本当に素晴らしい思い出はすっかり忘れてしまう

全生分教室跡ー最後の生徒たちによる記念碑
世界文化遺産に相応しい教育はここにあった
   本当に楽しい思い出はすっかり忘れてしまうものだ、と言ったのはスタンダールか大岡昇平だった。
 僕は小学校入学以前の、父や祖父の思い出をすっかり忘れている。長い間、父と祖父は遠くに出かけていたのかと思い込んでいた程だ。実際はずっと同居していたにも拘わらず。母や叔母たちは、父たちと楽しそうに遊んだ様子を「覚えちょるね・・・」と何度も聞かせてくれたたのだが、全く思い出せなかった。古い写真を見つめ、遠い故郷に出かけて長時間佇むことを、数年おきに繰り返してようやくかすかに記憶らしいものが蘇る。又再び故郷の現場に立ってみる。森や畑の匂い、日差し、山林の影、夕日の差す座敷の佇まいや方言に包まれて、記憶の再構成を試みる。突然、あちこちに飛び散っていた記憶の断片に息が吹き込まれたように立ち上がってくる事がある。


 日が暮れるまで遊んだ路地や境内などの場所の詳細は思い出せても、遊ぶ姿そのものは思い出せない。叱られたり、大怪我をしたときのこと、死の恐怖を味わったことなどははっきり覚えている。
 何故楽しいあるいは充実した思い出は消えてしまうのだろうか。
 「もう思い残すことは何もない」という科白がある。完全に楽しいことを味わった時、それをすっかり燃焼し尽くしてしまうのだろうか。


 授業を語り記録することの困難の一端はここにある。あれは素晴らしかったと思える授業や出来事の詳細を、本人に確かめるとまるで覚えていないことがよくあるのだ。却って周りが鮮明に覚えている。古い手帖やメモを整理していると、僕自身が大切な授業、楽しい思い出をすっかり忘れているのに気付いて愕然とすることがある。例えばblog「啐啄の機」←クリック   
 手帖を発見して後、数ヶ月を経てその日の天気や教室の場所もようやく思い出せる。日記には意義があるのかも知れない。でも何故忘却してしまうのか。少しも嫌な思い出ではないのに。
 
 共同体の思い出も同じなのかも知れない。世界遺産指定に目の色を変え、歴史の偽造も厭わない関係者を見知るに付け、世界遺産や「歴史や神話」などは、私的営利活動の一環に過ぎないことが見えてくる。貧困や差別や環境破壊から子どもたちと文化を守る素晴らしい活動で、米国の激しい怒りを買ったUNESCOの活動を日本が方向転換させたのだ。その目玉が「世界遺産」認定制度である。これも又現代の作り物=fake である。

 メディアに溢れる「教育実践」報告や記事も、所詮このような「つくりもの」だろう。 
 教育担当記者がインターネットを駆使、官民の教育研究団体を通じて情報を集める。それに応じてメディアに自薦の実践が寄せられる。何故記者は足で実践や教師を見つて歩き回らないのかと思う。それが教育実践が地域に生まれる過程を見ることになる事を知らないか。自薦する奴に碌な者はない事は誰でも気付く。親も生徒もそのいかがわしい選考の過程を知らず、結果の表彰だけを見て賞賛するのだ。


 とは言え、ハンセン病療養所の「患者教師」と療養所内分教室だけは、真の世界文化遺産であると思う。しかし知るものは希である。

 戦前からの歴史を知る患者教師は、全生分教室のA先生だけではないだろうか。先生は素晴らしい無資格の教育者であった。そして、生涯を通して如何なる顕彰も受けていない。行政から報酬を受けたことすらない。
 売れるネタでなければ見向きもしない世間。価値あることが忘れられる歴史。そう思って世界を眺めるといい。この世が裏返って感じられ、見える世界の軽薄さが知れてくる。

ないものを見れば、あるものを見失う

爆撃し尽くされてもはや空襲の余地ない
清掃された市街を歩く「生き神」
 「余計喋ったら、お客は笑わねえ」と言ったのは、三升家小勝。
 とかく教師は、喋ってしまう。考え落ちであっても、落語が終わった途端「何故可笑しいかと言うと・・・」と言わずにおれないのが教壇に立ちたがる。判りさえすれば良い、判らせなければならない、という乱暴さがある。説教しても、だんだん声が大きくなって「何故いけないか、何故オレがおこっているかと言うと」と言わずにはおれない。「落ち」というものが全く判らずに落語家になったようなところが教師にはある。
 劇作家高田保が、あるギリシャ王の「馬鹿な奴ほど残らず喋る」という言葉を引いて、余韻は空白の中に漂うと言っている。落ちまで明かさなきゃ気が済まず、名作の結末までばらさずにはおれない。そういう担任は、王によれば馬鹿だということになる。

 であるがそんな教師にばかり習っていると、仕舞いには「余計喋る奴」が親切だと思うようになる。
 学校もTVも、笑わなければくすぐってでも笑わせる暴力が支配している。絶えず教室から笑い声がおこり、笑い声とともに授業が終わる。それが素晴らしいと。説教していて反省の兆しが見えなければ、校庭だろうと町中だろうと、何時までもがなりたてる。それが熱血だと双方で思い込む。確かにactiveには見える。
                                                        
 喋りすぎる教師が喋りを止める切っ掛けは何だろうか。面白いことがあった。blog「体罰を止めさせるために」の後半、下町のリベラルな工高での出来事である。←Click     
   
 件の教師は、生徒の話を聴く楽しみを知った。そうなれば、要らぬお喋りはもはや要らない。この教師が曾て生徒たちの中に見たつもりの、怪しからんこと、体罰すべきこと、延々と怒鳴りつけなければならないことの数々、それらは全て幻であった。
  ないものを見ればあるものを見失うのである。

追記 ある男にありもしない「神」を見れば、その男にある筈の人間を見てはならない。だから側近たちは下を見て歩かねばならない。直接その男を見れば、どうしても人間らしさを見てしまうからだ。だから直接見るのは「畏れ多い」ということになった。それが冒頭の写真だ。東京大空襲の惨状を見て歩いているつもりかも知れない。だが民衆の生活も、彼の命令で殺害されたアジア民衆の生き様も悲しみも怒りも目に入らない。

流れ藻は「竜宮」

 海流に乗って漂う流れ藻には、稚魚や、エビやワレカラ等の節足動物などが集まる。また、流れ藻にはブリやアジなどの重要水産資源の稚仔魚も群れる。サンマなどは流れ藻に産卵する。
 海洋水面には、隠れる場は少ない。流れ藻は流木とともに弱い水産生物が身を隠し生き延びる場所である。ハナオコゼなどはそこに住み着き生活している。
 ウミガメも流木に身を寄せる。手漕ぎや原始的な帆で漁をしていた頃の漁師が、難破して海洋を漂っていたときこの流れ藻に救われたことも多いに違いない。椰子の実が漂えば水分もとれる。魚もいる、海藻もある。この世の竜宮に見えただろう。生きて浜辺に帰り着いた漁師が語って聞かせた実話が、浦島太郎を産んだ。
 大洋の生態系に流れ藻が不可欠なように、都市には森林と共に小さな無数の緑地が必要である。海の流れ藻のように鳥や小動物が身を隠し繁殖する場所であるだけではなく、気候を和らげ水と空気を循環させ浄化する。何よりも人々を結び安らぎを与える場所として。  

 流れ藻を維持するためには、海洋汚染を止めねばならぬ。特にプラスチック。命の揺り籠が、墓場になり始めている。

 卒業記念に1人10本の植樹を義務づける法案が、先月フィリピン国会で環境対策として通過した。議員立法である。
 フィリピンでは毎年、1200万人を超える生徒が小学校を、約500万人が高校を、そして約50万人の大学生が卒業を迎える。この新法が効果的に実行されれば、毎年少なくとも1億7,500万本の新しい木が、フィリピンに植えられる。順調に進めば、一世代の間に5,250億本もの植樹が可能となる。日本でも必要だ。ただし学校ではなく温暖化に責任のある企業の義務として。特に駐車場や線路際、街角とビル側面

屋上の緑化はクーラー設置より好ましい効果が期待できる。利権が生じなければどんな政策も実現しないだろうが。

  タイやベトナムのスーパーでは、使い捨てのビニール袋の代わりにバナナの葉を使用し始めている。環境に良いだけではなく美しく殺菌効果もある。ささやかで根源的な日常の「竜宮」である。

横文字の氾濫は、民を恐れ入らせ煙に巻き無知にする

この「違式註違条例」は大阪府のもの。
 NHKの「クローズアップ現代」が、「氾濫する“カタカナ語” ~始まった言い換えの試み~」をテーマに番組を組んだことがある。2003年2月18日であった。
 番組要旨にはこうあった。「「アドボカシー」「インセンティブ」「タスクフォース」等々。政治・経済から福祉の分野まで、日常生活のあらゆる場面で氾濫しているカタカナ語。カタカナ語の流入は、インターネットの普及により加速したと言われ、その難解さに頭を抱える人は今や高齢者だけではなくなってきている。 去年末、国立国語研究所が難解なカタカナ語の言い換え例を発表した事を初め、杉並区役所でも、区民からの苦情を受けて、カタカナを減らし、所謂「お役所言葉」の一掃に乗り出した。しかし、こうした行政側の努力の一方で、グローバル化する企業の現場には、カタカナ語なしでは新商品開発ができなくなっている実情もある。 カタカナ語の氾濫で、自国語はどうなっていくのか。カタカナ語を手がかりに、「日本語」について考える。」

 当のNHK内で言い換えの試みが少しも始まっていなかったことを、10年後2013年一人の老人が告発した。
   NHKが放送で外国語を多用するため内容を理解できず、精神的苦痛を受けたとして、71歳の老人が損害賠償を求める裁判を起こしたのである。老人は、NHKが番組内で「リスク」や「ケア」など、外国語を使わなくても表現できる言葉を多用、番組名にも外国語を乱用。視聴者の大部分が理解できる言語で製作されておらず、憲法で保障された知る権利や幸福追求権を侵害していると老人は主張。理解が困難な言語として挙げたのは、上記の「リスク」「ケア」の他、「システム」「イブニング」「コンプライアンス」「コンシェルジュ」「アスリート」「ディープ」など。
 この男性は、2012年末、NHKにこの件で公開質問状を送付したが、NHKから回答がなかったため、訴訟に踏み切っている。

 日本を過剰にヨイショする為に、素人外国人を並べる番組にcool japanと横文字を使う姿勢そのものが、少しもかっこよくない。日本を礼賛し、歴史を修正する番組が乱立する中での横文字の氾濫である、このおかしさの本質は何か。

 強者に迎合しながら、強者の振る舞いや言葉遣いを真似、強者に嫌われ軽蔑されても奉仕することでしか独自性を見いだせない文化的軽薄さが、この国の中にはある。それ故、強者に益々軽んじられていることに気付きもしない。独立していないのだこの国は、と考えざるを得ない。

  「コンプライアンス  コンティンジェンシー レギュレーション フィジビリティ スキーム   アドボカシー インセンティブ タスクフォース   ダイバーシティ  アクティブ・ラーニング シラバス ワイズ・スペンディング アドボケイト ワンストップ・・・」 当該業界以外の人間にはてんで分からない。何度覚えたつもりでも直ぐ忘れる。そして次の横文字が混乱に拍車をかける。

 役所が率先して用い、議員かこれ見よがしに吹聴して歩く横文字も多い。行政は分かりやすく説明すると口では言うが、実際は横文字ではぐらかして市民の意識を遠ざけ「恐れ入らせ」ている。官僚も議員も自分の担当分野以外は、その意味を知らないだろう。
 
 フランスには、米国主導の英語による言語帝国主義に反対する運動があり、フランス語を守り文化の多様性を守るため、1992年には憲法に「共和国の言語はフランス語である」との一文が盛り込まれた。

 一方で国粋的傾向を推し進めながら、他方で横文字に靡く歪んだ卑屈な日本の傾向は今に始まったことではない。
 例えば江戸時代、訴訟は「裁き」、戦争は「いくさ」、恋愛は「色恋」・・・などやさしい大和言葉が使われた。それが一変するのは1872年の「違式註違条例」以降である。
 僕は曾てこう書いた。 

 「薩長による維新政権は文明開化を焦って、文明のかたちに煩かった。1872年東京府知事は「違式註違条例」を発令。刺青、男女混浴、春画、裸体、女相撲、街角の肥桶などから、肩脱ぎ、股をあらわにすること、塀から顔を出して笑うこと等76箇条を「文明国」に有るまじと決めつけ、軽犯罪としている。・・・裸や混浴が淫猥で不道徳と言うものがあれば、裸と性行為を結びつける者こそ淫乱と論議して、道徳習慣についての相互の寛容性を惹起する。それが教養であり、矜持である。  ・・・
 裏声で攘夷を絶叫していた薩長が長英・薩英戦争で敗北、その英国の後押しで政権にありつくや、一転して英国人にとっての「不快」な存在そのものを禁止・排除・抹殺して迎合しご機嫌伺いするのをくい止められはしなかった。敗北してなお保つ小国らしい矜持はここにはない。」
  『患者教師・子どもたち・絶滅隔離』国土社刊

 問題は、何故この法令を「違式註違条例」(いしきかいいいと読ませた)
と、わざわざ舌を噛みそうな難しい名前にしたのかである。民は困り果て、絵入りの解説が幾つも出た。ただ、お上を権威付け、民を遠ざけ恐れ入らせるのが狙いであった。
 維新政府が乱発する行政用語も、殊更難解を極めた。それはいまだに改められず、国民大衆の日常から乖離したままである。
例えば裁判で、判決に対して不服があるときの手続きは全て「異議申し立て」でよい筈だが、わざわざ「上訴」「上告」「控訴」「抗告」とややこしく区別して使わせるのである。少年の場合は更にややこしい。
 鳴り物入りで騒いだ「裁判員」制度も、用語には何一つ改善の兆しさえ無い。恐れ入らせる構造をそのままにして、何の改革か。 難しい漢語濫用で民を恐れ入らせ煙に巻いた効果を、行政の横文字が果たしているのである。(裏声で攘夷を叫んだ薩長が政権を握るや英米のご機嫌伺いに奔走したように、鬼畜米英を絶叫したくせに原爆二発で恐れ入り従属に鎬を削る戦後の政権に相応しい語法である)

  アイスクリームの「爽」が売れるのは味の工夫もさることながら、名前がいいからである。横文字に逃げていない。
 横浜みなとみらいの「ぷかり桟橋」、早大漕艇部エイト艇の「韋駄天」号もいい(坪内逍遙の命名だという)。乗用車の名前では、曾てアスカがあって操作性も乗り心地も良かった。

 その国の言語で表せない概念や制度は定着しない。言葉が見つからないときは、言葉を探し又は新たに作る努力をすべきである。その過程で概念や制度の理解も進むのである。
 東京スカイツリーは、業平橋「夢の高櫓」に改称した方がいい。

追記 NHKに慰謝料を求めた裁判の判決は2014/6/13にあった。名古屋地裁斎藤裁判長は「使用された言葉に不快感を抱くかどうかは、視聴者の個別事情や価値判断に委ねられる部分が多い」と指摘。「個別の事情に配慮を求めることは制作編集の自由を妨げる結果にもなりかねない」と述べ請求を棄却している。  公共性を失ったNHKと行政に膝を屈した裁判所を象徴している。

治安維持法下の「公開」法廷闘争              非転向者の拷問死194名、獄中「病」死1503人

敗戦から40日以上も過ぎて、三木清は
獄中で官憲に殺害されてしまった
 1928年の3.15から4.16の共産党大検挙を経て、大量転向に至る過程はよく知られている。
 だが、彼らの獄中「法廷闘争」はもっと知られてもよい。 権利としての裁判という思想の無かった時期の闘いだから。

 起訴後公判に付された者、約280名。公判=法廷闘争は1931年6月25日、東京地方裁判所で始まった。
 公判を利用して、闘いと弾圧の真実を国民に向けて明らかにする必要があった。そのため多数の被告たちは地区ごとに40名単位で審理された、そこに毎回中央委員十二名を立会わせることを要求した。あの時代によくも実現出来たものである。
 被告たちは、要求が容れられなければ、絶対に陳述しないと繰返した。対して検事側は公判の公開禁止を要求したが、宮城裁判長はこれを斥けた。それのみか刑事訴訟法にもない被告らの陳述上の相談まで許可している。これが「被告会議」と世上呼ばれることになった。
 ただし裁判所は、君主制の廃止、国体の変革、私有財産の撤廃などに触れればいつでも非公開にすると被告側に通告。更に報道各社にはあらかじめ、「肯定宣伝する記事についてはもちろん、単なる報道記事でも、国体の変革に関する事項、・・・その他の共産主義の宣伝に関する事項は一切記事にしてはならない」旨警告を忘れていない。
 宮城裁判長は、事前に相当勉強たらしく、かなり専門的に突っ込んでいる。 
 被告たちは裁判公開維持のために、言葉づかいも丁寧にした。徳田球一のように裁判長を「あんた」と呼ぶことあったが大体敬語を使っている。

 名古屋地方裁判所辻参正
判事は、この法廷闘争を見聞して「法廷心理学の研究」をまとめ上げている。松本清張は、これを効果的に引用して、小説を臨場感に満ちたものにしている。 
 
 ・・・裁判中は炎暑のさなかではあったが、傍聴席は毎日満員をつづけた。
 第一日目、まず佐野が起ち、総論を述べたのにつづき、鍋山の組織論に入った。
 ここに、全法廷を通じて傍聴した辻判事の「法廷心理学の研究」から、各被告たちの印象が綴られている箇所を抜き書きしてみよう。 ・・・
「被告人佐野学は、前回と同じく白餅の木綿着にて六尺豊かなる彼の図体を包む。胸の辺をだらりとあけ、ちょっと反り身になり、手に原稿を持って起つ。悠揚迫らず。さすがは革命の闘士を以て任ずるだけあり、その音量豊かにして力強く、説くところ論理整然、言葉の表現巧みにして、しかも熱あり、教養無きプロレタリアにその論旨を徹底せしむるに十分なり。・・・(公判第七日)
・・・
○国領は、二時間の長きにわたる滑々たる演説を終って汗を拭く。傍聴席は、秩序整然とした、また別趣の味ある国領の陳述にかえって魅せらる。剛慢な彼は、この法廷で何かやり出すであろうと期待されたが、しかし、今日は不気味なほどおとなしい。・・・恰もマイクロフォンの前に立つが如く。彼の息のかかる所には、弁護士側からつけた二人の速記者が黙々として鉛筆を走らせている。然り、この法廷はブルジョアにとっては怖るべき放送局であり、コンミュニストにとってはまた素晴らしいマイクロフォンではあるまいか。(公判第十五日)
○徳田球一は、先の同志たちと同じように、半ば左向きをし、右斜めに裁判長を見、左方傍聴席を振返るが、やや反り身になって三階の大審院の窓を硯み、太い蛮声を張上げ、ユーモアを飛ばしながら述べる。(公判第十八日)
○裁判長は被告徳田球一を招く。この公判開始以来、あらゆる機会に闘志満々、鼻柱あくまで強く、奔放で、法廷における唯一の駄々っこであり、反抗児であり、人気者である徳田球一(38歳)は、今日は殊勝らしく裁判長の前に立つ。
『青年および婦人運動史』の代表陳述を許されたのである。
 裁判長『君は東京地方裁判所で司法官試補になっているのではないか』
 徳田『ええ、試補になったが、一日も裁判所に出ないので、ある日所長に呼びつけられて、さんざん油をしぼられた。それから間もなく弁護士になって、とんでもないものにひっかかったわけです』(満廷哄笑。公判第十八日)

 ・・・私(松本清張に)は・・・書くことが残っている。たとえば、警察署や刑務所などの凄惨な拷問についても述べたいのだが、もはや、余裕がない。
 徳田が日本の軍国主義の役割を述べている際、法廷の窓外に号外売の鈴が鳴り渡り、法廷に一種名状のできない緊張が報った。満州事変の突発である。彼は、このことをどこで聞いたのか、その鈴の音を聞くや、一段と声を張上げて、
「ただ今、帝国主義は満州に出兵した。日本の青年は、断然、これに反対して戦うであろう」と絶叫した。

    「三・一五共産党検挙」松本清張『昭和史発掘』文芸春秋
 

 「法廷闘争はかなり成功した」が、松本清張の評価。

 締めくくりの、法廷窓外の号外売りの記述が、映像的効果を生んでいる。徳田球一は敗戦までの18年間を非転向で貫いた。この検挙による犠牲者をあげておこう。非転向者の内194名が拷問死、1503人が獄中で病死した、逮捕者は数十万人。これらの被害者に対する補償、謝罪はいまだにない。これを忘れて、如何なる人権意識も定着しない。犠牲者ひとり一人について、絵巻に構成して残す義務が憲法を守ろうと決意する我々にはある。なぜなら、平和憲法は彼らの遺志だからである。
 
 徳田球一は、裁判長を「あんた」と呼んで琉球人弁護士らしい豪胆さを維持した。
主権者としての少年/少女に必要な能力は、このような不服従に基づく表現行動である。戦前の弾圧極まる監獄にあっても、法廷闘争を組織した精神こそ「日本・琉球列島」の伝統である。

  しかしその「徳球」にして、国民による獄中政治犯(敗戦当時4000人)解放を粘り強く待つ「戦略」的英明さに欠けていた。国民による「政治犯解放闘争」は、天皇制政府の犯罪性を内外に知らしめる千載一遇の機会であった。その兆しはあった←クリック。これが実現していれば、天皇メッセージはあり得なかった筈だし、日本国民のマッカーサー礼賛も、共産党の米軍=解放軍規定もなかっただろう。従って日本の基地問題は根底的に違った様相を見せていたに違いない。
 

追記1  治安維持法によって逮捕・拘束された人々は数十万人とみられ、その内、送検された人々は7万5681名、送検後に死亡した人々が1682名だという(1976年1月30日、不破哲三衆議院議員の衆院予算委員会質疑)
追記2   敗戦の9月26日に世界的哲学者の三木清が獄死。10月1日GHQ設置。10月2日、仏人特派員が三木獄死の情報をえて、おどろいた欧米記者たちが騒ぎだした。調べると看守がわざと、介癬患者が使った毛布をあてがったことが判明。床に落ち、もがき苦しんでの死であった。張作霖の殺害を爆殺というなら、三木清の死は「感染殺」である。敗戦から2ヶ月、まだ全ての政治犯4000人が獄中にいた。

 10月3日、東久邇内閣の山崎巌内務大臣は、英国人記者に対し「思想取締の秘密警察は現在なほ活動を続けており、反皇室的宣伝を行ふ共産主義者は容赦なく逮捕する」と主張。岩田宙造司法大臣は政治犯の釈放を否定した。全く敗戦の意味がわかっていない。10月4日、GHQは人権指令「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の除去に関する司令部覚書」により治安維持法廃止と山崎の罷免を要求。東久邇内閣はショックを受け総辞職、後継の幣原内閣によって10月15日『「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ基ク治安維持法廃止等(昭和20年勅令第575号)』により廃止され、特高警察も解散を命じられた。
追記3  金田勝年法務大臣は2017年6月2日の衆院法務委員会で、「治安維持法は当時、適法に制定されたものでありますので、同法違反の罪にかかります、拘留・拘禁は適法でありまして、また、同法違反の罪にかかる刑の執行も、適法に構成された裁判所によって言い渡された有罪判決に基づいて、適法に行われたものであって、違法があったとは認められません」と答弁、補償を却けている。何たる暴言。

遊びと自制と社会性

お父さんスイッチで親と子の役割を入れ替える
 ・・・(オオカミ)の小家族が目を覚ました・・・。さかんに跳びはね、たがいの鼻をなめたり身体の上を跳び越えたり、仰向けに倒れて四肢で家族のだれかを持ち上げる。そんな状態が長く続き、ようやく徐々に静けさが戻ってくる。 ・・・オオカミがどうしてこうした遊びをするのか、合理的な説明はない。・・・
 オオカミたちは、「たくさん働けばたくさん遊べる」をモットーに生きているように思われる。
・・・遊びは彼らにとって、社会学習の一つの形式なのだ。幸福感を高める。・・・

   小さな子どもたちと遊ぶ老オオカミも、若返りの泉に浸かったように見える。・・・
 ・・・相互にコミュニケーションし、肉体を鍛え、社会の結びつきを深めるための有用な方法が遊びなのだ。・・・
 遊びは学習とトレーニングの時間で、相手をよく評価するための経験を全員が積む。同時に、社会的役割を交代しながら訓練し、フェアプレーを実践することにより高レベルの倫理や道徳に家族をまとめる方法でもある。動物たちが遊ぶときは、守るべき取。決めがある。「自分がしてほしくないことは、ほかのものにもしないこと」という〝黄金律〟はオオカミにも通用する。この原則に従うには、共感のはかに、ゲームのあいだは相違点(身体の大きさ、社会的地位など)を度外視するという意志がいる。

 ・・・大人やとりわけ高位にあるものが・・・すすんで仰向けに寝ることで、役割交代が起きる。(ドルイドのリーダー狼)は八歳という熟年に達すると平穏を好んだが、それでも息子とよく遊び、息子に勝たせてやった。一歳の息子は父の首の毛を噛み、脚をすくつて地面に投げ、威勢よくパパの身体に足をのせて立ったものだ。パパは身をほどいて立ち上がり、くり返し息子に勝ちを譲った。こうして少年オオカミは身体が大きく強い大人と対決し、勝利するときの気持ちを体験する。
 自制と役割交代を通して、どのような態度ならほかのメンバーに許容されるか、どうやって紛争を解決するか、といったことを学んでいく。人間の子どもたちがチームスポーツに参加するようもっとすすめてはしいのもそのためだし、親が子にゲームの勝ちを譲っても損にはならない。
      『狼の群れはなぜ真剣に遊ぶのか』 築地書館
 

 生徒が教師に問題や課題を出す機会の意義は高い。授業中定期試験問題文に間違いを組み込み、生徒に突っ込ませて頭を掻くことも悪くない。

  NHKのETVに「お父さんスイッチ」がある。  適当な空き箱に丸い小さなシールを5つ貼ってかな文字を書き、アンテナ代わりにストローなどを側面に貼って、リモコンの出来上がり。幼児が「あ」を押せば、お父さんは「あ」の付く動作をしなければならない。例えば「慌てる」とか「蟻になる」。それを5回やって「お父さんよくできました」とタイトルが出て終わる。恥ずかしげな幼児と実直そうな父親だけで構成される公共放送らしい素敵な番組である。(民法もNHKも権力に媚びた構成の番組と、「国民共有」の電波を私物化するタレントの悪ふざけに占拠されて不快極まりない中で、僅かな平安がある)

 部活の中身はそもそもがplayである。勝利至上から離れて遊びの方向に戻ることは、オリンピック騒ぎがメダル志向を煽る中では緊急の課題である。
 強者がその地位や特典を何時までも独占
する(五輪でメダルを獲得すれば、企業や団体そして自治体や国家の賞金と表彰が相次ぎ、勲章にまで及び公的地位を伴う。それが相続されることさえある)仕組みは、社会の健全性を阻害することを知らなければならない。
 人類だけが、強さや優位を何時までもresetせず、劣位にあるものを抑圧し続ける。必要なのは強者の自制であって、弱者の自己責任ではない。
 抑圧への反抗は、社会強者の優位をreset させる為の健全な表現活動として機能している。若者の「反抗」が社会の健全な永続性を促してきた。 強者による抑圧が、政治体制や宗教倫理となった時、抑圧への「反抗」は犯罪となる。

  今青少年が、強者による抑圧にどんな姿勢か。それは、無関心による無知と弱者に向ける自己責任の眼差しではないか。


 学力偏差値と部活の強さが売りの自称「名門」校生が、競技さなかの「底辺」校生に向かって、「落ちこぼれ、馬鹿野郎、転べ・・・」と嗤いながら野次る姿を大会でよく見てきた。当該高校の教師が、野次る生徒の「社会性」の欠落を悲しみ嘆く様は見たこともない。彼ら自称「名門」の残忍性は、川崎私立校大量殺傷事件と同質であると思う。刃物や犯人が残忍なのではない。「格差」拡大とそれを「活性化」と煽る視線が残忍なのである。
 どんなに怠け者の能なしでも地位をあてがわれる者と、どんなに努力しても沈み藻掻き果てる者をTV番組は嘲笑するように毎日見せ続けている。

電報と『お茶漬けの味』/「真理が我らを自由にする」

自分の本当の姿を知ることの自由。
その実現には贅沢な時間がいる。
 小津安二郎が『お茶漬けの味』を撮ったのは1952年である。
 ラストシーンに、国会図書館として使われていた旧迎賓館正面門が写る。
 冒頭近くのパチンコ屋のシーンには、山村聡演じる主人公が「戦争は嫌だね、二度とゴメンだね」と笠智衆演じる戦友と語る箇所がある。
 その戦争を二度と起こさせない決意を込めて、羽仁五郎が参議院図書館運営委員長として精魂傾けたのが国立図書館を兼ねた国会図書館である。現在も国会図書館本館ホール図書カウンター上部には「真理がわれらを自由にする」の文字が刻まれている。(羽仁五郎がドイツ留学中、大学図書館にあった言葉からとっている、ナチスが政権を掌握する前のことだ)。 
 戦争責任を回避する天皇一族の離宮などに使われた施設が、国政に関する全てを調査し真理を守る機構となったことの意義は計り知れない。その国会図書館正面の門付近を小津安二郎はラストシーンに選んだ。1948年から61年まで図書館として使われたが、再び迎賓館となった。
 残念だった。実は『お茶漬けの味』撮影から10年後、東京四谷に転校した僕は級友たちと、この本館前庭で草野球をやったことがある。移転と工事の期間の僅かな隙間を縫って入ることに成功した。外にも内にも誰もいなかった。正面入り口の絨毯は靴が埋まる感触で大理石の階段は鏡のようだった。
  だから『お茶漬けの味』には格別の思いがある。

 主人公一家は、大船の屋敷に女中を置いて住んでいる。夫は、東京の機械メーカーの技術部長であるが、田舎出で汁かけ飯を、列車は三等車を、タバコは安物を好む。妻は神戸須磨のお嬢様育ちで、好みが夫とことごとく異なり、うまくいかない。ある日姪の見合いを巡って感情がもつれ、木暮実千代演ずる妻は「暫く勝手にさせて貰います」と置き手紙して特急の展望車で須磨に帰る。ウルグアイへの出張が急に決まった主人公は早引きして帰宅、妻の不在を知り直ぐに「ヨウアルスグカエレ」とウナデンを打った。しかし羽田からの出発には間に合わない。夜帰宅してそれを知った妻が、立ち尽くしている時に、夫が「エンジントラブルで飛行機が引き返した・・・明日朝早く立つ」と戻ってくる。

 夫は女中に「もう休みなさい」と言う。妻は立ったまま「もうしない」「もうあんなことしない」と悄気て言う。そして、お茶漬けを喰うのである。女中のいびきを耳にしながら、普段入らない台所に入り、二人で冷やご飯を探しお茶を沸かし糠味噌に手を入れ、茶の間で向かい合う。夫が旨そうにお茶漬けをすすると「私も頂こうかしら」と妻も食べる。食べながら糠味噌に突っ込んだ手の匂いを嗅ぎ「糠味噌臭くなっちゃった」と笑いながら夫にも嗅がせる。そしてもう一度「もうしない」と涙を溜めて言う。夫は「夫婦は、お茶漬けの味だよ」と返す。

 僕はこの作品の肝は、電報にあると思う。相手に届くまで手間も時間もかかるだけではない、字数の少ないカタカナだらけの文章では詳しいことは書けない。おまけに特急でも10時間かかる距離であれば、走って帰るわけにも行かない。
 互いに言いたいことも聞きたいことも伝わらないまま、時間だけが過ぎて行く。先ずは、「何言ってんだい」とやきもきイライラする。
 初めのうちは相手や周囲に対する怒りが勝って当たり散らすが、時間があればあるほど情報がなければ無いほど、次第に自分自身に思考が回ってくる。反省には時間がかかる。相手に促されたりするのでない自発的反省の場合は、とりわけ時間が必要である。携帯も公衆電話もない。徹底的な不便さの中に自分をおいてみるといい。

 電話や携帯があれば、相手をなじる言葉が先立つ。電報もなければ手紙しかない。時間がかかるとは、時間をかけられることである。こんな贅沢はない。真理の発見には途轍もない時間を要する。
 お茶漬けの晩、夫も「分かって貰えて嬉しい」と涙をこぼし、妻は「わんわん泣いちゃった。そしたら肩からすっかり力が抜けて楽になった」と友達や姪に語る。「突っ張るって疲れる」ことが分かる。←クリック   
  
 携帯やSNSは時間の節約とコミュニケーション促進と言うが、その分何かが充実したのだろうか。

 飯を食う時間も惜しいと忙しがる男に、「オレは面倒だから何でも握り飯にして時間を節約するぜ」と言う者があった、別の男が「オレは糞する時間も惜しんで、便所でしゃがんでから握り飯を食うぞ、ざまあ見やがれ」と啖呵をを切った。それを聞いていた男が「べらぼうめ、オレなんざ、飯が胃袋と腸を通るのもまどろっこしくて、握り飯を口に入れずに直接便壷に落としてら」・・・と言う落とし話がある。
 担任は携帯やSNSを駆使してはならないと思う。
 
追記     小津安二郎に倣って、学校生活の味を表せば何が相応しいだろうか。「さめた麦茶の味」はどうだろうか。

王様に貰ったミカン

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