戦争の根源 Ⅱ 富の偏在が戦争を生む

 承前 
軍隊内にも物資の偏在は及んだ

 国家予算を遙かに凌駕する富が、特権層の手元に死蔵されるのは、何時の時代であれ確かな事実である。それが敗戦間際に接収貴金属として現れた。
 仮にそれが戦争以前に貧しい庶民の手にあれば、直ちに現金化され、購買に向かい国民経済を潤したはず。それは開戦回避の力強い条件となる。
 どんなに安い賃金で良質な製品を大量に造っても、買う者が貧しければ売れない。売れない商品の山は、国内市場を諦め海外を目指す。日本が売り込む海外市場は、既に列強の支配下にあった。武力の衝突は不可避。こうして植民地を巡る戦争が始まる。そこに動員され殺され飢え死にする兵士は,自分たちが生産した製品すら買えない労働者であった。
 戦争は富の偏在が仕掛ける。社内留保が増え続ける(資本金10億円以上の大企業の内部留保は1918年度末で449兆1420億円に達し過去最高を更新)一方、実質賃金は減り続けている。購買力が伴うわけがない。大衆課税すればなおさら。この現実に恐怖すべきなのだ。
 
 僕は当blog『日清戦争に96万円投資して2000万円を得た天皇財閥』にこう書いた。
 近代日本最初の侵略戦争・日清戦争前後のあからさまな証言が、西園寺公望の日記にある。 軍備増強には増税は不可欠。山県内閣は、国会に増税案を何度も上程した、がそのたびに否決。山県は、増税反対派議員の買収を考えた。議員歳費を五倍に引き上げ、更に有力議員には直接買収資金与えて増税案を成立さた。驚くべきは、その買収資金が天皇から出たことだ。当時の額で98万円。当時1000円で都心に一軒家が買えた。今の額で100億円以上に相当する。・・・ 増税で軍備増強したお陰で日清戦争に勝ち、清国からせしめた賠償金の特別会計は、1902年度末で総額3億6,451万円。うち二千万円を天皇が受け取った。98万円投資して、あっという間に20倍強に増やしている、開戦前(1893年)の国家予算が、8,458万円である。こんなに旨い投資噺はない。・・・ 
 「三菱財閥がかつて東条大将に一千万円を寄付したということが新聞に出ている。これをみると、「戦争中軍閥と財閥は結託していた」というのはやはり事実のようだ。それにしてもこんな気の遠くなるような大金を贈った三菱も三菱だが、それを右から左に受けとった東条も東条だ。表では「尽忠報国」だの「悠久の大義」だの「聖戦の完遂」だなどと立派なことを言っておきながら、裏にまわって袖の下とはあきれてものも言えない。・・・天皇にもそれ相応の寄進があったのではないかと疑いたくもなる。いずれにしろ、おれたちが前線で命を的に戦っていた最中に、上の者がこんなふらちな真似をしていたのかと思うと、ほんとに腹がたつ。と同時に、これまでそういう連中をえらい指導者としててんから信じきっていた自分がなんともやりきれない。」渡辺清「敗戦日記」1945.11.10
 戦艦武蔵も大和も三菱製、零戦の開発も三菱である。「軍財抱き合い」と言う言葉があった。財界と軍部の協力体制を示す傑作な言葉である。儲かるから三菱は東条に献金したのである。巨大な大量殺戮装置は、株の配当を通して天皇を潤した。生き神を信じた兵士たちが、木の根やミミズしか口に出来ず死に絶えている時に。 
 こうして天皇家は、三井・三菱・住友・安田を凌ぐ大財閥となった。

 敗戦時の皇室財産総額は、GHQ発表で約16億円(美術品、宝石類を含まない)、1946年3月の財産税納付時の財産調査によれば約37億円と評価された。いずれも海外に分散隠匿された資産は考慮されていない。(この年の靴磨き10銭)

 天皇制の欠陥は、天皇個人の「誠実」な仕草や皇族の笑顔によって相殺される類いのものでは無い。天皇制の構造が本質的に戦争と親和的なのである。

戦争の根源   Ⅰ 占領軍御用の「強盗」

哲学者のギャング体験
 「人に話したこともめったにないけれどもね。ぼくは終戦直後に京都から疎開した。・・・四国の多度津・・・そこに二ヶ月くらいいたかなあ。そのあいだ、国鉄の四国鉄道局の嘱託として・・・占領軍の鉄道輸送部だが、の通訳をしていた。・・・確か十月の中旬か下旬だったと思うが、マッカーサー司令部が命令を出して、全国の銀行を捜査したことがあった。金貨銀貨を銀行が隠してもっているだろうという疑いで、急に摘発をやったんだな。全国いっせいに指令が来てね。いわば銀行襲撃ですよ、ギャングみたいなもんだな。 ・・・隊長がぱくを呼んで、おまえ戦争中何をしとったと聞くから、ぱくはファシズム反対の雑誌に関係していて、そのため二年間ほどほうり込まれていたと言ったら、よし、そんならいっしょに行こうといって、握手を求めて手を差し出した。・・・兵隊たち十数人といっしょにトラックに乗って町の銀行を急襲Lにいった。何という銀行だったかな、多度津の第何とかいう銀行ですよ。兵隊たちは自動小銃をかまえてまさに銀行ギャングですな。お客さんは震えているし、支店長出てこいといって、ぼくがいちいち隊長の通訳なんだ。そして、支店長室に案内させてね、支店長、震えとったなあ。・・・そして金貨銀貨を隠しているはずだ、出せ、とこういうわけですよ。事実案内されて土蔵みたいなところへいくとそこにありましたよ、白い布袋につつんだ銀貨が。で、勘定してレシートを書いて支店長にわたして引きあげました。そんな事件があったですよ」 
 これは哲学者の真下真一が、鶴見俊輔との対談で語った体験である。

 地方銀行の支店でさえこうした事件が有った。大都市や東京の銀行ではもっと大きな事件=銀行強盗があったと考えられる。
 米軍占領直後の1945年9月30日日曜夜8時頃、日銀本店を兵士を乗せた米軍装甲車が取り巻いた。着剣の兵士を従えたGHQ経済科学局クレーマー大佐であった。名目は銀行観察で日銀首脳部も集合を命じられ別館に待機した。彼は、日銀内部の各室を巡視する筈だったが、肝腎の鍵をもつ看守に帰宅を命じてしまった。月曜からの監察は厳重だったが、クレーマーの機嫌は悪く焦った表情で、時々怒鳴り声が聞こえた。だが地下の大金庫を見て、彼の機嫌は直り笑みさえ浮かべたらしい。金庫が空けられた後は、役員も遠ざけられ詳細な調査がおこなわれ、午後四時半頃までかかった。その有様は、当時の日銀総裁渋沢敬三が書き残している。
 そこには日銀本体の他に、「資金統合銀行」と名付けられた組織の大金庫があった。敗戦直前の1945年5月設立されている。日銀の別動部隊と言われ,多額の資金がここから軍需関係に注ぎ込まれたと推測されている。推測されていると書くのは、実態は闇に包まれ現在に至っても解明されていないからである。

 クレーマー大佐の怪しげな査察以降、不思議な事件が相次ぐ。先ず、GHQで接収貴金属管理をしていたマレー大佐事件。米本土で軍事裁判にかけられ、10年の判決を受けたが詳細は日本には知らされなかった。容疑は日本から10万カラットとも言われる大量のダイヤを持ち出したことにあった。マレー大佐も日銀を調べたが、終えて帰国した時,ダイヤが発見されたからだった。彼はそれ以前にも休暇で帰国した際、妻に着服したダイヤを渡したり現金に換えていたことが分かっていた。名前が知られている事件ではヤング大佐事件がある。日本航空スチュワーデスが関与した事件もある。また、退蔵貴金属調査に関わった重要人物の不審死事件もあった。真下真一が関わった地方銀行支店に於ける「強盗」事件は、報道も記録も無い。

 一体日本にはどれだけの貴金属があり、どれだけ持ち出されたのか。「接収貴金属等の処理に関する法律」は1959年。
   第一条には「この法律は、連合国占領軍に接収された貴金属等で、その後連合国占領軍から政府に引き渡されたもの等について、公平適正かつ迅速に、返還その他の処理をすることを目的とする」と書いてある。

 この法が成立した時点で、日銀地下の接収貴金属はダイヤに換算して16万1283カラットと発表された。
 貴金属が集められたのは1944年夏から年末。集めた軍需省は「ダイヤモンドは目標の9倍、白金は2倍」と発表したが、肝腎の目標額は伏せられたまま。松本清張は買い取りに使った資金から逆算して、138万4615カラットにはなると推理している。
 1949年国会で、マッカート資金と言われる金が鉄道会館や造船業界に流れてはいないかという質問が出ている。マッカートは、GHQ経済科学局長でありクレーマーやヤングの上司であった。
 このマッカート資金=M資金と噂されるものには,フィリピンやインド関係の「財宝」までが含まれるようになる
 「M資金」がどのように実在し虚偽であるかは、今尚不明。だがそれ故に、この情報に児玉誉士夫や小佐野賢治らが群がり、全日空や富士製鉄までが巨大で荒唐無稽な詐欺に引っ掛かってしまう。 
 続く

他人の痛みはいくらでも我慢出来る

女の子の背中には人形が背負われている
彼女は自分の痛みも知らない
 偏頭痛が持病になったのは20代。七転八倒の苦しみを誰も理解しない。痛みの最中、自殺を考えた。医者も平然と「痛みで死んだ人はいません」と言う始末。確かに震えながら吐き数時間寝れば、酒が飲めるほど快活になりはする。 偏頭痛の治療法が劇的に進化したのは、京大病院の頭痛専門医が偏頭痛を発症してからだ。彼は言った「偏頭痛の痛みがどんなに激しく苦しいものか、やっと分かった」と。 酷い話である。「他人の痛みはいくらでも我慢出来る」のだ。 

 妹が嚥下出来なくなった。飲み込ませようとして、介助者が「はいゴックン」と言う度に、妹は「ゴックン」と言うだけ。口の中に食べ物が溢れた。喉を通らなければ栄養は、点滴やチューブに頼るしか無い。どんどん衰弱する。
 「入院が必要です、それでも数週間の命でしょう」と医者は言う。しかし妹は、点滴やチューブによる延命を頑なに拒んだ。
 嚥下には、喉の筋肉と神経が関わっている筈。夜分医者を訪ね、尋ねた。喉にある神経の塊の機能を、喋ることで促すことが出来るのでは無いかと。入院は取りやめになった。
 次の日妹に「飲み込むためには喉の筋肉を動かす必要がある。喋ることと飲み込むことにはきっと繫がりがある。何でもいいから喋れ」と促した。彼女は「何でもいいの」と、とりとめなく喋り始めた。 昼が近付き、水を飲ませると飲み込んだ。本人も周りも驚いた。流動食も飲み込んだ。
 嚥下について、専門家たちが毎日患者を目にしていながら、「あーん、ゴックンしましょう」で済ますことに恐怖を覚えた。
 妹はそれから一年生きた。造血機能も働かなくなり輸血なしでは生きられないところまで生きた。輸血を拒否して妹は眠るように亡くなった。

 職場や地域での自身の自治活動から逃げていた者が、分掌によって生徒たちの「自治」指導をすることに強い違和感がある。嚥下機能を無くした年寄りに「はい、あーんして、ゴックン」と言うような心許なさを覚える。
 「米軍がイラン革命防衛隊スレイマニ司令官を殺害。イランは報復宣言」の報道を受けての、世界と日本のTwitterのトレンド差に注目が集まった。 TwitterのトレンドとはTwitter内で使われた用語の頻度のことである。つまりTwitterを利用する人々の関心は何かを知ることが出来る。 
  2020 年 1 月 05 日 の各国twitterトレンド1位 アメリカ・カナダ・イギリスでは Iran 
 ドイツ・フランス・ロシアではWWⅢ(第三次世界大戦) 
 日本ではBABA嵐 (人気タレントによる「ババ抜き」遊びの中継)   日本のTwitterトレンドには29位まで、中東関係の用語は一つもない。
 ラクビーで日本中が酔い、口にした「ワンチーム」の実態はこの程度のものである。現実逃避の幼児的自己愛に過ぎず、底が浅い。それに相応しくこの国の首相は、この重要な期間をゴルフとグルメ三昧で過ごし、恥じていない。

 自治活動を学校で「指導」しているのは日本だけ。その成果が、世界的危機への徹底した無関心として現れている。

 嚥下出来ない老人に「あーん・・・」を繰り返し、点滴とチューブに依存させるのを指導や医療とは言わない。だが依存させる側には、虚妄の満足感が残る。虚妄の満足経験は累積して「指導」の体系を作る。
 文科省が指導要領で自治活動の指導を義務づけているのは、その効果が無いばかりか逆効果である事を熟知しているからだ。

 停退学などの処分をする権限を持つ部署が自治指導を兼ねるのを、なぜおかしいと思わないまま今日まで来たのか。憲兵が労組や政党を導くような不気味さを感じる。
 戦前の内務省的発想から、学校は未だに解放されていないからだ。思想や素行の善導意識が蔓延る。

君は疲れている

病に倒れて知る 鉢の中にも宇宙
 深い豊かさが、君の文章から消えた。単調で鋭さがない。それには誰より君自身が気が滅入っているに違いない。
  
 ずっと昔のことだが、僕にも誰より早く登校し誰より遅く下校して、仕事を抱え込んだ時期がある。学校内外の仕事が次から次に押し寄せても、軽々とこなしているつもりだった。

   ある日、職員会議で発言しようと立ち上がった瞬間、雲に乗ったように上下左右の感覚を失い倒れ込んでしまった。そのまま入院。病院に三ヶ月、自宅静養の三ヶ月を過ごした。入院初期は、一日毎に500g 体重が減った。突発性難聴という診断だった。後遺症で今も右耳の聴覚は無く耳鳴りが残る。
 この入院を含め三度の半年近い病休を経験した。二度目は殆ど自宅で寝たままの日々を過ごした。病床から見えるのはベランダの鉢に生えた雑草と空だけ。最後の入院は大学で講義中、意識を失った時。半身不随になり、完治に半年を要した。
 思えば、体が休むことを命じたのだ。休む回路を壊した僕を病で寝込ませて、肉体と精神の回復を待つしか無句なった。休まないことは美徳だと思い込んでいた。ストライキの時だけは説明して休講したが、
授業を休んだことは無い。 授業すれば精神も肉体も甦るような錯覚に酔ったのだ。弱い自分を見ない、不遜。

 自宅の病床から見えたのは、来る日も来る日もベランダの鉢と空だけ。快適さ便利さは消えたが、気が付くと草の伸びる速さに体が同期し始めている。鉢と雑草の世界もまた宇宙である、不思議な感覚だった。学校を辞めるのも悪くないと思う頃、僕はゆるゆる回復し始めた。
 病気になることで、命の瀬戸際を逃れる。自らを救う仕組み・能力が人間のどこかにある。学級に危機が迫ったとき,生徒たちの中から人間関係=集団を修復・再建する動きが自然に生まれるように。
 その仕組みが、回りへの気兼ねや組織に対する義務感で壊れたり弱くなっているとき、過労で倒れてしまうのだ。この仕組みの脆弱さは、三度も入院した事で分かる。

 何人もの友人を過労で失った。友人の家族の悲しみに暮れた表情が僕の中にたまり続ける。 

 君は疲れている。
 僕は鋭く豊かな君の語りを再び聞きたい。

バレリーナの階級意識 

バレリーナも労働組合員である
 フランス全土170カ所で「年金守れ」のデモがあったばかりだ。労働総同盟、統一労組連盟、連帯の3労組と全国高校生連合、全国学生連合が呼びかけ、フランス国鉄労働者も呼応してスト決行。年末になってパリ交通公団の大規模スト、弁護士・パイロット・医師らのデモに続く大行動だった。(こうした大行動の主体として高校生が位置づけられていることに注目せずにおれない)
 CGT書記長は「負担は増し給付は減る年金改悪に反対する最初の集中行動」であり、政府が対応しなければ、今後もさらに行動を継続する決意を示した。

 フランスの年金は、労働の特性に応じた多様な制度になっている。例えば、オペラ座のバレリーナは激しい訓練と舞踏を考慮して17世紀以来、42歳で引退し年金生活に入る権利を闘い獲得してきた。バレリーナの一人は「8歳からバレエ学校に通い、親元から離れて、毎日5時間の練習を続けてきました。17~18歳で、他くの人が慢性的なケガ、腱(けん)炎、疲労骨折、膝痛に苦しんでいます」と語り。別のバレリーナは、「42歳までレベルを維持することは難しく、まして(政府の年金改定案の定年年齢)64歳まで働くのは不可能」と訴えている。

 オペラ座とコメディ・フランセーズの組合員も、公演をキャンセルしてストに参加した。冒頭の写真はストに入り、劇場前で「白鳥の湖」を舞いながら文化の危機を訴える組合員たち。
 
  長い階級闘争に鍛えられた階級意識が、こうした闘いを国民各層に広げている。 
 仲間を出し抜いてタイトルやメダルを目指し、スポンサー企業からの高額契約獲得に鎬を削る日本の競技プロの発想とは、質的に異なっている。連帯の思想がない、仲間を作れず思いやることも出来ない。少年/少女までが競技プロ宣言して賞金稼ぎや契約獲得に走る風潮を、恰も希望や進歩であるかのように囃す光景を僕は背筋が凍る思いで見る。

 海外のチームから高額の費用をかけて移籍させたメンバーの活躍で勝利を得て、民族・国境を超えた「ワンチーム」の成果と酔い痴れるのなら、過酷な労働環境に喘ぐベトナムなどからの研修生に対しても「ワンチーム」同様の暖かさが表明されねばならない筈だ。死者や行方不明者を多数出しているにも拘わらず、研修生を「ワンチーム」と見ないのだ。酷い仕打ちである。スポーツマンシップに反していないか。大戦中、朝鮮人や台湾人を勝手に大日本帝国臣民として「ワンチーム」意識を強制。死に至る過酷な徴用労働や兵役に駆り立ておきながら、敗戦後は、一転して「ワンチーム」ではなくなったと外国人扱い。強制労働させた責任や補償から逃げている。
 そんな日本の姿をトンガからのplayerが知ったら、「ワンチーム」と囃されることをどう思うだろうか。

 金でメンバーを世界から集めて「勝利」を買い、舞い上がるのであれば、もはや競技自体を国単位でおこなう意味はない。オリンピックも国旗・国家を廃して、国家別のメダル数勘定の出来ない形態こそスポーツらしい国際性に相応しい。企業をスポンサーとして抱える競技団体が,公正であるはずはないのだ。ノーベル賞も例外としない。

 2018年2月28 日「世界で一番企業が活躍しやすい国を目指します」と安倍晋三が 第183回国会施政方針演説で強調した。お陰で、政府は次々と巨大企業を以前にも増して優遇する。以前なら海外なら違法行為であったことも合法化した。だから憂いなしに利益の極大化に励むことが出来る。だからベトナム研修生や非正規労働者は、筆舌に尽くせぬ苦難を強いられ続けるのだ。

 無邪気なおばさんが、「「ワンチーム」のお陰でラクビーが好きになり、ルールも憶えました」と手放しのコメントをしながら、他方ではベトナム研修生のお陰で、製造業や第一次産業が支えられ、安い食材や加工品を口にしていることにも気づかない。徴用工の補償問題や研修生の労働条件や制度も大切な「ルール」ではないか。
 社会的無知はこうして量産される。そこに競技プロ化が関わっていることにplayer自身が「私は商品ではない」と強い怒りを表す必要がある。メディアへの露出度の高いsports playerには社会的責任がある。
 政府が競技に大幅な予算を組むのは、少年の夢を叶え国民の健康を増進するためではない。階級意識や社会的関心を抹殺するためである。企業が体育会系学生を採用したがるのも、体育会的体質が組合を忌避するからである
 フランスの労働者や学生だけではなく、我々にも階級意識が必要なのだ。テレビカメラの前で金メダルを火事って見せるプロ意識ではない。高校生が高い偏差値やスポーツ実績でで名門大学に合格して,飛び抜けた待遇を獲得することを当然とするのであれば、この国の働くもの=国民に生活向上はない。そこに連帯はないからである。


記 徴用工問題について、「過去の個人請求権は1965年の日韓請求権協定で解決済み」という立場がある、安部政権もそこに執着している。確かに個人の請求権は国が肩代わりできるとするのが当時の国際的解釈であった。しかし、国際人権法が確立した後、この主張は根底的に退けられている。
 日本がこの国際人権法に加盟したのは1978年のこと。国際人権法を構成する国際人権規約B規約第2条3項は、「この規約において認められる権利又は自由を侵害された者が、公的資格で行動する者によりその侵害が行われた場合にも、効果的な救済措置を受けることを確保すること」と規定している。ここで「権利」や「自由」を「侵害された者」には、
従軍慰安婦や徴用工が当然含まれる。
 国際人権規約B規約第7条は「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を受けない」と規定。「従軍慰安婦」問題はこれに該当する。
 また第8条3項(a)は、「何人も、強制労働に服することを要求されない」と規定、これは徴用工の問題に当たる。
 それ故、元「従軍慰安婦」、元「徴用工」は、日本国に対して効果的な救済措置を要求する権利を持つことになったのである。

 国連中心主義を口で唱えるばかりが、日本外交であってはならない。誠実に具体的に国連の決定に従う姿勢を世界は注視している。

 国際人権法確立を経て世界各国で、国際人権規約に違反する
過去の行為への救済措置が実施されてきた。オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、アメリカでは先住民族に対する謝罪と補償が行われた。アメリカは第二次大戦中に日系アメリカ人に対して行った隔離政策を謝罪、補償している。また、大戦中の強制労働問題ではドイツの「記憶・責任・未来」基金が設立され、謝罪と補償に当たっている。
 元従軍慰安婦や元徴用工に謝罪・補償するのは、既に国際社会の常識である。

「最適解」

最適解
 知り合いからのmailにある本の紹介があった。
 「子どもの頃、夏休みの宿題を夏休みの後半にしていた労働者は、長時間労働や深夜残業をする傾向が強いという研究もある」   『行動経済学の使い方』(大竹文雄、岩波新書)p.106

 知り合いは、この本を「人をどうしたら動かせるかという、何とも納得いかない研究」と評している。簡明な「批評」だと思う。「批」には、たたく、ただす、主権者が承認する、という意味がある。 「おべっか」と「おちゃらけ」と憎しみに満ちた上目遣いの評価許りを見聞きしていた僕には、久しぶりの涼しい薫風であった。

 小学生のころ隣の席の女の子は、有るとき「あのね、夏休みの宿題を先生はどうするか知ってる? 職員室に積んどいて、スタンプも押さずに燃やすんだよ」と耳打ちして笑った。だから彼女は宿題を殆どやったことがない、夏休みの宿題以外でも。ラジオ体操もサボった。「だつて、後でまとめて叔父さんがスタンプくれるよ」と平然としていた。
 その女の子が国体で活躍し1964年のオリンピック強化訓練に参加するようになるのだから、世の中は分からない。

 僕は夏休みの宿題は、受け取ったその日のうちにやり始めた。宿題が好きだったわけではない、寿司の盛り合わせを前にすると嫌いなものから先に口にする気持ちだった。はじめの数日で大方終わらせたが、どうしても残る。似たようなドリルが続くから見るのも嫌になる。でも宿題が残っている限り、落ち着かない。好きなことに取りかかれない。近所の探検や博物館や図書館に行くのもどこか後ろめたかった。残りが僅かになれば、安心して好きなことが出来る。

 彼女は担任に気に入られ、身近でいろんなことを観察できた。何も知らない僕は、我武者羅になる。
 しかし「長時間労働や深夜残業をする」ようになるのでは堪らない。子どもは大人の行動をよく観察をして、「最適解」を求める必要がある。小学生だった頃の妻が発見したように、「最適解」は意外に手近で手軽である。先ず平然とサボる。
 日本人の宿題漬けは外国から見れば異様である。小学生の頃から宿題に依存する性向を植え付けられた日本人が、世界で突出して働き過ぎ。死に至ってもやめる気配がない。
 会社で無闇に頑張ってはいけない。過労で倒れる前に、財務諸表を読み込み世界情勢を判断し、社内の勢力動向に敏感にならねばならない。あらゆる組織について同じことが言える。

 米国製兵器の爆買いや自衛隊の海外派遣が、日本の平和にとって「最適解」でない許りか、最悪解であることは歴史や世界情勢を観察すれば分かることだ。中村哲医師の生き様がそれを我々に伝えている。
 ブルキナファソのサンカラ、チリのアジェンデ、コンゴのルムンバ・・・最適解を民衆に身を挺して示した指導者は、悉く暗殺されている。
平和と独立を目指したが故に。中村哲医師も惨殺されてしまった、彼の指し示した方向を嫌悪する勢力は余りにも巨大であった。

バイクと高校生と言葉と階級

無知や貧困との闘い
 下町の工高で教えていた頃、夏休みにはバイクの事故で死者や重傷者が相次いだ。教師たちには心安まる暇はなかった。高校生は原付の免許を取るや否や、夜通しで三国峠を目指していた。連続するカーブが彼らを惹き付けた。
 僕のクラスでも免許を取る者が続出した。Tくんは学校近くに住んでいたから、通学には使わない。通学に使う連中は見つかれば停学だから、実にうまく隠す。生徒部が必死になっても捜せない。Tくんの成績は一気に危険地帯に入った。夜間遠出するから遅刻も増える。説教したり脅したりでやめる連中ではない。親も息子に、バイクを取り上げるなら退学すると脅されてお手上げ。事故現場の写真を廊下に貼っても、「先生、俺たちは生の現場を見てるんだぜ」と笑う始末。

 ある初冬の寒い日、Tくんが放課後社会科職員室に来て言う。
 「ちょうどよかった、話したいことがあったんだ」
 「だと思ってた。・・・でもよ先生、おれバイク売っちゃったんだ」
 「分かってたか、何ヶ月乗ってたんだ。思い切りが早いな」
 「二ヶ月、それがさ、雨が降った夜。一回りするつもりで出たんだけどさ、店のガラスに映ってる自分に気付いたのさ。オレ顔がでかくて、ヘルメットがちょこんと乗ってる。おまけに足は短い。それが雨に濡れてゴリラにのってる。格好悪いんだよ、恥ずかしくてうちに帰った。」
 「格好いいつもりだったのか」
 「笑わないでよ」
 「格好いいのはバイクだけか、高校生向けのバイクを売る会社は最悪だと僕は思ってるよ」
 「そんでよ、ここに来たのはさ。先生が教えた『立場』という言葉を思いだしちゃった。自分が見たり思ったりすることと、他人が見たり聞いたりすることが全く違うことがあるってやつ。それが言いたくなった」

 こうして高校生は、苦い失敗を経て「言葉をみつける」。三年になれば『政治経済』で階級の概念に出会う。彼は苦さと共に新たな言葉を獲得する。その時彼は商品としてのバイクから自らを解放する。学ぶとは単語を記憶する事ではない。

 バイクと高校生を巡って、どんなに多くの教師が、一体何度会議を重ねたことか。どんなに多くのレポートが綴られ、本が書かれ番組が作られたことか。すべてが無駄とは言わないが、その思いはある。多かれ少なかれ、それらは高校生に説教や処分を与える根拠となった。
 最大の問題は、バイクの魅力を上回る授業を構想出来ない構造と能力にある。我々とは個人としての教師でもあるが、偏差値の高い学校には重点的に予算と教師を回す行政でもあり、武器と金力に優しい政府でもある。
 黒澤明の『赤ひげ』で新出去定は、貧乏と無知に喘ぐ見捨てられた病人たちにこそ良い医者が必要と言う。「底辺校」にもとびきりの教師が必要なのだ。
 岡場所で心を病んだおとよが養生所に来ても気持ちがすさみ、保本登の差し出す茶碗を払いのけ割る場面がある。保本登は怒りもせず「かわいそうにな」と涙を流す。これが「底辺校」に必要な光景ではないか。匙に注いだ薬湯をおとよが撥ね除けても撥ね除けても、優しい顔して顔に着いた薬を拭いながら匙をおとよの口に運び続ける赤ひげの「強さ」が教師に求められる。毅然たる処分や体罰ではなく。
 御目見得医や金持ちの太鼓持ち医者並の教師が、管理職試験技術ばかりを肥大させて学会や研究会に巣くっている。
 SSH作りには夢中になるのに、その対極の高校生たちには説教と処分と体罰以外の手間をかけない仕組みを呪う。

 僕はおとよと長坊の20年後を思う。貧困と無知にどう立ち向かうのか。
 長坊もおとよも、保本や新出がいなければ札付きの非行少年/少女で終わった。

王様に貰ったミカン

 深酒して 終電車に乗り遅れ、交番で補導された事がある。身分証明を見せると、巡査は慌てて「失礼しました」と敬礼した。修学旅行引率では、宿の仲居さんから面と向かって「先生はどこ」と聞かれた。「僕です」と答えると、仲居さんは 一瞬呆然の後 生徒と一緒に大笑いした。引率されたのが二十を...