服装には思想がある 制服は道化をつくる

 「日本政府は、燕尾服とシルクハットを新年祝賀の公式礼装に制定することが適当だと考えたのである。かくて喜劇的な点では全く奇想天外ともいうべき姿が首都の街路をうろつくことになった。…それも大人だけではなく、十歳から十二歳の坊やまでがこの道化の犠牲になっている。この街頭風景と謁見控え室の一群を親しく目撃したものでない限りは、その情景を想像することはできない。しかもこれらの人々は自国の式服姿であれば実によく似合い、それどころか時としては、威厳があって気高くすら見えるのだ。」 ベルツの日記
ガンジーが燕尾服を着ていたら、大英帝国と戦えない

 お仕着せというものは誰であれ、似合わない。自らの内面を反映する外見こそが、威厳に満ちている。砂漠や熱帯の貧しい種族も、ヨーロッパ人聖職者のあてがった衣服を脱ぎ捨て、伝統的な衣服になるや輝きを増すのである
 制服を「カッコイイ」「カワイイ」と言う人が少なくないが、まさしく制服だけが「カッコイイ」「カワイイ」に過ぎな。それを着た少年/少女や業界人は、服飾業界に踊らされる道化に過ぎない。

 中学生も高校生も制服を着て「喜劇的な点では全く奇想天外ともいうべき姿」をさらす必要はない。
 「自国の式服姿であれば実によく似合い、それどころか時としては、威厳があって気高くすら見えるのだ」から。 自国の式服とは、ベルツの頃は紋付き袴を指しているのだが、時代が変わった。今、それに相当するのはTシャツにGパンである。 TシャツにGパン姿の高校生は、燕尾服の道化姿の校長たちに対して、「実によく似合い、それどころか時としては、威厳があって気高くすら見える」のだから、道化の犠牲になった校長に付き合って見苦しいまねをする必要はない。
 ベルツは東大医学部のお雇い外国人医師であった。彼は日本のハンセン病隔離に公然と反旗を翻し、ハンセン病患者と他の皮膚科患者を区別しなかった。病室も一緒であった。

商品が売れれば、戦争さえいいのか

武器は常に民衆に、特に自国の民衆に向けられてきた
 日本は、他国への武器輸出を原則禁止してきたが、安倍政権はその国是を転換。'14年4月、閣議決定でそれまでの「武器輸出三原則」を、武器や軍事技術を海外に輸出できる「防衛装備移転三原則」に変えてしまった。国民の多くは、何も知らない。
 防衛装備移転三原則の閣議決定当時、「輸出するのは、救難飛行艇や軍用救急車など、人命救助任務に使う装備が中心」などと言い、「戦争目的の武器ではない」と油断させたが。初の大型受注案件として浮上したのは、戦略的兵器とされる最新鋭の潜水艦だった。

 その裏で、2015年10月に「防衛装備庁」が新設され、官民で開発した武器を海外に売る窓口ができた。また、武器輸出ビジネスに貿易保険が適用できるよう、政府内での調整も進んでいる
 米国務省の「2015年世界軍事支出・兵器移転」報告書によれば、2002年からの10年間で、日本の武器輸入額は166億ドル、年平均で150億ドルとなり、調査対象の170カ国のうち首位となった。この数値は2位の英国、3位の韓国の合計総額に近い。

 日本は他国からの架空の攻撃を口実に武器を保有するだけではなく、商品としての武器を売るために戦争の危機をつくり煽る国になっている。利益のために戦争を待ち望むようになるのだ。売るだけなら日本は戦場にならないし、戦死者も出ないと言うつもりか。まさしく日本資本主義は悪魔化している。戦争は企業にとって麻薬である。

学校間の壁はなぜなくせないか

 「民主」を自認する教師は、ベルリンの壁崩壊を偉大歴史的事実として称賛する。しかし自分たちの籠もる学校の壁は、堅持する。
  ある日アパートの壁が突然消えて主人公が驚いていると、街中の壁が落ちている。そんな芝居があった。寺山修司の『レミング』である。「壁の消失によってあばかれる内面の神話の虚構性の検証」がこの芝居のテーマであると彼は書いている。 
 僕は高校生の時、いくつかの高校と大学の授業にもぐり込んだ。大学への侵入は容易かったが、高校では教室全体を仲間にする必要があった、出欠点呼という関門があるからだ。先ず近所の都立高校に「侵入」した。誰が休みか聞いてその男になりすまして出席点呼をやり過ごした。当時僕らは、男女共学化を学校に要求していた。女生徒がいる教室の授業は素晴らしいのではないかとの思い込みはものの見事に裏切られた。授業も平板なら質問も出なかった。逆に自分の高校の授業を評価しなければならないと思ってしまった。

 しかしだからこそ、入試や偏差値による特権を憎んだ。良い授業は、誰にも聞く機会が保証されねばならないからだ。それに目を瞑って「平等」や「自由」を言う資格はない。何か利点があるから共学を支持すると言う視点も捨てた。
 定時制高校の笑いの絶えないざっくばらんな雰囲気の中で繰り広げられる授業には魅せられた。
 僅か数カ所を覗いても、授業は多様であった。水産高校は、企業内高校は、・・・一体どんな世界なのか、塀を接した学校の内情さえ知らないのだ。偏差値で輪切りにされた環境では、付き合う友人たちの階層は限られていた。はみ出さなければ、全体に肉薄することは出来ない。僕は工場にも出入りするようになった。書店や公民館の市民講座にも耳を傾けた。どこの学校の授業も聴き、対話出来る開放的制度を望まずにはおれなかった。


 高校や大学を隔離している壁に根拠はない。なぜなら入試のない制度を持たず、壁のない学校制度の国々の学生の「質」は決して低くないからである。むしろ「工夫を重ねた万全の入試」が、若者の知的能力を疲弊させ切っているのは疑い得ない。クイズ番組出場者を量産する大学をエリート校とは誰も思わない。

 体制を隔てていた壁さえ壊れたのだ。学校を隔てている壁をたたき壊すのは容易である、為になる。そこに出現するのは「(教育制度)神話の虚構性」の醜さである。入試を通して若者の自立性を摘み取る受験産業は、文科省や国立大学協会さえ支配している。

学びへの飢餓感

中井正一は三高遊艇部で「きれい」の精神を掴んだ
 覗かれる授業をしよう。授業をサボって雀卓を囲んでいても、駅前で授業が嫌であんみつを食べていても、遙か遠くの学校の授業であっても、どうしても馳せ参じて覗かずにはいられない。そんな授業はいかにして可能か。

 寺山修司は大学を中退している。『人生劇場』に魅せられて入ってみれば、教師は自著をテキストに指定して読むばかり。下宿で寝そべって読む方が効率よく頭に入り、時間も節約できるという論理であった。(ではなぜ同じ理屈で寺山少年は高校を辞めなかったのかという問題が残る。そう、日本の高校生は怠け者で臆病なのだ、叱られたり殴られたりしなければ自己を確かめられない)
 登校して授業を受け卒業出来るのなら、テキストを読んで試験を受けて卒業してもおかしくない。入試は要らないのだ。公正な入試など、実はない。(それは正しい単一の宗教があり得ないのと同じである。ベネッセなど受験産業には自由な利潤こそが唯一の正しい宗教であるから、正しい入試はなければならない)
 そんな入試のない制度の下で、どうしても「覗き」たくなる授業、どんなに遠方でも惹き付けられるように通ってしまう授業は初めて可能となる。

 敗戦直後焼け野原となっ地方都市に、大勢の学生が荒ら屋の6畳にひしめく授業があった。岡山の旧制六高で美学を講じていた中井正一のもとに遠く京都からもはせ参じた。喰うものも着るものも読むものも履くものさえろくにないなか、全く腹の足しにはならない「美学」講義を若者が覗かずにおれなかったのはなぜだろうか。
 真理を希求する衝動は、不思議なことに空腹などの困難と同時にやってくる。衣食足って礼節を知るではない。腹が減っているのに頭は冴えて学ばずにおれなくなる。

 その後中井正一は尾道の図書館長になる。治安維持法が無くなり胸たぎる思いで文化活動を開始する。

 「人事と本の年間予算が二千八百円、私の年棒がタッタ百円の館では講師の経費は勿論出っこないから、終始独演ということになる。しかし、悲しい哉、聴衆はいつでも五人、十人である。三人位の聴衆に大きな声でやるのは淋しいというより実際悲しかった。例の広高生の槇田と、私の講義は出来る限り聴衆となろうとする七十七歳の私の母のほかは、外来聴衆はただ一人という時は、母の方が可哀そうに私を見ているらしいのには閉口した。・・・
 市は私の図書館に電気を仲々つけてくれなかった。ついに私は十二月二十八日思い切ってポケットマネーで電気をつけ、早速希望音楽会を開いた。チャイコフスキーの「悲愴」とベートーベンの「第九」という、敗戦の年の暮を一層重く苦しくするものを敢えて選んだ。百名の青年男女が、ガラス窓の破れてソヨソヨ風の吹き透す会場で、皆外套襟巻すがたで聞き入った。第九の合唱がはじまるまで、人々は壊えはてし国の悲しさが、この部屋に凝集するかのような思いであった。そのかわり、「第九」の合唱となり「ああ、友よ」と遠い敗れ去ったドイツから、二百年の彼方シルレル(第九歌詞の作詞者)、ベートーベンから呼びかけられたとき。皆、深く、頭をうなだれて、眼に涙をうかべさえしたものもあった。私も一生、あの時の如く「第九シンフォニー」を激情をもって聴いたことも、また聴くこともあるまい。私は会が終って、感動の激情を聴衆に伝えずにはいられなかった。これが一つのエポックとなって、日曜日の午後三時から毎週、「希望音楽会」をつづけたのであった。
中井正一 『地方文化運動報告』 
 やがてそれは、会費制のカント講座に発展、毎回数百人を集めるようになるのである。
「七百名の体温を満した夏の大講堂の盛んなる光景は、豊かな、豊かな、何か溢るる如きものがあった」と中井は結んでいる。
 今我々に必要なのは飢餓感だ。敗戦直後、老若男女が知識に飢えたのは、戦前戦中何も知らなかったことの痛恨の自覚によっている。無知による惨劇を繰り返さないという決意が、飢餓感に結びついている。
 今も実は何も知らなかったから、原発事故は起き、温暖化は進み、格差は激化している。問題は、決意にある。

何もかもだめな日本

 ついに日本の年金世界総合ランキング( 2019年度「マーサー・メルボルン・グローバル年金指数ランキング」)が、中国や韓国を下回った。日本は31位で先進国最下位。    アジアでは、シンガポールは8位  マレーシア18位 インドネシア23位 韓国24位 中国23位。

 マーサーは主要37カ国について40の指標を立て、年金システムが退職後の個人の財政状態の改善につながるか、持続可能かどうか、国民に信頼されているかなどを評価した。
  2019年度「グローバル年金指数ランキング」では、オランダが1位、デンマークが2位。両国はいずれも退職時に提供される資金保証でレベルAを獲得した。3位のオーストラリアのレベルはB+だった。トップ10の残りはフィンランド、スウェーデン、ノルウェー、シンガポール、ニュージーランド、カナダ、チリでこれらの国はレベルB。英国と米国はともにレベルがC+でそれぞれ14位と16位だった。 日本は、五段階中のDランク。
 cool JapanやRugbyで雇われ外人にヨイショされて傲慢になっている間に、日本は泥沼に首まで沈んで笑っている。天皇即位騒ぎに浮かれて、自らの危機気が付かない。それが君主の機能だ。


追記 2019年度報道の自由度ランキング、日本67位韓国41位

   

権力のない人間には、うそをつく権利がある

京都の商家には子どもの嘘を喜ぶ習わしがあった
 権力ある人間のうそと、無権力の人間のうそには比較できない。権力をもたない人間が抵抗するときに、うそをつく権利を奪われて、お手上げになっちゃったらいったいどうなるのか、という問題がある。権力をもたない人間からうそをつく権利を奪ってはならない。というのが武谷三男の道徳論の基礎にある。権力者の嘘は特権であり、力の無い民衆の嘘は人権である。 

 柳田国男が、京都の商家に生まれた幼児が初めてうそをついた時のことをどこかに書いている。

 子どもがお使いをする歳になった。商店街に笊を持って油揚げを買いに行く。何度目かに油揚げが一枚ない。  
  「カラスが飛んできてな、咥えて逃げていったん」と子どもは言った。家中が一寸した騒ぎになった。「ボンがうそついたでー」「そりゃめでたい」「赤飯炊きなはれ」
 こどもは油揚げを盗んだ咎めを受けるのではなく、「うそをつくほどに知恵がついた」と成長を喜ぶべき存在として認識されている。嘘がばれたのに、こんなに大げさに祝福されては、もう嘘はつけない。子どもは自分がどんなに愛されているのか実感するのだ。
 天皇権力は
、壮大なうその体系「万世一系」や「生き神」で、縁もゆかりもない熊襲や出雲まで欺した。挙げ句の果ては他国民にまで「八紘一宇」の(決して同意を求めたり討議することはなく)珍妙なうそのに巻き込み、数千万人を殺害し自然を蹂躙したのだ。

 子どもや少年/少女の「うそ」がいけないと説教するなら、まず始まりの「万世一系のうそ」から手をつけなければならない。首相が「放射能はアンダーコントロール」と平然と嘘をつくのも、オリンピック招致で「東京の8月は温暖で理想的」と笑顔で欺せるのも、「うその万世一系」に源泉がある。元を絶たないから嘘はいくらで湧き出す。
 権力ある者のうそを曝き、権力を持たない者のうそを権利として守り場合によっては代弁するのが教師の任務である。幼い者のうそを祝う文化を学校こそは持つ必要がある。
 そんな甘いこと言っていてもいいのか。大いにそうでなければならない。「あの先生だけは欺せないよ」と言われないことを恥じねばならない。甘いことを言うべきではない相手は生徒ではない、権力である。力ある者に忖度や迎合を繰り返せば、厳しい言葉は行き所を失って権力のない者に向かうのだ。

「仕事の人格化」「教育の非人格化」

大石先生は優しく泣き虫だった、子どもの成長の
全過程が彼女の教育労働の中にあったからである
 果物や農作物の土作りや種まきするとき、収穫物のイメージがある。草取り、収穫を経て食べるまでをみることが出来れば楽しい。出荷し人に食べて貰う場面を知る。その全過程が、自分の労働の中に常にあれば充実する。
 収穫の部分的肉体労働だけがあるとき、そこに収穫の喜びを見いだすことは出来ない、労働は苦役となる。全過程が自分の労働にあるとき喜びとなる。これを黒井千次は「労働の人格化」と呼んだ。

   今教師が疲れ果てて死につつあるのは、長時間労働に大きな責めを負わせねばならないが、教育という全人格的営みがズタズタにばらされ、仕事に喜びを感じられなく変質したことも無視できない。

 入学から卒業までの少年/少女の成長の全過程は、今や教師の労働の中にはない。恣意的に切断された部分だけをあてがわれて、他人の決定や意志で動く。自分の授業はもとよりテスト問題も裁量することは出来ない。創造の喜びはない。かつては草の根インテリとも呼ばれた教師には、耐えがたい苦役である。

 教育労働の分業化がまだ進まず、職員会議の民主的討議決定が保証されていた頃、僕は真夜中に生徒や保護者にたたき起こされ遠方に駆けつけていたが、若かったせいもあって疲れは溜まらなかった。

 泊まりがけの山行や合宿も、全過程が見え決定が任されているとき、疲れはいつの間にかほぐれていた。日々の実践が教育的作品として出現する喜びは何物にも代え難かった。

 今、生活指導や進路指導の主任教諭になってしまえば、移動しても別の分掌には就けない。それを専門性が生かせると強弁する者もある。愚かである、我々の労働対象である少年/少女は分割出来ないのだから。こうして、教育の非人格化は極まりつつあるのだ。教師は、今や自己を労働者として組織化することも出来ないのだ。政権や財界の狙いはここにある。その為に教育そのものが解体されることなど、彼らにはもの数ではないのだ。

 僕は『二十四の瞳』に授業の場面が無いのが不満である。式や行事だらけである。日本人の学校の記憶に授業が無いのはいいことだろうか。

王様に貰ったミカン

 深酒して 終電車に乗り遅れ、交番で補導された事がある。身分証明を見せると、巡査は慌てて「失礼しました」と敬礼した。修学旅行引率では、宿の仲居さんから面と向かって「先生はどこ」と聞かれた。「僕です」と答えると、仲居さんは 一瞬呆然の後 生徒と一緒に大笑いした。引率されたのが二十を...