盗んだ品物を返しさえすれば窃盗の罪もチャラかい?

 定期テストや進級テストで不合格宣告されたら、事後訂正すれば合格か?  医師国家試験や司法試験終了後、間違いがあっても言い訳すれば合格なのか?   だって自民の国会議員のやり放題は、ズバリそんなとこだ。

 自民党国会議員の政治資金パーティー裏金作りは、秘書のミスや事後訂正で済ませて知らん顔が当たり前、それをマスメディアがもて囃す。元々怪しさ満載の政党交付金制度導入自体、企業・団体献金禁止が前提だった筈。

  そんな国家・民族なのか、僕の住むこの場所は。原爆を二度も落とされ水爆の害さえ被ったにもかかわらず、加害国家に従属して80年が過ぎようとしている。あろう事か、被爆者を差別し加害国家の隠蔽工作に忖度し続けている。

 我々はとんでもない「思考停止」に陥っている。

 世界に類を見ない大規模な消費税を自然現象のように受け入れ、天皇一族には珍妙な敬称をつけたがり面倒で費用の嵩む元号を不必要に弄びながら、他方では福祉教育医療を後退させ続ける。

  利用価値のうすい「北方領土」や竹島・尖閣諸島には眦を決して拘るが、戦犯昭和天皇は住民ごとアメリカに占領続行を懇願させ責任を問おうとはしない。正常で独立した判断を捨てたか、麻痺させたか、無知なのか。この時新憲法は既に施行されていたのだ。

 「天皇陛下万歳」や「殉忠愛国」「天皇帰一」「皇国の亀鑑」に類いする呪い言葉は、この民族の批判精神を凍結させたのだ。

  スポーツや遊戯のプロ化も大掛かりだが手軽な「思考停止」装置に他ならない。何故ならあらゆる進歩や発展の指標が悉くアジア諸国に追い抜かれている現状への考察をさせないからだ。

  学校に於ける「思考停止」装置は「部活」である。教委や管理職にとって学校の使命は授業では無くなって久しい。その証拠に校長は授業出来ない身分である事を恥とも屈辱ともしないのだ。ひたすら校舎の壁や廊下に各種大会の入賞歴を晒す事を誉れとしている。何時になったら、校長や教委が授業に夢中になるのだろうか。

パレスチナ・ガザ沿岸に「病院船」を派遣するイタリア

 CNNによれば、 イタリアは2023.11月8日病院の機能を持つ海軍の船舶をパレスチナ自治区ガザ地区へ派遣する。現地の犠牲者を治療するためという。クロセット国防相は記者会見で、この病院船は8日にもイタリアを出発すると述べた。船の乗員は170人で、このうち30人が救急医療の訓練を受けているという。報道によれば、パレスチナ側との合意に基づいて、野戦病院を直接ガザに搬送する。彼は「我々はあの地域で人道的活動を行う最初の国であり、他の国々も我々に続くことを望む」と述べたという。


  かつて僕は、米軍にの戦争参加要請に抗してベトナムに病院船を派遣したドイツについて書いた。

   「 病院船・コロナ病床jet機による国際主義という決断 」     https://zheibon.blogspot.com/2020/08/jet.html

 再掲する。

病院船・コロナ病床jet機による国際主義という決断

Helgoland号甲板の乗り組み看護婦と治療後のベトナム幼児
 ベトナム戦争中米国は、同盟国ドイツにも参戦を執拗に要請した。だがドイツ政府が出した答えは、病院船派遣。ドイツは武器と兵隊ではなく、病院船ヘルゴラント号をベトナムに送った。ヘルゴラント(Helgoland)号は、遊覧船だったが、病院船に改造されベトナムに向かう。ジュネーブ条約を遵守、米国の民族皆殺し政策に加担して殺すのではなく、北ベトナム、南ベトナム双方の民間人を治療したのである。ベトナム人からは、「白い希望の船」と呼ばれ歓迎された。昼は港に入って患者の手当てをし、夜はより安全な沖で待機。ドイツの医師や看護師たちは、来る日も来る日も手足の切断手術や、米軍のナパーム弾で体全体にやけどを負った人々の治療に励んしだ。

 これは、沖縄の基地をベトナム爆撃に使わせていた日本が率先してやるべきことだった。憲法九条を持つ自称「海洋国家」の何たる失策。世界に反戦運動が盛り上がる1969年、進水した原子力船「むつ」は失敗を重ね、膨大な費用を文字通りドブに捨てた。為にならないことには精を出し、害が明らかになっても中止する判断さえ出来ない。希望がない。
 


独は、伊からのコロナ患者輸送のために、エアバスA310 を改造
 そして今度は、コロナ患者のための世界最高のMedEvacである。高度な施設での治療が必要な患者を、治療を行いながら迅速かつ効率的に医療機関に搬送するICU専用jet 機。ドイツは、イタリアからドイツの病院にコロナ患者を運ぶために、エアバスA310 を改造。この飛行機には44床のベッドがあり、そのうち16床は高集中治療患者向けのもので、最大25人の医療スタッフが搭乗していると。

 病院船も ICU専用jet 機も、日本にこそ必要なものではないか。全国に散らばる離島のコロナ患者や医療破綻自治体の為に、複数のICU専用jet 機と病院船、そして病院列車が、大勢の医療stuffとともに必要だ。
 中国封じ込めのために、阿倍が世界中に専用機でばらまいた資金援助だけで 30 兆円。
 せめて首相専用機をICU専用jet機にしても罰は当たらない。何ら有効活用していない豪華専用機だ。
 莫大なコロナ対策費が、又もドブに投じられ却ってコロナ禍を広げ深刻化させている。
 集団的自衛権行使を容認して積極的平和主と嘯く日本は、いつまでも経っても、失敗を認めない、惨劇を中止出来ない国だ。
 日米欧6カ国首相のコロナ対応策調査「ケクストcnc」が7月中旬各国1000人対象に行った。プラス評価はドイツのメルケル首相(42%)のみ 、最低は日本阿倍首相のマイナス34%。


  関連記事

https://zheibon.blogspot.com/2018/10/blog-post.html


 

   


 

「勝つことだけ」に執着する「プロ」の悲劇 Ⅰ

 

   引退する頃にボンヤリ分かっていたことが、三年ほ

 元世界フェザー級王者。通算103KO勝ち 
ど前になってハッキリ分かったんだよ。俺が女も家庭も全て捨ててやって来たボクシングが、実は金持ちが貧乏人を殴り合わせて見物する非道いことで、しかも金は結局見物していた連中が、、いろんなテクニックで巻きあげてしまうのさ、・・・ファイト・マネーの上前ははねる。その上、やれ一緒にビシネスをやろうとか、出資しろ、土地を買って朝鮮キャロットを植えれば、ボクシングをやめてもピンクのキャデラックに乗り続けられるなんて、それはいろんなことを言って来るんだ。リングに登る直前の控室から、一文無しになったこの頃まで、男も女もひっきりなしに俺の金を狙い続けるんだ。ボクサーは、強ければ強いほど他のことはあまり知らない。それに減量や練習が辛くて堪らないし、試合の前には怖ろしさで気が狂うか、そうでもなければどこか遠くに逃げてしまいたくなる。だから、つい一番そばにいる自分の女に当たってしまって、引退する頃には独りぼっちで、一緒に考えたり心配してくれる者もいなくなってしまう。   サンディ・サドラー   元世界フェザー級王者。通算103KO勝ち 


   集団の中にどんなに優れた人がいても、集団の判断は知能の低い者に向かって平均化される。   マクドゥーガル   

 戦争や災害など密室化した空間で、我々は理性的判断を如何に保てるのか。社会が特に報道が、批判を怖れないことは不可欠。しかし今この国は戦争でも無いのに、新聞もTVも挙げて理性的・合理的判断を放棄、「勝つことに執着」している。 Japan as Number Oneと持ち上げられ慢心し続けたこの国は、あらゆる指標で落ちぶれ内に籠もっている。容易く稼げる「一位」を探し、やっぱり優れていたとの判断に縋ってしまうのだ

 

 勝敗に関係なく相手を理解することは、自己認識の前提である。負けることや互いに楽しみを分かち合うこと以上の悲しみはない。

   幸いに通算103KO勝ちのチャンピオンサンディ・サドラーは、強ければ強いほど・・・他のことはあまり知らない。それに減量や練習が辛くて堪らないし、試合の前には怖ろしさで気が狂うか、そうでもなければどこか遠くに逃げてしまいたくなる。だから、つい一番そばにいる自分の女に当たってしまって、引退する頃には独りぼっちで、一緒に考えたり心配してくれる者もいなくなってしまう。」ことに気付くことが出来た。

 プロ野球、プロサッカー、プロゴルフ、・・・プロパチンコ、プロ麻雀・・・今や栄光のオリンピック各種競技もアマチュアでは無い。放映権で荒稼ぎする業界お抱えのプロだ。囲碁将棋も少年時からプロを目指したくなる。だが強くなればなるほど他のことは知らなくなる。これを成長と呼ぶことは出来ない。

 人間は全面的な発達を目指すべく宿命づけられている。

何時「才能」が発現するか、開花しないかも知れない。子ども時代からプロを目指すのは、才能の芽を早期発見することではなく、可能性を摘み取ることにしかならない。どんな時期に如何なる環境で誰とともに才能が伸びそして消えるのか。たとえ死ぬまで才能の発現が無いとしても、彼も又天才かも知れない。。比べ競うことは犯罪的賭けなのだ。失敗して路頭に迷う確率は、成功するより遙かに高い。

 手当たり次第にtopを目指す性癖は天皇制fasismの逃れられない宿命である。

 第1次南極調査隊の副隊長兼越冬隊長の西堀栄三郎や初期マナスル登山隊の今西綿司らは登山家としてはアマチュアであった。それ故「強くなればなるほど他のことは知らなくなる」ことからは自由であり、優れた科学者として成果を挙げ続けることができた。

 コロナ対策の「専門家」会議の医者や学者たちは、病院経営の専門家=「プロ」として莫大な利権を手中に収めた。利権を手中にすればするほど医師や学者としては恥多き失敗をかさねている。

 アマチュアであり続けることだけが人間らしい成長や発達の不可欠の条件なのだ。鶴見俊介も小田実も決してプロ評論家やプロ作家では無かった。

元いじめられっ子と元番長たち

  「「突っ張るのを止めた」生徒たち」でもう一つ思い出した。

 あれは遅刻の量も質もずば抜けて多いクラスで、会議のたびに担任の僕は槍玉に挙げられた。だが、面白さも抜群だった。

 下町の工業高校にやって来た元番長の猛者たちが学習意欲を高めたのは、小中学校でいじめ尽くされすっかり自信を失っていたO君と仲間になってからである。

 学級担任することになって、僕のクラスにだけ元番長が三人も揃ったことが判ったとき、多くの教師がある古手グループの「陰謀」を疑った、7学級のうち特定の学級にだけ中学校の番長を務めた三人が揃う確率はあり得ない。あったら分散させる。

 僕はそれらしい「陰謀」の主たちを思い浮かべてムカッとしたが、知らんぷりすることに決めた。

 最初のHRで、僕は開口一番「人間は誰だって知られたくない過去がある、中学校からの内申書は見ない」と言っておいた。

 すぐに、どこかそれらしさが残る生徒が準備室にやってきて

 「先生、ほんとは知ってんだろ、俺のこと」

 「名前以外は知らない、内申書のことだろう、見るか」と言ってロッカーの引き出しを開けてみせた。一クラス分の内申書が一通ずつ封印したまま紐で括られて入っている。

 「ホントに見てないんだ。・・・先生、俺番長だったんだよ。でも安心しなよ。俺もうしない、そう決めてんだよ」

 「そうか、君は有名人だったのか。でもやめるんだろ。だったら今聞いたことも忘れるよ。これから君がこの学校でやることだけが、君の価値を決めるんだ」

 次の日三人の元番長が揃ってやってきて、それぞれが別々の学校で総番長をしていて互いに知り合いだったと自己紹介をした。その一人はある区の番長組織のサブリーダーだった。三人とも口を揃えて

 「高校生になってから突っ張るのは、ガキ。高校デビューっていうんだ。だからもうやんないよ、安心しなよ」という。

 「じゃー勉強するために、学校に来たのかい」

 「そのつもり、一応将来のことも考えようと思ってんだ、よろしく、先生」よく見れば三人とも人懐っこい顔している。


 さっそく始めた個人面接では、先ず皆に「君たちの名前以外何も知らないから、自己紹介してくれ」と言った。

 だがO君は下を向いたまま何も言わない

 「いじめられたかい」と聞くと、大粒の涙が落ちて音を立てた。小学校でも中学校でも、男子からも女子からもいじめ尽くされた経験を語った。

 「このクラスになったからには、絶対にいじめはさせない。約束するよ」そういうと

 「・・・先生、僕勉強できるようになりたいんです。どうしたらいいんですか」

 「二つある。一つは友達に教える。二つ目は自分が興味を持ったことを、自分で調べてノートを作ることだ。なるべく長く一つのことを」

 彼が興味を持ったテーマは『教師の犯罪』。夏休みや冬休みのたびに、大学ノート一杯に新聞記事を貼り付け、本からの引用を使った感想を添えて、見て下さいと持ってきた。選んだテーマに彼が小中学校で受けたいじめの実態が見えて、胸が痛んだ。

 授業が始まって暫く経つと、O君が級友に親切に教えていることが教員の間でも知られるようになった。友達から聞かれてわからないことは、自分で調べたり教員に聞いたりしていた。元番長たちは、ことあるたびにO君の厄介になることになった。お陰で、彼の成績は三年間すべて「5」、造った実習作品も素晴らしい出来で、卒業後は展示された。


 だが、彼の家庭には不幸や不運が続き、アパートの電気やガスが止められたりした。昼飯を抜いて教室でぐったりすることも続いた。元番長たちはオロオロして僕に助けを求める。

 「先生この頃O君何も食べないんだよ。昼休みも机に突っ伏したまま。俺たちがパンを持って行っても食べてくれないんだ。何とかしてよ」百戦錬磨の番長たちが、友達のことではオロオロするのがおかしかったが、O君を呼んで話を聞いた。父親も姉も家を出て、家賃も払えない部屋に彼一人が残されたのだった。放課後飲み屋でアルバイトしていたが、そこで晩飯が出る、それだけで耐えていたのだ。しかし彼の成績が下ることはなかった。


 夏休みに元番長三人は神津島に行く計画をたて、O君を招待した。「そんなつもりで一緒に勉強したんじゃない」と固辞するO君を、説得してくれと又泣きついてきた。O君も戸惑っている

  「あいつらは、君と親友になれたんじゃないかと喜んでる。きみはどうだい」

  「僕も嬉しいです、こんな友達が出来たのは初めてだからどうしていいかわからなくて」

 「こうしょう。今は金がなくて苦しいから、好意に甘える。就職して楽になったら、かえす。または君があいつらを招待する」

  「わかりました。そうします」と笑顔を見せた。

 対等な関係が育む友情は、三人にとってもO君にとっても文字通り目くるめく体験だったのだと思う。

 元番長たちはそれぞれなかなかな企業に就職。三人をまとめて僕のクラスに画策した古手教員はわざわざ当該企業に電話を入れた。その一つ、日本を代表する名門企業の人事部は「元番長だと言うことも知った上で採用しました。大きな組織では彼のような繊細なリーダーシップが欠かせません」と僕にも連絡をくれた。O君は立派な大学の推薦入学も大企業もあっさり断って、現場密着の小さな会社に就職した。

 個人も組織も国家でさえ、突っ張るのを止めたいと願っている。その環境を整えることが出来るのが成熟した「社会である。

 SSHなど目立つ学校の生徒が強いられる致命的不幸は、O君や元番長たちに決して巡り会えないことだ。彼らが政治的指導者や指導的経営者に成った時、彼らはO君や元番長たちを国や職場の主権者として認識出来るだろうか。

北朝鮮とロシアの接近で思い出したことがある。

   当blog『「突っ張るのって疲れるのよ」 何もしないという作為』   を再再引用する。

     あれは確か1992年の二学期だった。二人組が準備室にやってきた。

 「ねえ、褒めてやってよ」と僕の横に来ていきなり言う。

 「今日の○○、かわいいでしょ」 

 「いつもかわいいじゃないか」と言うと○○さんが照れている。

 「そういえばいつもと違ってる」

 「でしょ、スカートも短くなったし、化粧もしてないでしょ」

 「うーん、美人になったし賢く見える。どうしたんだ」

 「・・・一年生の時は私たち別々のクラスで浮いてた。友達は出来ない、つまんないことで担任にガミガミ叱られてばっかり。でも負けたくないから突っ張るしかないじゃない」

 「二年になって同じクラスになって、似たもの同士ですぐ友だちになった」

 「それで、このクラス何となく居心地がいいのよ、先生もぼーっとしてるし、気が付いたら突っ張る必要がない、突っ張るって疲れるのよ、だからやめちゃった。そしたら親も急に優しくなるし、・・・」

 「だからさ、褒めてやってよ、えらいでしょ」 

 「えらいよ、二人とも。突っ張るのは疲れると気付いたのも、その友だちの変化に気付いて「えらい」と言ったのも」

 「私も突っ張るのやめるよ、ほんとだよ」

   

 事柄は何かをなして遂げられるよりは、なさないことによって思いがけない形で実現することがある。青少年は猫に似て、追えば逃げ、ほっておけば寄ってくることがあって難しい。僕はつくづくそう思う。

 でもね、「何もしないこと」は「何もしないこと」によって維持されるのではない。「何もしないこと」をすることによってしか起きない。人間は他人の目を意識して、知らず知らずのうちになにかをしてしまう惰性・癖がある。例えば小舟が、海流中にあって何もしなければ、流され翻弄される。どちらにも流されないためには、エンジンをかけ、船首を海流に向け、海流と同じ速度で進まなければならない。海流の方向も早さも刻々変わる、一刻たりとも注意は怠れない。しかし他人からは「ぼーっとして」何もしていないように見えなければならない。でなければ猫は警戒する。

 数日後、○○さんのお母さんが、挨拶にみえた。控えめで品のいい人だった。

  ○○さんを連れてきた少女は、数学に於いては天才的能力を持っていた。数学の授業は熟睡していても試験は満点。 試しに最も難度の高い大学入試問題を与えると、暫く考えて易々と解く。しかも模範解答より美しく短い。字の配列もバランスがとれて美しい。明晰という言葉が浮かんだ。だが数学の教員は、やれば出来るのに寝てばかりいるとおかんむりで、いい成績はつかなかった。僕はその分野に進学させなければならない、と考えいろいろ試みたが、彼女はすっかり臍が曲がってしまっていた。

 学校は、生徒の才能を探り当て伸ばすことはなかなか出来ないが、漸く芽生え大きく成長し始めた才能を打ち砕くことだけは確実にやり遂げるのである。これがプラス・マイナスゼロならまだ救いはある、どう見ても大きな欠損である。


  北朝鮮を「突っ張るしかない」状況に追い込んだのは、米日韓。ソ連中国に接近した地域に混乱を巻き起こしたのは日米結託の「単独講和」であった。民族を一方的に分断し、片方だけに賠償したのだ。あたかも地球上に存在しないかのような扱いだった。「突っ張らなければ」完全に無視される。

    「・・・一年生の時は私たち別々のクラスで浮いてた。友達は出来ない、つまんないことで担任にガミガミ叱られてばっかり。でも負けたくないから突っ張るしかないじゃない」

 「二年になって同じクラスになって、似たもの同士ですぐ友だちになった」

 「それで、このクラス何となく居心地がいいのよ、先生もぼーっとしてるし、気が付いたら突っ張る必要がない、突っ張るって疲れるのよ、だからやめちゃった。そしたら親も急に優しくなるし、・・・」

 「だからさ、褒めてやってよ、えらいでしょ」 

 「えらいよ、二人とも。突っ張るのは疲れると気付いたのも、その友だちの変化に気付いて「えらい」と言ったのも」

 「私も突っ張るのやめるよ、ほんとだよ」

 北朝鮮は突っ張る必要が無くなったと僕は見ている。日本だけが急速に没落しながら突っぱれもせず、東アジアで「浮いて」いる。

ハイケンス「セレナーデ」が番組の開始を告げたのが午後四時半頃。  番組が終わるとどの家からも深い溜息が聞こえ、やがて祖母たちが、庭で遊びで明け暮れる子どもたちを見ながら「もう、こん子たちゃ、戦争に取られんでん済んとやなー」と繰り返す光景を思い出す。

  NHK、『尋ね人』は1946年(昭和21年)7月1日から1962年(昭和37年)3月31日 迄続いた。   1960年(昭和35年)の放送時間は、ラジオ第1放送で月曜日から土曜日の午後4時25分から29分。「セレナーデ」はそのテーマ音楽だった。

    当初NHKの『尋ね人』『復員だより』『引揚者の時間』の3番組があって、聴取者から送られた太平洋戦争で連絡不能になった人の特徴を記した手紙の内容をアナウンサーが朗読し、消息を知る人や、本人からの連絡を番組内で待つ内容であった。やがて『尋ね人』一本に集約。

 放送期間中に読み上げられた依頼の総数は19,515件、その約1/3にあたる6,797件が尋ね人探しに成功した。集落全体が静まり聴き入った訳である。

   アナウンサーが淡々と読み上げた手紙の内容がここにある、←クリック  

  昭和20年春、○○部隊に所属の××さんの消息をご存じの方は、日本放送協会の『尋ね人』の係へご連絡下さい。

 シベリア抑留中に○○収容所で一緒だった○山○夫と名乗った方をご存じの方は、日本放送協会の『尋ね人』の係へご連絡下さい。

 旧満州国竜江省チチハル市の○○通りで鍛冶屋をされ、「△△おじさん」と呼ばれていた方。上の名前(あるいは、苗字)は判りません。

 ラバウル航空隊に昭和19年3月まで居たと伝え聞く○○さん、××県の△△さんがお捜しです。

 昭和○○年○月に舞鶴港に入港した引揚船「雲仙丸」で「△△県の出身」とおっしゃり、お世話になった丸顔の○○さん。

 これらの方々をご存じの方は、日本放送協会まで手紙でお知らせ下さい。手紙の宛先は東京都千代田区内幸町、内外(うちそと)の内、幸いと書いて「うちさいわいちょう」です。


 番組が終わるとどの家からも深い溜息が聞こえ、やがて子供たちの歓声が再び露地を駆け巡った。このひと時を戦中を耐え生き延びてきた大人たちは深い悲しみとともに、戦争放棄の憲法を持った喜びをかみしめた。

 祖母たちが、庭で遊びに明け暮れる子どもたちを見ながら「もう、こん子たちゃ、戦争に取られんでん済んとやなー」と繰り返す光景を思い出す。衣食住すべて不自由な明るい貧乏が、平和憲法を握りしめていた。


    しかし朝鮮戦争特需は、貧しい平和にとって中毒性の「毒饅頭」となった。握り締めたはずの貧しい平和は脆く崩れ去った。貧しさの中に平和を生きる思想が欠けていた。


苦い失敗を経てこそ「言葉をみつける」高校生

 下町の工高で教えていた頃、夏休みにはバイクの事故で死者や重傷者が相次いだ。高校生は原付の免許を取るや否や、夜通しで三国峠を目指していた。連続するカーブが彼らを惹き付けた。

 僕のクラスでも免許を取る者が続出。Tくんは学校近くに住んでいたため、通学には使わない。通学に使う連中は見つかれば停学、だから実にうまく隠す。

 Tくんの成績は一気に危険地帯に入った。夜間三国峠目指して遠出すれば遅刻も増える。説教したり脅したりでやめる連中ではない。親も息子に、バイクを取り上げるなら退学すると脅されてお手上げ。事故現場の写真を廊下に貼っても、「先生、俺たちは生の現場を見てるんだぜ」と笑われる始末。


   初冬の放課後、Tくんが社会科職員室に顔を見せた。

 「ちょうどよかった、話したいことがあったんだ」

 「だと思ってた。・・・でもよ先生、おれバイク売っちゃったんだ」

 「何ヶ月乗ってたんだ。思い切りが早いな」

 「二ヶ月、それがさ、雨が降った夜。一回りするつもりで出たんだけどさ、店のガラスに映ってる自分に気付いたのさ。オレ顔がでかくて、ヘルメットがちょこんと乗ってる。おまけに足は短い。それが雨に濡れてゴリラにのってる。格好悪いんだよ、恥ずかしくてうちに帰った。」 

   50ccのHONDAはよく売れていた。

 「格好いいつもりだったのか」

 「笑わないでよ」

 「格好いいのはバイクだけか、高校生向けのバイクを売る会社は最悪だと僕は思ってる」

 「そんでよ、ここに来たのはさ。先生が教えた『立場』という言葉を思いだしちゃった。自分が見たり思ったりすることと、他人が見たり聞いたりすることが全く違うことがあるってやつ。それが言いたくなった」


 こうして高校生は、苦い失敗を経て「言葉をみつける」。三年になれば『政治経済』で階級の概念に出会う。彼らは苦さと共に新たな言葉を獲得するのだ。その時彼は商品から自らを解放する。これはある意味でとても危険なことかも知れない。学ぶとは与えられた単語を記憶する事ではない。


 バイクと高校生を巡って多くの教師が、どれ程会議を重ねたことか。どんなに多くのレポートが綴られ、本が書かれ番組が作られたことか。すべてが無駄とは言わないが、その思いは消えない。多かれ少なかれ、それらは高校生に退屈な説教や処分を与える根拠となったからだ。


 最大の問題は、バイクの魅力を上回る授業を構想出来ない我々の能力にある。我々とは個人としての教師でもあるが、偏差値の高い学校には重点的に予算と特権を配分する教育行政でもあり、武器と金力に優しい政府でもある。そして何より「底辺校」から逃げ、特権を欲しがる醜い我らだ。いつも生徒と授業から意識を隔離していることに気付くこともない。

 黒澤明の『赤ひげ』で新出去定は、貧乏と無知に喘ぐ見捨てられた病人たちにこそ良い医者が必要と言う。「底辺校」にもとびきりの教師が必要なのだ。

  とびきりの教師を養成するのは、HONDAゴリラから自らを解放する言葉を掴んだTくんたちなんだ。よく見ろ、彼らは教師を振り回し教育の概念を根底から揺すぶる。こんな見事な高校生に鍛えて貰え。

子どもを「賞金稼ぎに育てること」と「子どもの尊厳」は決して両立しない

 

 「高度成長期にあった一九六七年の新聞のテレビ欄を見る。今と大違いなのは子ども向けアニメ番組の数である▼「魔法使いサリー」 「リボンの騎士」 「悟空の大冒険」…。午後六時、七時台を中心に一週間に十を超える作品がひしめく。子どもがたくさんいた時代らしい▼創成期のアニメ業界は子どものためによく働いてくれたものだと今さらながら感心する。」   2023/07/23 東京新聞「洗筆」



 高度成長期は子どもが大勢いたから、子ども向けアニメ番組が増えたのか。そうではないだろう。時代が大人が政治が子どもを大事にしていた。僕は団塊の世代だが、祖父母や両親、大叔父、大叔母そして近隣の大人達が「もう、この子たちは戦争に行かなくても済むんだね」と、ことあるごとに庭や路地で遊ぶ僕らを眺めながら語っていたのを思い出す。彼らにとって、「戦争放棄」は掛け替えのない喜びであった。

 今憲法そのものを槍玉に挙げる風潮の中で、大人たちは子どもの何に喜びを見いだしているのか。子どもをどこに向けようとしているのか。行政もメディアも子どもを「ゲーム」漬けにするのに躍起だ。全生徒に配布されるパソコン端末は「ゲーム」し放題。TVは公営ギャンブル中継の類いが花盛り。これは子どもを将来の「カジノ」予備軍と見て、期待しほくそ笑んでいるからに他ならない。子どもの尊厳はどこに行った。生きた存在そのものが大切ではないか。不確か極まる「稼ぎ」とは無関係でなければ尊厳は無い。善意のつもりの親や教師や行政が「稼ぎ」高に目を奪われた途端、大人から「子どもの尊厳」は消える。行政も教師もmediaも、愚かな「博奕」打ちになろうとしている。

 ソニー生命「将来なりたい職業」調査によれば、一位・youtuber 二位・プロe-sportplayer  三位・起業経営者 そして五位にはゲーム実況者 六位プロsportplayer  が2021年男子中学生に選ばれている。手っ取り早く稼げることへの圧力が高いことが読み取れる。

 こうした少年たちが大人になれば、稼ぎの少ない親や学校、資産の無い親や老人を蔑むに違いない。資産額や地位だけに目が向き、人間の尊厳への関心は絶滅する。既に政治はその方向に突っ走っている。出来れば資産や地位だけを残して消えて欲しいと言わんばかりに。大谷人気さえ所詮は資産価値にすぎない。球団にとっては観客動員収入、fanにとってはマニアグッズの値上がり。囲碁将棋人気も所詮は資産価値。

 この異常な狂気は「フランス人のペタンク好きや嵐寛寿郎の掃除好き」と比べるとよく分かる。このことについては、当blog平凡な自由」は青い鳥ではない に書いた。https://zheibon.blogspot.com/2019/12/blog-post_23.html

 われわれは、仕事やスポーツを人生の楽しみとして捉えることが出来ない。いつも勝ち負けや成果、そして興行資本の日程に縛られている。これはとてつもない不幸だ。 


米国制作「ベトナム戦争映画」にアメリカ先住民=インディアンが登場することは無い。何故なのか。

  合州国のベトナム戦争映画では、黒人やヒスパニックへの差別や偏見もあからさまに描かれる。だが、先住民=インディアンが登場することは無い。何故か。 

 合州国では黒人やヒスパニックは差別と偏見の対象であるが、先住民=インディアンは今尚「殲滅」の対象であり続けるからだ。 だから先住民=インディアン殲滅そのものをテーマにした騎兵隊西部劇映画には事欠かない、特に日本で好まれる。これも珍妙な現象である。           

 アメリカ「独立」宣言(1776年)から100年以上も経った

1890年12月29日、Wounded Knee Massacreが起きた。無抵抗のスー族インディアン一団に対する騎兵隊の民族浄化作戦である。虐殺を実行の第7騎兵隊には勲章が授与されている。

 英国から「先住民のいる新大陸」へたどり着いた清教徒は最初の冬(1620年)を越せず大半が死んでいる、辛うじて生き残った彼らを全滅から救ったのは神だろうか。こんな祈りをした者がある。

 わたしたちのうちの十人が、千人もの敵を相手にすることが出来るのを見るとき、また、わたしたちの植民地の成功を見て人々が「主よ、ニューイングランドのようにして下さい」と賛美と栄光を表白するようになるとき、わたしたちはイスラエルの神がわたしたちのなかに臨在されることを見いだすであろう。なぜなら、わたしたちは「丘の上の町」だからだ。全世界の人々の目がわたしたちに注がれていて、もし始められたこの仕事に関してわたしたちの神に不忠実であれば、神はわたしたちから去ってしまわれるのであり、わたしたちの物語は世界中に言葉によって知られるようになるからなのだ。(ジョン・ウインスロップ、マサチューセッツ・ベイ植民地の初代総督)

 そうではない、衣食住に難儀を極めた清教徒は現地の先住インディアンの好意(先住インディアンにとって、難渋する者に手を差し伸べることは「人間」として当たり前のことであった。)に助けられる。これを「神の思し召し」と見做し、インディアン殲滅を勝手様々に「合理化」する為に「神」は利用された。つまり神の許可を盾に先住民を虐殺。 1000万人以上を数えた先住民=「アメリカ・インディアン」は、50万人に激減してしまう。

 清教徒の或いはキリスト教の見解によれば、神を理解するものを奴隷とすることは禁じられる。しかし清教徒は先住民=「アメリカ・インディアン」を奴隷化。同時に数々の作戦で奴隷労働力を殲滅し続けた結果、奴隷の供給源を失い奴隷狩りを旧大陸に拡大してしまう。


 米軍指揮官ジョン・チヴィントン大佐は、メソジスト派牧師長老だった。或年の州議会議員選挙で演説している。  

  インディアンに同情する奴は糞だ!・・・私はインディアンを殺さなければならない。そして神の天国のもとではどのような方法であってもインディアンを殺すことは正しく名誉あることであると信じる。小さいのも大きいのも、すべて殺して頭の皮を剥ぐべきです。卵はシラミになりますから。


 建国の父にして第一代大統領ジョージ・ワシントンは、イロコイ族絶滅作戦で、

 「彼らを徹底的に根絶やしにするように」と指令し、殺したインディアンの皮を剥ぎとらせ、軍装の飾りにさせ、「インディアンも狼も生贄となるべきけだものだ」と述べている。


 清教徒は、先住民を対等な「人間」と認識することは無く、彼らにも守るべき土地・家族・文化があると考えることさえ出来なかった。彼らは旧約聖書に依拠しながら新大陸を約束の地カナンと見做して今尚占拠拡大して止まない。米国がIslael に加担しPalestine侵略と虐殺を積極的に支援するのは、米国の成り立ちに於ける先住民殲滅と略奪略奪を認めたくないからだ。

 同じ理屈は、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ各地植民地化の「錦の御旗」として高く掲げられ夥しい虐殺・略奪を欲しいままにしてきた。  


  「すべてを共有する」というインディアンの文化では、土地は誰のものでもなく、みんなのものだった。


 1973年スー族保留地内の「ウンデット・ニー」で、スー族と「アメリカインディアン運動 (AIM)」が同地を占拠し、「オグララ国」の独立宣言を行った。この「ウンデッド・ニー占拠抗議」には、全米からインディアンが応援参加した。この非武装の先住民たちに対して合州国と州政府は戦車や武装ヘリで鎮圧。

 2003年、約100年に及ぶ先住民=インディアンの運動によって「カスター国立記念戦場」は「リトルビッグホーン国立記念戦場」に名称変更され、「インディアン記念碑」が建立され、地図と解説の書かれた石壁が設置された。この石壁には次の文言が彫り込まれている。

 “The Indian Wars Are Not Over.”



   追記 2023/07/27 nhkのbs1で 「世界のドキュメンタリー選 ▽われらの土地われらの手にハワイ立ち上がる先住民」を放送する番組案内にはこうある。
 かつてハワイでは土地は王のものとされていた。しかし19世紀後半以降、多くの土地が島外の人の手に。現在は絶景を望む海沿いの土地の多くが富裕層に買占められ、米軍に騙し取られ、先住民は祖先の墓に行くこともできない。オアフ島では今、ホームレスの4人に1人が先住民だといわれる。失った権利回復の闘いを続ける先住民たちの思いを伝える。 原題:Hawaii The Native Resurgence(フランス 2022年)
 米軍と自衛隊に苦しめられている沖縄先住民へのこの上ない励ましでもある。こういう番組は日本のメディアには望むべくもない。

人を食わずにいる子供は、あるいはあるかもしれない。救えよ救え。子供・・・魯迅『狂人日記』

 

  ファシズムとは・・独裁者の言葉に突き動かされるのではなく、そんたくや自己規制、自粛といった日本人の『得意』な振る舞いによって静かに広がっていくということだ。  辺見庸

   授業以外の校務分掌や部活そして決定権のない会議が教師の日常を埋め尽くす。それらに共通するのは、抑圧され叩きのめされた批判精神と連帯の不能性だ。批判精神も連帯も自由な授業を通してのみ教室で共有され市民社会と結び合う。

 抑圧が一時的なら、人の精神は反発する。新鮮な知的可塑性が躍動するからだ。しかし血中酸素が切れるに連れ組織は壊死して悪臭を放つ。学ぶ青少年が抑圧された学校も、悪臭を放っている筈だ。それが仲間苛めや自殺、万引きなど不良行為として現れるのだ。これが自然界なら、異臭を嗅ぎつけた生き物達か瞬く間に食べ尽くし、環境を浄化する役割を担うウジ虫やシデムシもハゲタカも健康な社会には欠かせない尊い存在だ。見かけに引きずられ歪んだ判断をウジ虫やハゲタカに下すおのれの「健全」性を疑いたい。

 だが社会は「悪臭」に馴れてしまう。馴れること無く自由に知的可塑性を維持する者は迫害され始める。忖度はこの時、迫害する側に生まれる。

 社会が健全なら、仲間苛めや自殺万引きなど不良行為は自治的に克服される。忖度など要らない、それが風通しの良さだ。   

 今日の社会は、不快の源そのものを追放しようとする結果、不快のない状態としての「安楽」すなわちどこまでも括弧つきの唯々一面的な「安楽」を優先的価値として追求することとなった。それは、不快の対極として生体内で不快と共存している快楽や安らぎとは全く異なった不快の欠如態なのである。そして、人生の中にある色々な価値が、そういう欠如態としての「安楽」に対してどれだけ貢献できる ものであるかということだけで取捨選択されることになった。「安楽」が第一義的な追求目標となったということはそういうことであり、「安楽への隷属状態」が現れて来たというのも又そのことを指している。       藤田省三『安楽』への全体主義『全体主義の時代経験』

 もしある大学の入学式学長式辞がこの『全体主義の時代経験』に触れたものであったらと想像したくなる。なぜなら今大学に必要なのは、大学運営の風通しの良さの指針としての学生自治と学問の自由の砦としての教授会自治だ。 僕が想い浮かべるのは、国立大学の独立行政法人化が厳しく批判されていた時期・2010年頃だ。

   今この国では、猫や犬等が自然から「人為」的に切り離され「かわいい」ペットとして売り買い、狂ってはいないか。 同様に青少年が自由な市民生活から隔離され、ペット化される。現実の政治や市民活動から遮断された「人為」時環境で行われるのが「模擬投票」と名付けられた「政治教育」。毎年繰り返される制限だらけの八百長儀式。少年達は吹き出したくなるのを堪える。彼らが選びたいのは校長、生活指導方針や担任。学校行事や溢れる「序列」を変えたいのだ。・・・こうして少年達は次第に確実に「政治嫌い」「政治アレルギー」になる。それ故彼らは選挙権を手にするや、投票に無関心となり投票率を下げる。「部活」に狂っていた高校生が卒業と同時にsportsしなくなるのと同じ構図。

 これこそが「模擬投票」教育の狙い。人が人らしい社会を建設する行為としての政治そのものから若者を遠ざける、それはまさにヒトがヒトを喰うことではないか。魯迅は『狂人日記』の結末で主人公にこう叫ばせる。

 「知らぬままに何ほどか妹の肉を食わない事がないとも限らん。現在いよいよオレの番が来たんだ・・・ 四千年間、人食いの歴史があるとは、初めわたしは知らなかったが、今わかった。真の人間は見出し難い。・・・人を食わずにいる子供は、あるいはあるかもしれない。救えよ救え。子供・・・

「たまには他人の立場になって考えなさい」

 

 一つの事件について語るとき、片側にだけ立って考えてみる公平さが必要です。たとえばあなたは、何も分からずに生きている愚鈍者は生きるイミがないといっているが、彼らの立場で彼らの幸福について考えて見たことがあなたにはあるだろうか。もしかしたらたった一輪の野の花が咲いていてよかったと考えることがあるかも知れないと思ってみるくらいのやさしさを持ちなさい。


 こう言ったのは寺山修司だったか。「何も分からずに生きている愚鈍者は生きるイミがない」との部分は、まるで石原慎太郎を名指するかのようだ。重度障害者の病院を視察した石原知事は「ああいう人ってのは、人格があるのかね」「絶対よくならない、自分が誰だかわからない、人間として生まれてきたけれど、ああいう障害で、ああいう状況になって」「ああいう問題って、安楽死につながるんじゃないかという気がする」などと会見で発言している。知事として初当選の99年の事だ。しかし寺山修司は83年に没している。

  石原は68年議参院選全国区に自民から立候補。史上最高の301万票で当選。75年都知事選では美濃部亮吉に挑戦し敗れ大きく挫折。97年衆議院に鞍替え反共を旗印に「青嵐会」を結成。寺山修司は未来の首都に不気味な思潮が吹き荒れることを感じていたのだろうか。


  「自分」があれば、「他分」がある。相手の立場にたって考えることが、我々の社会でどれほどあるだろうか。

  たとえばフィリピンで日本人将兵の慰霊祭、ここで50万人が死んで日本人関係者は涙する、感泣、慟哭する。これが自分。

 だが日本軍は現地のフィリピン人を100万人も殺しているのに、殺されたフィリピン人は慰霊祭から抜き去られる。ここには他分はない。


 官僚的宗教国家「イスラエル」には過剰に「自分」=シオニズムが満ち溢れ、古くからの住民パレスチナ人は暴力的に絶えず抜き去られている。宗教国家イスラエルには「他分」はあり得ないかのようだ。

 だがパレスチナ解放戦線(PLO)側には、右派も左派も「他分」で結束する。PLOはイスラエルの民との民主的共存を目指しているからだ。

                    

  「他人の立場に立つ」ことがこの学校社会でありうるか。今学校で時間や費用が割り当てられるのは、「公(おおやけ)」事である授業ではない。陽があたるのは、いつも部活や行事そして受験。これらは「公(おおやけ)」事だろうか、「私」事=「自分ごと」ではないか。  たとえば「卒業」は、学業が成就し学位を得た「私」個人の単なる通過点であり、それを祝うのも家族や友人たちの私的集まり。「部活」の中身は個人的な楽しみ。受験は個人の進路や興味に基づく選択。それらが集積巨大化し官僚化を経るにつれ、ゲゼルシャフト化し

て疑似「公」の色彩を帯びる。集積し官僚化の過程は、個々の特性は打ち棄てられ効率が優先する。こうしてゲマインシャフトはゲゼルシャフト化する。「他人の立場に立って考える」ことは、たまにであってもなくなる。アメリカ人に、原爆投下について「他人の立場に立って考える」よう促すことが絶望的であるように。我々にとって「北朝鮮の立場に立って考える」事が想像すら出来ないように。でも「たまには他人の立場に立って考えなさい」

言葉は平明に、門外漢や年寄りを分からない言葉で分断排除してはならない。

 アラート /  コンプライアンス  /  ステークホルダー    /    ダイバーシティ   /    エビデンス / アジェンダ /  ペンディング  /   フェーズ /  インクルーシブ  ・・・・  と横文字で武装しさも最先端専門家気取りが流行るのは何故か。

 服や車や化粧品の色までレッドやパープルそしてネイビーなどと表示して売る。この国には豊かな色彩感覚があった筈、粋な名称が使われてきた。それは殆ど無限と言ってもよい程だ。我々は豊かな色彩感覚とそれを表現する能力を無くしたのだろうか。英語風がかっこよくインテリ風でクールならば「一般大衆」が使う言葉はダサイことになる。誰にも分かるという言葉の平等性を破壊して、横文字に精通する自己の優位性が嬉しいのか。

 こうして単語が際限なく増殖するたびに、古びた言葉が無秩序に積み上がる。

 それがモノなら厄介極まる「ゴミ屋敷」や廃棄物の山として人々の意識を刺激して、否応なく解決策を模索することになる。はじめは「ゴミ屋敷」主人の心理や行動を好奇の眼差しで眺めたり鼻をつまんで揶揄する。怒りと暴力が拡がる時期もある。だがやがて全ての人の尊厳を回復するコミューン=共同体の創成に至る長い過程が否応なく模索される。

 1872年東京府知事が発令した「違式註違条例」というものがある。この条例は刺青、男女混浴、春画、裸体、女相撲、立小便、肩脱ぎ、股をあらわにすること、街角の肥桶などを、軽犯罪として細々と禁止した。「廃刀令」「断髪令」等と文明開化を焦る明治政府は文明のかたちに煩かった。 不平等条約を受け入れてしまった日本の支配層は欧米キリスト教徒の、日本のあれがこれが文明的でない野蛮であるとの視線に極度に神経過敏になった。

 幕末の江戸では若い女性が路地で行水を使っていた。それほど治安が良かったのであり、裸は美しいものであっても猥褻なものではなかった。それはむしろ誇るべきことである。しかし若い女性の行水に、英国婦人が野蛮と眉をしかめれば忽ち裸禁止令を出した。盆踊りや裸足が槍玉に挙がった所さえある。

 「恥ずべきでないことを恥じる、そのことが恥」なのだ。他人の尺度でしかものを考えない卑屈さは、「文明国」にない筈のものに対する傲慢過酷な眼差しを生んだ。 通りすがりにたまたま目に入った現象を非難する「文明人」の一瞬の嫌悪の感情は、所詮深い考察を伴うものではない。例えそこに注目すべき視点があったとしても、我々は我々の社会の実態を踏まえて、判断をしなければならない。肥桶が臭いと言えば、それは安全で良質な肥料であり、数百年わたって百万都市の衛生を担って成功していたことを説けば良い。それが矜持というものである。矜持を捨てて何が「文明」か。

      『患者教師・子どもたち・絶滅隔離』(地歴社刊)    から

 明治日本が手本にした大英帝国のキリスト教的「倫理」観は、世界的普遍性からは大きく隔たっていた。その独善極まる植民地主義は、未だに悍ましき大規模殺戮と差別の源となっている。「通りすがりにたまたま彼らの目に入った現象を非難する一瞬の嫌悪の感情」は特殊な「私事」にすぎない。彼らの内輪の掟に過ぎないことを、自国の民衆に強制する過ちを文明化と呼んだ。

 違質な価値観を持つ国同士が出会うとき、対話で何が可能なのかを探りながら学び合うことが外交に他ならない。学び会うことで互いの世界観を豊かに拡大出来る。しかし強大国に忖度すれば、歪みを生む。それが太平洋戦争を引き起こし、原爆投下に至った。 


 「文明国」にはない筈のものとして槍玉に上がった一つが、浮浪「癩」者だった。少し学べば、浮浪癩の実態は貧困であることに気付く。文字通りの文明国であれば、貧困の放置こそ恥ずべきであった。病気は不運なものであっても恥ずべきものではない。


  違式(いしき)は「御法度に背く」、註違(かいい)は「心得違い」と意味をとらせている。ことさら難しい漢語を使って恐れ入らせようとの官僚の魂胆が見える。おかげで各種の解説・手引き・図解の類いか数多売れた。馬鹿馬鹿しい話だ。


 共同体の可能性は、社会に対する深い洞察と長い忍耐から生まれる。「違式註違条例」の如き「その場しのぎ」は僅かに残っていたコミューン=共同体の欠片さえも破壊してしまった。

 政治屋も官僚も企業も大衆もそして文化の担い手までも、横文字に執着する。何を怖れて執着するのか、世間に同化出来ない自分に追い詰められてか。中身がない、中心がない、数値化されて「傾向」だけが加速する。


 アラートって何?・・・とマゴマゴしている間にが土石流が襲い、原発が爆発しかねない。皆が知っている言葉を探せ。アラートは、警報・コンプライアンスは、法令遵守・ ステークホルダーは、利害関係者・・ダイバーシティは、多様性や多様化・ペンディングは、保留で十分じゃないか。横文字に馴染みのない門外漢や老人にも容易く通じる。広く正確に通じてこそ言葉である。それが言語の美しさの基本。コミューン=共同体は、言葉や生活の共同性を基本にしている。


   学校に蔓延する「部活が命」の傾向に怯える教師達も、よき授業・綿密に準備した授業を待ち望む青年達が待ち受けていることに盲目だ。 部活は私事にすぎない、授業こそ公事であり良き授業は生徒の権利であり教師の義務だ。


  校舎に入賞した部活や名門校合格者数の垂れ幕を並べることが学校の誉れか、一見全体の立場から発するかに聞こえる軽薄な掛け声に流される-それが安逸のファシズムの始まりだ。異議を唱える者を事前に排除して完成する、心地よい全体主義体制。

 公の性格を持たせた「部活」は今や全国を覆い「官僚制」化し暴走、公教育を駆逐している。政府や自治体が担う公=おおやけの仕事が利潤の最大化を目的とする企業に任される。 今や日本では、雇用者全体の僅か1/17が公務員。 これはOECD諸国では最低率。教育にも医療にも福祉にも、公=おおやけは大きく後退して「私」益が前面にでる。それは選挙によるコントロールが効かなくなることを意味する。 


 記 異文化との出会いで大きな貢献をなした日本人もある。中浜万次郎、大黒屋光太夫、南方熊楠、阿倍仲麻呂、杉原千畝。 個人としての日本人は可能性を秘めているかにみえる。しかしこれは日本人だけの特性では無い、英国人も中国人も米国人もそしてあらゆる民族が個人として異文化と接したとき、双方に大きな足跡を残している。 

エクアドルは憲法第5条で平和のために闘う、日本国憲第第9条は闘いを政府に命じていないか

   エクアドルが現憲法を制定したのは2007年。憲法はエクアドルが平和国家であると規定、他国がエクアドルに軍隊を置くことを禁止している。軍隊の役割は、自衛だけに限られる。 

 エクアドル憲法 第五条

 エクアドルは平和国家であり、軍事目的のために諸外国がエクアドルに軍事施設を置くことは許されない。 

 諸外国の軍隊に、エクアドルの軍事基地を受け渡すことも許されない。 

 国際平和と軍備縮小を目指し、私達は大量破壊兵器の開発と所有に強く反対し、軍事目的の為にある国が、他の国の領地に軍事施設を置くことにも反対する。


 エクアドルマンタ空軍基地は港湾都市にある。コカイン密売監視を口実に米空軍が使用していた。1999年に米国がエクアドル政府と基地駐留を10年間認める協定を締結したことに基づく。エクアドルのラファエル・コレア大統領は、両国が対等である証として米国がフロリダ州マイアミにエクアドル空軍基地建設を認めない限り、アメリカにマンタ基地の利用を認める協定を10年の期限で終了させ、同協定を更新しないと通告。2008年3月19日にエクアドル憲法制定議会はエクアドルにおいていかなる外国の軍事基地も非合法化した。

 中南米を自国の裏庭と言ってはばからない米国が、エクアドル軍の米国内駐留を容認する筈がない。協定は失効。9月駐留米軍が引き揚げ、外国軍の駐留は一切なくなった。

 エクアドルは政情不安定な南米アンデス地方の、人口1800万に満たないの貧しい国である。それ故に毅然と外交によって平和と独立を実現する。

 兵営を破壊して教室を確保するのは中南米の奥深い伝統に根ざしている。

 ホセ・フィゲーレス(元コスタリカ元首)が、「コスタリカの常備軍すなわちかつての国民解放軍はこの要塞の鍵を学校に手渡す。今日から ここは文化の中心だ。第二共和国統治評議会はここに国軍を解散する」と宣言したのは1948年12月1日。

 エミリアーノ・サパタと共にメキシコ革命を代表する農民軍指導者フランシスコ・パンチョ・ビリャに常備軍廃止の思想的淵源を見ることが出来る。彼はこういっている。

 「新しい共和国が樹立された時には、もうメキシコには軍隊はなくなるだろう。軍隊は独裁の最大の支柱だ。軍隊がなけりや、独裁者もありえんね」・・・「われわれは、軍隊を働かせるつもりだ。共和国全土に、革命軍の古参兵を集めた軍人入植地を作るつもりだ。州が耕地を与え、大きな工場をつくって古参兵を働かせる。週のうち三日は、軍人は徹底的に働く。真面目に働くことは戦うことより重要で、真面目な労働だけが、立派な市民をつくるんだ。」  

 青年カストロは、マルティ生誕百年を記念して「百年記念の世代」と名乗りモンカダ兵営を襲撃、革命闘争に立ち上がっが襲撃は失敗。逮捕されたフィデル・カストロは、非公開裁判で自からを弁護「歴史は私に無罪を宣告するであろう」との有名な弁論のなかで、マルティこそが「7月26日の知的作者」だと宣言したのである。それ故革命後、先ず全土でことごとく兵営を教室に変え、識字運動を展開したのである。そのホセ・マルティが キューバ革命党を立ち上げのは1892年であった。           

g7のg はguerre(仏語で戦争)か

   米軍駐留は明らかな憲法違反。日本政府は闘わないどころか、辻褄合わせに条約を憲法の上に置き自ら費用まで負担、従属。それが80年にもなろうとしている。
天皇を自称した戦犯筆頭老人は、自らの私有ではない琉球を住民ごと占領軍に差し出す恐るべき「忖度」振り。これほどの悪徳、誰も容認出来はしない。

 従属の度合いは底なし沼のように限度がない。自称g7の持ち回り議長の座に浮かれる首相は、g7サミット取材記者の接待所をサミット会場内に設営。豪勢な飲食に記者たちは街に出ようとはしなかった。

 g7にはその存在を裏付ける根拠は一切ない。そもそも何者からも選ばれてはいない、単なる自称世界中を我が儘勝手に植民地化して、guerre=戦争を拡大する国々に「平和」や「核なき世界」を口走る資格があろう筈がない。広島に原爆を投下した国の大統領は原爆資料館に核ボタンを持ち込んだという。

    


質素な教具と授業・貧しさの矜持

 繰り返し思い出す旅の光景がある。一つは北京の繁華街王府井での事。

 蒸暑さと人の多さに疲れて、木陰の老婆からアイスキャンディを買った。彼女は、断熱用の布団に何重にもくるまれた木籍から商品を出し素朴な包み紙を取り中身だけを出し「三毛(当時の交換レートで10円)だよ」と言った。包み紙は丁寧に伸ばして重ねられ木箱の上に置かれた。

 キャンディは山査子とサッカリンの微かな甘みがあった。あんなに美味しいキャンディを僕はその後知らない。一息ついた僕たちの前を、いかにも教師らしい二人が嬉しくて堪らないという表情で歩いて来た。男性の白髪老教師と若い女教師。それぞれ両手にどっさり教具らしいものを抱えて、声も弾んでいるのが判かる。老教師は歩みを止め、前方を指さし語りかけた。二人の会話が少しだけわかった。

 「折角の北京、名物でも食べようか」

 「賛成、やっと来たんですものね」

 「あそこはどうだろう」

 「素敵・・・そう・・・でも、私まだ買っておきたい物があるの。子どもたちの喜ぶ顔を見ましょう」

 「ウン・・・そうだね、戻ろう」

 粗末だが清潔な上着と黒い布靴の二人は、何日かけて北京に着いたのだろうか。寝台車に乗れば彼らの給料は飛んでしまう。街のコックは千元を嫁ぐが、教師は大学教授でも月給百五十元、(1元は30円余りだった)と聞いた。

 僕はある年、北京郊外のかなり高級なホテルに泊まった。精算するとあまりにも安い。間違いだろうと問うと

 「これでいいのです。今、年に一度の「教師節」で、先生たちの日頃の労苦に報いているのです。外国人教師も例外ではありません」と笑った。

  事程左様に、教師の給与は安いのである。だから王府井の二人は、帰りも硬い座席車に乗るに違いない。駅から村までは、破れた床から地面が見えるようなバスで更に半日は揺られるだろう。二人を見送りながら、貧しさの中の節度を想う。

 辺りには中国最大の書店、文具店、百貨店が軒を連ねる。書店に並べられた粗末な装丁の本は何れも手垢で背表紙が黒ずんでいる。学生達は参考書売り場に群がり、問題集を広げては議論し、そして買わない。理科の教師用指導書の大部分は身近な材料を使っての実験器具づくりに充てられていた。


 もう一つは、哈爾滨動物園での事だ。 檻の前で小さな日用品を並べ賭けに客を誘い、またたく間に金をまきあげる若い女。動物を見に来た筈の男たちが、動物には目もくれず、賭けに群がり、警察のサイレンと共に散り再び集る。

 ここは日本より広い黒龍江省随一の行楽地でもある。高さ3mの軌道を走る小さな人力モノレールに興じるのは大人たち。子どもはパトカーやサイドカーの形をした電動カートで狭いサークルを廻ってご満悦。

 肩を組んだ中学生らしい少年二人が、弁当箱を手にやって来る。満面の笑み、今にも歌い出しそうだ。檻の前で一つひとつ説明を読み、熱心に動物を観察し、何やら話し合う。やがて弁当箱を振り回しながら隣りの檻に移ってゆく。こんなに仲の良い少年を見るのは久しぶりだった。彼らも粗末だが洗いたての木綿の上着、破れかけたズック靴、髪は散髪したばかり。早起きして二人は、生れて初めての大都会を旅している。母親は星のある時間に起き、息子のために弁当をつくった。父も母もこの一日、遠い都会に出た息子の安否を気づかい落ち着かず、夕方になれば何度もバス停の方角を振り向かずにはおれない。夕餉のひとときは一家中が、小さな白熱灯の下でこの日の大冒険を語る少年に耳を傾けたに違いない。


追記 40年も前のことだ。今は姿を消した旧式の教具やありふれた動物に心ときめかせる国の平等な貧しさが、反転して眩しく迫る。今、僕らは生徒の意識を授業に向ける為に、過剰に刺激的で珍奇な「物」、痺れる味わいの事件掘り出しに躍起だ。 肝心の授業構造や論理はそっちのけ、ともかく惹き付けなければというわけだ。コンピュータも駆使して、真偽不確かなデータに教師までが翻弄される。某はその筋で教祖に登りつめ、手軽かつ見栄えするネタに若い教師を誘う。しかし感覚を痺れさせる教材の香辛料には限度がない。刺激に飽きた生徒を、教室に向わせる仕掛けはエスカレートして止まない、アメリカではすでにこれで失敗した。新たな刺激のために教師たちは初めは意欲的に働らき、やがて燃え尽きたのだ。

 授業は質素に限る、落ち着いて中身を精選充実させよう。奇を衒ってどうする

「大本営発表」由来の筋書きを暴露しないことが良識なのか

  2021年の暮れ、長いメールが友人から届いた。彼は現役の医者で医学部教授でもある。

 仕事の帰り道に、I・立憲参議院議員の事務所に、時々よって 話しすることがあります。・・・

 自公政権の悪政は長期間続いているだけでなく、国民の生活と人生の安心不安と幸福感、経済停滞下での企業利益と株主配当増加と賃金低下、社会の(不)健全さ、アメリカへの従属と軍備拡張強化、国民に対する監視等々の更に悪政は強化され続けている。悪政は更に悪しくなって続いているにもかかわらず、2021年総選挙では、自公政権は多数を占め、維新の会などの補完勢力は飛躍し、野党共闘勢力は後退した。・・・・

 彼の義憤は高校生の頃から一貫して誤魔化しがない。だが義憤も続けば人は消耗する。僕は思う、かくも長き義憤は何故か。長きにわたって政変も革命もクーデターさえ無かった、一時は興奮渦巻く変容に見えた現象も瞬時の稲妻に過ぎなかったのか。全てが「大本営発表」由来の筋書きに乗っていたのではないか。

 我々には何一つ自己決定権がない。例えば政府でさえ「横田空域」の存在に口を挟む気配すらない。「横田空域」所有者が大戦後の「大本営」と化している。(おかげで日本政府自体が、歴史の記憶から広島・長崎の原爆爆撃が「米国の仕業」であったことを消し去ることに躍起になっている。)

 平の国民なら、なおさら自己決定権はどこにもない。高校生は有料のお仕着せを「カワイイ」と歓声を上げる始末だ。若者は自らの進路も何一つ選択できない。格付け=偏差値による割り当てから自由になれないからだ。 教師は更に哀れだ、労働基本権すらない。 

 政府は我々「主権者」が入手できない各種の情報を、例えばワクチン接種の影響について詳細なデータと論文を把握しているはず。欧米はこれらを公開している。  

 日本では、ある学者がコロナワクチンの全有害事象等の開示を求める行政訴訟をおこした。これに対し、厚労省はなんと「20234月3日に一部のデータを開示し、全データの開示は2026年度末までに段階的に検討する」と回答する始末。ワクチン接種は、主権者ひとり一人が詳細なデータをもとに判断する。医学論文を何一つ書いていない専門家で構成する会議が下命するものではない。 詳細なデータの作成と公開が官僚=公僕の義務であり、その所有権は主権者に帰する。

 にも関わらず判断は官僚が行い、国民は温和しくそれに従う。この国ではこの構図に異議を唱え怒りを表明することが「大本営発表」の存在を暴露することとして「自粛」の対象となって久しい、自粛すれば全てが存在しないことになる。虐めもパワハラも暴露する奴が混乱の源だと見做される。それは「国際」関係そして国政から学校までを貫く「良識」=処世術となっている。

  EUには、そんな「良識」を打ち破る仕組みがある。

 米国はその覇権的立場に胡座をかき、同盟諸国や従属国など第三国に対して米国が設定する制裁体制に従うよう圧力をかけていた。外国企業は米国の制裁対象国と取引すれば、米国市場を失うことになった。 それでも従わなければ軍事クーデターによる政権打倒は常套手段だった。その例は中南米で幾度も繰り返され、中東や東アジアやアフリカ間断なく続いた。

 これらの米国の治外法権的措置に対抗するため、EUはブロックメカニズムを導入。第三国とEUは、不当な制裁法の阻止、制裁の範囲を回避するための特別な目的の手段、さらには対策など、さまざまな非司法的メカニズムを利用している。

 EUブロック規定第5条(1)では、「EUの運営者は、EUが治外法権的に適用するとみなされる一連の外国制裁法の「外国裁判所の請求を含む、直接的または間接的に」要件または禁止事項を遵守することが禁止される」。  問題の法律は規則の附属書に記載されているが、現在はすべて米国の法律。 第5条(2)は、欧州委員会がこれらの法律の全部または一部を遵守するようEU運営者に権限を付与することができ、これに従わぬ場合、EUの利益を害することになると規定している。  2018年、欧州委員会は、イランに対する米国の二次制裁(再適用)を含むようEUブロック規定の附属書を更新している。 

 ブロック法は、EU企業が米国の制裁に従うことを禁止しているわけだ。例えば米国が核協定を脱退した後、イランに対して加えた制裁を拒否するために使用されている。

   米軍とともにリビアやイラク等を爆撃してきたeu諸国ですら米国の干渉に手を焼いていることがよく分かる。eu諸国や米国に支配された弱小国家・民族は過去の「宗主国」に対する怒りや悲しみは如何ばかりか、想像するに余りある。

 英国王戴冠式騒ぎの中、英連邦12カ国の先住民組織や指導者たちが、イギリスの植民地化が先住民に与えた影響に対する謝罪を求める書簡を突きつけた。「謝罪、賠償および遺品と遺骨の送還」と題された書簡は、元上院議員で『オーストラリア共和国運動』の共同議長を務めるノバ・ペリスの提案による。

 「私たちは、2023年5月6日の戴冠式の日にイギリ

スの君主であるチャールズⅢ世に対し、先住民や奴隷にされた人々の大量虐殺と植民地化の恐ろしい影響と遺産を認めるよう求める。」 この申し立ては、君主の正式な謝罪に加え、英国の博物館や施設に保存されている原住民の神聖な品々や遺骨の本国送還を強く求めている。

 この書簡には、チャールズⅢ世を国家元首とするアンティグア・バーブーダ、オーストラリア、バハマ、ベリーズ、カナダ、グレナダ、ジャマイカ、ニュージーランド、パプアニューギニア、セントキッツ・ネイビス、セントルシアと、セントビンセント・グレナディンの代表者が署名している。彼らは、何世紀にもわたる「大量虐殺、奴隷制度、差別、虐殺」の間に人々から盗まれたすべての文化財や芸術品の返還を要求している。

 さらに、バチカンが行ったように、「大航海時代の教義」を放棄するよう君主に求めている。この教義を否認することによって、先住民との協議と賠償のプロセスを開始することが可能になると署名者たちは考えているのだ。


 エリザベスも黒人奴隷を酷使し、印・中両国を麻薬漬けにすることで大英帝国の礎を築いたという過去を謝罪していない。彼女は王冠に、インドから略奪したルビーと南アのダイヤを嵌め込んでいた。恥じるどころか得意満面の笑いを浮かべて。

 日本はどうなのか。加害と被害の両面から問うべき課題が我々には突きつけられている。決して逃げられないし逃げてはならない。だが逃げ隠れが止められない。

   世界中が太平洋戦争後の日本のようになると、青い目の「大本営」は考えている節がある。徹底的に無差別空襲され、原爆を二発も落とされて、容赦のない圧迫は、反抗を惹起するのではなく服従を生んだ。しかし、暴力はいつか必ず「夢」を破る。

生徒や学生は、職員会議や教授会に「質問主意書」の類いぐらいは出す権利がある

   日本学生支援機構の運営評議会委員であり、文部科学省の有識者会議「学生への経済的支援の在り方に関する検討会」の委員でもある前原金一前経済同友会専務理事が、平成二十六年五月二十六日の上記検討会で、奨学金の返済を滞納している者について、「現業を持っている警察庁とか、消防庁とか、防衛省などに頼んで、一年とか二年のインターンシップをやってもらえば、就職というのはかなりよくなる。防衛省は、考えてもいいと言っています。」との発言をしています。

 この発言に対して、軍に入隊すれば国防総省が奨学金の返済を肩代わりする制度のある米国のように、我が国も奨学金の返済が出来なくなった貧困層の若者が兵士にならざるを得なくなる「経済的徴兵制」につながるのではないかという批判が起こっています。

 そこで、以下質問します。

一 上記の通り、前原氏は「防衛省は考えてもいいと言っています。」と発言していますが、この発言通り、防衛省において、奨学金滞納者をインターンで受け入れることを検討している事実はあるのか伺います。

二 また、文部科学省並びに日本学生支援機構において奨学金の滞納者で無職の者を現業のある警察庁、消防庁、防衛省でインターンさせることを検討しているのか伺います。

三 米国のように自衛隊に入隊すれば奨学金の返済を肩代わりする制度を導入する可能性はあるのか、それとも、このような制度の導入については検討自体行わないのか、政府の見解を伺います。

 右質問する。


 これは2015年ある代議士が内閣に送った質問文書。国会法は第74条で、国会議員が内閣に対し質問する権利を定めている。 内閣はこれに対し7日間以内に内閣総理大臣名で答弁しなければならない。

  内閣の答弁書を読みたくとも、衆議院のホームページから検索出来ない。参議院は古くとも検索可能。

 もしこれが通常国会中の政府と議員の討議であれば、NHKTV中継で広く若者や学生と親たちの関心を集めたに違いない。

 政府に対する質問と答弁は議員の特権ではない。国民の権利を代行しているに過ぎない。従って少数党派への時間制限や中継打ち切りは以ての外。プロ野球中継などは頼みもしないのに延長する。playに過ぎないスポーツの麻薬的興奮が政治を見えなくしている事に怒る事も出来ない日本のmediaは「I」=主我ある主体とは言えない。

  

 学校の生徒や学生は、職員会議や教授会に「質問主意書」の類いを出す権利があると僕は思う。その為には、何より「I」=主我 が必要だ。主権者意識は「I」=主我あって初めて自覚される。日本の中高生は他者に規定された「me」=客我になりやすい。自分自身ではない所属学校や部活のランキングに魂を抜かれてしまう。偏差値も部活も営利企業のつくる楼閣、巨大な空洞だ、天皇制に似て中身は何もない。

 まともな国では、学校や教育行政に父母・生徒・学生・住民が直接関与するシステムがある。

 たとえば、フランスやイタリアの高等学校では、学校評議会が学校内の最高決定機関であることが、法律で定められている。その構成員は、行政・事務代表・教員代表・親の代表・高校生の代表・地域の代表からなっており、教員会議も教員代表を選ぶ下部組織である点では高校生と同じ。

 カリキュラム編成・高校生の処分の他、学校予算・決算も学校評議会の権限である。(フランスの制度は1989年のジョスパン法によってさらに前進、後述するがこの前進は、フランスの高校生が自ら闘いとったものである。)


 「「I」=主我」の無さにおいて、日本の教師は群を抜いている。職員会議では多数決すら禁じられ、「上意下達」の一方通行。生徒の前で教育行政の「上意」を伝えるだけなら、そこに教育は成立しない。あるのは調教、という点では封建時代へ逆行している。大河ドラマの類いは国民を 「me」=客我の世界に引き摺り込んでいる。


 「質問主意書」の類いの権利を、少なくとも自分のクラスで実践してみるのはどうだ。職員会議の議題を公開してみるだけでもいい。無論風当たりは弱い筈はない。そうする事でしか我々は「I」=主我を確立できないように思う。互いに

仏の街頭行動では高校生と教師の共闘は日常的
「me」=客我同士では、操り人形同士が向き合っているが如き。言葉までも分断されたまま。憎み合いが仕組まれて互いに消耗して潰える。生徒・教員ともに主体的「人間」であってこそ理解が可能。共闘は相互理解があって初めて成り立つ。


   冒頭の質問主意書を提出したある代議士は初鹿明博  彼の経歴は面白い。大学卒業後は自民党代議士秘書、1997年都議選に旧民主党公認で出馬するが、次点で落選その後鳩山由紀夫秘書。2001年都議選には民主党公認で当選し、2009年まで都議。2009年衆院選に民主党公認で当選。

 これからが面白い、2011年には衆議院の「オリンピック及びパラリンピック招致に関する決議案」採決において党の方針に反し反対。消費増税法案の採決でも、党の賛成方針に反対票を投じ、党員資格停止2カ月の処分。民主党に離党届を提出、みどりの風へ入党。次期総選挙で落選。

 2014年維新の党に関わり当選するが、共産党や社民党との共闘による「リベラル勢力の結集」を目指し大阪維新と対立。2017年立憲民主党設立当選後、女性問題が発覚し辞職している。(スキャンダルに塗れた議員が党派離脱でお茶を濁す中、潔がいい。)

 これを定見のない輩と見る向きもあろうが、政界自身が離合集散を繰り返す中逆に筋を通した「I」=主我の人物なのかも知れない。彼のtwtterは一見の価値はある。


サウジアラビアとイランが和解したことの意義

 





 2016年からサウジアラビアとイランは、互に大使を交換、安全保障や貿易投資などの協力を再開する。両国は北京で調印

 サウジアラビア、イラン、中国は昨年末から交渉を重ねていたが、アラビア語とペルシャ語と中国語のみで話し合った。米英覇権下の外交ではあり得なかった。非米・多極型世界体制の立ち上がり=英米覇権終焉を象徴している必死で国際化の掛け声に踊らされ、英会話と米英帰りのみを有難がる日本は時代錯誤の道化となった)。

 中国を介した和解交渉は英語を使わないことにより、米英が交渉の中身を傍受して妨害策をとることを難しくした。 英米は冷戦体制下の「同盟国」1000余箇所の軍事基地を利用して世界中の通信を容易く傍受できた、その恩恵で米英企業や大学は特許情報等をいち早く入手、他国を出し抜いてきた。それが可能だったのは、英語(が)国際語との安易な錯覚が拡がっていたからだ。多様な言語による情報交換が当たり前であれば、通信傍受の膨大な人員と費用を節約出来ない。

 それだけではない、国際関係が英米語をハブとすることなく、直接の交流が可能となっただろう事は確実だ。

 英米による情報独占は冷戦体制下の国際関係を恣意的に分断・撹乱する事を容易にしてきた。英米に従属しない自立を目指す政権が残忍且つ幼稚極まる画一的「クーデター」で潰されてきたのだ。単一言語による帝国主義でしかないものを「国際化=グローバライゼーション」と囃し立ててきたのだ。日本の英語教師はそれに加担して胸を張ってきた。

 僕は、高校の外国語に朝鮮語や中国語を導入すべき事を「底辺校」で力説して多数派教員(彼らは英語を地域言語ではなく国際語だと言い張った)に嫌われた。生徒の多くが中学で受験英語嫌いになっているのに更に三年間、受験英語に苦しむのだ。ペルシヤ語やウルドゥー語もいい。豊かさや覇権から遠い言葉の学習は、少年少女たちの世界観をゆっくりと確実に変えるに違いない。映画・文学だけでなく食べ物・服装持ち物・習慣まで覇権国家文化の影響下にあって視野を曇らされたのが、全く新しい視野を得る筈だ。

 多言語学習環境下では、例えば嫌韓言説が巷間に溢れる現象もありえない。大学受験や就職試験もTOEFL等の影響は忽ち薄れ、言語そのものへの関心と理解が前進する。それが日本の単一民族幻想や、偏務的日米地位協定・年次改革要望書を破棄する力となる。


  もし我々が英米語をハブとすることなく、直接に諸言語を獲得していたら・・・。例えば今になってようやく知ることになったカダフィ大佐に関する情報を、リビアへの米英仏の大規模爆撃以前に直接入手出来た筈だ。

  今我々が知る『Gaddafi』に関する情報を、遅ればせながら列挙してみる。 

/.リビアでは教育も医療も無料。/.電気も無料。

/.リビアの対外債務はゼロ、外貨準備高1500億ドル

/. 新婚夫婦には、6万ディナール支給。

/.車は政府が価格の50%を融資。/.銀行は公営で国民への融資は無利子。これはもととイスラム圏の思想。

/.就職決定まで、仕事の平均給与を国が支給。

/.出産には、5,000ドル支給。

/.パン40個0.15ドル。/.ガソリン1リットル0.14ドル。

/.Gaddafiは、砂漠の国全体に水を供給する世界最大の灌漑プロジェクト「BIG MAN PROJECT」を持っていた。

  Gaddafi大佐は独特の強烈な風貌で、豊かで公平平等な民族共同体を形成しつつあった。これを独裁と呼び攻撃したのが言語帝国主義=英米語ハブ環境。では英米民主主義とは何か。資源の独占私有を自由競争と考える「自由主義」者にはl略奪の春である。

  様々な政治文化環境にある国の「クーデター」騒ぎを一律に「Arab Spring」と言い、一連の色をつけ「Color revolution」と呼ぶことの作為性に気付かない愚かさがある。それが我々の自立した思考を麻痺させるのだ。

  Gaddafi体制爆撃の目的は、リビアの豊富な資産を強奪することだった。欧米「先進国」の「豊かさ」は十字軍以来他国からの絶えざる略奪に依っていた。BRICSも上海協力機構も、英米覇権体制より遙かに自由で平等な国際環境を実現する筈だ。

 自前の資源なしに、無料の教育・医療・福祉・住宅に関する平等な権利を、米州機構の暴力的経済制裁に耐え通し、ついには米国を米州機構で孤立に導いたCastro兄弟・Guevaraの功績は計り知れない。同じ事はGuevaraを鼓舞して止むことのなかったHồ Chí Minhにも言える。貧しさに長く耐える精神が、自由と平和を実現する。

追記 サウジアラビアは5月19日のアラブ連盟首脳会議にシリアアサド大統領を招待する予定。サウジアラビアのファイサル・ビン・ファルハン外務大臣が間もなくダマスカスに赴き、アサドにサミット出席の正式招待状を手渡す。

 英米語覇権体制の崩壊は、「もし嘘が戦争を始めることができるのなら、真実は平和を始めることができる」とのジュリアン・アサンジの警句を裏打ちしつつある。教師も報道陣も真実の伝え手としての自覚と覚悟が必要。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          

怒りを込めて振り返れ  絶滅隔離

   「一般に夫婦は似た顔の人が多い」との分析報告がある。ひとは顔が似ていると親密になりやすく、趣味や考え方が似ていると一緒に生活しやすいのか。

 転校して親しくなると同じ家紋の家だったことを後日知り妙な気がしたものだ。

   僕は生まれ故郷から夜行列車で丸一日の熊本で小学校に入った。不思議な新設校で、一年生ばかりが200人余りの4クラス、だが教室は全学年分完成していたその中の一人がなぜか気になり、休み時間毎に「遊ぼう」と誘わずにおれなかった。彼はいつも寂しげで温和かった。中庭で五寸釘や独楽を使って遊んだがたった10分でお終い。だから放課後はいつまでも遊べると考えていたのだ


が、時鐘
と同時に布製のランドセルを背負い「園のおばさんが、学校の子と遊んじゃいかんって・・・」と呟きながら、数人の仲間と裏門を抜けて帰るのだった。 僕は校門脇の土手に登って、熊本市の真ん中を横切る白川の向こう側の丘の麓に消える彼らを眺めていた。

 彼らは児童養護施設から通っていたのだ。5月連休明けに白川向こうの丘への遠足があり、「遠足は一日中遊べるね」と僕はご機嫌だったが遠足当日は雨。彼らは一人も登校しなかった。先生たちは体育館に僕らを集めてお菓子を配った。親が金を出し合っておやつのために共同購入した品物だった。お菓子と弁当ですっかり元気になったうえ、勉強もなしになった。


 後日、この養護施設が熊本の教育を混乱の激流に巻き込んだ『黒髪小事件』と深い関わりを持っていたことを僕は知った。黒髪小事件は  龍田寮事件とも竜田寮児童通学拒否事件とも呼ばれる。

 癩療養所に絶滅隔離された患者は、感染していない子の処遇に泣いた。療養所には患者でないから入れず、親戚縁者は患者の子どもだからと引き取らない。当時患者の子どもを「未感染児」と呼び患者の家族はいつかは発病するという無知偏見を植え付け、また子どもを荷物扱いし「携帯児」とも呼んだ。様々な経緯から菊池恵楓園では「未感染児」は、癩予防協会付属養護施設の保育所「龍田寮」で扱われることになり、寮は恵楓園から離れた熊本市内の黒髪町に設置された。

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   少し長いが拙著から引用する。 

 1954年の春、時代の歯車が逆転したかと思わせる事件が熊本で起きた。竜田寮児童通学拒否事件である。ハンセン病療養所にはハンセン病患者である子ども、親が患者だが本人はハンセン病ではない子ども、療養所職員の子どもがいて、それぞれ困難を抱えていた。熊本市内の竜田寮では、菊池恵楓園入所者の子どもたちが生活。他の療養所では入所者の子どもの地元小中学校通学がすでに実現、しかも竜田寮の中学生と高校生はとうに地元の学校に通っていたのである。意図して煽られた騒動の気配がある。中心人物は保守の県議会議員でもあった。

 菊池恵楓園に再収容されることになった父親が、子どもを預けるために竜田寮を訪ねたことを書いている。黒髪小事件の3年前のことである。

 「私は意外なことを耳にした。(竜田寮には)小学児童が15名ほどいるが、市内の小学校に通われず、分教場で教わっているということだった。

 「小学校がすぐそこにあるのになぜ通学されないのですか?」

 「それがですね、病人の子だからという理由でPTAが 反対するらしいんです。これまで何回となく市や学校と交渉しましたが、父兄側の鼻いきが荒いのでね」

 親を病人に持つがゆえに、その子は正規の教育を受けることを拒まれ、やむなく分教場で一人の教師が一年から六年までを担当しているというのである。ほんの目と鼻の先で片方は堂々たる鉄筋建の校舎で、正常の教育を授けられているのに、一方では粗末な分校で寺子屋式の貧弱な教えを受けている。私の脳裡を対照的な二つの授業風景がかすめた。教育都市をもって名を知られる熊本市が、これは一体どうしたことだろう。」   下河辺諌「別れ道」『ハンセン病文学全集第四巻 記録・随筆』346ページ

        

 竜田寮の子どもたちを排除しようとする通学反対派は、140日にわたって子どもたち(1600余)を休校させ、お寺や銭湯などで自習させた。この事件に衝撃を受けた佐賀の患者家族が自殺するという悲劇も起きている。

 しかし少数派の通学賛成者は、石を投げられ、脅迫状を送られ、殴り込まれ負傷者まで出しながらも、その275名の子どもたちが竜田寮の4人と通学を続けた。新しい希望であった。反対派指導者の孫が「竜田寮の児童が入った新一年生の学級に掃除に行かせて欲しいと申し出てきたのが嬉しかった」と、『熊本市戦後教育史』は書き残している。            『患者教師・子どもたち・絶滅隔離』地歴社刊


   竜田寮の中学生たちが通った市立桜山中は、黒髪小学校より竜田寮に近いが、通学拒否はおきていない。それ故事件のの解決に熊本市は悩み、市内の学者たちに知恵を借りた。その結果、何カ所かに分散設置された施設の一つが「気になる温和しい子」がいた園かも知れない。僕の入学した小学校は彼らの受け入れ学校として急遽指定された可能性がある。子どもたちの個人情報は勿論園職員の情報まで悉く秘密にされ、後に破棄されたと聞く。


 この事件の根本は、絶対隔離の必要の無い癩病=ハンセン病を「ペスト並みの恐ろしい病気」と根拠のない偏見を煽りながら全国を遊説した光田健輔と渋沢栄一に帰すべきことを、僕は何度でも書く。

                                                           

 父の母が戸籍から消え癩療養所に生きていた可能性については既に書いたが、このトメ婆さんとほぼ同時に戸籍から消えた父の妹も同じ療養所にいた可能性を否定できない。彼女は僕の叔母にあたるが、彼女に「携帯児」はない。しかし当時の恵楓園では療養所内で患者が堕胎を免れ出産した例がある。

 彼が僕の叔母の子、つまり僕の従兄弟であった可能性も否定出来ない。入学式後の集合写真を見ると、疲れ切った表情の僕の前列にそれと思しき詰め襟姿の少年が写っている。

 僕は墓という風習に何の感慨も持たない。だが菊池恵楓園の納骨堂には頭を垂れるつもりだ。 なぜなら、この黒髪小事件に関する教組や労組の積極的取り組みの形跡がないからだ。癩病の絶滅隔離そのものへの怒りを込めた行動や声明すら発見できない。戦後民主主義とは何であったのか、どこを向いていたのか問わずにおれない。矛盾の結節点への洞察が欠けている。

 

わが国では、学校は植民地同然なのか 牢獄か

  

「植民地の民衆とは、その進化が停止し、理性を受け入れず、白身の事柄を処理できず、指導者の永遠的存在を求めている民衆である」                              フランツ・ファノン『なぜ我々は暴力を行使するのか』みすず書房1960年

 

 これはフランスの高校生のデモ     今月7日、マクロン政権への国民的な怒りは、約350万人(CGT調べ)の街頭抗議デモー鉄道、地下鉄、バスなどの交通機関、道路、輸送、医療、消防、港湾、燃料、電気・ガス、清掃、公務員、学校、商業、サービス業ーあらゆる産業分野の労働者、老若男女が街頭に結集、政府の年金改革に異議を突きつけた。 抗議デモは国内300の地域に広がり、「生存権を守れ」「われわれは労働の囚人ではない」「ウクライナではなく国民を支援しろ」と声を上げた。ストを呼びかけた労組や組織は「年金改革法案の撤回」まで無期限ストを宣言している。

フランスの人口は日本の半数弱。
 ここ仏で高校生は教師とともにともに闘う仲間として街頭に出ている。日本の高校生は政権に指示された模擬投票ごっこの幼児以下か、なす術なく狼狽える。教師と高校生は、長い時間を共通の目的=学問をともにしながら、共感しあうことが出来ない。ここは牢獄か。何故連帯から逃避し傷つけ合うのか。

 高校生は既に政治的主張と行動の主体。教室の壁に閉じ込められた囚人や主権を奪われた植民地民衆では無い。進化をとどめるな、理性を研ぎ澄ませろ、怒りをもて白身の課題に立ち向かえ。高校生・若者、君たちは主権者なのだ。先ず要求を掲げて、当局に政府に突きつけねばならない。君たちが侍japanに興奮している間に政権は戦争にまっしぐら。

記 異議申し立てする主権者たちに、フランス警察は警棒はもとより、催涙ガス、高圧放水銃、閃光弾、までも使っている。重装備の警官が非武装のデモ参加者に襲いかかる様子はSNSに溢れている。消防士の一部隊は寝返り、デモ隊に合流した。あるmediaは「パリは戦争状態だ」と報じている。

 イタリアの異議申し立てデモでは、軍人が市民=主権者側に寝返っている。

 

  

「普通」の人間としての矜恃は我々に貧しさを強いる

  チャーチルは初めて乗った地下鉄で市民に囲まれ、意見を聞いたことがある。この対話で彼はナチ

ガンジーの矜恃は彼に牢獄を強いたが故に適切な判断をもたらした。

スと徹底抗戦する決意を固める。チャーチルが対ナチス戦に関するまともな判断で英国を導いたのは、戦争の素人=市民としての感覚を持っていたからだと思われる。(ただ、地下鉄での逸話は、映画用のfiction )

 Oさんが石神井高校長に生徒との対話を迫り、校長室の開放を要求した事とどこか似ている。この時君は石神井校長の校長という身分と校長室の隔離性が、彼の認識・判断を妨げていることに気付いていたのか。

 チャーチルは貴族生まれであったが、死ぬまで爵位を断り通し、「普通」の大英帝国市民としての誇りを保った。しかし印度やアフリカの植民地に対しては大英帝国の絶対優位を疑わなかった。ユダヤ人や社会主義者に対しても。

 それ故彼の世界観はヒトラー並みの偏見に塗れていた。

 「普通」の人間としての矜恃は我々に貧しさを強いるが、そこから生まれる他者や弱者への共感が適切な判断を導く。

チャーチルの「Operation Unthinkable」

 ニューディール政策の旗手にして反ファシストのF・ルーズベルト米大統領が急死したのは1945年4月。その翌月ナチスドイツは降伏する。個人的に共産主義を非文明と敵視していた英首相チャーチルは、独ソ戦でソ連が勝利する展開を信じられず放置できない。あろう事かソビエトに対する奇襲攻撃を目論み、5月22日にJPS(合同作戦本部)に作戦立案を命令。

 チャーチルの計画によれば、ソビエトへの攻撃開始は1945年7月1日。米軍64師団、英連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そして独軍10師団の参加で「第3次世界大戦」を始める想定であった。

 作戦報告を読んだ英国陸軍参謀総長は、作戦成功は全く不可能だと判断。5月31日の参謀長会議でも作戦実行は「考えられない (Unthinkable)」と発言。作戦は発動しなかった。

 それでもチャーチルは米軍がヨーロッパから全面的に撤退してフランスやオランダまでソビエト軍が進軍した場合の英本土防衛作戦の立案を6月10日に命じる。統合本部は再び『Operation Unthinkable』という名称で7月11日に報告書を完成させるが、この報告書でもソビエトによって本土の安全が脅かされることはないと結論づけている。


 7月16日には米国が人類初の核実験の成功。7月18日の米大統領トルーマンとの会談で終戦後も連合参謀本部存続に前向きな回答を得て、チャーチルは原爆によるソビエト工業地帯の一掃を含む全面戦争を目論む。同月の総選挙で保守党は惨敗。英国民には戦争の専門家となったチャーチルはもはや必要なかった。戦争で経済的に疲弊していたにも拘わらず、「揺りかごから墓場まで」の福祉国家を掲げた労働党を選んだのである。(「揺りかごから墓場まで」の基になったビバレッジ報告そのものは、チャーチル率いる保守党によるものであった)。為にチャーチルは歴史から不思議な消え方をする。

   米軍、英軍、ポーランド軍、独軍はnatoを構成して、今尚ロシアと対抗。その造られた危機を「第三次大戦」と煽り、武器要求・武器援助の人道支援にのめり込む奇っ怪な動きがある。

 チャーチルの開始した執拗な敵視と攻撃に、スターリンもソビエトもロシアも笑ってはいられない。 

 冷戦時代・・・ソ連は、(例えば)ガスの(輸出)契約は必ず守っていた。・・・。ロシアは・・・遵法精神があり、ルールに縛られる感覚があります。感情を出さないということではなく、ルールが決まればそれに従うということです。冷戦時代、ソ連は貿易と政治を結びつけて考えることはなかった https://www.contrapunto.com.sv/militar-suizo-experto-de-la-onu-analiza-con-bisturi-la-guerra-en-ucrania/ 

  彼等にとって第二次大戦は終わらないまま、第三次大戦に引きずり込まれてしまったのだ。


 同じ事は2発の原爆と水爆を浴びせられ、国連の敵国条項に縛られ日米合同委員会の議事録非公開を甘受するnippon
にこそ言える。独立国家とは到底言えない。サムライ日本、クールjapanと浮かれている場合か。
 ここでも第二次大戦は決着してはいない。戦争が終わる為には、平和と独立が実現しならないならない。

参照 https://www.jstage.jst.go.jp/article/kokusaiseiji1957/2006/144/2006_144_69/_article/-char/ja/

 

「脳みそが裏返ったみたい」             答案を時間内に仕上げられない 何が問題か Ⅱ     

  問題を解く過程は楽しめても、答案作成には興味が湧かない者がある。四谷二中の親友Z君がそうだった。 朝早く登校して前日の宿題を片付けていると「俺にも教えてくれよ」と寄ってくる。・・・「これでいいのか、わかった」と満面の笑顔。だがテストでは零点。彼は成績にも順位にも関心が無かった。  

   もし選抜がなければ、学校間に格差がなければ。仮にsafty net が政治の最重点課題であれば・・・おそらくかなりの少年少女たちが、Z君のように、分かる楽しみや喜びを満喫し、点数や順位にこだわらないだろう。たとえ点数や順位好きであっても、2科目か3科目にとどめてもいい。あとは多くの仲間と分かちあえば。                                                                           

  一介の教員に出来ることは限られる。 授業を出来るだけ興味深く役立つものにすること、テストの時間制限をなくすことぐらい。

 僕はある時期から必要な生徒に、追加の答案用紙を配るようにした。3枚も4枚も追加する者も現れる。答案の形式が豊富になった、漫画にする者、図にする者、色を加えて抽象画風にする者(彼女は抽象画の解釈や鑑賞を挑んで来た)、・・・。同じ答案、似た答案は無かった。僕は批評と感想を全員に書いた。答案は返却後、回し読みされ「もっと書かせて」と時間延長要求が出る。

  中に答案が捗っていないのに「時間が足りない」と言う者も数人。理解が遅い、構想するのに時間が掛かる、学ぶのがゆっくりしている。これは理解が素早い等と同じ「個性」であり欠点では無い、人権として尊重されねばならない。 

  こうして試験の時間制限は、成績一覧表の締め切りまで伸びた。期末試験では自宅学習期間にもかかわらず、朝から夕方まで書き続ける者が続出した。

 頭に汗びっしょりかいて「脳みそが裏返ったみたい」と言いながら十枚以上に膨らんだ答案を出す生徒には、「作品」を仕上げた満足感が溢れていた。

   この生徒たちが鉛筆を握りしめた切掛を僕は鮮明に覚えている。 

 3年4組   23人のクラス。(おそらく東京で最も不人気な学校の大幅定員割れ学級。英語教育を看板にしたクラスなのに生徒は皆英語が出来ない、何という「選択の自由」そこしか入れない、それを自由と言い募る神経を教育行政が持つ不幸)落書きもなくゴミ一つ落ちていない。上唇にピアスを3つ付けた生徒が一番前に陣取って後ろの生徒と喋っている。デンと飲み物とお菓子をおいて前後ろ横と喋っている。ここは3-4かいと言うが反応がない。やがて間延びした声で「キリーツ」の声が掛かる。なかなか立たない。胡散臭いものを見るような目つきで僕を見ながら、ダラーッと力無く立ち上がり始める。全員が立つまで長い時間が流れたような気がする。

 「立たなくてもよろしい。耳だけをこっちに」

 「君たちを初めて見たのは4日前の始業式だ。なかなかいいセンスだと思いながら見ていた。ナガーイ校長の話、何の話だったっけ?」

  「もう忘れた?・・・・聴いてなかった。ざわざわしてたからね」

 そのあと、ある先生に

 『オメェーラ何度言えばわかんだよ、だからオメーたちには自由がないんだよ、自由・自由がないと言うんだったらやることやってからにしろ』と言われて、シーンとした。ガッカリしたよ。

 いいか、君たちは口汚く怒鳴られて静かにしてしまうことで、教員にあることを学習させているんだ。『こいつらは怒鳴らなきゃ駄目なんだ』と『話の中身じゃない、そもそも聞く態度がなっていないのだ』と。君たちがわざわざ教えているんだ」

 叱られれば中身に関係なく静まうこと。自由と集会の態度をバーターすることのナンセンスとそこに含まれる論理の違法性。怒りが籠もって僕の話は少しも易しくはなかったと思う。

  僕は王子工高での体験を話した。 (王工の生徒たちもうるさかった。スピーカーが役立たないほどやかましかった。怖そうな教師が怒鳴っても静まらない。職員会議で議論した結果、聞きたくなる話をしよう、それもなるべく短くという事になった。その最初の話し手がたまたま交通事故の怪我で包帯と松葉杖姿で登壇したため、静まりかえった)

 そして、憲法99条の2箇所を空欄にして板書した。

 「ここに何という言葉が入るか考えてもらおう。」

 「ハイハイ、国会議員」教員でさえ間違えてしまう問題を、正しく答えて、僕は一瞬驚いた。こうした〃予想外〃はよくある。

 「それでいいかな」と念を押す。

 「えーじゃーナニナニ」と周りに相談し始める。

 「他には・・・&#¢さん」指名して行くと

 「国民?」

 「国民」と次から次に言う。最初の生徒まで

 「私もそれをほんとは言いたかったの」と言う。

 「憲法九九条を教科書の後ろの条文で確かめてみようか」

   「だよね、だよね」国会議員と言った生徒が叫ぶ。あらためて九九条を音読すると

 「セッショウって殺すことだよね」とニッコリする生徒がいて、みんな笑った。その他の公務員には公立学校の教員はもちろん含まれている。

 なぜ国民ととはどこにも、書いてないのかについて講義を始めた。学校でいえば、校則には教師の義務と生徒の権利が書いてあるのが憲法なんだと。例えば教師は良い授業をしなければならない、生徒を侮辱してはならないと。

  終わって教室を出ると「せんせー名前はなんて言うの」と追っかけて来た。


 この高校に転勤が決まって何人かの教師に会ったが、「授業は十分と保ちません」と誰もが念を押す。教室を廊下から覗いて、僕は辛くなった。職員室の風景も気に掛かる。見本の教科書資料集が十数年分、古い使いようのないパソコン・・・。HOW TOもの以外の本が教員の机上に殆ど無い。知的退廃。逃亡。

 授業して生徒から返ってくる反応が少なければ教師はつらい。教室の様子も職員室の雰囲気も、「辛いぞ」と予め釘を刺すようであった。

 教育は本来的に教師の思惑を超えて授業したことが教師本人に返ってくる仕事である。つまり二倍三倍時には十倍にもなって返ってくるのが常態である。 

 もし一割しか返ってこなければ発狂するだろうとは、佐藤学の言である。一割以下で発狂しないためには、様々に現場から逃亡を図らねばならない。その逃亡の姿が、職員室の知的退廃であった。

若者を貧困と無知から解放すべし

    「病気の原因は社会の貧困と無知からくる。」「だがこれまで政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか。人間を貧困と無知のままにしては置いてはならないという法令が出たことがあるか」   黒澤明は『赤ひげ』で新出去定に怒りを込めてこう言わせている。             ...