校長が「私は教委から授業を禁じられています」と胸を張ったのは、何故か

ペスタロッチは政府から危険人物視された
 校長に、「教員の授業を評価するなら、評価するあなたの授業を見せてくれ」と職員会議で迫った事がある。校長は、「授業には見本というものはありません、それぞれ教師の教育観に基づいて行うもの」と先ず逃げた。「では我々の授業の何を見るのか、評価の基準がなければ評価は成り立たない。それが評価論の前提ではないか」と切り返せば
 「我々校長は、教委から授業を禁じられています」と胸を張った。
 別の高校である女子生徒が、校長に対話と授業を求めた。が逃げて校長室に内側から鍵をかけて籠もってしまった。そのときの顛末は、此所←クリックにある
 授業を切望して、教務とやり合った校長を僕は一人しか知らない。彼は一週間に8時間の数学を受け持ったが、それでも少なそうな顔をした。登校時にはいつも火ばさみとゴミ袋を持って歩く姿に、ぺスタロッチを想った。

 何故校長が授業から逃げるのかは、比較的簡単に分かる。教員養成制度も教員採用試験も管理職試験も機能していないからである。彼が学ぶことも教えることも好きではなく、教職に最も相応しくない事をそれらが見抜けなかったからである。
 分からないのは、「授業を禁じられています」と胸を張る神経であった。恥ずかしげに言うのならまだ分かるが、胸を張るのには驚いた。悪夢を見るような気がした。

 宇都宮徳馬が好んだ話に「石山デン隊長」がある。石山とは「塹壕」で、デンとは「出ん(出ない)」である。日露戦争「二百三高地」攻防戦の指揮官である。難攻不落を誇るロシア軍要塞への死の突撃命令を絶叫しながら、自らは塹壕から一歩も出ない連隊長。そのわけを、彼はこう言ったのだ
 「自分は天皇陛下から作戦を命じられた大切な体だ」
 だから兵士たちは、彼を塹壕から出ない指揮官という皮肉を込めて「石山デン隊長」と呼んだ。

 石山デンが目指す真っ当な将校なら、命令がどのように伝わりどのように敵に打撃を与えているか最前線で具に見なければならない。その様子によって作戦は変えねばならぬからだ。彼には勝つ覚悟もない。
 件の校長が「教委から授業を禁じられています」と胸を張ったのは、「お前たち平教員と違って、私はお上からの命令を伝える大切な人間だぞ」と言うつもりであったのだと今になって思う。彼は学校における「石山デン」であり、校長室に籠もる。彼にとって大切なのは、身分であり、生徒や授業に対する愛着は何処にもない。学校や教育行政がどうあるべきかを考察する気はさらさらない。

 日露戦争は大国ロシアに勝った事だけが語られるが、兵隊は軍医総監のために辛酸を嘗めた。戦死者4万8400余名に対して傷病死者3万7200余名、うち脚気死者は2万 7800余名にのぼった。日本軍の行軍はまるで幽霊の行列のように見えたという。それが白米食による栄養障害であることはロシア軍も知っていた。戦死者数には満足に歩けない脚気患者が相当大量に含まれていたと考えねばならない。公式記録では
陸軍の脚気患者は25万人。麦飯にした海軍の脚気患者は105名。
 学閥の面目のために白米食を続けた頑迷な軍医とは森林太郎である。鴎外はこの膨大な死者について何も書いていない。鴎外とともに乃木希典の無能振りも目立った。兵が病気を抱えながら突撃して死んでゆくのに、無能な指揮官たちは勲章の数を数えていた。案の定、戦争後将軍たちは爵位の大盤振る舞いを求めた。(この時、陸軍は少将でさえ全員男爵になった。だから戦史は歴史家でなく軍人が書くという杜撰さ)
  「我々校長は、教委から授業を禁じられています」と胸を張って授業から逃げるのは、民を侮る明治以来の伝統だと分かる。こんな連中が軍隊を持つのは危険極まりない。自分の役割が消えたとき人は狂信的になるからである。民の死者だけが増える。まさしく悪夢である。

 1939年のノモンハン事件は日露戦争後40年経っているが、関東軍1万5000名が壊滅する事態になった時ですら、師団長の小松原中将は
 「もう、こうなればどうしょうもないな。しかし日本の兵隊さんは強いそうだからなんとかやってくれるだろう」とテントの中で頭を抱えていたと、司馬遼太郎は『戦争と国土』(文春文庫)に書いている。相も変わらず、石山デンである。
 2019年になった。教師が過労死しても為す術なく校長室に籠もって頭を抱える管理職の姿が同時に浮かぶ。これこそ紛れもない日本の伝統であり、学校に校長は要らないのである。

「出来」ても0点をとることの主体性 Ⅰ

ない方がいいことに莫大な費用
 大分前の事だが「教育再生会議」でノーベル賞受賞の野依良治座長が
 「塾をやめさせて、放課後子どもプランをやらせないといけない。塾は出来ない子が行くためには必要だが、普通以上の子どもは塾禁止にすべきだと思う・・・塾の商業政策に乗っているのではないか」と発言して注目を浴びた。
 塾寄り行政の文科省の逆鱗に触れたか、「日本の数学のレベルは学校ではなくて、塾によって維持されている、という面もある」とJR東海会長が反論するなど塾業界関係者の怒りが爆発。中には、塾禁止は憲法違反と息巻く者もある。彼らの発言を見ると、言論や表現の自由より営業の自由が優先している事が分かって面白い。まさに新自由主義政権以降、教育の民営化は着々と進んでいる。
 野依良治博士の教育観は、教育新聞web版←クリック で閲覧できる。教育の現状への危機感が滲み出ている。
  ただ同意しかねるのは、「公立小学校で放課後に児童を指導し、「祭り」「演劇」「ダンス学芸会」などを体験させる「放課後子どもプラン」。放課後の少年少女たちまでを「指導」したがることと、「塾は出来ない子が行くためには必要だが」としている点である。後者について、異を唱える。
 
 「出来る子・出来ない子」という分け方は、教育を権利とする視点から逸脱している。教育の原点は「分かる喜び」にある。「出来る・出来ない」は、競争の中に組み込む乱暴さがある。そもそも「出来ない」ことはいけないのか。首相や大臣が公式の場で漢字を読めないのは、大いなる恥ではあるが何度やっても辞任はしない。首相は読めなくても良いが、子どもは読めなければいけないのか。逆ではないか。


 出来るがやらない生徒はどうか。僕が中学生の時、ほぼ全科目「1」の親友がいた。彼らは出来ないのではない、点数に興味・感心がない。休み時間や放課後、僕の机に群がって「教えてくれよ」というときは真剣な目の色をしていた。練習問題を解き問題集もやっつけて「分かったぞ。オレの答案にも○付けてくれよ。母ちゃんに見せるんだ」と言うときは嬉しそうだった。中には札付きの不良少年もいて、体も大きく喧嘩は滅法強かったが、分かったときの喜び方は無邪気なものだった。彼も「たわし、オレにも○付けてくれ」と言った。←クリック        


 だが定期試験では、0点をとる。分からなくなったのかと聞けば「出来るよ、ほら」と解いて見せて笑う。どうしてと聞けば、「どうせ通信簿には「1」しか付かないんだ」と平然としている。(相対評価の時代で、五段階評価の割合を厳守しなければ内申書の信用度が下がり受験の障害となった。受験しない生徒の成績を操作して受験する生徒に回すのは日常化していた。それ故この時代、受験生の多い学校の担任になれば付け届けが山をなした)
 とはいえ彼らは、底抜けに明るかった。彼らは中学を出れば「金のたまご」として就職出来たからだ。暗かったのは、都立進学と私立進学の境界の成績に喘ぐ生徒たちだった。当時、私立高校の大部分は授業料が高い上に、都立高校の滑り止めであった。経済的に苦しく私立には行けない境界の生徒たちは、テストには目の色を変えた。顔色も青ざめて笑い声も浅かった。彼らにとって、出来るのに零点で笑っている連中は、まさに仏であった。←クリック  (分かっているのに点数をとらない連中こそが、自立した学習権の主体であった。学校的競争に振り回されて点数を稼ぐ我々こそがが惨めだった) 彼らは一方的に教えられるだけではなかった。彼らは様々な情報や秘密を僕に耳打ちしたり、不良少年の嫌がらせや強制から守ってくれた。生きた教養は、彼らがくれた。特別権力関係という言葉も、彼らの一人が教えてくれた。

 教師になり、やれば「出来る」のに点数をとらない生徒たちにあちこちで出会った。高校には落第があるから零点はとれないが、ギリギリの成績で進級する。僕は毎年繰り返されるその名人技に感心しながらもハラハラさせられ通しだった。 
 やれば「出来る」のに点数に無関心な生徒が仲間に教えると、なかなかうまく評判がいい。評判が悪いのは博士課程を出た事を自ら吹聴して、分からない生徒を見下げる若い教師であった。(ある日突然彼が教えるクラスで反乱が勃発。生徒たちは「そんなに俺たちに教えるのが嫌なら辞めろ。あんたに教わりたくない」とクラス中が教師に迫った。翌日から寝込んで欠勤、数ヶ月後退職届が出た) 「出来ない」生徒の思考のプロセスに入り込み分析するという、「教科指導」の肝心要の楽しみを面倒くさがったのである。(この点から考察すれば教職課程における「教科教育法」は「教育原理」にもまして重視されなければならない。しかし僅か2単位ではどうしようもない) この作業をサボって置きながら、低学力を嘆くのは犯罪と言って良い。
 教師が教えるより、生徒同士で教え合うほうが、互いの思考のプロセスに容易く入り込める。「出来る」者が「出来ない」者の思考の中に入るのも、その逆も大いに意義がある。その双方向があっての「分かる」でなければならない。教師にも、何故出来ない生徒が出るのかが「分かる」が必要なのだ。
 例えばこうして育った級友が、高級官僚と社会的弱者になった時、互いの心や生活を理解し対話することがどんなに大切か考えねばならない。対話の必要な課題が、難民問題や原発事故や慰安婦問題などとして頻発して、武力や制裁で威圧する愚が繰り返される。

 偏差値が上がるにつれて、教えあう雰囲気は貧弱になる。教えあう雰囲気の欠如が競争を煽り、偏差値を上げると信じる傾向が生徒にも親にもある。そんな雰囲気こそ打ち破るべきなのだ。
 他者の思考や身体に入り込み分析することは、自分の思考と身体を点検することでもある。独断に過ぎないあやふやな理解が、普遍性を増すのだ。だから他者は様々な意味で違いが大きいほどいい。
 野依博士はそこをとばしている。出来る者も出来ない者も同じ学校、同じ教室にいて共に学び合うことが必要なのである。偏差値による選別は「出来る者」のためにもなっていない。選別が進めば進むほど「出来る者」は、ひ弱になりTVのクイズ番組にしか使いようがなくなる。

 仮にこうした効果がなくとも、級友と助けあうことは悪くない。身近な相互扶助の機会を捨てて(偏差値による選抜がそうさせている)、「道徳」を説くのは傍ら痛い。級友への援助を通して、自然な相互扶助精神が育てば、「道徳」も「ボランティア」も要らない。異なった思考や身体の生徒との交流理解が続く事が友情を育み、ひいてはいじめも起きない。
 文科省や教委の「浅知恵」(塾業界依存による公教育の民営化)は、何ら事態を改善しないばかりか新たな問題を生み出し、教師の仕事を増やし過労死へと追い込むのである。追い込む為に、意図して「浅知恵」を乱発しているような気もする。こうした多忙化は、組合の組織率を低下させ、自主的研究活動から遠ざけ、地域や親との連携も不可能になるからだ。
 まるで熱力学第二法則そのままだ。ジタバタする度にエントロピーは増大する。

  分かっているのに0点を取って笑っていた連中は、僕に究極のジェントルマンズC=fairを教えていたのかも知れないと頻りに思う。

追記 「放課後子どもプラン」に吉本興業の名前を散見することが出来る。例えば、厚労省の放課後子ども教室について(https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11900000-Koyoukintoujidoukateikyoku/0000054561.pdf)。此所にただならぬ気配を野依博士も感じたに違いない。

人類は互いに「自己天敵」、「進化」はおしまいか

自由と有り余る暇が進化をもたらしている
 フウチョウは極楽鳥とも呼ばれる。その鮮やかな色彩の羽や飾りを持った華麗な風貌と生態で人々を魅了し学者たちを惹き付けてきた。中でもカタカケフウチョウは光線のほぼすべてを吸収する究極の漆黒の羽とメタリックに輝く飾り羽を持っている。羽を広げ細い足を優雅に動す姿は、まるでバレリーナが舞うようである。舞台となる地面もゴミを完璧にかたづける。つがいを作る行為が芸術にまで昇華しているのだ。 
 とはいえ、鮮やかな色彩も器用な踊りは、天敵を招き危険に身をさらす。 その点ニューギニアの熱帯雨林は極楽鳥にとって文字通り極楽である。捕食者の不在と餌と水に恵まれていること、美しい進化の条件であった。
 その熱帯林1億ヘクタールが、1980年から2000年の間に人間の消費活動によって奪われ、現在1年に40,000種以上が絶滅している。(地質時代、種の絶滅速度は1000年に1種程度であった。対して、現在の生産活動による種の絶滅は、過去とは比較にならぬ速度で、1600年~1900年には1年で0.25種、1975年以降は、1年に40,000種と急激に上昇し続けている)つまり、人類は世界最大の捕食者となった。
 
  この最悪の捕食者=ヒトは、人類そのものの生存も危うくする。一発で広島型100発分の威力(一発で核の冬=地球規模の飢餓をもたらす)の原爆がまだ1万5000発も存在している。搾取を極限まで推し進めた大量消費の爆発は、生態系を破壊し人間の文化を窒息死させている。まさに人間は人間の天敵になったのである。原爆がわれわれの生存を脅かしているばかりではない、同じ人間同士が苛烈な競争に駆り立てられ死者を積み上げている。
 天敵の存在する環境では、生物は優雅な進化を享受できない。人類はもはや、知的芸術的天才を生み出せないかも知れない。第二次大戦後、気付いてみると偉大な芸術家・科学者・哲学者は出ていない。アインシュタインもサルトルもピカソも、すべて大戦前からの生を引き継いできた人々である。ノーベル賞も芥川賞も小粒になった。周恩来やホーチミンそしてゲバラやネルーも大戦前に青年期を過ごしている。政治家に至っては小粒どころか、ヘドロである。原爆と大量消費は、人類を人類の捕食者にしてしまった。同じ種同士は天敵とはなり得ない筈だが、ヒトは人類に対する「自己天敵」と化したのではないか。

 (免疫系は自分自身を攻撃しないとする「自己中毒忌避説=Horror autotoxicus」が20世紀初頭には主流であった。しかし、その後の研究により自分の体の構成成分を抗原とする自己抗体が発見されるにつれ、自己免疫疾患=Autoimmune diseaseの存在が明らかになった)
 
 青少年の日常は、捕食者同士の競争に明け暮れ、優雅な進化や成長を準備できないでいる。受験から部活から青少年を解放しなければならない。暇が有り余るからこそ、極楽鳥は様々に進化したのである。強制収容所には文化があり得ない。

   安部政権目玉で塾産業肝煎りの教育再生会議ですら、「子供は遊ばないと伸びない」(小宮山東大総長)という発言が出ているのだ。

「一人でやれよ」は誰が誰に向かって何を言うことか

“天皇メッセージ” – 沖縄県公文書館
 川崎市多摩区の私立小学校生ら2人を殺害し、18人に重軽傷を負わせた51歳の容疑者について、「子どもを巻き込まずに、1人で死ねばいい」といった趣旨の発言が相次いだ。ある番組では司会進行役の女性が
 「社会に不満を持つ犯人像であれば・・・すべてを敵に回して死んでいくわけですよね。自分1人で自分の命を絶てばすむことじゃないですか」  と言い。意見番の弁護士も
 「・・・死にたいなら1人で死ねよ、と言いたくなりますよね」と発言した。社会的弱者を叩くのは楽だからだ。しかしこの時は、こうした発言への批判が相次いだ。珍しい事だった。

 五輪招致である女性タレントが「東京は皆様をユニークにお迎えします。日本語ではそれを「おもてなし」という一語で表現できます。 それは見返りを求めないホスピタリティの精神、それは先祖代々受け継がれながら、日本の超現代的な文化にも深く根付いています。「おもてなし」という言葉は、なぜ日本人が互いに助け合い、お迎えするお客さまのことを大切にするかを示しています
 

 「東京は・・・」ではなく「私は・・・」だろう。他人の財布に勝手に手を突っ込んで、おもてなしとは盗人猛々しい
 社会的弱者に向かっては、tv番組などが「1人で死ねよ」とは言う。しかし、売れっ子に向かって、おもてなしは「自前で、一人でやれよ」と言う者はメディアにはいない。おかげでコンパクトな筈の大会予算は膨大に膨れ上がった。メイン会場の建設費は、過去五回分の五輪大会メイン会場建設費を上回ってしまった。

 東南アジアからの技能実習生への、冷酷極まりない仕打ちが頻発している。これは一体何処の国の誰の仕業なのか。

 「見返りを求めないホスピタリティの精神、それは先祖代々受け継がれながら、日本の超現代的な文化にも深く根付いています」が嘘っぱちであることを白状しているのだ。  弱い立場にある者には冷酷残忍で、名も地位もある者には他人の金を充てて追従する、それが「先祖代々受け継がれながら、・・・深く根付いてい」る。

 ある新興宗教の二代目がこう発言したことがある。「天皇陛下を大事に思うし、願わくば、天皇陛下に、私一生涯のうちにりっぱな宮殿を日本じゅうの総意で、ご普請して差し上げようかしいう心ももっております」戸田城聖『全集第二巻』
 宮殿を建ててやりたいと思っているなら、個人と仲間で勝手にやればいい。他人を巻き込んでいい顔をしたがる。

 他人の懐に手を突っ込む事を、「公」の権能と考えているのだとすれば、これらはすべてファシズムである。

 昭和天皇は、1947年9月「天皇メッセージ」で沖縄を米軍基地に献上してしまった。「天皇は米国による沖縄占領は日米双方に利し、共産主義勢力の影響を懸念する日本国民の賛同も得られる」として、米国による琉球諸島の軍事占領の継続を勝手に、しかも秘密裏に提案したのだった。日本国民の賛同を勝手に判断する神経、沖縄県民の意思をなきもののごとく扱う神経。しかもこれは「人間宣言」(1946年1月1日)の後のことだ。
 自らの神性を否定して、99条に縛られて憲法擁護の義務を負う存在になった筈だ。であれば天皇の行いうる国事行為を根本的に逸脱している。彼は、一人でやれることをマッカーサーに進言すべきであった。例えば東宮御所や皇居を特殊慰安施設(
Recreation and Amusement Association) として皇族とともに提供するなど。
 

 辺見庸は最近のblog でこう書いている。
 彼のひとは45年8月15日まっさきに自裁すべきであった
唯一の選択肢はそれであった。それ以外にはなかった。ないしは爾後いっさい発声せず、まして、ぬけぬけと姿をみせるべきではなかった。彼のひとは沈黙の狂人としてのみ生をまっとうすべきであった。
 NHKにいま、世にも恥ずべき「満鉄外史」の朗読をゆるしているもの・・・。亡霊たちの復活と醜悪な踊り。
 彼のひとは45年8月15日まっさきに自裁すべきであった。父祖らはなんとしてもそう迫るべきであった。
  2019年06月10日

Playerは政権の道具ではない、一個の政治的主体である

個人や一国家の為ではなく、皆の平等の為に
 サッカー女子W杯米国代表が、優勝前からトランプ米大統領と舌戦を繰り広げ注目を集めていた。トランプ政権に批判的な主将のミーガン・ラピノーが、優勝しても「ホワイトハウスには行かない」と表明。ラピノー発言に激怒したトランプは「勝っても負けてもホワイトハウスに招待してやる。国やホワイトハウス、国旗に敬意を払うべきだ」と攻撃した。

 同性愛を公言し、人種差別に抗議する黒人playerにいち早く賛同したラピノーは、米社会の分断を煽るトランプへの不快感を隠さない。チーム仲間も「弱者に厳しいトランプ政権は支持できない」と加勢している。

 女子W杯米国代表28人は3月、男子playerとの賃金格差は
性差別だとして、米国サッカー連盟を提訴した。賃金のほか、試合会場や渡航手段などで格差の是正を求めている。
 世界一のタイトルをつかんで帰国したラピノー主将は8日、「私たちはホワイトハウスに行きたくない。だから招待も受けていないのだと思う・・・彼(トランプ大統領)は郵送したかもしれないけれど、私たちにはなかなか届かない。」と改めて考えに変わりがないことを表明した。
 その一方、ラピノーは民主党上院院内総務からの招待には応じる旨明らかにしている。

   米国代表とその仲間が示したのは、playerはどんな事があっても政権の道具にはならないという決意である。彼女たちも一個の政治的主体なのである。
 米国代表は過去のW杯で3度優勝、世界ランキング1位だという。その栄光は彼女たちの生き方によって、1968年メキシコオリンピックで米国の人種差別に抗議して黒い拳を揚げてメダルを剥奪されたジョン・カーロスらとともに永久に記憶されることになる。

 日本のplayerたちが、皇室からの招待を受けても「天皇メッセージを謝罪しない人たちに祝福されたくない」と言う日が来るだろうか。首相官邸の祝賀を「辺野古埋め立てを続ける政権を恥じています」と言って断るplayerが出て初めて日本のスポーツは、世界標準になる。
 「大学紛争」当時、常に体育会は大学当局の手段と化していた。ところが運動系のあるクラブが、ベトナム反戦の学内集会に参加してきたのである、長く暗い闘争の日々に陽がさした気分になった。


 僕はW杯優勝した彼女たちが、男子選手との賃金差別を無くすだけの視点から、全ての人間の平等な待遇を志向するようになるのを信じたい。なぜなら差別に反対するplayerたちは、男子playerとの平等を公正なplayの中で学んでいる。公正を目指す共同体や地域社会に生きる者はすべて、平等なplayerである事も知る筈である。そこにsportsの社会的意義と可能性はある。

教養は丸腰に限る

真実は武器では守れない
 『アラバマ物語』 主人公一家の父親アティカスは、田舎町の弁護士。白人貧農の娘メイエラ暴行の容疑で逮捕された黒人青年トム・ロビンスンの弁護を引き受けている。公判を明日に控えて、トムは街の保安官事務所に移された。リンチから青年を守るために、アティカスは保安官事務所前のポーチで寝ずの番をしている。
 子どもたち(主人公のスカウト、その兄ジェム、夏だけ隣家にやってくる友達のディル)は好奇心を抑えられず様子を見に行く。そこに案の定、憎悪に燃えた男たちがライフル片手に押しかけ、トムを渡せとアティカスに迫り一触即発の状態。子どもたちは、群衆をかき分けてアティカスの脇に立つ。
 そこにスカウトは銃を持った知り合いを見出す。


 「あら、カニソガムさんじゃない?」 私の声がきこえないらしかった。
 「今晩は、カニソガムさん。・・・おぼえていないの・・・私ね、ウォルターといっしょに学校へいってるのよ・・・あれ、あなたのこどもでしょ ね、そうでしょう?」 カニソガムさんは、やっとうなずく気になったらしい。
 「私と同級なのよ、とてもよくやってるわ、いい子よ」私はつけくわえた。「ほんとにいい子だわ。いつかお昼ご飯に、うちにつれてきたことがあるわ。私のこと話したでしょう。私は一度なぐったけど、そのときの態度は、すごく立派だったわよ。よろしくいってね」
 彼はやがて、妙なことをした。というのは、かがみこむと私の両肩をつかまえたのだ。
 「息子に伝えときますよ、お嬢さん、あなたがよろしくおっしゃったとね」そう彼はいった。
 そして立ち上がると、大きな手をふって、「引き上げよう、さあ行こう」
 彼らはきたときのように、一人、二人と足を引きずってがたがたの車のところへもどった。ドアがばたんとしまり、エンジンがうなって、男たちはいってしまった。

      『アラバマ物語』暮らしの手帖社刊 より抜粋
 

   僕はこの場面を、「教養とは何か」の講義で使った。「教養」とは「再構築」する事である。事態が膠着して険悪な状況にあるとき、自他をずらす。ずらして見え方を変える。
 スカウトはその場の抜き差しならぬ空気を、全く場違いな話で転換する。武装した農民たちと主人公一家との間にあった険悪な睨み合いの固い壁が、スカウトが持ち出した話ですっと消えてしまう。視線がずれたのである。リンチしようといきり立っていた気持ちは魔法のように消えて、カニンガムは握っていた銃を置きスカウトの肩に手を置き誓う。「息子に伝えときますよ、お嬢さん、あなたがよろしくおっしゃったとね」と。

 交渉は何であれ、こうでなくてはいけない。これを可能にさせたのはアティカスの丸腰である。

 スカウトの咄嗟の語り掛けはそれだけに止まらず、カニンガムの何かを変える。そこが教養のradicalなところだ。
 トムの陪審裁判は翌日、町の法廷で開かれた。町中の大人が押しかけ立錐の余地もない。アティカスの見事な弁論でトムの無罪は明白になったが、陪審員の審理は長引き彼に有罪を宣告する。しかしここで印象的なのは、トムをリンチする集団を率いていたカニンガムがトムの無実を言い立てて審理が長引いたことである。 『アラバマ物語』はHarper Leeの子ども時代の実体験を元にしている。(絶望したトムは逃亡を謀り射殺される。アティカスの判断では上告すれば十分勝訴出来た)。

 もう一つ大事な場面がこの中にある。これも良く授業で使った。保安官事務所のポーチでスカウトの兄ジェムは、アティカスからスカウトとディルを連れて帰れと強く言われる。それまで父の命令に逆らったことの無いジェムが、この時初めて「嫌だ」と抵抗する。現場に残り父と共にリンチを目論む銃の前に立つ決意をする。そして裁判を境に、ジェムは口数が少なくなり勉強に打ち込むようになる。法を学ぶ決意をしたのである。
 我々の周りでは学校も家庭も、少年/少女を社会的事件の現場から隔離することを教育や指導と考えて譲らない。アティカスは子どもたちの決意を尊重した、たとえ親であっても立ち入ることの出来ない精神の領域である。自立や成長は安全と相容れない場合もある。そう生徒や学生に伝えるためにいい挿話だ。

 我々は安全を口実に、少年/少女たちの社会的成長と自立を妨げる。その結果が低賃金と過労死と憎悪ではやりきれない。大人も教師も臆病だ。

 政府が先頭になって近隣諸国との険悪な空気を煽る。丸腰の教養が要請される事態に、ミサイルや航空母艦を配置する愚かさである。子どもの知恵にも劣る者が、国の中枢にいて愚か者を増長させるばかりだ。

 日本の青少年は、スカウトやジェムのように振る舞うことから余りにも長く隔離された。周りにはメイエラの父親ユーイルのような、無知で偏見に満ちた粗暴な大人が蔓延している。国会で政府側に座る者たちの姿勢と顔付きがユーイルそっくりである事に驚く。(メイエラがトムを誘惑したのである。その現場を目撃したユーイルが激怒して娘を殴ったことを、アティカスは弁論で白日の下に曝した。それを恨んだユーイルは、復讐のために兄妹を襲い兄は瀕死の重傷を負う)

授業における現実性=リアリティ

この衣装は洗濯を繰り返してボロボロにしてある
汗と血糊は付いていない
 『椿三十郎』の出だしと結末が気に入らない。 先ず初っ端。味方だと思っていた老中一味に包囲された若侍たちは、危ういところを浪人者に助けられ、新たな決意を固め「こうなりゃ死ぬも生きるのも我々九人」と誓い合う。
 それを聞いた浪人者は言う。
 「いや!十人だ!てめえらのやることは危なくて見ちゃいられねえや」

 どうもしっくりこない、いかにも押しつけがましい。こう言わせる。

 「おめえら、命をかけての結束もいいが、ちょっとはここも使いな」と頭を指さし
 「こんな物騒な所は真っ平だ、あばよ」と去ろうとする。若侍たちは、何やら言い合った挙げ句
 「どうか、何卒我ら一党にご指南を」
 「命がいくつあっても足りねえや、・・・しかし放ってもおけまい。・・・条件は何だ」
 「何なりと」
 「そうはいくめえ、条件は飯と風呂だ」と言わせる。

 結末。
 室戸を斬り倒した椿三十郎に、若侍の井坂(山本周五郎の『日日平安』では井坂十郎太)
 「お見事!」と言う。椿三十郎
(『日日平安』では菅田平野)か゛
 「バカ野郎!利いた風なことをぬかすな!気をつけろ!俺は機嫌が悪いんだ!」までは同じ。こう付け加える

 「お前たち城代家老に言われて、オレを呼び戻しに来たんだろう。」
  「はい、直ちにお戻り下さるよう」
 「見たとおりオレは頭から足袋まで血まみれ、風呂に入りたい。
刀はこの通り、研がねばならぬ。城代に斬られるかも知れんからな。しばらく待って貰おう。誰か馬を貸してくれ、もう歩けん」そして死体のように横たわって馬に乗る。
 2日後、血糊を落としたヨレヨレの着物を肩に、研ぎなおした刀に目をやり

 「この刀も細くなりやがった。待たせたな、そろそろ行こうか」と若侍に告げ、城代の待つ屋敷に赴く。
 座敷に案内され、しかし座りもせずこう言う
 「おい城代、室戸にオレを斬れと命じたのはお主だな。オレが旅立てば、他藩や幕府に内紛が漏れはせぬか気掛かり、しかし事情を知った者を仕官させるのも厄介」城代は一瞬言葉を失う。
 「ア・ハハ・・・図星でござる。・・・参りましたな、二本も三本もとられ申した。さぁこちらへ、せめてこのたびのご助力に感謝はせねばなりませぬ故、さぁこちらへ」と立ち上がろうとする。
 「この部屋は息が詰まりそうだ。お主らと酒を飲めば、オレまで室戸になる。別れを言いに来たんだ。料理と褒美は、お主たちより勇敢なあのお女中(『日日平安』ではこいそという名)にやりな。オレの口には合わん」と踵を返す。こいそは背景の末座に控えている。
 
若侍たちは、慌てて追いすがる。決闘した場所まで来て、椿三十郎は立ち止まり
 「室戸は俺によく似ていた、あいつもオレも鞘に入らぬ刀。でもな奥方によれば、いい刀は鞘に入ってる。だが、役には立たん。おまえたちも大人しく鞘に入ってろよ。これ以上追ってきたらたたっ切るぞ、今日も機嫌が悪いんだ。城代に伝えておけ、オレを黙らせたければ、浪人や女郎が出ない政道を心がけろってな。洗いざらしのボロは気持ちがいいぜ、あばよ!」

  『七人の侍』撮影現場ではこんなことがあったという。わずか2秒のちょい役仲代達也がカメラのまえをチョコチョコ歩いた時、黒澤明は『なんだあの歩き方は』と朝9時から大勢の役者を待たせてやり直しの連続、終わったのが午後3時。それほどまでリアリティにこだわった黒澤明が、どうしたことかと思う。返り血をたっぷり浴びればまともに歩けるわけがない。『日日平安』では、浪人菅田平野は、返り血を浴びてもいないのに井坂十郎太を丸め込んで風呂にも入り髭も月代も剃っている。僕は椿三十郎より、こちらに活きた人間を感じる。


 役柄の現実性は、演じる世界への想像を掻き立てる。
 少年/少女たちは、常に教師の授業の非「現実性」を暴きその偽善性を白日に曝そうと待ち構えている。
非「現実性」と偽善性が見えたとき、生徒たちは授業から逃亡し居眠りしお喋りするのである。
 それに立ち向かい、教壇に立つ我々の言葉の背後に活きた「現実性」を感じさせる為には、我々自身が常に活きた「現場」で、事柄の匂いを嗅ぎ音や温度を肌で感じる必要がある。
 例えば戦場の爆風や匂いを伝えるとき「鼻につく」という句を用いる。積み重なる死体や血だまりの匂いが「鼻につく」とはどういうことか。「においが鼻に残って離れない」ことではない。何の匂いを嗅いでもその匂いが蘇って来る事である。食事をとろうとしても、果物を口にしてもそのにおいが蘇り何も口に出来なくなる。もし鼻につくのが、バラやチョコレートの香りであったら良いのだろうか。梅干しで白米を口にする度に、バラの香りが押し寄せてきたらもう、沢山だ勘弁してくれと言うだろう。芳香でさえそうなのだ。嫌な匂いなら嫌な光景と共に寝ていても襲ってくる。
夜中に汗びっしょりになって飛び起きる。戦場の匂いを現実のものとして再現しないために、それを心底から嫌悪する必要がある。そのために想像力はあり、現実性という手法はある。

 戦場の匂いでなくてもいい、鼻につくほどある匂いの中に閉じ込められてみる。そうすれば、何の匂いであれ「もう沢山だ勘弁してくれ」という感覚を伴って「鼻につく」を伝えられる。文学がその代わりをすることもある。しかし元になるのは経験だ。教材研究が必要とするのは、そういう身体「感覚」である。
 731部隊の医者や研究者は、捕虜を丸太と呼んで生体解剖や実験と言う名の殺戮の日々を送った。にもかかわらず、同じ敷地内にある快適な「官舎」に帰れば、子どもや妻と水入らずの夕餉のひとときを享受したのだ。彼らには、丸太の血のにおいが、鼻に付かなかったのか。 そこに彼らの生活の異常性がある。

 辺野古のそして沖縄の現実を許しながら「cool japan」や「侍japan」に浮かれ、「天皇メッセージ」が無かったかのように改元騒ぎを演じるのは、同じように異常なのだ。
 
 嘘っぽい授業は、する方にだって力がこもらない。聞く方は尚更だ。そのためには教師も少年/少女も、自由で暇でなければならない。

王様に貰ったミカン

 深酒して 終電車に乗り遅れ、交番で補導された事がある。身分証明を見せると、巡査は慌てて「失礼しました」と敬礼した。修学旅行引率では、宿の仲居さんから面と向かって「先生はどこ」と聞かれた。「僕です」と答えると、仲居さんは 一瞬呆然の後 生徒と一緒に大笑いした。引率されたのが二十を...