定維持したと誇り、沖縄を基地として米国に提供して従属化に貢献したとでも言うか。
 
 華族令(明治17年)で、512家が爵位を持った。
 公爵11家--臣籍になった皇族、摂家(公家)、徳川将軍家
 侯爵24家--清華家(摂家に次ぐ公家)、徳川御三家、15万石以上の大名
 伯爵76家--堂上家(大納言、昇殿を許された公家)、徳川御三卿、5万石以上の大名
 子爵327家--堂上家(大納言より下の公家)、5万石以下の大名
 男爵74家--御三家の付け家老や大名・公家の分家・寺社門跡
  
 その後、維新の功労者、日清日露戦争の軍人、財閥当主や学者などがお手盛りで加わり、最終的には913家(1,016人)が華族となり、敗戦を迎えた。四民平等を唄いながらこの様だ。
 ズルもある、三条家は清華で本来は侯爵だが公爵に、岩倉家は子爵のはずが公爵に、官軍側の島津・毛利家も公爵となり、維新の立役者の大久保・木戸家も侯爵、伊藤博文・井上馨・松方正義・山形有朋なども伯爵になった。
 福沢諭吉は、爵位の代わりに5万円(明治33年の教員の初任給11円)を貰い、勲功華族は財閥当主を除き、明治期を通じ、伯爵35,000円、子爵20,000円、男爵10,000円を公債として受け取った。
 彼らの多くは、一等地に広大な屋敷を構えそれぞれ数百人の使用人を抱えていた。その対極に膨大な、被差別貧困を生産固定した。

 天皇家については、渡辺清が『砕かれた神』で「マッカーサー司令部の発表によると、皇室の財産は、所蔵の美術晶、宝石、金銀の塊は別にしても、15億9000万円もあるのだという。これにはおれも心底びっくりした」と書いているが、昭和20年度の国家歳出は、215億円である。この中には、あらゆる国家の王家が海外(その殆どは、スイスである。この国は、預金者の秘密を守ることを絶対的義務としている)に秘匿した資産は含まれていない。

 トルコは、明治維新を手本にした親日国家と伝えられる。日露戦争(1905年)でロシアに辛くも勝利したことが、数度にわたる対ロシア戦争に負け続けた「オスマントルコ帝国」民衆の積もり積もった鬱憤を晴らしたことは事実で、「トーゴー」「ノギ」の名称が通りや商品に子どもにつけられた。
 だが、最も彼らを感激させたのは、それに先立つ1890年の軍艦遭難事件に於ける救助活動である。日本との友好親善の日程を終え、帰国の途にあったオスマントルコ軍艦・エルトゥールル号が台風で沈没。紀伊半島沖で死者587名、生存者69名の大惨事となった。この時、付近の漁民たちが村をあげて、夜を徹しの救出にあたった。遭難した人を人肌であたため、非常用として備蓄していた食料をすべて提供している。また、犠牲者の遺体は引き上げ丁重に葬った。民間義捐金も集まり、政府も生存者を送り届けている。

 だが、近代トルコ建国の父ケマル・パシャが、それに感謝はしたものの、近代化方針や政策で日本に学んだと僕は考えない。
 例えばケマル・パシャ、即ちアタチュルク大統領は、オスマントルコ帝国メフメット6世の帝位を剥奪のうえ国外追放して帝国を解体、民族国家主人公としての国民の地位を明確にしたのである。
 領土を傲慢に拡大し帝国を気取り、爵位を乱発した日本とは目指した方向が根本的に違う。 維新の立役者福沢はこう言っているのだ。
 「・・・我が輩が外国人に対して不平を抱いているのは、いまだに外国人の圧制を受けているからである。我が輩の願いは、この圧制を圧制して、世界中の圧制を独占したいということだけである」『福沢諭吉全集第八巻 p64
 もし日本がトルコに近ければ、英仏伊独に並んでトルコ分割に狂奔したに違いない。         
  
 エルトゥールル号遭難救助が如何にトルコ人を感激させ、永く記憶に留めたかは、約1世紀後の1985年突如示される。 イランイラク戦争の激化する中、3月17日イラク大統領が「今から48時間後、イラン上空を飛ぶすべての飛行機を打ち落とす」と表明。当時イランには日本の企業関係者やその家族などがいた。急ぎテヘラン空港に向かったものの、どの飛行機も満席。他国は自国の特別の救援機を出して救出したが、日本は対応が遅れた。同盟関係を言うアメリカにも断られ、日本政府にも自衛隊機にもJALやANAにも見捨てられたのだ。
 もはや日本人の脱出は不可能かと思われた時、二機の飛行機が飛来して日本人215名を救出。危険を冒したのは、トルコ航空機。制限時間75分前であった。トルコ側の言ったのは「エルトゥールル号の借りを返しただけ」と伝えられている。
 トルコは95年前のエルトゥールル号遭難救助の恩を忘れていなかった。だがこの決死の救出を、我々はどれほど記憶に止めているだろうか。我々は救出劇を、そもそも知らないのではないか。

 国家や組織を離れた素手素顔の日本人は、外務官僚や軍部より遙かに有効な外交関係を築き、国家や企業は南京大虐殺や強制連行を引き起し勲章と爵位を手にするのである。
 羽仁五郎は文部省廃止を説いた。外務省廃止を僕は主張する。大使館地下に温水プールやワイン貯蔵庫を作るのは、特権階級の再生である。 つづく

幸福は退屈である

凡庸さから逃れようとする時、人は権威に従属して自由から遠ざかる
   E・フロムは愛は技術であると言い、「運命的」出会いを絶対視する消費社会人を驚かせた。
 器用な人間は、良い職人にはなれない。短期間に技術をのみ込むことは出来るが、習熟する粘りに欠ける。不器用な職人の方が、失敗を繰り返しながら長い期間をかけて、根気よく労働対象と自分自身を見つめることが出来る。 器用な職人は、技術習得の素早さに慢心して、労働対象の特質や自分自身の癖に気付くことが出来ないのだ。長い修練期間は、退屈である。不器用な愛も変化に乏しく退屈である。消費社会はあらゆるものを「ファスト」化「イベント」化する。「運命的」出会いや思い出を商品化して、クリスマスやバレンタインデーなどで若者たちの不安を煽る。結婚生活自体すら「イベント」化する。

 「鶴の恩返し」には、前景としての鶴をいじめる子どもたちの場面がある。 子どもたちが優しければ、あるいは無関心であれば恩返し」は成り立たない。美しい物語には、先ず不幸が描かれる。アメリカンドリームには、セーフティネットの無い恐怖の貧困が欠かせない。

   だが、前景として「運命的」出会いや「イベント」化した儀式があれば、日常は耐えがたく退屈になる。退屈な日常を我慢させる為に「イベント」は、乱立し派手になる。日常は「イベント」とイベントの準備予行の谷間に追いやられる。ここには、個人の自発性の余地はない。 

 かつて僕はある雑誌で、興味深いessayを読んだ。30歳前後の高校同級生が久しぶりに酒を飲む。積もる話の末、一人がこう呟く。
 「・・・この頃、古文のA先生の授業を思い出すんだ」
 「お前もか、おれもだよ。高校の頃あんなに退屈な授業はなかった、だがまた聞きたいとしきりに思うよ」
 「だろう、A先生の淡々とした口調に今頃になって引き込まれてね。『古典文学大系』を買って読んでいるよ。脚注を利用すれば、楽しく読めてしまう。知らぬ間に学力はつくものだね」
  他日別の同級生と会った時、この話をするとこの友人も
 「実は僕もね、あの教科書をまた買ったよ。先生の名前も顔も10年以上も忘れていたのに、なぜかね、あの頃はうつらうつらしながら聞いていたのに、考えれば勿体ないことしたよ」

 流行の授業評価をやれば、A先生の評価は極めて低くなる。行政の思いつきなど、事柄の本質を見極めにはあまりにもあさはかなのだ。学ぶことの自発性が芽を出すには、長く静かな時間が必要なのが判る。
 A先生の淡々とした口調は、行事と「部活」の谷間にあって血気盛んな少年の意識の底で、学習に於ける退屈さとして沈殿してしまった。

 「鶴の恩返し」に似た話に「亀の恩返し」=浦島太郎がある。太郎は乙姫の連日の豪勢な接待攻めに、村の単調な生活を懐かしむようになる。こちらは初めから「恩返し」はばれている。ばれた「恩返し」は交換関係である。何時までも続くわけがない。その終わりは「玉手箱」に仕組まれていた。
 高校を出て念願の名門大学や一流企業に入る、それなりに注目を浴び羨ましがられ得意になる。だがあるとき、注目されているのは俺ではない、会社の株価だけではないか。自分自身は少しも成長していない、むしろ後退している。
 自分自身は平凡な日常の中にだけ生きていると思ったとき、A先生の単調な語りが意識の底から浮かび上がったのだ。
  鶴いじめや亀虐待が無ければ、与ひょうも太郎にも「恩返し」はない。物語には成らないが、こちらの凡庸さの方が尊い。
  オリンビックの金メダルもノーベル賞もない、世界遺産もない、外人観光客にも知られない、石油や貴金属などの地下資源もない、スターもいない退屈な争いのない平等な国、愛着を持つことが出来るのはそんな国だ。メダルや世界遺産などがあって誇りを感じるのは、メダルや遺産に惹かれているに過ぎないのだ。メダルや賞を有り難がる国や組織が、何の取り柄もない凡人を、「生産に貢献しない」と攻撃するのは初めから見えている筈。なのにいつの間にか、賞やメダル稼ぎに同調して熱くなっているのだ。
 両親や祖父母は子や孫が、入賞したり美人だったりするから愛しいのではない。失敗ばかりで何の取り柄もない愚鈍なのろまであっても、互いにかけがえのなさに満たされる、だから「愛は技術」である。
  親や祖父母は、元来子や孫に「恩返し」を期待いしない。「恩返し」は返してしまえば終わりである。子や孫の存在そのものに自発的喜びがあるのだ。

 僕が、中学の先には高校がありそのまた先に大学があると知ったのは、小学4年の時だった。学校帰りに従兄弟たちと一緒に遊んだり宿題をしている時に、中学生の従兄弟が
 「なおちゃんは、勉強が好っやねー。どこずい、行くとね」と聞く。僕がぽかんと口を開けていたら、高校と大学の話をして、一番いい大学は東京の「とーだい」だと教えてくれた。うちに帰って茶の間にいた祖母と大叔母を喜ばそうと、こういった。
 「おいは大きくなったら「とーだい」に行っど」すると二人とも血相を変えて
 「そげなことせんでんよか、今んままでよか・・・わっこが勉強が出来てん、出来んでんどっちでんよかとじゃ」と慌てた。祖母たちはいつも通信簿やテストを見ては喜んでいた、成績がいいのが嬉しいのだろうと思っていたのだがそうではない。
 「ビリでも、寝小便垂れてんよかとね」と尋ねると
 「よかよー」、「よかよー」と嬉しそうに応えたのだ。

 凡庸さから逃れようとする時、人は権威に従属して自由から遠ざかるのである。
 

クラブはカルトではない、何時でもやめられる

ezw@m
大人には内緒だよ
 ある三年生が一学期の半ばに「部活」を辞めると決意、顧問教師に申し出た。顧問は激怒した。
 「一旦決意したことを途中で辞める事は許さん、・・・そんないい加減な奴が、人生で成功するわけはない。お前は絶対合格しない」散々卑しめられ罵られた。
 僕は授業で「クラブは全ての生徒の権利だ、カルトではない。参加も退部も自由だ」と説明した。この三年生が相談に来たときには
 「もし顧問が許さんと言ったら、僕の名前を出して「辞めるのも権利」と授業で習ったと言え」といって置いた。だから顧問の異常な憤りの大半は、僕に向けられていた。半年あまりが過ぎ、彼が誰もが羨む大学に合格して報告に行ったとき、顧問は露骨にいやな顔をしたという。

 「勉強勉強と言うな、学校は勉強ばかりではない」と生徒がむくれるのをあちこちでよく聞いた。学校的価値に対抗しているつもりなのだ。
 だが、忽ち「その通り、勉強以外も大切だ」と肯く教師によって、難なく生徒たちは取り込まれる。「勉強ばかりではなく、生活態度全般や将来」までを指導介入する根拠を手に入れてしまう。元々日本の教師は「生徒にとって大切な事は、一切私が指導する、任せなさい」と言いたがる。配下結婚相手の家柄や思想にまで干渉するのを当然至極のようにする公的組織もある。それが、自らの有能性の証だと思い込むのである。
 青少年が教師に主張すべきは
 「学校「時代」の僕たちに必要なのは、勉強ばかりではない」である。平和運動や自治活動もある、「部活」によらないスポーツや芸術もある。信仰もある。親戚付き合いや近所づきあいも欠かせない。勉強以外も、なかなかに忙しい。

 青少年の教師に対する言うべきはまだある。
 「教師が指導できるのは教科能力だけであり、それ以外は我々の自由である」。ひょっとすると教科ですら生徒の中に遙かに優れた者がいたりするものだ。
 「我々の行動や考え方に異議があれば、教師は対等な市民として人生の先輩としてアドバイスをすることが出来る」。組織上または法律上、懲罰を科することもしたくなるだろうが、その時一切の指導の根拠を失うことになる。
 「教科に対する見識や人格によって若者の生き方に大きな影響を与える事を期待もする。しかし評価することは出来ない」・・・である。
 必要なのは、生徒に対する学校の管理領域を限定することである。同時に特定の教員を師と仰ぐのも個人の自由である。藤野先生と魯迅の関係は、そのなかから出てきたものなのだ。藤野先生は些かも魯迅を拘束しなかった。それ故に魯迅の決意は個人のものとして立ち上がる。

 勉強以外の事柄に関して学校が若者に干渉できるのは、拒否する自由を前提とした指導が精々であることを知らねばならない。学校も公的組織である限り、憲法を超えて個人の自由と権利に制限を加えることは許されないからである。それを敢えてすれば、秘密結社になる。
 体罰や体罰死、熱中症死が何時までも繰り返されるのは、個人の権利とは何かについての認識が徹底的に欠けているからである、 教師にも生徒にも父兄にも。
 恩恵と特権が幅を利かせるのは、個人の自立を認めないことの代償なのだ。 

 生徒の生活態度全般や人格にまで介入することを己の職務範囲としたがる教師が、行政の「日の丸君が代」強制によって身動きならない羽目に陥っている事は自覚しておかねばならない。生徒であれ同僚であれ、他人の内心や良心に介入すれば、行政が自らの内心や良心に介入することを、論理的に拒否出来ない。

 しかし何故教員は自ら望んで労働強化とも言うべき職務範囲の拡大に走ったのか。自己の有能性を誇示する衝動が平等性の強い教員の職場にあるのは皮肉なことである。人事考課制度は押しつけられたのではなく、招き寄せたものでもある。例えば教科であれ生活指導であれ部活であれ、超過労働であることを教研集会でさえ誇らしげに発表し褒め称えるのである。組合活動家と人事考課は、仕事熱心かつ仕切りたがるという点で親和性が強い。

  1968年の大学「紛争」それに続く高校「紛争」が、学生と教員間の人格的対立に発展して膠着したのは、その「指導介入」の為と言える。それ故妙な光景が出現した。反動的と見られた教師たちが、人格にも指導関与しないが故に、学生たちの人気を集めたのである。
 欧米の大学で広範に見られた学生生徒と教員研究者の連帯共闘が、この日本では成立しえない構造がある。それが教員組合の闘争に、直ちに大学生・高校生が反応して街頭行動で連帯する欧米・南米との根本的差違を説明している。

追記 受験名門校が「自由」な校風を持つのは、「指定校推薦」に生徒も教師も興味が無いからである。学校推薦や部活推薦の条件に、人格や生活習慣を潜り込ませて生徒の日常を支配出来ないからである。 「推薦入学」は権利ではない、支配の道具に過ぎない。冒頭の三年生も、推薦入学を目指していたら顧問に対して強気の態度はとれなかっただろう。大学生の就職に於ける企業の指定校制度も、学生を社会問題から隔離して臆病にしている。
 

原発=『海温め装置』暴走に見合う森林育成の義務が電力会社と政府にはある

原発は『海温め装置』である 水戸巌
 世界で最も古い英国の日刊紙「The Times」が、「東京五輪では選手だけでなく観客も極度の蒸し暑さによる熱射病で死亡するリスクにさらされている」と報じたのは今年1月のことだ。それが連日の熱中症死亡で現実のものとなった。07/23の時点で、熱中症死者は65人(共同通信調べ)に達している。
 この異常な暑さの連続は、偏西風の蛇行など気候の気まぐれだけによるものではない。生産活動による地球温暖化に、原発の廃熱が加わったものだ。
 原発事故までは、日本の55基原発全体から1年間に1000億トンの温めた水が排出されていた。日本全土に降る雨の量は1年間で6500億t、そのうち川に流れるのは4000億t。つまり原発は、毎年日本の川を流れる水の4分の1に相当する量を7℃温めて海に戻していた。原発事故で原発の稼働中止が相次いだが、既に6基稼働、再稼働準備中6基。その他に再稼働申請が11基・・・。

 原発のエネルギーの2/3は海に廃棄され海を温めているとして、原発を『海温め装置』と呼んだのは、放射線物理学者水戸巌博士であった。放射能だけでなく膨大な量の熱エネルギーが海水中に放出され、蓄積され続けてきたのである。

   異常高温は2020年東京五輪だけの問題ではない。興行は、中止したり日程を変えれば済む。だがこの列島に住まざるを得ない者にとっては、放射能と共に永遠に生命を脅かし続ける問題なのだ。 打ち水や、スポーツ飲料などの自己責任で誤魔化されて堪るか。地球環境を効果的に冷やす機能は、公共財としての森林にしかない。
 『海温め装置』=原発建設を推進してきた電力会社と政府には、少なくとも原発から放出した廃熱を吸収する広さの森林を、都市とその周辺に育て管理する義務がある。全ての交差点に大木を植え、駐車場は緑化し、全ての駅前を小さな森林に造り替える必要がある。自社の看板や広告が見えなくて困ると街路樹を切り倒した企業には、切り倒した樹の数十倍を過去に遡って植林させねば成るまい。原発対策を、原発立地自治体に補助金を支給するだけに止めた行政の無責任も厳しく問う必要がある。にも関わらず、五輪を錦の御旗に街路樹を切り倒しているのだ。
 敷地に大木を植える個人や組織には積極的な免税措置、規制緩和で敷地一杯に建てた場合には、植林の義務を課す必要がある。

 2020東京五輪は、招致委員会が「この時期の天候は晴れる日が多く、かつ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候」と世界を欺した結果だ。他人の財布に手を突っ込み「おもてなし」と言って、五輪を東京に招致した者には責任がある。放射能に汚染され続ける大気と、食物と異常高温で「おもてなし」するつもりか。

 高校生や中学生の「部活」にとって、異常高温は警戒のレベルではなく中止のレベルである。それを敢えて無視して連日の練習を強行するのは、狂気の沙汰である。まさか2020年のオリンピックで外国選手が暑さのために次々脱落するのを尻目に、メダルを量産する算段をしているのではあるまいな。
 東京五輪組織委員会会長森喜朗は 「この暑さでやれるという確信を得ないといけない。ある意味、五輪関係者にとってはチャンスで、本当に大丈夫か、どう暑さに打ち勝つか、何の問題もなくやれたかを試すには、こんな機会はない」
 スポーツは権利である、国威発揚の手段ではない。目先の成果の為に、若者の生命を使い捨てにする思想は戦中の「零戦」設計に如実に表れていた。それを美化する風潮の中でのオリンピックである。

追記 1964年オリンピックは、10月であった。2020年の場合は、それをわざわざ暑い盛りの7月に持ってきた。アメリカのプロスポーツ業界に配慮した為である。従属はここにまで及んでいるのだ。それが、美しい日本の実態である。

「夕鶴」のつうは、なぜ「覗かないで」と言ったのか

「恩返し」は知られてはならない
 山本安英による「夕鶴」上演は1,037回にも及んでいる。初演は団塊の世代が生まれる1949年、最終公演は85年、バブル経済開始の前年である。その後も様々な形で「夕鶴」は演じられてきた。僕の記憶では「夕鶴」は、商品化社会に警鐘を鳴らすものであった。
 そのために、木下順二が民話に付け加えた部分がある。

 与ひょうは、惣どと運ずから、つうにまた千羽織を織るようにそそのかされ、ついには、自分の中に目覚めた欲望(「お金」や「都」のこと)を抑えることができずつうに迫る。


与ひょう  布を織れ。すぐ織れ。今度は前の二枚分も三枚分もの金で売ってやるちゅうだ。何百両だでよう。 
つ  う  (突然非常な驚愕と狼狽)え? え? 何ていったの? いま。「布を織れ。すぐ織れ」それから何ていったの? 
与ひょう  何百両でよう。前の二枚分も三枚分もの金で売ってやるちゅうでよう。 
つ  う  ・・・?(鳥のように首をかしげていぶかしげに与ひょうを見まもる) 
与ひょう  あのなあ、今度はなあ、前の二枚分も三枚分もの金で・・・ 
つ  う  (叫ぶ)分らない。あんたのいうことが何にも分からない。さっきの人たちとおんなじだわ。口の動くのが見えるだけ。声が聞こえるだけ。だけど何をいってるんだか・・・ああ、あんたは、あんたが、とうとうあんたがあの人たちの言葉を、あたしが分らない世界の言葉を話しだした・・・ああ、どうしよう。どうしよう。どうしよう。

 欲に魅入られた惣どと運ずの二人は、事前につうに探りを入れている。 

 与ひょうの家で、運ずが惣どにつうの織った千羽織で儲けた話をしている場面。
 いつの間にか帰って来たつうが、奥の部屋からすっと出る。
運  ず  わっ。 
惣  ど  あっ。こ、こら、留守の間(ま)に上がりこんで・・・ 
つ  う  ・・・?(鳥のように首をかしげていぶかしげに二人を見まもる) 
運  ず  へい、おらはその、向こうの村の運ずっちゅうもんで、あの布のことでいつもどうも与ひょうどんに、・・・ 
つ  う  ・・・? 
惣  ど  そんで、なあかみさんよ、実はその、布のはなしをこやつから聞いて・・・おらもむこうの村の惣どっちゅうもんだが、ちょっと話があって来たもんだ。・・・全体それは、こういっちゃ何だが、ほんなもんの千羽織かね? 
つ  う  ・・・(ただいぶかしげに見ているが、ふと物音でも聞いたように、身をひるがえして奥に消える)

 与ひょうに助けられた鶴の化身「つう」は、投機を知らない、商品社会を理解しない、知りたくない。「つう」は与ひょうへの愛情を込めて、与ひょうの驚き喜ぶ顔がを見たくて織っている。労働は些かも疎外されてはいない。だが、運ずと惣どは「何百両でよう。前の二枚分も三枚分もの金で売ってやる」と 与ひょうをけしかけ、転売して利鞘を稼ぐことだけに意識が占領されている。千羽織の息を呑むような美しさや繊細な織り方への関心など欠片もない。

 ある年の卒業生が「先生に物を贈ったら、それで関係は切れちゃう」とおろおろしているのに出会ったことがある。恩とは何か、適確に捉えた言葉であった。僕はその感性に暫く圧倒された。
 つうが「織っているところを覗かないで」と言ったのは、なぜなのか。
 「恩返し」は、恩ある人に知られてはならない。知られてしまったら、恩は単なる交換関係になる。恩を返したらそれでお終いになってしまう。助けたお礼に嫁に来ただけに過ぎない、それを悲しむ。つうは、自分の行為が、恩返しである事を知られてしまうのを恐れて、与ひょうに助けられた鶴の化身である事を知られたくなかったから「覗かないで」と言ったのだ。つうと与ひょうの愛情で結ばれたの関係は、交換関係ではない筈だった。しかし与ひょうは、つうの織物を売り物としてしか見なくなってしまう。愛情の表現として見ていないのだ。覗かれてしまうことで、交換関係は白日に曝されたのだ。
  
  つうが飛び去って、与ひょうはかけがえのないものを失ってしまったことに気付く。 千羽織なんか作れなくても、いてくれるだけで嬉しかったことに。

 スポーツ少年クラブの少年が、炎天下熱中症で死亡した。教育を投資になぞらえる思考がある。「やがて大きくなって返ってくる」との宣伝に乗せられた期待がどこかにある、損や破綻が常であるにも関わらず。親と子の関係は、恩に託けた交換関係ではない。

 「夕鶴」に永く親しんだ日本人は、何を学んだのだろうか。僕の教えた生徒の「「先生に物を贈ったら、それで関係は切れちゃう」とおろおろする」以上の反応を僕は知らない。世の中の全てが「運ず」と「惣ど」に成ってしまったかのようだ。「与ひょう」も「つう」もいないわけではないが、恩返しを明示した交換関係に安住している。それが自己責任の契約社会なのだと言わんばかりだ。時々「自分にご褒美」と言う寂しい関係なのだ。

 恩は通常個性ある一対一の関係から生まれる、集団的に出現することはない。もしあるとすれば、そこには演出された特定の意図が含まれる。その意図が不快な者に取っては、恩は押し売りである。
 学校の「謝恩会」と言うスケジュール化した催しや、多かれ少なかれ学校が指名する卒業生総代による答辞が「恩」を内実を伴わない「贈ってお終い」という関係に堕落させているそのためだ、だから出席が強制されるのである。
 もし長続きする師弟関係をよしとするなら、「恩」という言葉を組織としての学校から追放して、個人間の問題に限定することだ。

追記 周恩来が、中国に於ける日本人戦犯を誰一人死刑にしなかったことの意義を考えることがしばしばある。ただ「寛大政策」と読んだことは、その意義の幾分かを損なっている。だが当時の中国人大衆の日本軍国主義に対する深い憎しみを考えるとき、他の名称はなかったとも思う。

王様に貰ったミカン

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