シモーヌ・ヴェーユもソクラテスもいた教室

 一年前、このブログに「私がビリでもいいでしょう」を書いた。部分を再録する。

 「二年生「現代社会」の自習課題に「欲しいものを一つ書きなさい」と出した。
 悦ちゃんのこたえ

     「トビキリ美人のお姉ちゃんが欲しい。私にはお兄ちゃんがいるけど、威張って命令ばかりしている。だからお兄ちゃんはいらない。お下がりをくれたりする優しいお姉ちゃんが欲しい。でも私には弟がいる、よく考えれば弟から見れば私はお姉ちゃんだ。トビキリ美人というのは無理だけど、それ以外で優等お姉ちゃんになれるように頑張ろう」

 悦ちゃんは成績会議の常連だった。
 「誰かがビリにならなきゃいけないんだったら、私がビリになってもいいでしょう」と微笑むさまは爽やかだった。頑張るという言葉が、彼女の前ではあっさりズレた響きを持つのだ。クラスの誰もが、彼女を悦ちゃんと呼んでしまうのも不思議だった。
 このこたえを、すべてのクラスで読んで一時間話した。・・・

 僕は美人とは彼女のことだと思う。素樸で何一つ付け加える必要がないが、妙な癖があった。緊張するとしゃっくりが始まるのだ


  シモーヌ・ヴェイユを再読して、僕は悦ちゃんを思い出した。 シモーヌ・ヴェイユについては、「不満が改革や革命ではなく「破局」に行きつくのはなぜか・2 」←クリックに書いた。

  直接の要点だけを抜き書きする。
 
シモーヌ・ヴェイユは「物質的条件だけでは、仕事の単調さ、非人間性、不幸を打ち破ることはできないと結論付けた。そうしてたどり着いたのは、単調さに耐える一つの力としての「美」。生活の中の光としての美または詩である。シモーヌ・ヴェイユはその根源を神に求めた」     

 夏目漱石は、シモーヌ・ヴェイユのように「神」を通してではないが、同じことを「草枕」の冒頭で言っていた。
・・・智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい

 我々はこれを理解しているとは言いがたいが、なんとなく口ずさむことが出来る。

  シモーヌ・ヴェイユも夏目漱石も、生きにくさに耐える手掛かりを、「美 」に求めている。

 悦ちゃんは、逃れられぬ日常に「美」を見出している。彼女はシモーヌ・ヴェイユが、高等師範で得た教授資格を放棄して工場に女工として飛び込み、思索を重ねてようやく辿り着いた結論にいとも簡単に立っていたのだ。
 あの時悦ちゃんは、高二だった。高校二年生は、少年が青年になる。知的に飛躍を遂げる一瞬を内包した、かけがえのない時期だ。

 まだ30代だった僕は、悦ちゃんの決意を美しいとは思った。だがその深い思想性までは至らなかった。
 「誰かがビリにならなきゃいけないんだったら、私がビリになってもいいでしょう」と屈託なく微笑むさまを、今もありありと思い浮かべることが出来る。観音菩薩が笑えば、こんな風だろうと思える穏やかな雰囲気があった。

 僕らは高校生に教えることに意識をとられ、彼らから学ぶ力を捨てている。一体何人の
シモーヌ・ヴェイユやソクラテスを捉え損なったのだろうか。悔やみきれない。

追記 シモーヌ・ヴェイユが女工となったのは、職業選択の自由の行使の結果だろうか。彼女は職業選択の自由を放棄して、自由を得たのではないだろうか。

IT革命賛美と市場原理一辺倒の新教科「公共」指導要領を嗤う

「市場理論で人間関係は解けない」
 自由主義経済理論の開祖・ハイエクに求められ今西錦司が対談したことがある。この対談でハイエクは、今西錦司に全く歯が立たなかったのだが、対談そのものは長い記録となって残っている(自然・人類・文明NHKブックス)それを受けて中沢新一と山極寿一が『現代思想』2018年9月号で議論している。テーマは「生きられた世界を復元できるか」。
 
 新教科「公共」指導要領を批判するのに、教育や社会科学以外の論客を引用するのは、所詮教養というものは、「事柄をずらす」ところからしか始まらないからである。教育も経済も、競争と効率から抜け出そうとしない。

中沢新一 ・・・現在のわれわれの世界は、ITとマーケットでもって決定されています。政治家の決定などは、二次的・三次的な茶番みたいなものです。実際はマーケット上での覇権をどう調整していくかということをもとに動いていて、政治家の言語はその上で一種の茶番のようにして展開しています。そしてその根幹にあるマーケット原理でこの地球をすべて運営していこうとしているのです。それを円滑に動かそうとしているのがAIという技術です。そういう地球に対して、ハイエク的な市場世界に対して、今西さんはノーと言っているわけです。
山極寿一 よくわかります。今西さんの考えの根幹になるのは、実体あるものはすべて界面を持っている、つまり個体性を持っている、ということです。そして、界面のないものは言語がつくり出した幻想だと。そうなると、コミュニティもマーケットもすべて幻想です。
かたや、生物にしろ石にしろ、実体のあるものはすべて界面を介して関係性が生じる。人間あるいは生物の社会も、そういう個体性を介して成り立っているわけであって、それを計算できるわけがないということになりますね。それはおそらくレンマとも通じると思います。
 ハイエク的経済の思想は、個の決定権が外から見える、あるいは操作できるというものです。マーケットとはそういう話ですよね。
だからこそAIが登場できるわけです。AIは自律的なものではなく、外から操作可能なものですから。人間個体あるいは生物個体それぞれの、ある政治的な決定の瞬間を見れば、票として数えることができる。あるいは、ゼロサムとして、分布として、考えることができる。そういうふうに落とし込んでいかないと、計算できないからです。あるいは、分布を政治空間のなかに固定してしまって、それが別の空間にどう移り変わっていくかという微分積分の話をしてもよいのですが、とにかくそういうふうに数式化しないと、経済として予測ができない。
 しかし、個がゼロサムでもなければ独立しているものでもなく、なおかつ価値を中心に捉えることもできないものだとすればどうでしょう。今の幸福論によれば、お金を持っているから幸せというわけではなく、あるいは物質的なものたちに囲まれているから裕福と感じるわけではなく、人間自身がどういう条件が幸福であると考えるかはそれぞれで違っています。いわば、いろいろなコミュニケーションを経て人間が決定した結果は揺れ動いているのです。ですから、マーケット理論では人間関係は解けないのです。AIでも解けない。そこに思いを馳せないと、人間の社会がどうなっていくかとか、個人個人がどういうふうになっていくかということは予想できないのではないでしょうか。
 今よく言われているのは、かつて人間は社会に生きていた、今は経済に生きている、ということですが、それは経済が社会を豊かにする、経済こそが社会の根底に座っていて、社会は経済によってよくも悪くもなる、と思っているからです。しかし、そもそもは逆だったはずです。経済は社会を豊かにする方法の一つにすぎなかったはずなのに、経済指標を目標に掲げ、「右肩上がりの経済」とどこの国でも言っている。そして政治家はみんな経済を気にする。それはまさに資本主義と現代科学が手を取りあった結果です。そういう社会の見方は根本から改めないといけない。
もう限界に来ているのですから。


  「政治家の決定などは、二次的・三次的な茶番」であれば、新教科「公共」の論旨は五番煎じの後の出がらしにもならない。
 文部科学省による「高等学校学習指導要領解説 公民編」2018 を見て驚くのは、その量だ。pdfファイルにして173ページもあることだけだ。
 その中で「労働基本権」はたった一カ所、次のように触れられるのみ。
 「このような現状を踏まえて、それぞれの事情に応じた多様な働き方・生き方を選択できる社会の在り方について、労働保護立法の策定や労働組合の果たす役割、労使協調などにより雇用の安定を確保するという考え方と、規制緩和による就業形態の更なる多様化、成果主義に基づく賃金体系、労使の新しい関係などにより労働力を効率的に活用するという考え方とを対照させ、年齢で区分せずに能力や意思があれば働き続けられる雇用環境の整備、さらに仕事と生活の調和の観点などから探究できるようにする。
その際、例えば、勤労の権利と義務、労働基本権の保障、労働組合の役割などを基に、正規・非正規雇用の不合理な処遇の差や長時間労働などの問題、派遣労働者やパートタイマーなど非正規労働者、女性や若年者、高齢者、障害者などの雇用・労働問題、失業問題、外国人労働者問題など具体的な事例を取り上げて自分の考えを説明、論述できるようにすることが考えられる」
 「ILO」「カルテル」「談合」「不当労働行為」に至っては全く言及がない。このことだけでも「公民」「公共」の正体は知れる。

 経済分野について解説は次のように書いている。

 職業選択、雇用と労働問題、財政及び租税の役割、少子高齢社会における社会保障の充実・安定化、市場経済の機能と限界、金融の働き、経済のグローバル化と相互依存関係の深まりなどに関わる現実社会の事柄や課題を基に、公正かつ自由な経済活動を行うことを通して資源の効率的な配分が図られること、市場経済システムを機能させたり国民福祉の向上に寄与したりする役割を政府などが担っていること及びより活発な経済活動と個人の尊重とを共に成り立たせることが必要であることについて理解すること。

 「職業選択」については、産業構造の変化やその中での起業についての理解を深めることができるようにすること。「雇用と労働問題」については、仕事と生活の調和という観点から労働保護立法についても扱うこと。「財政及び租税の役割、少子高齢社会における社会保障の充実・安定化」については関連させて取り扱い、国際比較の観点から、我が国の財政の現状や少子高齢社会など、現代社会の特色を踏まえて財政の持続可能性と関連付けて扱うこと。「金融の働き」については、金融とは経済主体間の資金の融通であることの理解を基に、金融を通した経済活動の活性化についても触れること。「経済のグローバル化と相互依存関係の深まり」については、文化や宗教の多様性についても触れ、自他の文化などを尊重する相互理解と寛容の態度を養うことができるよう留意して指導すること。

 公正で自由な経済活動を通して市場が効率的な資源配分を実現できるのはなぜか、市場経済において政府はどのような経済的役割を果たしているか、活発な経済活動と個人の尊重をともに成り立たせるにはどうしたらよいかなどの問いを設け、他者と協働して主題を追究したり解決したりする活動を通して、「公正かつ自由な経済活動を行うことを通して資源の効率的な配分が図られること、市場経済システムを機能させたり国民福祉の向上に寄与したりする役割を政府などが担っていること及びより活発な経済活動と個人の尊重とを共に成り立たせることが必要であることについて理解」できるようにすることを主なねらいとしている

 職業選択については、現代社会の特質や社会生活の変化との関わりの中で職業生活を捉え、望ましい勤労観・職業観や勤労を尊ぶ精神を身に付けるとともに、今後新たな発想や構想に基づいて財やサービスを創造することの必要性が一層生じることが予想される中で、自己の個性を発揮しながら新たな価値を創造しようとする精神を大切にし、自らの幸福の実現と人生の充実という観点から、職業選択の意義について理解できるようにする。
その際、「産業構造の変化やその中での起業についての理解を深めることができるようにすること」(内容の取扱い)が必要であり、グローバル化や人工知能の進化などの社会の急速な変化が職業選択に及ぼす影響を理解できるようにするとともに、新たな発想に基づいて財やサービスを創造する必要が予想される中で、社会に必要な起業によって、革新的な技術などが市場に持ち込まれ経済成長が促進されるとともに、新たな雇用を創出するなど経済的に大きな役割を果たしている企業もあることを理解できるようにすることが考えられる。
なお、実際に職業を選択する前には、特別活動などにおいてインターンシップに参加することなどによって働くことの意義について「具体的な体験を伴う学習」を通して考察することが考えられる。その際、「この科目においては、教科目標の実現を見通した上で、キャリア教育の充実の観点から、特別活動などと連携し、自立した主体として社会に参画する力を育む中核的機能を担うことが求められることに留意すること」が必要であり、企業についての情報を十分に集めるなどの事前の準備が大切であること、また、インターンシップへの参加によってどのように職業観が変わったかなどについて振り返る活動が必要であることに留意する必要がある。
 職業選択...に関わる具体的な主題とは、例えば、人工知能の進化によって、労働市場にはどのような影響があるか、技術革新や産業構造の変化によって、働き手に求められる能力はどのように変わるか、といった、具体的な問いを設け主題を追究したり解決したりするための題材となるものである。
その際、例えば、働くことには賃金を得るだけではなく、自己の能力を発揮し、社会に参加するなどの意義があること、職業を選択するには各自の興味や適性、能力を知る必要があるが、これらは経験を積み、学習を深めることにより変化すること、などの観点から多面的・多角的に考察、構想し、表現できるようにすることが考えられる。

 
 文体そのものが、人に読んで貰うことを前提としていない、一方的に周知させたいことのみを、だらだらと羅列する。「指導要領」の「指導」が戦前の「戦争指導大綱」や「戦争指導要領」で使用した「指導」の範疇を一歩も出ていない。この言葉を唾棄しなかったことも、敗戦に伴う痛恨の極みとしなければならない。

  「労働基本権」の代わりに多用される言葉が「職業選択」であることが分かる。あたかも選択が自由を保障しているかのような気分にさせる狙いが潜んでいる。選択が「自由」の範疇であれば、死刑囚にも無限の自由があることになる。なぜならば、刑執行前の何時舌を噛み切って死のうが、絶食して死のうが無限の選択肢があることになるからだ。
 労働者はここでは、「グローバル化や人工知能の進化による労働市場や技術革新や産業構造の変化」に応じて「選択」迫られる受け身の存在になる。それをあたかも自然現象であるかのように、「公正で自由な経済活動を通して市場が効率的な資源配分を実現できる自由な市場経済」を説明し理解させようとしている。


追記 対談の中で「レンマ」という用語が使われている。言葉だけではとらえきれない多次元的で複雑な世界を、直感的に把握する「とる」「受け取る」というギリシャ哲学や仏教の方法をさす。
 分析的手法で読み込めば、そのたびに欠落するものがある。迎合する者や忖度する者がやれば尚更のことだ。要素に分解して分析したものから全体を再生させることは出来ない。分解して再構成したものからは、技術しか出てこない。戦後、膨大な教育技術がこれ見よがしに提唱されたが、その殆どは消えた。それは分析によって、人間と教育の全体性を見失ったからである。   

黒人霊歌 

黒人霊歌
 

この美しい歌が生まれるために
 

多くの 悪徳と 汚辱があった
 

何もなかったほうがほんとにましだ   
            
     長島愛生園の詩人志樹逸馬


     志樹逸馬は 旧制中学1年でハンセン病を得て、全生病院に入院、1933年長島愛生園に移り多くの詩を作り、1959年42歳で生涯を終えた。彼が詩を作り始めるのは、タゴールを知りその詩集を書写してからである。
 タゴールがノーベル賞を受けると日本にタゴール人気が高まり、1916年に来日している。しかし日本の帝国主義を批判したため、タゴール熱は急激に冷めた。その風潮の中で、志樹逸馬はタゴールの詩を学んだ。

「啐啄の機」と平和教育

  「啐啄の機」←クリックの続き

 吉野源三郎が、戦後の平和教育は「啐啄の機」を見ることを怠ったと苦言を呈したことがある。
  私は、逆説的かもしれませんけれど、戦争体験をもった人びとは、その体験を自分の心の中に大切にしておいて、あまり人にしゃべらないほうがいい、と考えています。 
 わかってもらおうとして、しゃべればしゃべるほど体験が磨滅していって、体験の表皮だけが言葉になって残るという結果になりかねないからです。 
 逆に経験した事実についてならば、あまり深刻にならないで、自分のことでも客観的に語ってゆくようなゆとりをもって、人に話したほうがいいと思います。どこまでが経験で、どこからが体験か、その間に明確な線はひけませんから、私のいっていることも相対的な区別にすぎませんけれど、そういう気持で経験を話すほうが正確に多くのことが相手に伝わると思います。 
 そして、体験のほうはソッとしておくことです。このように、自分の体験をウソなしに語ることがむずかしいということを心得て、口に出さず、じっと心の奥に持ちこたえているならば、かえってあるキッカケで、パッと相手に通じるという結果を生む場合もあるのです。 
 たとえば、空襲で焼け死んだ人びとの死骸処理をやった人が、そのときの思いをじっと心にひそめていて、あるとき、空襲について軽薄な調子で人びとがおしゃべりをしているのを耳にし、我慢ができなくなって「バカ、そんなもんじゃないぞ」と一言いったとします。その二言の中に、その人のそれまで口に出してはいえなかった気持がこめられていたら、一座のおしゃべりは、その一言でしゅんとしてしまうでしょう。 
 厳粛な事実の厳粛さは、それだけで相手に通じるのです。総じて、客観的な事実や科学的夷理は言葉で語って伝えることができますけれど、まるごとの真実というものは、わかりあえる条件が熟さないと、伝えようとしても伝えられない、というのが本当のところだと思います。 
 禅宗では啐啄の機といって、卵の中のひよ子が育って外に出ようとするのと、親が外から殻をつき破るのとが、機をあやまたず一致するように、弟子が悟りに近づいて熟してきたときに、師が機をあやまたずに適切な導きを与えるという、そのかねあいの重要さを説いていますが、たしかに、事柄によっては、受けとる者と伝える者と、双方に条件が熟したときに、はじめてわかると言うものがあるのですね。いろいろ価値の中には、そのようにしてはじめてわかる価値もあると思います。 
 平和運動というような大衆運動の中では、なかなか、そんなことはいっていられないでしょうが平和運動を人びとの魂の中に定着させてゆくためには、やはり、運動を進めてゆく人の一人ひとりの中に、こういう内面性はあったほうがいいのではありませんか。小学校の先生の場合でも、同じだろうと思います」 (1972年『科学と思想』春季号)


 よいこと、必要なこと、疑う余地のないことと言いながら、教育の機微を無視したスケジュール消化的押しつけが罷り通る。平和を巡って、教える側・学ぶ側・伝える側の内的「機」の成熟を準備し、それを鋭く感知する能力こそが望まれている。それは、平和教育にとどまらない、自治教育、憲法教育・・・教育のあらゆる分野に要請されている。それ故、教案の画一的強制は愚の骨頂である。「啐啄の機」には、生徒の成長を敏感に捉える「余裕」が欠かせない。余裕は、先ずは時間と存在の尊厳である。生徒や地域の生活を共感的に受け容れるということだ。そのためには自治体が小さいことは必須の条件だ。地域を知ることが、そのまま保護者の労働と生活を知ることであり、家庭を知ることに繋がる。「啐啄の機」はそこに潜んでいる筈だ。大きいことばかりに振り回される東京では至難のことだ。

 ある学校のある教科で、恒例の学年末教員旅行があった。幹事教師による修学旅行並みの見学予定が示され、学習ポイント・地図・旅館の由緒など情報満載の小冊子までがつくられたという。お土産を買う店・記念写真撮影ポイント・トイレ休憩・コーヒータイム・・・それが分単位で事細かに書かれていた。
 何のための旅なのか、お行儀よい強制移動ではないか。ここに人生の一コマは生まれない、浪費そのものである。自律性も固有の実体もない。大人に対して無礼だとは誰も思わなかったのか。いや子どもに対しても失敬だ。
 これをつくった教師は鼻高々、周りもさすがと賞賛した。次の年はさらに細かくなるだろう。宿の歴史や夕ご飯の紹介・旅館での禁止事項・所持品チェック表・・・。「よいこと」だから恒例だからこうなる。僕なら参加しない、家族と風呂にゆく。
  

選別体制下のアクティブ・ラーニング / 教科「公共」

「公共」の指導要領は新語法で書かれている
 アクティブラーニングに、政府が言及したのは、2012年8月の中央教育審議会答申である。生徒が能動的に学ぶ授業が期待されていると、色めきだった教師は少なくない。生徒が、体験学習やグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワークなどで「能動的」に学べば「認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る」ことが出来るとうたったのである。   
  笑止千万である。一切の自由を縛り上げられた教師が、一体どうやって生徒を能動的に出来るというのだ。Freedom is  slavery. そのものではないか。横文字を使えば恐れ入るだろうとの軽薄さに満ちている。

 
 元々アクティブ・ラーニングは大学で展開されていた。教師自体が組織からも政府からも自立し、教科書も学習内容も方法も自由に構成できる環境にあって初めて実現出来る方法である。それでも上手くいってはいない。

 検閲した教科書をあてがわれ、挙動を日常的に監視され、過労死するほどの多忙な勤務の中で、何が出来るのだ。居眠りも出来ない。たとえどんなに忙しくとも、優れたマニュアルに基づいて人工知能を活用すれば、厳しい管理と規律によって実現出来ると考えたのであろうか。まるで生徒は兵隊、教師は下士官、管理職が将校のようである。まさに「汎用的能力の育成を図る」普通科連隊の訓練である。人工知能を活用する産業戦士育成を視野に据えている。戦士とはおとなしく戦死する者たちのことだ。人工知能革命のその先には大量人員整理が待っている。

 さすがに恥ずかしくなったのか2018年指導要領では、アクティブラーニングの語は消えて「主体的・対話的で深い学び」と言い直されている。僕はTVバラエティ番組の「人生が変わる1分間の深イイ話」というタイトルを思った。一分間にまとめられる軽薄な話を、壇上に並んだ芸能人たちに聞かせて頷く様子を画面に入れる。
  ここに文教族たちの思惑がある。かつて国民共有の財産を外資に明け渡して、「感動した」を連発したライオン髪首相がいた。国民が求める詳しい報告と熟議をせせら笑うように繰り出した、単語の連発をマスコミは歓迎したのである。紙面が節約でき、調査報道が省けるからだ。調査報道を省いた紙面や画面に現れるのは、現状を自然現象のように肯定する傾向である。9.11も3.11も永い歴史的経過が省かれ、衝撃的な現象の「鑑賞」から一歩も出ない。そこから始まったのは、ブッシュの嘘を真に受けての、主権国家イラクへの徹底的攻撃であり、その裏で蠢動する民営化した戦争の実態と本質は省かれた。3.11も対米従属下の核政策を押し流すように津波の映像が繰り返され、莫大な復興予算を浪費する災害資本の暗躍が碌な議会審議も経ぬまま黙認されたのである。国民は「食べて応援」の短いフレーズにここでも思考を断ち切られている。

  はじめから破綻は見えていた。アクティブラーニングが鳴り物入りで喧伝されたのは、裕福な家庭の偏差値の高い良い子たちが集まる学校だけだ。謂わば陸海軍幼年学校で、趣味的に取り組まれたに過ぎない。何を教えても教えなくても、万事そつなくこなす連中だけを集めて「教育」である筈がない。
 雑多な階層の多様な「物騒な」生徒たちもお坊ちゃんも集う学校で、緊張に満ちて取り組まれないで何がアクティブか。アクティブとは、粒ぞろいの居心地の良い教室でお行儀良く取り組まれるものであってはならない。授業後、直ちに街に出て行動する青年になるのでなければ、浮き輪抱えた畳の上の水練に過ぎない。
 it革命で首を切る側になる階層の子弟と首を切られる側になる階層の子弟が、互いに隔離されて展開されるアクティブラーニングは、全てよそ事として構成される。社会の矛盾がそのまま反映される教室を、政界も財界も恐れている。
 
 新教科「公共」には、2006年の「新」教育基本法の意図が思い通りには浸透しない文教族のイライラが結晶している。新教科指導要領を「精査」して解説した本が幾つも出ている。何故わざわざ解説して展開例を書かねばならないのか。それは指導要領が、分けても新教科「公共」 指導要領が、『1984』並の新語法に満ちているからだ。
 日本国憲法や旧教育基本法が、そのまま読まれたような「明晰」さはあり得ない。上意下達の通達が明晰であるとすれば、国民が新語法にすっかり馴染んだ時である。


    教科書調査官だった「学者」などが加わった解説書に共通することがもう一つ。それは、遡及的思考が無いことだある。コナンドイルは、ホームズに『緋色の研究』でワトソンに向かってこう言わせている。
 「うまく説明できないものはたいていの場合障害物ではなく、手がかりなのだ。この種の問題を解くときにたいせつなことは遡及的に推理するということだ。・・・仮に君が一連の出来事を物語ったとすると、多くの人はそれはどのような結果をもたらすだろうと考える。それらの出来事を心の中で配列して、そこから次に何が起こるかを推理する。けれども中に少数ではあるが、ある出来事があったことを教えると、そこから出発して、その結果に至るまでにどのようなさまざまな前段があったのかを、独特の精神のはたらきを通じて案出することのできる者がいる。この力のことを私は『遡及的に推理する』とか、『分析的に推理する』というふうに君に言ったのだよ」

  僕は9.11事件を授業で扱う時必ず使った映像がある。Occupation: A Film about the Harvard Living Wage Sit-In on Vimeo   この映像を使ったnhk海外ドキュメントもある。こちらは日本語である。
 2001年春、つまり9.11事件の半年前のアメリカの雰囲気が分かる。2000年にはワシントンで反グローバリゼーションの大規模デモが行われいた。そして 世界の「テロ」件数が急速に増加し、多くが中東か南アジアで発生するようになったのは、2004年頃からである。つまり9.11以前の世界は、相対的に穏やかであった。我々の多くは、事件の報道が衝撃的であったために、事件以前を忘れたのである。そこにイスラムのテロ組織の残虐性と中東世界の不安定性が書き込まれ、記憶と化したのである。それ故、ブッシュがイランに大量破壊兵器があると言えば「さもありなん」と受け容れてしまったのである。『遡及的に推理』したり、『分析的に推理する』ことで我々は、より実態に迫ることが出来るはずである。
 非正規労働を扱った学習プランを見れば、非正規労働が増え始めたのは何時で、それ以前の労働はどうであったかは考察されない。あたかも自然現象であるかのように、非正規と正規を選択の対象として選ばせようとしている。福祉であれ外交であれ、これからどうするのかだけを問う。政権の課題を浸透させる構図となっている。


 
 

李白が詩を作り、アインシュタインはバイオリンを嗜んだように

  無知とは知識の欠如ではなく、知識に飽和されているせいで未知のものを受け容れることが出来なくなった状態。という見解がある。驚くほどものをよく知っていて、お喋りだが全く対話できない。そんな少年について書いたことがある。←クリック  文字通り苦い記憶である。

  専門家の無知について、原発事故は我々に数多くの実例を曝した。しかしそれを社会は、認識しているだろうか。もし認識していれば、彼らの多くは刑務所にいるはずだし、誰も責任をっていない。
 ハンセン病の場合、専門家の組織である「日本ライ学会」が自らの無知を自己批判するまで、絶対隔離からほぼ一世紀を要している。
 

 「収容乞う癩患者を赤穂海岸へ遺棄 鮮人身の振り方を赤穂署へ泣つく 長島愛生園へ抗議」の見出しが新聞に現われたのは1935年10月10日。(山陽新聞の前身『中国民報』)
 大学病院でハンセン病と診断された患者自ら愛生園に出向くが満員と断られ、盥回しされた大島療養所も受け入れ拒否、愛生園に戻ると船に乗せられ無人の海岸に打ち捨てられた事件である。愛生園は職員談話で、軽症で伝染の恐れも少ないから帰した、従来も軽症者は努めて帰ってもらっていると逃げた。おかしいではないか、ハンセン病の慈父として後に文化勲章を受ける光田健輔は愛生園園長であり、ハンセン病をペスト並の恐ろしい病気と言いつのり絶対隔離を立案したのである。

 京大病院で治癒して仕事にも復帰して後遺症もない元患者もあった。彼の場合有無を言わせず愛生園に再収容されたまま隔離され続けた。
 入れるも入れぬも出すも出さぬも、患者に対する恫喝として思いの儘であった。こうした恣意性が、絶対服従を可能にした。基準・根拠ともに不明であるからこそ、恐怖は果て無く募る。根拠さえ手にする事が出来れば、『神聖喜劇』の藤堂二等兵が軍法を逆手にとったように、闘いの道具にすることも出来る。それを恐れて、星塚敬愛園は癩予防法条文そのものを対患者極秘扱いにしたのである。
 収容されてしまえば、治療もあてにならず強制労働で症状は急速に悪化、死んでくれ、首を吊ってくれと迫った家へ帰れる筈はない。戸籍すら消された。大黒柱を奪われ消毒剤と罵詈雑言を浴びた家族も、離散してい故郷には誰もいない。元の職場にも病気は知れ渡っていて戻れない。すっかり根無し草となって、浮浪死は免れない。その恐怖が患者の反抗を沈黙させたのである。
 追放する側は、死後解剖するまで無菌は証明できないと言いながら、「アカ」であることが判れば、いつも無菌を証明してみせた。
 ならば「光田先生、この病気は治癒しないと言うあなたの療養所で、何故アカになると突然無菌になるのですか、こんな不思議はない。御高見を承りたい」と常識で切り出す者やマスコミが必要であったのではないか。
 「知識に飽和されているせいで未知のものを受け容れることが出来なくなった」関係者の無知は恐ろしい程である。

 愛正園初代患者教師吉川先生に関する「思想要注意人退園処分の件」関連文書にも、彼が如何に危険な思想と言動の主かを列挙してはいるが、病状については一切触れていない。ペスト並の病気より、思想が光田には恐ろしかったのである。

 1936年第15回癩学会は『朝日』や『毎日』の報道によって、小笠原説が徹底的に糾弾され絶滅隔離派が圧勝した印象を世間に与えた。しかし地方紙『新愛知』は「・・・論戦を繰展げ・・・伝染はするが決して恐るべきものではないとの妥協点に至り、結局今後の研究にまつことを双方約して二日間に亘る癩論争の幕を閉じた」と報じている。そればかりか、小笠原攻撃の急先鋒の一人外島保養院村田院長も「今頃癩の伝染力をさ程に強いと思つてゐる者はゐない」と論戦の中で言い切っている。又、恵楓園宮崎松記園長も京大に小笠原博士を訪問、「癩ヲ扱フコト結核ヲ扱フ程度ナラシメントストノ意向」を伝えたことも確かめている。これは第15回日本癩学会総会直前である。
 「癩業界」内部では「癩ヲ扱フコト結核ヲ扱フ程度」との見解は寧ろ一般的でった。そうであればこそ、鹿屋の星塚敬愛園が「国立療養所入所規定」第一条で癩はこの規定から除かれることを明示していることを承知で、第七条と八条によって追放(退園)を命じたことに合点がゆく。ハンセン病を入所規定から除いた根拠が存在しないことになるからである。しかしそうなれば、隔離の根拠が無くなる。
 両義足の患者を山中に遺棄したり、博奕で追放したり、思想要注意人物の再収容を阻止したり、彼らにとって何の不都合もない。『癩業界』が外部向けに捏造したハンセン病像に慌てふためいたのは、「癩業界」から隔離された者ばかりであった。
 愛生園の医師二人が追放に立ち会って震えたのは、自分達の行為が国民と歴史と科学を欺く途方も無い犯罪であると知ったからではないか。震えた一人早田皓は、小笠原にわざわざ長文の手紙を送って、絶対隔離を認めるよう迫った男である。来たものは誰であろうとも欺くために、愛生園の予防措置は度外れて厳重を極めていた。
                樋渡直哉著『患者教師・子どもたち・絶滅隔離』から引用加筆した。

  ハンセン病も「らい学会」自己批判や「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」判決でその不当性明らかになったにも拘わらず、関係者の処罰は一切ない。僅かな園職員が転勤したのみである。特定の情報が飽和に達した集団が、生まれ変わるためには飽和状態を一掃する革命が必要なのだ。ハンセン病関係で言えば、
「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」原告の谺雄治さんが国会の議長になり、厚労省大臣に島比呂志が就任して汗を流す体制が少しも過激でない世の中になる必要がある。
 空気が水蒸気で飽和状態になれば雨が降るように、知識の飽和状態も何らかの方法で解消される。丁度コンピューターの中に断片化した情報やゴミが溜まれば、動きは緩慢になる。フラグメントを除去しなければならない。
 官僚李白が詩を作り、アインシュタインはバイオリンを嗜んだように。

 知識の飽和状態を解消して、未知のものを受け容れることが出来る。
 業界人にならないことだ。友達も親も兄弟も配偶者も教師というのは危ない。

個人の尊厳と自治体規模

  ハンセン病療養所多磨全生園で、子ども舎の寮父を永く務めた三木さんが、興味深い話を残している。
  「お酒が好きでしょっ中喧嘩する人がいましてね、それがテニスなんかを通して子どもと知り合った。すると人間的に全く変わったということがありましたね。子どもとペアーを組んで優勝したりね。そんなことでその人がパーッとかわって・・・どっちかと言うと鼻つまみになりかねない人だった。競輪競馬もやる人でね。それが子どもに○○さん、○○さんと呼ばれて、いままで、飲み友達、競輪友達しかいなかったのに、「子どもの友だちができた。変なことはできないなあ」と自分で漏らしていたいたそうですよ。周りの人も生まれ変わったみたいだと言っていました。その人は、自分が孤立していると思っていたのに子どもが自然に慕っていったからでしょうね」 樋渡直哉著『患者教師・子どもたち・絶滅隔離』      
 社会の大きさや複雑さの違いは、社会のあり方・人間のあり方を変える。
 例えば村会と国会の運営には質的な差がある。数千万、数億人を対象とし、様々な案件を抱える国会では集団の利害や党派の一般原則に基づいて討議決定せざるをえないが、村会では、政策の提案者や対象となる個人を考えて柔軟に決定できる。三木寮父の話で言えば、お酒の好きなこの人を、酔っ払い、博奕好きという属性だけを切り離して判断しないということである。子どもと博奕打ちの、曖昧さを含んだ有機的関係を固有名詞のまま連続的に捉えるということ、それが小さな共同体では可能になる。酔っぱらいの博奕打ちの変化を、多くが目にし話して確かめることが出来るからである。自治を支える人口的条件がそこにはある。
 人口が増加すれば、こうした判断は難しくなる。酔っぱらいの鼻つまみは固有名詞を失い、雑多な厄介者の一人として一括処理される。彼らが鼻つまみという孤立状態から共同体へ回帰するためには、多数への追従・同化という手続きのみが残り、同化できなければ罰と排除が待っている。 鼻つまみの全生活の複雑性の理解と把握は、顧みられなくなる。同時に社会は豊かな文化性を失う。
  小さな共同体で、ひとは全て、取り替えることの出来ない固有名詞の複雑な全体として承認される。それが平凡という価値であると思う。平凡は平均ではない。
 千人程度の「奇妙な国」=ハンセン病療養所で、それが可能であったことの持つ意味は深い。何故なら「社会」(療養所入所者たちは、療養所外の世界を「社会」と呼んだ)では、企業も自治体も学校さえもが合併を繰り返して、人は特性のない諸属性に解体・分類・適応ささせられ、従って絶えざる競争と孤立の日常に埋没してしまったからである。
 少年の信頼と承認が、鼻つまみを心優しい「善人」に変えてゆく。これは小さな社会であっても、毛涯(毛涯は、療養所職員で患者たちの風紀を取り締まり、理不尽な罰を加え、患者たちから恐れられた。彼の加えた罰によって死亡した者もある)が居てはありえない。何故なら療養所のあるべき人間像は、上から暴力的に与えられ、酔っぱらいの博奕打ちは監房に放り込まれ、テニスは患者のくせにとムチ打ちの対象になったからである。
 ハンセン病の子どもたちの学校・全生学園自治も、療養所の人口規模を抜きには考えられない。 「塾」や茶会という文化的学びの形態もまた、何時でも歩いて行けるという集団の大きさが関わっている。

  日本の「市制及町村制」が発足した1888年には、7万0314の市町村があった。しかし直ちに明治の大合併が実施され、市町村数は1/5になる。その後もひたすら、行政の効率化が図られ、敗戦を経て地方自治法が成立した年には、10,505の自治体が残っていたに過ぎない。それでも町村合併は繰り返されたのである。その結果自治体数は激減し、現在1718に過ぎない。フランスは3万8000、ドイツは1万4500 の自治体があり、それぞれ一自治体あたりの人口は1600人と 5600人である。日本は7万8000 人である。
 ドイツ憲法第一条と日本国憲法第十三条の違いは、ここにある。ひとり一人の尊厳が、全ての行政機構で尊重されるためには、基礎自治体の規模は小さくなければならない。 ヨーロッパでは、小学校の規模は、校長が全児童の名前を覚えることが出来る大きさに制限されている。父母が校長に会えば、校長は父母の個人名から生徒の成績や生活に至るまで即答しなければならない。それが出来なければ、罷免の対象になる。
 我々日本社会の自殺の多さ、絶えざるいじめ、社会的弱者への不寛容、ヘイトスピーチの執拗さは、ここに根を探る必要がある。鼻つまみの酔っ払いさえ、生まれ変われる「生きやすさ」に満ちた自治体は、ひとの普遍的な権利なのである。
 

 荒れた生活を続けていた高校生に、夕闇迫る校庭ですれ違った教師が「○○君今晩は」と声をかけたことがある。荒れていた筈の生徒は、件の教師が教室に入ると同時にノートを広げ鉛筆を握って待ち構えるようになった。都心の、廊下で花火が発射されていた学校での話である。似た話は無数にある。
 
 学校も会社も国も小さい方がいい。オリンピックで金メダル
幾つも取るなんてどうでもいいことだ。
   富山県船橋村は人口3000人、面積は3.47kmと日本一狭い。1990年には、人口も僅か1371人に過ぎなかった。どんなに住みやすいか、村立図書館長高野良子さんの言葉がいい。
 「新しい親子連れが図書館に来たら、必ず声をかけて、お子さんのお名前を聞いています。・・・今日も若いママが2組、初めて赤ちゃんを連れて来てくさったので、お名前を聞きました。・・・名前で呼んであげると、親御さんは『うちの子の名前を覚えていてくれた』と喜んでくださる  https://www.huffingtonpost.jp/2016/01/04/funahashi-vill_n_8909360.html    
  名前で呼んで貰えた子どもは、もっと嬉しいはず。住み易いから人口は増えている。子どもの割合は日本一である。

王様に貰ったミカン

 深酒して 終電車に乗り遅れ、交番で補導された事がある。身分証明を見せると、巡査は慌てて「失礼しました」と敬礼した。修学旅行引率では、宿の仲居さんから面と向かって「先生はどこ」と聞かれた。「僕です」と答えると、仲居さんは 一瞬呆然の後 生徒と一緒に大笑いした。引率されたのが二十を...