ホームズの敵モリアティはなぜ「教授」なのか / 戦争も株価も専門家に任せてはならない

専門家は自由な判断をしない
   シャーロックホームズは、バイオリンを嗜む科学者であり、探偵は余技である。対してモリアティは professorであり、依頼人のために悪の限りを尽くす存在として描かれる。日本ではモリアティを教授と訳しているが、中国語では専家と訳している(彼の表の顔は、大学お雇いの数学教授)。つまりモリアティは、悪で喰う専門家として描かれている。それで喰っているのだから、その悪の依頼主の意向がモリアティの判断の基準となる。
 アメリカでは、雇われた専門家が雇い主の意向に反してまで良心の自由を貫こうとすれば、雇い主は法的に証言を無効に出来る。雇い主に従う義務が専門家=  professorにはある。福島の原発事故で、原子力工学の専門家=professorたちが情けないほど東電の意向からはみ出なかったことを思い起こしたい。
  professorを無闇に有り難がるアメリカや日本に対して、イギリスでは professorは胡散臭い存在として認知される。BBCでも、Oxford大学の教授=professor=専門家たちが不正の虜に成り下がる様を遠慮無く描いている。

 ナチスドイツと孤軍奮闘でソビエと同盟して闘ったチャーチルは、戦争の専門家ではなかった。だからアメリカの外交や戦争の専門家のように利害優先の判断に引き摺られることはなかった。つまりナチスとの同盟で利益拡大を伺う専門家の判断から自由であった。
 その自由の根拠は、英国紳士や文化人の名誉とも誇りともする「教養」と「リベラルな文化」である。米国が、ナチスドイツと組むか英・ソと組むか、その帳簿上の収支を巡って投資や戦争の専門家たちが迷っていたとき、素人リベラリスト・チャーチルの判断は正しかったのである。しかし大戦末期の総選挙で、大戦勝利間近に迫った偉大な英雄チャーチルは意外にも大敗北した。
 英国民には戦争の専門家となったチャーチルはもはや必要なかった。戦争で経済的に疲弊していたにも拘わらず、「揺りかごから墓場まで」の福祉国家を掲げた労働党を選んだのである。(「揺りかごから墓場まで」の基になったビバレッジ報告そのものは、チャーチル率いる保守党によるものであった)

 英国の学者は自費で自宅に研究室や実験室を置き研究して、論文を書き上げ自費出版する伝統がある。出版社や業界の判断から、自己の自由な判断を守るためである。
 日本や米国の学者=professor=専門家は、名誉ある自由で良心的な判断より収入の極大化を求める。

 株価も政府や証券会社などに巣くう専門家が、権力の意向に従っていてはならないのであって。自由な素人の雑多な判断が総合されなければならない。

日本のシステムは、既に崩壊している

日本は医者だけでなく公務員数も驚くべき低水準
 政府は『緊急事態宣言」を出して、医療体制の崩壊を防ぐのだと言っている。大嘘である、日本もアメリカも医療制度はとっくに破綻していた。公立病院を統廃合し、ベッド総数を激減させコスト削減「行政法人」化、新しい災いに対応する力は既に無かった。医者の数も日本は、致命的に少ない(人口1000人あたり、日本は2.3人、英国2.8人、仏国3.1人、独国4.1人、米国2.6人)。にも関わらず日本医師会も厚生労働省も日本の医師数は、飽和状態にあると欺し続けてきたのである。
 「コロナ融資に中小企業殺到 手続き入り2カ月待ち」になっているのも、公務員を削減しすぎたためである。国家も自治体も行政能力をとっくに失っている。

 日銀が年金に手を付け、経済実態に政府が介入して見かけの株価維持などしてはならない。500兆円にもなんなんとするる企業内部保留金には緊急に手を付けねばならない。1兆1740億ドルの日本の米国債保有高は世界一である。いずれも、今を逃して使用する機会は無い。米軍基地の返還と合わせ取り組む絶好、そしておそらく絶後の機会である。

 兵庫で高校生が「GWまで休校」署名提出 、兵庫県はこれを受け入れた。長距離通学で満員電車に詰め込まれるのは、誰だってコロナ騒ぎが無くたって厭なものさ。これを機会に高校入試は廃止して、みんなが一番近い高校に通う制度=
小学区制に戻す絶好の機会ではないか。それで何ら差し支えはない、それは世界が証明している。ドイツもフランスも、フィンランドも高校入試はない。それでノーベル賞や天才芸術家が減ったりはしない。若者は膨大な時間と費用を取り返せる。母親はパートにでなくても済む。父も母も子どもとの団欒を満喫し、家庭内暴力の類いは激減する。これだけでも学力は日本中で伸びる。高校生の地域での活動も活発になり、老人や幼児との交流も盛んになる。困るのは塾資本
だけ。通勤も楽になる。
 大学も入学希望者は全員入学。だが進級試験は厳格にし、卒業出来る数は現在の定員の半分以下に絞り込む。転学も自由にする。卒業証書は大学名を除いた「学位証明」のみとするだけでよい。

 コロナウイルスは、少年たちの衣服にも付着する。感染を抑止したければ制服を止め、服装の洗濯は頻繁にやれば済む。元々制服は不潔で臭い。

 コロナ禍は、世界の生産に致命的障害をもたらす。嘗て愚かにも国内の小企業や不採算部門の優れた技術を捨てて、海外に生産拠点を移した。それをグローバル化を名付けて浮かれた。これから長く世界は、コロナ禍と同様な困難に直面する。行き来が出来ないのだから、原料も製品も国内の近辺から調達する必要がある。その為には、縮小再生産目指す必要がある。そうなれば仕事の総量は減少するから、一つの仕事を二人て分け合うワークシェアリングが不可欠だ。世界的規模での縮小再生産は、史上初となる。場合によっては車の生産などは数十分の一にして、同じ車をエンジンだけを改良し10年以上使うことにもなだろう。

 通勤距離は短いほど感染の可能性は減る。近距離通勤促進に、思い切った奨励措置も必要だし、公務員や教師の通勤距離最短化も課題となる。近い距離を歩いたり自転車で通えば、地域の小さな課題も見えてくる。莫大な通勤交通費が浮き、福祉や緑化に投入出来る。


 キューバは、ソビエトが崩壊したとき、空前絶後の経済危機に直面した。←クリック経済規模は30%にまで落ち込んだ。しかし、縮小再生産に挑み成功していることに学ぶべきである。

社会の大きさや複雑さの違いは、社会と人間のあり方を変える 国も自治体も小さいに限る

小さな共同体=患者自治会が可能にした桜並木
  お酒が好きでしょっ中喧嘩する人がいましてね、それがテニスなんかを通して子どもと知り合った。すると人間的に全く変わったということがありましたね。子どもとペアーを組んで優勝したりね。そんなことでその人がパーッとかわって・・・どっちかと言うと鼻つまみになりかねない人だった。競輪競馬もやる人でね。それが子どもに○○さん、○○さんと呼ばれて、いままで、飲み友達、競輪友達しかいなかったのに、「子どもの友だちができた。変なことはできないなあ」と自分で漏らしていたいたそうですよ。周りの人も生まれ変わったみたいだと言っていました。その人は、自分が孤立していると思っていたのに子どもが自然に慕っていったからでしょうね。                  全生園子ども舎最後の寮父・三木氏証言
      
  社会の大きさや複雑さの違いは、社会のあり方を、従って人間のあり方を変える。
 例えば村会と国会の運営には質的な差がある。数千万、数億人を対象とする様々な案件を抱える国会では集団の利害や党派の一般原則に基づいて討議決定せざるをえないが、村会では、政策の提案者や対象となる個人を考えて柔軟に決定できる。三木寮父の話で言えば、お酒の好きなこの人を、酔っ払い、博奕好きという属性だけを切り離して判断しないということである。子どもと博奕打ちの、曖昧さを含んだ有機的関係を固有名詞のまま連続的に捉えるということ、それが小さな共同体では可能になる。酔っぱらいの博奕打ちの変化を、多くが目にし話して確かめることが出来るからである。自治を支える人口的条件がそこにはある。 
 (1888年日本には7万0314の自治体があったが、2019年現在1718にまで減少。フランスは3万8000ドイツは1万4500 の自治体があり、それぞれ一自治体あたりの人口は1600人と 5600人である。日本は7万8000 人である)。
  我々の社会の自殺の多さ、いじめ、貧困に対する不寛容は、ここに根を探る必要がある。


 人口が増加すれば、こうした判断(曖昧さを含んだ有機的関係を固有名詞のまま連続的に捉える)は難しくなる。酔っぱらいの鼻つまみは固有名詞を奪われ、多数雑多な厄介者の一人として一括処理されてしまう。彼らが孤立状態から共同体への回帰するためには、多数への順応・同調という手続きのみが残り、同調できなければ罰と排除が待っている。 彼らの全生活の複雑性の理解と把握は顧みられなくなる。同時に社会は豊かな文化性を失う。リベラルな教養はその文化の中にある。
  小さな共同体で、ひとは全て、取り替えることの出来ない固有名詞の複雑な全体として承認される。それが平凡という価値であると思う。平凡は平均ではない。千人程度の「奇妙な国」で、それが可能であったことの持つ意味は深い。何故なら「社会」では、企業も自治体も学校さえもが合併して、人は特性のない諸属性に解体・分類・適応され、従って絶えざる競争と孤立の日常に埋没してしまったからである。
 少年の信頼と承認が、鼻つまみを心優しい「善人」に変えてゆく。これは小さな社会であっても、毛涯(彼は戦前の全生園の暴力的風紀取り締まり係。ポマードをつけたと言っては殴り、若者を殺したこともある)が居てはありえない。なぜならそこではあるべき人間像は上から暴力的に与えられ、酔っぱらいの博奕打ちは監房に放り込まれ、テニスは患者のくせにとムチ打ちの対象になったからである。全生学園自治も、療養所の人口規模を抜きには考えられない。 「塾」や茶会という文化的学びの形態もまた、何時でも歩いて行けるという共同体の大きさが関わっている。

  「曖昧さを含んだ有機的関係を固有名詞のまま連続的に捉えるということ、それが小さな共同体では可能になる。互いの成長や変化を、目にして話して確かめることが出来るからである。自治を支える人口的条件がそこにはある 」

 大学の自治会や高校の学生自治会のあり方は、地域の自治会と共に、まさにその典型でなくてはならない。なぜなら若者は、未熟かつ激しやすく、自分の正当性の枠に籠もりがちだからである。
 僕は欧州やラテンアメリカの高校生が、国政の課題をめぐって、数十万規模の統一行動を組んで政府を譲歩させる光景を羨ましいと思う。環境系、社会党系、共産党系等の活動家が同じ校舎の中で、街頭の中でスクラムを組んでいる。思想上の討論や方針の違いも、ここでは集団の豊かさに転化する。ここでは、高校生と教師の関係は「連帯
」であり「指導」ではない。
 日本の学生自治会のように20%そこそこの相対多数で執行部を独占し、自治会費争奪も絡んでゲバルトに走る事は無い。政党も60年代から、例えば第四インター系もトロツキストも他の少数左翼と共に共産党大会に参加し、肩を組んでインターナショナルを歌うのである。その逆も日常的に行われ、それ故理論や思想上の活発な遣り取りが出来る。
 自らは少数に過ぎないという冷めた自覚が、多様な豊かさと寛容性を通して団結を促すのだと知るべきである。

  現在の政権は、僅か20%そこそこの得票で議員の多数を獲得し、事実を曲げ審議も尽くさず多数の暴力支配に走る幼稚な姿の原型は、歪んだ学生自治にあったとも言える。選挙後の大衆の政治的無関心の説明をここに求めるのも、あながち間違いではない。                                                               『患者教師・子どもたち・絶滅隔離』地歴社刊に加筆

僕の病牀六尺

     僕の病床は、書架を直角に置いた居間の古ぼけた安楽椅子。(子規は結核、僕は腎臓病+肝臓病+帯状疱疹)。
 将に六尺、昼間はここでずっと本の背表紙ばかりを見ている。情報がここまで制限されると洞察だけが楽しみになる。
   しかし、許された唯一の薬(リリカ)による「妄想」から逃げられない。妄想の影響の残るときに文章は酷い。重要な単語を抜かし、関係の無いことを割り込ませ,論理が一環しなくなる。支離滅裂なのだ。自分で読んでも意味が通らない。
 ヒトラーやスターリンや裕仁の「妄想」は彼らの抑圧された生活が作り出し、側近が強化し形あるある実体にまで仕立て上げたものだ。
 それ故、支離滅裂な言動には「妄想」を疑う必要がある。妄想は、作り上げた者自身がそれを妄想と見抜き「闘」わねば消えずエスカレートする。五輪やコロナウイルス対策を巡る首相やJOC会長らの言動に、それを見ることが出来る。(布製のマスクがウイルス対策になると考えるのは、b29を竹槍で落とせる、防空頭巾で空襲や艦砲射撃を防げると考えるのと同様の「妄想」である。)もっとも、彼らの妄想振りは、その登場の始まりからだ。最初に忖度してその気にさせた取り巻きの責任は大きい。
 だが妄想も詩にとっては、益することがある。宇宙論にさえ。
   桜が美しいね。

 SNSで人と人の繫がりは密になったのだろうか。戦中の文化人の日記を読めば、誰もが実にまめに友を訪ね、訪ねた先で半日でも待ち更に出先に赴いている。便利さは、人の人らしさを少しも補っていしない。net上の繫がりが長く絶えても、数が多ければ放置してしまう。気が付いたら死んでいる。
 父が60年代、寝る暇もなく仕事に追われていた頃、父の朝鮮総督府時代の友人が、手紙を出してもらちがあかないので、わざわざ四国から四谷まで訪ねて来たことがある。敗戦で半島を徒歩縦断中、友人は吐血し、父は荷物を手放して看病しながら歩き、釜山に着いたときには手持ちの金はすっかり底をついていた。父は友を四国の今治まで背負いとどけた。この話をこの人は、僕を側に呼んで、父が静止するのを聞かず話し続けた。この人は鹿児島にも熊本にも僕ら一家を訪ねてきていた。
 便利は人の繫がりを補強しはしない。システムに繫がりを任せてしまう。昔、「友達100人出来るかな」という童謡があったが、親友は一生に一人、友達は数人と言われていた。「友達100人」は子どもの夢想にすぎなかった。しかし今や、SNSのおかげで友達は500人にも1000人にも及ぶ。
 システムだけが栄えて、生身の人は滅びつつある。

    過去から学ぶとは何か。持続可能性とは何か。何も学んでいない。データーも事実も偽造してその場を取り繕うことばかりを繰り返している。
  志賀直哉に「流行感冒」という短編がある←クリック、1919年の作。流行感冒とは、世界的に流行したスペイン風邪をさす。世界で5億人が感染、死者5,000万から1億人を出した。日本での死者は最新の研究では48万人、当時の日本人口の1%が死んでいる。今で言えば、100万人の死者である。 
  このとき、死体はどうしたのか。記録はある。『患者教師・・・』地歴社刊 の中に書いた。
 「コロナ」以前でさえ、火葬場は「待たねば」ならない有様であった。コロナウイルスによる死体や火葬をどうするのか、副総理は葬儀社の株をいち早く買い漁ったという。

   m先生からのmailに
 「・・・話変わって。他の生徒です。私に廊下で会ったときに、笑顔で、「私、ソシュールかも」と言ってきました。「前から、犬とDOGは違うと思っていて、もやもやしていたんだ」と。・・・いい加減な内容の授業が反映しています。が、生徒にとって(もちろん私にも)、授業の内容も雰囲気も、こういうのもありかな、と改めて思った出来事でした。」

 実にすてきな光景が、これを読めばmailは深く記憶に止まる筈。しかし「忘れ」ていた。考えられないことだが、意識に止まらなかった。m先生にも失礼してしまった。これも神経剤リリカのよる「妄想」のなせる作用と笑って下さい。重要な言葉や論理構造を飛ばすかと思えば、肝腎な情報が目に入らない始末。全く政権中枢と変わらない。
 「前から、犬とDOGは違うと思っていて、もやもやしていた」とすれば、その逆のもやもやもあったはず。それが知りたい。

 以下はm先生からのmail    

 生徒がなぜ「私はソシュールかも」と言ったのか。2つ考えられます。
1)ソシュールの考え方が知的な刺激を与えた
2)そういうことが言えてしまう授業のゆるやかな雰囲気 
 
 教研や研究会はこうした生徒との遣り取りを中心にしない限り、生きたものにならない。 
 

個人の尊厳を奪う「がんばれ!ニッポン!全員団結」


粗末な身なりのホーチミンにこそ
大国を圧倒した個人の尊厳がある 
 日本オリンピック委員会は、「がんばれ!ニッポン!全員団結プロジェクト」というキャンペーンを張っている。
団結。それは人々が力を合わせ、強く結びつくこと。みんなが待ち望んだ、東京2020オリンピック。・・・
みんなで手をつなげばきっと、ものすごい力が生まれる。心をひとつに、全員団結!さあ、いくぞ。がんばれ!ニッポン!
 ホーチミンは、団結を語るに最も相応しく生きた人間である。粗末な身なりの小さな痩せ男が、世界最大の帝国を相手に人々の尊厳を守ったのだ。民族意識と階級意識で国民を組織して戦い続けた。

 JOCが、「全員」団結を言うなら、少なくとも「全員マイナス1(1は個人としての僕)」にして貰おう。僕は「全員」などと言うモノに加わることを、一度も了承していない。
 民族意識も階級意識も忘れさせる五輪騒ぎに既になっている。オリンピック憲章ですら、五輪は〈個人種目もしくは団体種目での競技者間の競争であり、国家間の競争ではない〉と釘を刺している。

 賛美と興奮を煽る光景に既視感がある。絶滅収容所時代のハンセン病療養所を見事にルポした記録がある。
  「取り込む(搾取)事にかけては名人の連中も、本職の医者の方はからっきり駄目で全くのタケノコ(藪医者にも遠く及ばない)だ、つい先日も呼吸が 一寸苦るしいと言ふ女を、本人が嫌がるのを無理に手術をすれば楽になると言って手術室に引張り込み、到々外科技術が拙いためにやり損ない、三十分前まではピンピンして居た奴を×して仕舞った 其の他にもこれと同じ様な事は未だくいくらでもあるが、 先づこれ位いでやめるとして、兎に角こゝの職員は愛生園の内情が外部にもれる事を大変に恐れる、それで手紙等は一々御丁寧に開封して見て、少しでも愛生園に都合の悪るい事が 書かれてあると没収だし、面会人が来ても、立会人附で面会させる程の取締ぶりだ 読書なぞにして見ても、糞面白くもない宗教やキング其の他ありふれた雑誌のほかは一切読まさない、階級的な本を読ませるとストライキを起されると困ると吐かして、いくら外部から送って来ても本人に渡さないで没収だ 斯くの如くにして、其の待遇は囚人と何等異る所はない、 だからこそ愛生園の生活に耐へかねて逃走を企てる者、自殺をする者が次から次へと出て来る、冬の寒い真最中に夜海を泳いで逃走して行くのだが、其の殆ど全部の者は失敗して捕まって帰へって来る すると直ちにブタ箱入りだ、そのブタ箱も外部ではめったに見られぬ頑丈なものだ 勿論捕まって帰って来た者にはテロが加へられる事はきまりきって居る  当地では未だ殺された者はないが、東京の全生病院では激しいゴオモンにかけてナグリ殺した事実さへある  果してこれが楽園であると言へるだろうか、職員の言ふ如く 本当の楽園であるならば、冬の寒い真最中に海を泳いで、しかも捕まって帰へればブタ箱入りとテロの加へられる事を承知で逃走して行く者は一人も居ない 愛生園こそは明かに牢獄だ 俺達はこゝでは人間としての取扱は受けては居らない、一個の品物として、ドレイとしての取扱ひしか受けては居ないのだ」 
  書いたのは吉川四郎。
    吉川四郎は、ハンセン病療養所愛生園最初の患者教師。旧制専門学校中退後、労働運動や政党で活動した異色の患者である。ルポルタージュは園が原稿の段階で押収、世間から隠された。
 世界大恐慌の煽りで、経済は一気に悪化、右翼テロと陸軍の謀略が横行してファッショ化する中、全員隔離によってハンセン病を10年で絶滅すると豪語して内務省が「らいの根絶策」策定。1931年「癩予防法」及び「懲戒検束規定」が帝国議会を通過、隔離対象が浮浪患者だけではなくなり、先生も収容の網に捕えられた。

  この生き地獄を賛美した者がある。
  「療養所は美しいものとなって来て居る。如何にして病院はかくも天国の如くなったか。その一原因は、伝染の危険なき程度のものも解放しなかった事である。 療養所には作業がある。その健康に応じて彼等の作業は必要欠くべからざるもの24種を越えて居る。例へば、大工がある。そして彼等の手で病棟、消毒室、何でも建設せられる。付添が要る。 彼等は重症者に日夜侍して大小便の世話から、食事の世話から親身も及ばぬ看護をする。註 そして1050人の収容者中半数は相当重症でも何らか作業をし、人のため為す所あらんとして居る。これは一方彼等の疾病療法の一たり得るのである。そして、そのなかには中枢として、印度、ハワイあたりでは、当然解放すべき軽症者が働いて居るのである。当院の如きは作業が多くてする人が少ない。 この軽症者が重症者のために犠牲的に働くと云ふことが今の療養所をして監禁所に非ずして楽園とした・・・。 全治者を退院せしめよの声は古くから何回も叫ばれた言葉である。しかしもしこの軽症者を退院せしめる時は、この作業のために健康者を雇ひ入れねばならぬ。今日の日本、癩救済の貧弱な予算でどうしてそれを雇ひ得よう。患者は一日三銭、多くて十銭で全力を注いで働くのである。しかも同病相憐れむ心から、癩患者自身が癩救済の第一線に働くてふ使命感からの愛の働きである。・・・ 痛みつつも猶鋤をになふ作業、病友のために己を捧げて働く愛、それが療養所を潤し、實に掘りを埋め、トタン塀を除き、楽園を作らしめたのである」書いたのは、全生病院青年医師時代の林文雄。

 アンパン一つが3銭の時代に「1日3銭、多くて10銭で全力を注いで働」かせて、其所を天国と言う医者。重い炭俵を担いで氷雪に凍てつく断崖を血の跡を残しながら登るのも、大きな石を運び道普請するのも患者作業だった。神経が麻痺した患者は、例えば釘を踏み抜いて肉体の限度を越えても気付くことなく労働に精を出した。こうして過酷な強制労働は、患者の命を縮めた。
 1960年、不自由舎(不自由な患者の病舎)での患者付添が職員看護に切り替わる。あまりの激務に過労とノイローゼで倒れる看護婦が続出し週刊誌沙汰になる。「重症者に日夜侍して大小便の世話」をするのが如何に過酷か、この時職員は初めて知る。患者による患者付添の過労は美しき愛の働き、職員看護のそれは過酷。ここに横たわる人間観・世界観を、吉川四郎の『牢獄か楽園か』という題名が捉えている。林は「コンナコーフクナモノハナシ」と書き残し、患者の血と涙で建設された大島青松園の豪華な官舎で、家族の見守る中最後を迎えた。

 ジョージ・オーウェル「一九八四年」の主人公は「真理省」役人ウィンストン・スミス。仕事は、日々歴史記録の改竄作業を行うこと。たとえば強制収容所を「歓喜キャンプ」と言い換えた。その目的は国民の思考を止めることであった。
  林文夫は文書改竄に止まらず、小さな国としてのハンセン病療養所国民の思考を止めたのである。

  JOCのキャンペーンは、国民の思考を止め,3兆円かけて国家賛美の馬鹿騒ぎに浮かれさせることである。個人の尊厳を忘却させる狙いがある。
 林文夫が賛美した現象の実態は、吉川四郎のルポが当局を激怒させたように厳然として存在している。
    吉川先生はたちまち療養所から追放された。絶対隔離の発案者にして療養所の独裁者光田健輔園長の説くところに依れば、ハンセン病は患者を唯一の感染源とする猛毒性の菌によるペスト並みの怖い病気である。それ故、全ての患者が死に絶えるまで療養所に隔離しなければならない。一見治ったように見えても、死んで解剖して菌が全くないことを確認するまでは、治ったと言えない。絶対隔離の仕組を作った救癩の父がそう言うのだから追放など出来ない筈。その光田が吉川先生に追放を言い渡したのである。
               『患者教師・子どもたち・絶滅隔離』地歴社刊 から引用加筆した。

行動を伴わない「民主主義」の虚妄

如何なる民主主義かそれが問題だ
 投票はそれだけで民主主義だろうか。表現・行動を伴わない投票は民主主義ではあり得ない。ある国を旅行していた日本人大学生が、広場の芝生で円くなって学生達が熱く議論するのに出会った。何を議論しているのかと問えば「民主主義についてだ、君はどう考えるのか」と言う。「勿論賛成だ」と答えると笑い声が漏れた。「我々が論じているのは、如何なる民主主義かだ」と切りかえされて日本人学生は言葉が出なかった。それを見た相手の学生たちも呆れ絶句した。
 広場で議論していたのは、軍事政権下の高校生である。1970年代の光景。  日本の若者にとって民主主義は、いつでも交換可能な用語。だから18歳選挙権は「コスパ感覚」で売り買いされているのだ。

  議論や行動を伴わない投票を民主主義と言えない。教室で政治を語ることすら二の足を踏む状況下の、選択の余地を奪われた投票は、大政翼賛装置でしか無い。
 少なくとも選択肢を討議し修正する機会が、政治的主権者にゆだれねばならない。候補者はその過程で自ずから現れてくる、それが自立と自律。与野党馴れ合いの候補が出現
市民の意向を混乱させる京都市議選のように。
 生徒部が生徒会選挙に介入することに根拠があるか。人事課が労組選挙を牛耳る職場に民主主義はない。如何なる善意に基づこうと上から与えられた候補は根付かない。教師が黒板の前で主権者教育や模擬投票の意義を絶叫しても、虚しさが残る。
 高校生は未来の主権者では無い。既に現在の正当な主権者である。

桜を見る会に現れた千年前の供御人

千年経っても現れる現れる亡霊
 供御人(くごにん)という号は、中世日本で朝廷に山海の食料や手工芸品などを貢納した集団に与えられた。供御人は、貢納物の原料採取・作業・交易のため関銭・津料などの交通税を免除され諸国往来御免であった。国役免除や給免田付与もあり、供御人の号を求めて人は群がった。
 天皇に繋がっていることが特権の根拠であり、特権は書き付けや腰につける幡で証明した。堂々たる偽ものも作られたという。

 「桜を見る会」の招待状や首相らとの写真を示して、公然と詐欺を働き摘発を逃れる者も出た。繫がりを誇示してメディア露出を図る者、票や地位を買う者も続出。彼らは先ず「桜を見る会」主催者への忠誠を出版物や番組で示す。芸や知識教養に実体がないから、虚偽虚飾をまとうしかない。が、その御利益は直ちにあらわれるから「会」の規模は膨張した。

 彼らは現代の「供御人」である。実体のない政策の政権を持ち上げることが「貢納」に当たる。招待状や写真は、幡にあたる。諸税の免除は、諸公文書の紛失によって実現している。
 民主主義は特権の廃止を伴う。特権の復活は朝廷や英雄が闊歩する時代への逆行=反動である。道理でこの国では世界の潮流に反して,命の価値が軽くなる、個人の尊厳が消える。
 支配者を気取る者が、憲法や国会の決定より自らの言葉を上位に置き、快感に酔いしれるのは現代の「供御人」に取り巻かれているからである。
追記  公立学校すら自校の特権維持拡大に目の色を変え、平等化による権利を目指そうとはしない。指定校推薦枠拡大やSSH指定、進学重点校指定に何時までも鎬を削るのである。入試の廃止は,日程にも上がらない。大学解体を叫んだ大学闘争でさえ、結局東大確認書では自校の特権を確認したに過ぎない。
  この国に階級意識が定着しないことと、亡霊のように立ち上がった千年前の供御人が跋扈することは同根なのだ。自校の特権にこだわる者は、主権者としての労働者階級と共に歩む資格は無い。
   それ故、日本の労働時間(短さ)が2018年OECD38カ国のデータでも日本は22位となり、フィンランドが賃金低下なしに「週4日、6時間労働」を目指しているときに、日経平均株価に意識をさらわれ無限の労働強化に向かうのである。
 記者クラブまでがあらゆるジャーナリストの権利ではなく、特定新聞社とTV局の特権になり、懇意なメンバーだけが首相との会食に参加出来る構造は、供御人と朝廷の関係を彷彿とさせる。同時に我々に深い絶望感をもたらす。

王様に貰ったミカン

 深酒して 終電車に乗り遅れ、交番で補導された事がある。身分証明を見せると、巡査は慌てて「失礼しました」と敬礼した。修学旅行引率では、宿の仲居さんから面と向かって「先生はどこ」と聞かれた。「僕です」と答えると、仲居さんは 一瞬呆然の後 生徒と一緒に大笑いした。引率されたのが二十を...